気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

家事の知恵 : 楽しむ家事         ( 母 : NO.116 )

2010-12-24 14:56:08 | Weblog
ある母親は

  入浴中に ついでに洗濯をするといいます。

そうしないと時間が無駄になるというのです。

彼女にとって入浴とは

「体を洗い浄める作業」

  ・・・ シャワーの役割のみしか果たさないわけです。


ある母は

  どっぷりと湯につかってぼんやりしていたいというのです。

風呂は 憩いとレクレーションの場だというのです。


このちがい。

清潔保健の義務的入浴と

一日の疲れをほぐし 愉しむための美的陶酔としての入浴

  ・・・ のちがいです。



いずれが「家事の心」か

  といえば ・・・ いうまでもなく 後者です。


そして 母は

  家事に 恍惚感と美的味わいを楽しむ心をもって接してこそ

  ・・・ 家事に 知恵を働かせ

        色と柄の悦楽を味わうことができるのです。




 

家事の知恵 : シャワーより風呂      ( 母 : NO.115 )

2010-12-24 13:03:31 | Weblog
日本の家庭風呂は

実用的合理主義からみれば

  ムダでバカバカしい 非合理的なものです。


が ・・・

入浴したいという欲求には

  合理的・機能的なものをとび越えた美的経験の欲求

  ・・・ が働いているのです。



料理にも 住居のつくり方にも

  必ず非合理で 不合理な要素が入りこんでいる。


事実 ・・・

「合理化」の名目で不必要な「道具」まで

  家庭の主婦はそろえようとしているではありませんか。


ステレオ ヘア・ドライヤー 電気餅つき器 iポット ・・・ などは

  人間の暮らしに なくてもよいものです。

集めたがるのは

  趣味であり 美的環境を欲するからでしょうね。



シャワーより風呂 ・・・ というのも同じ心理と感覚によるものです。






家事の知恵 : 家事は不合理がよい    ( 母 : NO.114 )

2010-12-24 08:30:14 | Weblog
家事の合理化に反対すると よく叱られます。

古いといわれます。


しかし 家事というものは

  もともと不合理であるところによさがあるのではないでしょうか。


いいかえれば

外の生活が合理化されてくればくるほど ・・・

人々は家庭や労働以外の場に 不合理なものを求めるようになり

  ・・・ 家事もまた不合理であるところによさを生み出してゆく。


そういった関係のなかで

  人間は やっと調和を見出せるのではないでしょうか。



例えば お風呂にしても

もし 身体を清潔にするだけの目的に従えば シャワーを浴びればよい。

長い時間をかけて お湯から出たり入ったりする必要はありません。


風呂場の掃除などは 実に手のかかるものです。


しかし 二日も入浴しないと 気分が滅入ってくる。

さっぱりしない という。


日本人は 不潔以上に「不潔感」をいやがります。

不潔感は 実用的意味をこえた「感覚的満足」を求めるものです。


つまり ・・・ レジャーです。 遊びです。





母 ・・・113. : 色と柄 ・・・ 家事は子ども教育

2010-12-24 06:08:22 | Weblog
家事は それを単調な労働とのみ割り切ってしまったら

  ・・・ これほどつまらない仕事はありません。


しかし

色と柄を通じての子ども教育の実践と思えば

  ・・・ 新鮮な価値あるものと映ってきます。


この境目は母心にかかっています。


家事を馬鹿らしいという母は

結局 子どもに豊かな創造性をたくわえることなく

  ・・・ 終わることでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・112. : 色と柄 ・・・ 工夫の人 

2010-12-24 05:31:32 | Weblog
父は 理想を追い 抽象的に「モノ」を考えている人です。


その父のかたわらに
 
  絶えず現実を見ている母あるとき ・・・

子どもは

  物事の必要 不必要を敏感にかぎわける嗅覚の持ち主になってくれます。


お母さんのムダのない 自信たっぷりな買物ぶりをみているだけでも

  ・・・ 「モノ」の識別力が子どもに伝わっていくものです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・111. : 色と柄 ・・・ 創作の人

2010-12-24 05:30:54 | Weblog
いま 街なかには欲しいものがなんでも豊富にならんでいます。

お金さえ出せば すべて手に入れることができる。


子どもは 物質の豊かさに戸惑い

  ・・・ 欲が満たされないことに苦しんでいます。



母が 既製品を買いこみ

  それですべてを終わらそうとするとき ・・・

子どもは モノを自分の手でつくるよりも

  「お金」で「モノ」を手に入れようと思うようになる。


母が 個性と創作の人であれば ・・・

  欲しいものは自分でつくりあげるものだという教訓を

  ・・・ 身につけるようになる。



色と柄の楽しみを知る母親は

  子どもに ものの尊さをと「モノ」をつくる喜びが与えられる。


さらに 「創る」ための正しい現実把握力も

  ・・・ 培養することが可能です。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・110. : 色と柄 ・・・ レデイメイドばかりでは

2010-12-24 05:28:39 | Weblog
色と柄によって 現実を いろどり豊かに変容させる力が衰えると

物をみる目が退化し ・・・ おおざっぱ人間になってしまいます。


レデイメイド(できあい・既製)の品ばかりに埋もれているお母さんは

履き捨て 使い捨てはさかんですが

  ・・・ 家庭にしっとりとした夢が育たない。


はぎれでもよいから 丹精してつくりあげた品には

  ・・・ 浪漫性が漂い 家庭をうるおす。



子どもらは

母の卓抜な色と柄への好みと感受性によって

  ・・・ 現実と夢に架けるかけ橋の魅力を知る。

しかも

細部に目のとどくこまやかな神経もはぐくまれてゆく ・・・ のです。




* 2010.11  東ブータンで