私も古希を迎える年になりました。今年の11月に70歳になったのです。とはいえ、心意気は、若者達にも負けてはいません。『「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因が分からないし、発病自体を予防することが出来ないし、治すことも出来ないタイプの認知症である』とするのが、世の中の、我が国を含めた世界中の認知症の専門家、権威が主張していることなのです。
その結果、世界に先駆けて「超高齢化社会」に突入している我が国では、「アルツハイマー型認知症」の発病の有無の診断(医療現場の実態は、器質的な病変が存在せず、廃用性の機能低下が本態である「アルツハイマー型認知症」の診察に際して、使用に何の意味も無いCTやMRI等の機器を使用して高額の診療費を稼ぎながら、回復させることが困難な末期の段階の症状のいくつかの確認だけによる発病の有無の診断:病名をつけるだけの診断というしかないのです)、投薬(ケースにより、半年か1年ほど症状の進行を遅らせることがありうるというのが製薬会社の主張:効きもしない薬を投薬しているのです)及び介護{セルフケアにも重大な支障が出てきて、日常生活面での介護が不可欠となる(末期の段階の症状が発現してきている)お年寄り、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の後半の症状が確認されるお年寄りの介護:このお年寄り達は、他の病気又は老衰により死を迎えることになるときまで、「大ボケ」の枠の範囲で症状がさらに重いものになっていくだけなのです}の為に投入されている税金、「介護関連の総費用」の金額の総額が2015年度ベースで15兆円を超える、天文学的な規模に達して居て、且つ、この先増大の一途を辿るものと予測されてもいるのです。その結果、家族による介護の負担を軽減/排除するという制度創設の本来の目的が脇に置かれようとしていて、家族による介護の弊害が、「老々介護」や「認々介護」や果ては、「介護離職」(年々10万人の単位で増えてきていて、累積で100万人を超えている)と言った重大な社会現象を生み出しているのです。こうした状況を野党やマスコミが取り上げて問題提起すべきなのに、モリカケ問題ばかりを取り上げて騒ぎまくりながら、何故かこうした悲惨な社会状況を取り上げて国民に問題提起しようとしないのが不可思議なのです。北朝鮮問題の議論よりも(和平交渉を主張する野党やマスコミの人達は、和平交渉の対価及び和平協議の先に何が待っているのかを具体的に提示し議論すべきだと思うのです)、「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復及び発病自体の予防を可能とする方策の問題の議論よりも、モリカケ問題の方が国民にとってより重要なテーマだとでもいうのでしょうか。
私たちが452の市町村で展開を指導してきた住民参加型の「地域予防活動」により、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本態は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であって(但し、ここに言う生活習慣とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)、早期診断により治すことが出来るし(治せないのは、本当の意味での早期の段階である「小ボケ」及び「中ボケ」の段階を見落としていて、末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけて居るからなのです)、発病自体を予防することも出来ることが実証されているのです。私たちに権威が無くて、情報の発信力にも乏しいがために、マスコミは、権威が有って情報の発信力もある機関(京大や理化学研究所と言った認知症の専門家が多数所属している専門機関)が発する情報(「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムが不明であり、発病を予防することも症状を治すことも共に困難であるタイプの認知症である)を受け売りで、流し続けているのです。その上、製薬会社が発する情報(発病を予防したり、症状を治したり、症状の進行を遅らせる効能を有する薬の開発が可能であるかのような情報)を流し続けてもいるのです。
そうしたバックグラウンドの存在により、早期診断による「回復」というテーマにも発病自体の「予防」というテーマにも目が向けられない儘で居て、放置された儘の状況に在るのです。学者はというと、科学的な根拠も無く、客観的な根拠となるデータも無く、ただの推測や憶測に基づいただけの、権威だけに頼っただけの主張、所謂「仮説」の類を唱え続けているのです。仮説という意味は、発病の原因であると主張している内容と「アルツハイマー型認知症」の発病との間に存在するべき肝心要の因果関係が立証できない儘であるということなのです。その代表的なものが、アセチルコリン説であり、アミロイドベータ説(我が国では、京大や理化学研究所がその牙城であり、通説の地位にある)タウ蛋白説であり、脳の萎縮説と言う訳なのです。
学者は、自分の研究内容を学説として声高に主張していれば、それで人生を送るのに十分なのかもしれませんが、私たち一般の庶民はそういう訳にはいかないのです。老々介護、認々介護、介護離職が社会現象化してきているにもかかわらず、様々な種類が数有る認知症の内の大多数、90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」の発病の予防、早期診断による回復の道が閉ざされたままになっているのです。内容は無いものの、権威が絶大であるそれ等の仮説の類が横行していて、今猶幅を利かせている状況に在るがために、「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復及び発病の予防が可能であるにもかかわらず、見向きもされないで居るのです。一般の人達は、内容の是非を判断する専門的な知識を有していないので、権威によって判断しようとするからなのです。京大とか、理化学研究所などと言う権威が有る機関が主張するとそれを信じてしまうのです。私たち人間の意識的な世界とは比較することが出来ない、比較するべきではないマウス(「アルツハイマーマウス」を含む)が檻の中で餌を探して彷徨するその動きの中に何を求めようと、「前頭葉」という機能どころか、注意の分配力という機能さえ備わっていないマウスの行動がどんな示唆を与えてくれると言うのか、この辺りで原点に立ち返って、研究の成果として主張している内容だけでなくて、研究方法自体を検討しなおすべきだと思うのです。私たち人間の意識的な世界、その世界を構築している「前頭葉」と言う機能、その機能の中核に在る「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能、更には、それらに宿る老化及び廃用性の機能低下という要素に注意を向けるべきなのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本態は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。「アルツハイマー型認知症」こそが、治すことも発病自体を予防することも出来るタイプの認知症なのです。市町村の保健師さんが活動の牽引車となり、地域のボランティアが運営に参画する「予防教室」の運営、「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復及び発病自体の予防を明確な目的とする住民参加型の「地域予防活動」が唯一の処方箋となるのです(発病の予防及び早期診断による回復とによって、介護関連の総費用を劇的な規模により、劇的に減少させることが出来る極めて有効な方策となるのです)。発病及び症状が重症化するメカニズム(原因と機序)に鑑みて言うと(問題を提起すると)、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防したり、早期の段階の症状(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で発病してくる症状)を治したり、症状の進行を遅らせたりする効能を有する「薬」が開発されることは、未来永劫有り得ない事なのです。更に言うと、末期の段階である「大ボケ」の症状が確認されるお年寄りには、介護の道しか残されていないのです。薬が開発されるかもしれないとの期待(誤ったものであり、薬が開発されることは有り得ない事なのです。)が、保健師さんによる住民参加型の「地域予防活動」展開の重大な妨げになってもいるのです。
私たちが意識的に何かのテーマを発想し、行動する為の内容を計画し、実行の手順を組み立て、実行結果のシミュレーションを行い、必要と判断した場合は修正を加えた上で、実行を決断し、脳の各部に実行の指令を行う、それが、それこそが、私たち人間だけに備わる「前頭葉」と言う脳機能の働きであり、その中でも、「注意の分配力」の機能が極めて重要な働きをしているのです。その「注意の分配力」の機能、「前頭葉」と言う脳機能について生じてくる老化及び廃用性の機能低下こそが、原因不明とされてきている、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状が重症化する原因なのです。アセチルコリンの不足とか、アミロイドベータの蓄積とか、タウ蛋白の蓄積とか、脳の萎縮とかは、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の原因とは無関係のものなのです。そうであるが故に、それらの仮説は全て、何時まで経っても、発病との間の因果関係の存在を立証できないでいるということなのです。「アルツハイマー型認知症」を発病する一つの要因は「加齢」による機能低下であり、もう一つの要因が「キッカケ」を契機として開始された単調な生活の継続、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものも無いナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続による廃用性の機能低下なのであり、この二つの要因が同時に存在し充足されることにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなり、その先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているというだけのことなのです。私たちの主張は、14689例もの生きた人間の意識的な世界、「前頭葉」の機能を含む脳全体の機能の機能レベルについての精緻な「脳機能データ」の蓄積とその解析並びに1997年以来452の市町村で展開を指導してきた住民参加型の「地域予防活動」(市町村の保健師さんが牽引車となり、地域のボランティア組織との協働により実施)という活動の成果の分析に基づいた、実証を基礎とした主張なのです。権威がなく、発信力に乏しいが故に(論文を発表したことも無いので)、内容が無くても権威が有る仮説の類に負けているというのが実情なのです。いずれの主張を採用するか、それは、政権与党、政府、最終的には国民の判断と言うしかないのです。
上述したように私も実は、この11月に古希を迎えたのです。古希の祝いにと、Tadと二人きりで、ハワイ旅行を楽しんできたのです。私たちは、HGVC(ヒルトン・グランドバケーションズ倶楽部)のメンバーなのです。ハワイ島のワイコロアビーチ・リゾート内に在るキングスランドとオアフ島のハワイアン・ビレッジ内に在るラグーンタワーを共同所有しているのです。その施設を利用して、15泊16日の旅を楽しんできたという訳なのです。世の中の、言い換えると世界中の認知症の権威が主張している重大な誤りを糺す為にこのブログを公開しているのです。来年は更に踏み込んだ活動を展開する予定であり、古希を迎えたという年齢であっても、気力自体は充実しているのです。私たちの活動が、社会派の巨匠であり重鎮である映画監督の目に留まり、映像という手段により情報を発信していくことになったのです。
最後に、ハワイ島で私が撮った写真を楽しんでください。こんな雰囲気のリゾートなのです。
See you again !! サイチェン!!
注)本著作物「Bー97」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
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脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)
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