気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・ 80.ままごと整理学 : 「人とうつわ」

2010-12-19 13:18:14 | Weblog
 加藤秀俊さんは「人とうつわ」というエッセイで こんな風にのべています。

・・・ 人間の文化史は、ある意味で「いれもの」をつくる文化だった、といわれています。考古学者の発掘したおびただしい出土品のなかには、実にたくさんの「いれもの」がふくまれています。縄文や弥生式の土器にしても多くはツボやカメなど「いれもの」ばかりである。
ものがあれば、かならずといってよいほどそのものを入れる「いれもの」を人間はつくったり買ったりする。とりわけ女性は「いれもの」が好きだ。
幼いころは小さな箱をやたらあつめて、おもてに千代紙などを貼り、そして、その箱のなかに、おハジキだの、あれこれのこまごましたものをいれる。
しゅふになっても、「いれもの」をつぎつぎに家庭のなかにつくりあげる。身のまわりにも、各種各様の「いれもの」を配置する。
・・・ なぜ「いれもの」がこんなに好きなのか。たぶん、それは「いれもの」を使うことが整理の第一歩だからである。
ものの整理と「いれもの」とのあいだには深い関連性がある。とりわけ、今日のように、人間生活のなかに、おびたただしい種類のものがはいりこんでしまった時代には、ほうっておいたら、とんでもない無秩序と混乱が生まれてしまうだろう ・・・ と。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 79.ままごと整理学 : むかしの母親は

2010-12-19 12:06:57 | Weblog
むかしの母親は

「 女は 自分の死んだあとで

  箪笥(たんす)の引出しをあけられても 恥ずかしくないように

  きちんとかたずけておくものですよ 」

    ・・・ と 娘に注意したそうです。



これは何も 形式を整えておけ ということではなく

そうした細心性をもって生活に望まなければ ・・・

  家庭内のすべてが無秩序になってしまう

          ・・・ という教えを示したものでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 78.ままごと整理学 : 整理力

2010-12-19 08:22:53 | Weblog
ままごと遊びをみていて驚くのは

  子どもらが 見事に家事の手順や運びをマスターしていることです。



お客をもてなすにしても

  まずオシボリを出し 日本茶をすすめる。

そして

  紅茶とケーキがつづく ・・・ 。

もうひとつ

  母親以上にきびしいシキタリは ・・・ 「 整理 整頓 」です。



幼い女の子の人形箱をのぞくと

ドレスや下着が 一枚一枚ていねいにたたんであり

  帽子やアクセサリーが 別の箱にきちんとしまわれている。


男の子が 野球道具やピストルなどを

  ガラクタのように 戸棚やダンボール箱に投げこんでいるのとは

  ・・・ 大違いです。



中学・高校にすすむと ・・・ この差異は きわだってくる。


つまり

ままごと遊びを好む女の子の心理には

  「もの」をととのえ
 
  順序よく「事」を運ぶという細心の習性が

  ・・・ すでに芽生えているのです。



そして

この幼い心に育まれた「整理力」を伸ばしてゆくのが

  ・・・ 母の「細やかさ」なのですね。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 77.ままごと整理学 : 女の子とままごと

2010-12-19 06:36:49 | Weblog
こまごまとした家事や

  手のかかる育児の嫌いなお母さんが増えているから

子どもも

  ままごと遊びなどに興味を持たないのかと思ったら ・・・

  そうでもないらしい。



女の子は 広いグラウンドがあっても ・・・


小さなお茶碗や電気器具のおもちゃを並べ

人形を主婦と客に仕立てて

妹を 友だちを子ども役にして 叱ったり

  お風呂に入れとすすめたり

「ごはんまであそんでらっしゃい ちらかしっぱなしはいけませんよ」

とか 母の口まねをして ・・・ ままごと遊びに余念がありません。



女の子とままごと ・・・

  それは ずいぶん長い歴史的習慣といえましょう。


女の子の目と心に もっとも確実な人間の営みとして

  ・・・ 刻みつけられてきたのでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 76.ぬくもり : 「すかし手」

2010-12-19 05:18:19 | Weblog
母は 父に「ほっとけ」といわれても

  ・・・ うっちゃらかしておけないのです。



「さあ これをおたべ」となだめすかしても

  子どもは 腹立ちまぎれに菓子をぶつけるかも知れない。



しかし
 
この母の慈愛なくしては

  叱られた子の淋しさ 苦しさは溶けていかないのです。



父から叱られた「憎しみ」や「怨み」は

  母の「すかし手」によって収まり いきどおりが沈静される。


そのとき

父と母の愛は はじめて教育効果をあげるのですし

          ・・・ 父に叱られたことが生きるのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 75.ぬくもり : 「叱り手」 「なだめ手」

2010-12-19 04:55:03 | Weblog
子どもを育てるには 「叱り手」と「なだめ手」が必要です。



「叱り手」だけでは 子供が萎縮し 反抗的になる。


また

「なだめ手」「すかし手」だけでは

  わがままになり 無気力な自立性の育たない子どもになってしまう。


「叱り手」にしても 「とめ手」なくてはけりがつかない。



子どもも 「救い手」「抱き手」の母がいてくれるから

  ・・・ おやじの愛の鞭を甘んじてうけるのです。


もし 母が父の「叱り手」をとめないで 冷たい目で見のがしていたら

  ・・・ 子どもは 母を怨み 憎むでしょうね。


父親には

  コドモじみたところや 面子にとらわれる気性があるので ・・・

母がとめると

  余計にカッカと父の手をあげる場合もあります。



それでも とめに入ってくれるのが ・・・ 母です。

身をもって父の怒りをとめてくださるのが ・・・ お母さんです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 74.ぬくもり : 母におもちゃは不用

2010-12-19 04:54:13 | Weblog
人間には 裏表があります。



慈愛によって伸びてゆく面と

  叱ってもらわぬと横道にそれてしまう面とがある。

苦と楽 喜びと怒り ・・・ の両面がなくては人間は育ちません。


親の愛も 父が苦と怒りをにない

楽と喜びを 母が受けもってくれてこそ

  ・・・ 過不足のない バランスのとれたものになる。



父に 不器用な ぎこちない愛の表現があり

母に 自然で なごやかな愛のあらわし方がある。


・・・ それでよいのです。



母に ・・・ オモチャは不用です。





* 2010.11  東ブータンで