気の広場

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雑誌の「ハウ・ツウ」育児が危ない     ( 母 : NO.133 )

2010-12-27 10:08:07 | Weblog
いま 多くお母さんは

「いかに」して叱るか

「どうやって」離乳するか という「方法論」のみにしがみつこうとし


雑誌の編集者も

  ・・・ そうした「ハウ・ツウ」のみ与えようとしている。



「過保護になるな」

「シツケをきびしくするな」

  子どもはわがままになる ひねくれると注意する声は

  ・・・ 世間にさかんです。


しかし

性格形成に重要なのは

  そんな個々の「やり方」にあるのではなく ・・・

過保護になったり 厳格すぎたりする母の態度

  人間的在りようとその性格 ・・・ こそが問題なのです。




* 2010.11  東ブータンで





子どもの性格は 幼児~小学校低学年  ( 母 : NO.132 )

2010-12-27 09:04:14 | Weblog
どんな性格の子どもに育つかは

  その子の父と母のよって決まる ・・・ 。


わけても 幼児から小学校低学年にかけて

  強い影響力を及ぼして性格をきずき上げてゆくのは ・・・ 母です。



授乳 排便 離乳の一つ一つが

  子どもの性格形成に重要な役割を果たします。


たとえば 授乳にしても ・・・

人工栄養か 母乳かというちがいよりも

  なぜ母乳をやめるかといった母の考えや気持をもふくめて

母親の態度や性格が複合的に ・・・ 子どもに影響を与えてゆくのです。



叱り方もそうです。


強く叱るか やさしく叱るか

ほめるか

どんなコトバでいい聞かせるか その個々のあらわれ方よりも ・・・

母の「叱る姿勢と心」 育児態度が

  ・・・ 子どもの性格と関連して問題となるのです。




* 2010.11  東ブータンで





子どもの性格は家庭環境によって決まる ( 母 : NO.131 )

2010-12-27 07:08:42 | Weblog
ショックをうけて性格が変わった と騒ぐことがありますが ・・・

それは 今迄の習慣がこわれて混乱がつづけば

  そこから 新しい性格もつくられてゆくでしょうね。


それを 心理学者は「性格の発展」と名づけています。



発展である以上 そこには やはり基礎となる性格があるはずです。

この性格をつくりあげる最大の力は ・・・ 「家庭環境」です。


よく性格は「遺伝か環境か」「氏か育ちか」と議論しますが ・・・

ほとんどの人類学者 社会学者そして心理学者は

  ・・・ 「環境」を重視します。


とくにそのうちでも ・・・ 「家庭」を重くみる。

子どもの性格形成を考えるとき

「家庭環境」は ほとんど決定的な力をもっている

  ・・・ と考えてもさしつかえないと思いますね。


つまり どんな性格の子どもに育つかは

  その子の父と母のよって決まる ・・・ ということです。



甘ったれか

攻撃的か

反抗的か

社交的か

強情か

神経質か

依存的か

親切か

冷酷か ・・・ といったさまざまな性格は

  ・・・ 父母の「感化力」によって左右されます。


いいかえれば

親の ・・・

  育児態度と生活の仕方

  教育・知性の程度

  夫婦のあり方 ・・・ などが

  ・・・ 子どもの性格をつくってしまうわけですね。





子どもの性格は父母によって決まる    ( 母 : NO.130 )

2010-12-27 06:28:22 | Weblog
ふつう 習慣とかくせ(癖)というものは

  何度も繰り返して同じ経験をすることでつくられるものですが

性格は

  この習慣やくせを自分自身の身につけることで育つものです。


ですから 性格にまで発達しない習慣は脆(もろ)いもので

  何かある事件でショックをうけるとくずれてしまう。

しかし 性格になっていれば さほど変化は起こさない。


性格というのは ちょうど天然痘の種痘を受けたのと同じように

  人間の「過去に与えられた免疫性」だといってもよいでしょうね。

                  ( 母 : NO.131 )につづく





憂うる心 : 母心は白血球のごとし    ( 母 : NO.129 )

2010-12-27 05:55:29 | Weblog
母心は白血球のようなものだという人があります。


傷口があると余計に強く働く白血球のように

  母心は 出来の悪い迷う子のほうへ傾斜するというのです。


しかし

その白血球の働きは

  どの子にも平等に作用するものでなくてはなりません。

長男が怪我すれば 長男に

次男が病めば 次男に

長女が倒れれば 長女に

  と 母の憂うる心は等しくかけめぐるものであってこそ

  ・・・ 母心といえましょう。


それは ・・・ 差別ではありません。




憂うる心 : 仏心(ほとけごころ)      ( 母 : NO.128 )

2010-12-27 05:11:03 | Weblog
母の愛が 仏心と同じだというのは

これほどまでに無心に子を愛する心をもっていることをさしているのです。



五人のうち どの子でも 傷ついた指となれば

  ・・・ 差別なくうちこんでいく。

あらわれ方は特定の子であっても ・・・ 差別はない。


『にんじん』の母は その逆です。 はじめから子を差別している。



平等な心で子どもを愛する母は

  また 不幸な子と歩みながら 自分もともに苦しみ

  ・・・ 深い人生をかみしめる。

  ・・・ 人間の不幸の本質を体験的に自覚する。


出来の悪い子をもつことで かえって広い人生にめざめることもある。



人間の罪の自覚は ただ一つの救いへの道だ

  ・・・ と宗教は教える。


悪の子をもつことは 大きな救いへの道

  ・・・ 宗教的愛に近づく道程(みちのり)ともいえる。

不幸な子が 母心をみがいてくれるわけです。



ここまで到ったとき 母を責める子どもたちは ・・・

自分たちへの愛も 道をはずれた兄や妹への愛も

  ・・・ 全く同質の愛であることを悟るのです。





憂うる心 : 捨身(すてみ)         ( 母 : NO.127 )

2010-12-27 05:10:19 | Weblog
なぜ 欺すような自立できない子が可愛いか

その子の面倒をみることが
 
  どうして ほかの健全な子を愛する心と変わりないか

なぜ 母は 迷う子とともに迷うのか

その母心を どうやって子どもらに理解してもらうか

  ・・・ そこに 母と子の愛の難しさがある。



 こうした苦しい立場に立たされた母親は、子どもらに理解を求めることを捨てて、不肖の子とともに日雇労務者の生活に身を投じました。


ほかの子供らは 雷にうたれたように慄然(りつぜん)としたそうです。



母は 一本の指も切り捨てることはできない。


自分や兄弟を苦しめる子も 自分が生んだ子だ としたら

誰も手をさしのべてくれないその子と一生をともにする自分しかない。

野宿しようが 野垂れ死にしようがかまわない。

・・・ 母は 一本の傷つける指に身を投じたのです。


受刑者をもつ母の愛がこれでしょう。

娘に金を使って不平をもらす母とはちがう。


このわが身をかまわない 捨て身の慈悲心がなくては ・・・

子どもは 愛の差別と無差別の岐(わか)れ目があるのか分からないのです。