認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の真の原因と学説主張との乖離(B-68)

2016-10-01 | 器質的な病態でなく廃...

  & 「アルツハイマー型認知症」の発症頻度

一口に認知症と言っても、実は、いろいろな種類があるのです。その主なものを挙げると、脳血管性認知症、二次性認知症、アルツハイマー病、アルツハイマー型認知症等があります。「脳血管性認知症」は、脳を養う大小の血管に障害が存在することが原因となるのです。その大半のものは、脳を養う大小の血管が梗塞を起こして、十分な量の血液を脳に送れなくなったことが原因で脳の働きが全般的に低下することにより、認知症の症状が発現してくるものを言います。脳内出血(脳を養う血管が出血)を起こして、認知症の症状を惹き起こすタイプの脳血管性認知症も勿論のことありますが、数自体がずっと少なくなります。私たちが集積してきたデータによれば、脳血管性認知症が認知症全体に占める割合は、僅か4~5%に過ぎないのです。世の中でしばしば25%程度を占めるという数字が使われますが、その内の20%という部分(25%-5%=20%)は、実は「アルツハイマー型認知症」なのです。重度の記憶障害の症状が確認されたお年寄りで、脳梗塞や脳内出血の既往さえあれば全て「脳血管性認知症」と診断している医療現場での雑な扱いが原因なのです。60歳を超えた年齢の「高齢者」が、脳梗塞を患って、例えば右手の動きの不具合と発語の不具合という部分的な「後遺症」が残っただけの場合に、そのことが「キッカケ」となって、人と交わること自体に意欲を喪失してしまい、それまで楽しんでいた趣味も遊びも人付き合いも、或は運動も止めて家にこもるような生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に代わって、「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した認知症の症状が発現してくるのは、「アルツハイマー型認知症」なのです。認知症の症状の発現の原因が、脳を養う血管に起因していると言える為には、脳の或る領域に血流の低下が確認され、当該血流の低下を惹き起こしている原因血管を特定することが出来て、且つその血管障害がもたらした脳の機能低下の部位と認知症の症状を惹き起こしている脳の機能低下の範囲とが合致していることが不可欠の条件となるのです。ところが医療現場では、脳血管性認知症であるとの診断に際して、必要な両者間の因果関係の確認が殆ど行われていないのが実態なのです。

アルツハイマー病」は、内因性のものであり、特定の遺伝子の生来的な異常に起因した認知症のことを言い、生まれつき特定の遺伝子に異常が存在する人だけを対象として発病するのが特徴なのです。発病する対象は、基本的には「若い年齢」の人達、「若年発症」がその特徴であり、30歳代から50歳代の人達だけが発症し、60歳を超える年齢で発症する人は極めて稀なケースとなります。症状を治したり、或いは症状の進行を遅らせたりする手立てが全く無い上に、症状進行のスピードが極めて速く急激で、僅か2~3年のうちに、寝たきり状態になってしまう程なのです「アルツハイマー病」は、認知症の代名詞のように扱われていますが、認知症全体に占める割合は、1.1%程度に過ぎないのです。我が国では、学会でもマスコミでも、「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」とを一括して、「アルツハイマー病」と呼ぶ人達が多いのですが、両者は発病の原因(メカニズム)も、発病後の症状の進行の原因も進行の速度も、発病自体の予防の可能性も、症状の進行速度を緩めたり、或は治したりする「方法」の有無と言う点についても、全く異なるものなのです(両者が似ている点としては唯一、老人斑の沈着、神経原繊維変化及び脳の顕著な萎縮という、死後の脳の「解剖所見」が似ているというだけのことなのです)。発病の結果として、症状が進行して末期の段階にまで進んだ場合の脳内に起きてくるものが似ていても、両者の発病の原因(メカニズム)は全く異なるものなのです。「混同するのも甚だしい」と言わざるを得ないのです。

 誰でもが80歳とか90歳までも生きる超高齢化社会を実現している我が国では、身体が持つ一方で脳が持たない、具体的に言うと「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症を発病しているお年寄りの数が、厚生労働省の発表数字で460万人×0.9≒400 万人を超える数に達しているという状態にあるのです。但し、そこで言う400万人という数には、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階の人達の数は含まれていないのです。末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半の段階になって初めて確認される失語や失認や失行の症状が確認される人達だけの数なのです。驚くなかれ、「アルツハイマー型認知症」発病者の対象から見逃されている「小ボケ」と「中ボケ」の人達を併せた合計数は、「大ボケ」の段階にある人達の数倍もの規模になるのです。私たちのデータによれば、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の段階にある人達全員を併せた人数の、年齢別の割合は、定年退職等で「第二の人生」が始まったばかりの60歳代ではその12%、70歳代ではその30%、80歳代ではその50%、90歳代ではその75%、「人生」の極まりの年齢である100歳代になるとその97%ものお年寄りが、「アルツハイマー型認知症」を発病していて、「小ボケ」、「中ボケ」又は「大ボケ」のいずれかの段階にあるのです。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症の特徴として、一つには、働き盛りの若い年齢とされる人達の発病は存在しないこと、もう一つは、60歳を超える年齢の「高齢者」だけが発病の対象となり、然も、年を取るにつれて発病している人達の「年齢別の発病率」が高くなっていくこと、言い換えると、「加齢」という要素が発病の重要な条件となっていることが分かるのです。それが、次に解説する、「前頭葉」の老化曲線、私たちが「正常老化の性質」と名付ける生来的な老化曲線の存在の問題なのです。とは言え、年を取れば誰もが「アルツハイマー型認知症」を発病する訳のものではないことは上述した年齢別の発症率のデータからも明らかなことです。それでは、発病する人と発病しない人とを区分ける「他の条件」とは何なのか、それが、後述する「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の廃用性の機能低下という問題の存在なのです。「アルツハイマー型認知症」の発病の原因は、アミロイド・ベータの蓄積でもタウ・タンパクの蓄積でも脳の顕著な萎縮でもないということなのです。

 & 「アルツハイマー型認知症」の正体は、「頭の寝たきり」

言葉や論理的な思考や計算する力、或は場合分けなど、脳の後半領域にある「左脳」の働きは、一定の年齢に達するまで伸びていくのに対し、脳全体の司令塔の役割を担っていて、左脳、右脳、運動の脳という三頭立ての馬車の「御者」の役割、私達が意識的に何かの「テーマ」を発想し、実行しようとする世界を支配し、コントロールしている「前頭葉」という脳機能を構成している理解、判断、企画、推理、修正、抑制、感動等の個別認知機能の働き具合を支配する(機能発揮上の「二重構造」の問題)意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能(「前頭葉」の三本柱の機能)には、誰でも20歳代の前半までの「若い」年齢の時がピークであり、そこから100歳の時に向かって緩やかではあるが直線的に衰えていくという性質、私たちが「正常老化の性質」と名付けている生来的な性質が内在しているのです。「第二の人生」が始まる年齢である60歳代の半ば頃になると、「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合は、ピークの時である20歳代の半ば頃の半分位にまで衰えてきているのです。そして、70歳代、80歳代、90歳代と加齢が進むにつれて「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合が更に衰えていき、より低空飛行の状態になっていくのです。「前頭葉」の三本柱の機能に生来的なものとして宿る性質、「加齢」と共に機能が低下していくというカーブが存在するが為に、「アルツハイマー型認知症」は、若者には関係がなくて、「高齢者」と呼ばれる年齢の60歳代以降の年齢のお年寄りだけが発病の対象となるのです(「発病の第一の要件」)。

○ 器質的な病態が発病の原因ではなくて、単なる「廃用性の機能低下」が発病の原因

認知症全体の90%以上の割合を占めている「アルツハイマー型認知症」の発病の第一の要件の基礎にあるのは、「正常老化の性質」という問題の存在なのです。従って、20歳代や30歳代の若者が、スキーに行って転倒し、骨折して1~2ヶ月余りも寝たきりの生活をしていて、足の筋肉が使われない生活が続いていても、筋肉が廃用性萎縮を起こしてきて歩けなくなるという状態が起きてはこないように、「アルツハイマー型認知症」の発病という事態も絶対に起きてはこないのです。60歳を超えた年齢という「高齢者」の仲間入りをしたお年寄り、加齢に伴い「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合がピークの時の半分以下に衰えてきているお年寄りが、家の前で躓いて転んだ時、骨折して、1~2ヶ月余りも寝たきりの生活をしていて、足の筋肉が使われない生活が続いていると、筋肉が廃用性萎縮を起こしてきて歩けなくなる(廃用性の機能低下)と同時に、「前頭葉」の出番が極端に少ない生活が継続されたままの状態で居ると、「アルツハイマー型認知症」の発病という事態が起きてくることになるのです。発病のもう一つの条件、私たちが定義する「アルツハイマー型認知症」の「発病の第二の要件」は、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されていること、このことを分かり易い表現を借りて言うと、「前頭葉」を含む脳全体の機能が寝たきり状態にある生活が継続すること(「頭の寝たきり」)なのです。

勉強や仕事をしているときは、「左脳」が中核となって働き、言葉や計算や論理的思考や場合分け等に関わるデジタルな情報を「前頭葉」とやり取りしています。趣味や遊びや人付き合いを楽しんでいるときは、「右脳」が中核となって働き、色や形や音や雰囲気、感情や表情等に関わるアナログな情報を「前頭葉」とやり取りしています。体操や散歩やスポーツを楽しんでいるときは、「運動の脳」が中核となって働き、身体の動静に関わる情報を「前頭葉」とやり取りしています。脳全体の司令塔の役割を担っていて、言葉や計算や論理や場合分けなどのデジタル情報の処理に特化した脳機能である「左脳」、形や色や音や空間の認知や感情の認知などのアナログ情報の処理に特化した脳機能である「右脳」及び身体を動かす情報の処理に特化した脳機能である「運動の脳」という「三頭の馬」が牽引する三頭立ての馬車の「御者」の役割を担っているのが、「前頭葉」という脳機能なのです。私達の意識的な世界を支配し、コントロールしている「前頭葉」は、三頭の馬から送られてくるさまざまな情報に基づいて状況を判断し、状況判断に沿った何かのテーマを発想し、テーマの実行内容を企画し、計画し、実行結果を推理し、予測し、シミュレーションして必要な修正を加えて、最終的な実行の内容や程度や態様を選択して決定し、脳の各部に実行の指令を出しているのです。それが、「私達人間だけに特有な機能」である「前頭葉」という脳機能の働きなのです。私達は、左脳に偏った生活習慣、右脳に偏った生活習慣、運動の脳に偏った生活習慣、バランスがとれた生活習慣など、色々なタイプの「生活習慣」に従って日常生活を送っています。

脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の働きは、左脳、右脳及び運動の脳を支配しコントロールしながら、私達人間の意識的な世界を形成している訳なのですが、一方でその働き具合は、三頭の馬から送られてくる情報の量と質次第で、生き生きと働き、或は居眠ったりもするのです。三頭の馬からたくさんの量の情報が送られてくる生活習慣があって、そうした情報の質に当の「前頭葉」自体がより高い評価を与えるような生活、自分なりの追及すべき「テーマ」があって、「テーマ」を実行するに際しての自分なりの「目標」があって、そうした日常生活を送ることにより自分なりの「生き甲斐や喜び」が得られている、そうした「生活習慣」(但し、ここにいう生活習慣とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣であることに留意する)が確立されていて、継続されている程、「前頭葉」の機能が活性化することになり、「アルツハイマー型認知症」の発病とは無縁の生活が保証されることになるのです。趣味、遊び、人付き合い、運動又は地域興しなどの社会活動の「テーマ」の中で、自分なりに興味が湧くものを選んで、そうしたテーマの実行により出来るだけたくさんの人と交わり、その実践により、自分なりの「目標」がある生活を楽しむことが、脳、就中、「前頭葉」を活性化させることとなるのです。そうした脳を使う生活、「前頭葉」の出番ができるだけ多い「生活習慣」が、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防することとなり、自分らしい「第二の人生」を完走することにつながるのです。60歳を超えた年齢の「高齢者」の仲間入りをした「第二の人生」で、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となることもない「単調な生活」、ナイナイ尽くしの「単調な生活」、言い換えると、人生を自分なりに楽しむことをしないで、ボンヤリとした生活を日々送るだけの毎日を送っていると、三頭の馬から極端に少ない情報しか送られてこなくなった「前頭葉」の機能が、使われる機会が極端に減少した「生活習慣」の下で(出番が極端に減ったことにより)、廃用性の機能低下を起こしてくることになるのです。「正常老化の性質」という第一の条件と「廃用性の機能低下」という第二の条件とが同時に充足されることによって、その「相乗効果」によって、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてくることになり、その行き着く先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです。

世界中の認知症の専門家達から「発病のメカニズムが分からない」と言われている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。発病の原因は、「前頭葉」を含む脳全体の「器質的な変化による病態の進行」にあるのではなくて、「廃用性の機能低下の加速度的な進行」にあるに過ぎないのです。本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つければ、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善)によって、治すことが出来るからなのです。脳の器質的な病態の発生が発病の原因とする考え方(アミロイド・ベータの蓄積による老人斑の沈着やタウ・蛋白の蓄積による神経原繊維変化とやらが情報を伝達する役割を担っている神経細胞を犯すことによって、「記憶障害」を起こすことが原因とする考え方)は、「木を見て森を見ず」の類の誤りと言うか、根本的な誤りを犯しているのです(ここを「クリック」してください)。

「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の機能低下が発病及び症状重症化の原因であるが故に、「アルツハイマー型認知症」の診察の現場に携わっている医師でさえも、被験者が既に発病していることに気付かないのです。本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階が「不活発病」とかの名前を冠されるだけで見過ごされているのも、或は、次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階が単なる老化現象と見間違えられているのも、共に、同じ原因なのです。その結果として、診察を行っている医療現場の医師達でさえ、末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の更に後半になってからでないと見つけることが出来ないでいるという訳なのです。医師達が早期の段階と言っているのは、末期の段階である「大ボケ」の段階の前半、MMSEの得点で言えば、10点までのあたりのことを言っているのです。大ボケの段階とは、MMSEの得点で言えば、14点以下0点までの範囲なのです。たとえ10点あっても、既に、「大ボケ」の段階なので、『「アルツハイマー型認知症」は、治すことが出来ないタイプの認知症だ』と、医師達にさえ誤解されてしまっているということなのです。「小ボケ」の段階で見つけて、「脳のリハビリ」に励めば治すことが容易なのです。「中ボケ」の段階で見つけて、「脳のリハビリ」に励めば治すことが未だ可能なのです。「大ボケ」の段階で見つけていたのでは、手遅れ、治すことは困難になるということなのです。

コーヒー・ブレイク先月、アクトシティー浜松の研修交流センターで、「二段階方式」の「実務研修会」を実施してきたのですが、お昼休みに近くの書店(浜松市で一番大きな書店)で、「アルツハイマー型認知症」に関する書籍(最近発刊されたばかりの合計50冊)を読んでみたのです。それらの書籍の大半が、「アルツハイマー型認知症」の発病の原因についてアミロイド・ベータ説を引用していたのです。アミロイド・ベータというタンパク質が情報を伝達する役割を担っている神経細胞に蓄積して老人斑の沈着が起き、その毒性が神経細胞を犯すことが原因で、「記憶障害」の症状が起きてくることが「アルツハイマー型認知症」発病の原因である(原因と言われている)と書いてある書籍が大半だったのです。アミロイド・ベータ説は、欧米の医学会や研究機関や製薬会社の研究者達の間では、「発病との間の因果関係が確認できない」として、既に過去のものとなっているのですが、肝心の我が国では、東大や京大や理化学研究所がアミロイド・ベータ説の牙城であるが為に、上記のような状況が存在しているという訳なのです。我が国では、医師たちの間では、東大、京大、理化学研究所の権威がかくの如くに有るのだと、感心させられたのですが、『アミロイド・ベータの蓄積による老人斑の沈着は、「アルツハイマー型認知症」の発病の原因ではなくて、(症状が「大ボケ」の段階にまで進んだ)結果に過ぎない』というのが私たちの考えなのです。

脳の働き具合が良くなったかどうかを調べるときに、「物忘れ」の症状の程度や頻度を指標にする学者や医師が多いことに驚かされるのです。更に驚かされることは、「アルツハイマー型認知症」の診断に、医療の現場では、神経心理機能テストである「長谷川式」が使われているのです。「長谷川式」では、肝心の「前頭葉」の機能レベルを判定することは不可能だということにさえも気づいていない、知らないとでもいうのでしょうか。驚くしかない、ことなのです。脳が活性化しているとか、脳の機能レベルが改善しているとかいう為には、三頭の馬ではなくて、馬を操っている御者、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私達人間だけに特有である「意識的な世界」を支配しコントロールしている「前頭葉」自体の機能レベルの変化、就中「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名づけている「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能レベルが改善していることの判定と確認が「不可欠の条件」となるのです。但し、その「前頭葉」の機能が改善しているか否かを判定し、客観的な基準で評価するには、私たち独自の体系化された神経心理機能テストである「二段階方式」の手技以外には、世界中を見渡しても、これといった手技が見当たらないのが実情なのです。

付言しておくと「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルが改善されているか、維持なのか、又は低下しているのかを精緻に判定するには、「PET」といえども困難だということを指摘しておきたいのです。「アルツハイマー型認知症」の診断に際して、大病院が使用しているCTやMRIやPET等の機器では、「前頭葉」(「前頭葉」の三本柱の機能)の機能レベルの変化(改善、維持又は低下)を客観的に判定し評価することは出来ないことをここに指摘しておきたいのです。CTやMRIやPET等の機器では、脳の形やら、血流の或る程度の変化を判定できても、「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合の変化を判定ことすることは出来ない相談なのに、大病院では、「売り上げや利益」を最優先するがあまり、使用による保険点数が高いだけの理由で、機器を最大限度使用しているというのが医療現場での実態なのです。上述した、「アルツハイマー型認知症」に関する50冊の近刊書籍の著者の誰もが、「前頭葉」の働き方のメカニズム、特に、「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮度が「前頭葉」の三本柱の機能との関わり方及び発揮の具合と極めて密接な関係にあり、不可分の関係にある(私たちだけが確認している、機能発揮上における「二重構造」の関係のこと)ことを知らないし、「前頭葉」の三本柱の機能に生来的に宿る「正常老化の性質」のことも、更には、使われる機会が極端に少ない「生活習慣」に起因する「廃用性の機能低下」という問題についても、全くの無知なのです。「前頭葉」という脳機能の働き方、或は衰え方、更には「アルツハイマー型認知症」の発病のメカ二ズムについてこれほどの無知でありながら、各々が発行している書籍の題名はと言うと、読んでいる私の方が赤面しないではいられない程に先鋭的な(前衛的な?)題名のものばかりなのです。

コーヒー・ブレイク)「脳の活性化」とか「脳機能の改善」とかの言葉が流行っている今日この頃なのですが、驚くことにそんな言葉を使っている人達が、脳のことについて無知なのです。その人達は、「物忘れ」の頻度が改善したとか、MMSEの得点が2~4点改善したとかを根拠にして、脳機能が改善したと主張しているのです。その人達は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の働き方のメカニズムについて無知なのか、或は「前頭葉」の機能が改善しているのか否かを客観的な基準で判定する「手技」を持たないかのどちらかなのでしょう。50人程のお年寄りを一堂に集めて、月に1~2回の頻度で、例えば、特別の「テーマ」もなくて、単なる「お茶のみの会」を催すのです。会ではと言うと、各人が持ち寄った自慢のお漬物やお菓子などをつまみながら、おしゃべりを楽しんでもらうだけでいいのです。その会を半年間も続けて、参加したお年寄りの「前頭葉」を含む脳全体の機能がどのように改善したのかを判定してみるといいのです。「お茶のみの会」に継続して参加していた人であれば、皆さん全員が、MMSEの得点が数点向上しているはずなのです。ところが、「前頭葉」の機能レベルはと言うと、「お年寄り」各人の「前頭葉」の機能レベルが改善したのか、維持だったのか、或は低下だったのかを知るには、その期間中のお年寄りの具体的な「生活習慣」及び生活実態にまで踏み込んで聞き取りをしてみないと分からないのです。当該期間の前後での「前頭葉」の機能レベルの変化(改善、維持又は低下)は、当該期間中のそのお年寄りの生活実態、脳の使い方としての「生活習慣」の内容の濃さ、或は薄さを反映したものとなるからなのです。その人なりの「テーマ」があって、テーマを実行していく上での「目標」があって、それを日々実践していく生活の中で、その人なりの「生き甲斐」や「喜び」がどの程度に得られていたのかどうか、それを反映する形で「前頭葉」自体の機能レベルの改善、維持又は低下という結果が出現してくるものだからなのです「前頭葉」という脳機能は、私たちの意識的な世界を支配しコントロールしていて、私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行する際に、自分が置かれている状況を理解し判断して、状況判断に沿った「テーマ」を発想し、当該「テーマ」を実行する上で必要となる内容を企画し計画し、計画した実行内容の実行結果を予測し、シミュ・レーションして、必要な修正を加えて、最終的な実行内容及びその程度と態様とを選択して決定して、脳の各部に実行の指令を出す脳全体の司令塔の役割、三頭立ての馬車の「御者」の役割を担っているのです。当該期間中における各お年寄りの、日々の生活の具体的な実態、脳の使い方としての「生活習慣」という視点からの「生活歴」を色濃く反映した結果が、お年寄り達の各「前頭葉」の機能レベルの改善、維持又は低下として判定されることになるのです。その意味で、簡単な足し算や引き算とひら仮名で書かれたおとぎ話を読む程度のことでは、肝心の「前頭葉」機能の活性化、すなわち、「前頭葉」の機能レベルの改善にはつながらないのだということを指摘しておきたいのです。改善するというデータがあると主要する人達は、それ以外の要素が関係していることを見逃しているだけなのです(ここを「クリック」してください)。効果の判定における「因果関係の確認」が粗雑に過ぎるのです。ここで、「PET」の信望者に指摘しておきたいのです。その人の「前頭葉」の働き具合の経時変化を測定し、判定するには、私たちの「二段階方式」が採用している「かなひろい」テストのようなもの、「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合の変化を精緻に測定し、判定できる手技が不可欠となるのです。「PET」と言えども、「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合の変化及び継時的な変化を精緻なレベルで測定し、判定することは困難なことなのです。

 &「アルツハイマー型認知症」を早々と発病する脳(ボケる脳)

リーマン・ショック以後の我が国では余り姿を見かけなくなった状況だと思うのですが、「仕事人間」というタイプ(価値観)の人達は、我が国が高度経済成長を驀進していた時代には、当たり前だったのです。企業戦士ともてはやされ、家庭を忘れてまで、仕事一筋に考えて、我が身も我が趣味や遊びや人付き合いに費やす時間も、果ては睡眠時間までも削って、仕事に励んだ人達が当時の世の中には溢れていたのです。年間に数百件もの改善提案を提起する人が何処のどの企業にも必ずいたものなのです。当時の企業戦士達が今や「第二の人生」を送っている人達の中核なのです。当時は、世の中全体の価値観が、それを良しとしていたのです。ところが、「仕事人間」は仕事を取り上げられたら、言い換えると、「第二の人生」が始まったら、「早々とボケる危険が高い」という実態があるのです。「定年退職」が目前に迫るその前に、脳の使い方としての「生活習慣」を見直し、軟着陸するための準備を怠らないで欲しいのです。

※この人は、62歳の男性。元高校の校長先生でした。55歳で公立高校の校長を定年退職した後、60歳まで私立高校に嘱託として勤務しました。その後は、自宅で悠々自適の生活のはずでした。性格はと言うと、謹厳実直を絵に描いたよう。これといった趣味も遊びもなく、人付き合いも希薄で、運動にも興味を示さず、ゲームをしたりスポーツをするのを軽蔑する有様。パチンコ屋の前は、誤解されないようにと足早に通り過ぎるような人でした。そのうえ、テレビは、堕落のもととして若いころから見なかったのです。その人の生き方は、文字通り、「仕事一筋」の人生でした。趣味はなく、ゲームをしたり、スポーツをするのを軽蔑していたということは、趣味や遊びや人づきあいを楽しむ脳である「右脳」を使って人生を楽しむ「生活習慣」が無かった上に、「運動の脳」を使って人生を楽しむ生活習慣も無かった、ということなのです。脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」という脳機能は、左脳、右脳及び運動の脳という三頭の馬に支えられる構造をしているのに、右脳も運動の脳も使わないで、左脳という一頭の馬(1本の柱)しか使わない生活を毎日送っていたということなのです。「第一の人生」では、左脳一本で「前頭葉」を支えていたこの人の「第二の人生」がどうなったのかを、具体的に見てみましょう。仕事を定年退職で取り上げられた、言い換えると、左脳の出番が極端に減ってしまったこの人の第二の人生は、時間だけはたっぷりあるのに、することがない毎日を送ることになったのです。退職後は、毎日庭を眺めてはゴロゴロして、暮らしていただけなのです。悠々自適の生活といっても、趣味もない、遊びも知らない、その上お偉い先生の所へは、誰も遊びに来てくれないし、遊びに誘ってもくれないのです。奥さんが見かねて、ゲート・ボールにでも行ったらと水を向けても、「バカとは、遊べん」とか言って、行こうともしなかったのです。毎日毎日、お茶を飲んでは居眠りして、庭を眺めて暮らすだけの生活だったのです。すると、半年後には動作が緩慢になり、何事をするにも意欲が見られなくなり、表情が無表情になってきたのです(小ボケ)。それから2年後には、自堕落になって、パジャマを着たままで表に出て行ったり、家の庭で平気で「おしっこ」をするようになったのです。3年後には、今が何月かが分からなくなってきたのでした(中ボケ:言い訳ばかりの幼稚園児)。せめて「散歩」にでも行きましょうと奥さんが誘っても、「用もないのに、歩けるか」と言って、散歩さえもしなかったのでした。

 & 「アルツハイマー型認知症」の三段階(「小ボケ」)

「小ボケ」は、脳の働きから言うと、五感を通して情報を取り込み「前頭葉」に送る役割の左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルにあってちゃんと働いているのに、三頭立ての馬と協働し、且つ、それらを支配しコントロールしながら、状況を判断し、状況判断に沿った「テーマ」を発想し、テーマを実行する為に必要な実行内容の企画や計画を行い、実行結果の推理や予測やシミュレーションの結果に基づく必要な修正を施し、最終的な実行内容とその程度及び態様を選択して決定し、三頭の馬に対して実行の指令を出す役割を担っている脳全体の司令塔、三頭立ての馬車の「御者」である「前頭葉」の機能だけが、廃用性の加速度的で異常な機能低下により、異常な機能レベルに衰えてきている状態をいうのです。とはいえ、「セルフ・ケア」は自分で何の支障もなく行えるし、「家庭生活」面での支障も何ら起きてはこないのです。家の外に出て行って、人と交わり、何かの「テーマ」を実行する「社会生活」面で支障が出てくるようになる、それが「小ボケ」の段階です。

脳の働きが「小ボケ」レベルの時、日常の生活面で明瞭に発現する「アルツハイマー型認知症」の症状について、「小ボケ」の段階に特有な類型を列挙しておきましょう。世界的に権威があるとされている米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」が「アルツハイマー型認知症」診断の「第一の要件」として規定している「記憶障害」の症状はその欠片さえも確認されず、「前頭葉」の機能障害に起因した症状ばかりだということに注意を向けていただきたいのです。家の外に出て行って人と交わり何らかの共通の「テーマ」を実行する場である「社会生活」を送る際に、以前は出来ていたことなのに、今は、出来なくて、様々な支障が起きてくるのです。

眼の光がどんよりしていて、表情に力がなく、無表情、無感動の様子が見て取れる

問いかけに対する反応が遅くて、生き生きした笑顔が見られない

何事に対しても、意欲がなくなる

(何かをしようとする意欲が出てこない様子)

(何をしたいのかを思いつかない様子)

(何をするにも億劫で、面倒がるようになる)

(何事につけても、直ぐに人を頼りにする)

(外出するのを面倒がり、嫌がるようになる)

(おしゃれに関心がなくなる)

(人付き合いを面倒がるようになる)

(新しい道具を使うのを面倒がるようになる)

此処と言うときに、その「テーマ」についての「発想」が湧いてこなくなる

(会議などで、意見やアイデアを思いつかない)

(料理の献立が単調になる)

(いつも同じパターンの食材ばかりを買ってくる)

肝心の「意欲」自体が出てこなくて、自分で「計画」して何かを始めようとしなくなる

(色々なことを自分で計画するのが面倒になる)

(買い物に行くと、お札ばかり使うので、小銭がやたらと貯まるようになる)

(料理の献立を考えるのが面倒になる)

(家人に指示されると、草むしりや洗濯や片付けなど家庭内の用事程度のことはこなせるが、自分から  やろうとはしなくなる)

「根気」が続かなくなり、何かをやり始めても、すぐに投げ出してしまう

(テレビを見ていても、同じ番組を続けて見ていられなくてチャンネルを直ぐに変えるようになる)

機敏な動作が出来なくなる

(歩く時も前かがみの姿勢となり、小股でトボトボと歩く)

毎日ボンヤリとして過ごし、居眠りばかりするようになる

食事の支度をしていて、鍋を度々焦がすようになる

自動車を運転すると、軽微な自損事故が目立って増えてくる

(歩道に乗り上げる、こする、バックの確認をしないでぶつかる)

(信号無視や右折/左折のウインカーの指示を忘れる)

(流れに乗れなくて、同乗者が怖いほど、スピードが遅い:交通量が多い広い道を、時速30Kmで走り、車の列を従える。「前頭葉」の三本柱の機能である「注意の分配機能」が廃用性の機能低下により異常なレベルにまで衰えてきていることが原因で、道路の状況、車や人の流れや交差点の状況等に目配りや気配りと言う「必要な注意を配る」ことが出来なくなり、真っ直ぐ走らせるのが精いっぱいの状況にある為、道の真ん中寄りを時速30Km程度の速度でノロノロ運転することになるのです)

話の流れに乗れず、話の輪にも入っていけなくて、主題とは関係のない話を自分勝手に唐突に話す

オルゴール・シンドローム現象が起きてくるようになる

(同じ話を何度も繰り返して話していて、本人はそのことに気付かないでいる)

社会生活に支障が出てくるようになる

(人と交わり、コミュニケーションをとりながら何らかの目的に沿った行動が要求される家庭の外での生活、「社会生活」に支障が出てくるようになる)

  & 「アルツハイマー型認知症」の三段階(「中ボケ」)

「中ボケ」の段階になってくると、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際に、無くてはならない機能である「前頭葉」の働き具合が、廃用性の機能低下によって「小ボケ」の時のそれよりも加速度的に更に衰えてきていて、加えて、「小ボケ」の時には正常な機能レベルにあった、左脳、右脳及び運動の脳までもが、廃用性の機能低下によって異常なレベルに衰えてきているのです。

「中ボケ」の段階にまで「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えてくると、食事、着衣、大小便、入浴等、身の回りのことは、自分で一応のことが出来るので、セルフ・ケアの面で周りの家族に迷惑をかけることはないのですが、家庭内の用事程度のこと(炊事、洗濯物の整理、掃除、庭の草花の手入れ、簡単な畑仕事など)でさえ、満足にはできなくなるので、「家庭生活」の面での様々な支障が起きてくるようになるのです。

脳の働きが「中ボケ」レベルの時、日常の生活面で明瞭に発現する「中ボケ」の段階での特有な症状について、その類型を列挙しておきましょう。「DSM4」が「第一の要件」として規定している「記憶障害」の症状は、「中ボケ」段階となっても未だ、その中核となる症状ではないことに気づいていただきたいのです。

抑制が効かなくなり、感情がもろに表に出てくるようになって、「ボンヤリと暮らしている」だけの日々を送るようになる

「時の見当識」に、順次、以下のような支障が出てくる

(「中ボケ」の初期には、今日が何日か、平成何年なのかが言えなくなります。MMSEの換算後の得点が19点以下となる「中ボケ」の中期になると、今の季節が何時なのかが言えても、今が何月なのかが言えなくなります。「時の見当識」には、衰えていく順番があり、日、年、月、季節、昼夜の順に言えなくなっていきます。)

「脳のリハビリ」による回復の可能性についていうと、MMSEの得点が20点以上であれば(大まかな目安として今何月なのかが言える)、集団の中での「脳リハビリ」メニューが可能なのに対し、20点を切ると、個別での「脳リハビリ」が不可欠となるのです。

箪笥の整理が出来ない、洗濯物の畳方が雑、食器も整理してしまうことが出来ない

 ガスの消し忘れや水道の蛇口の閉め忘れが、週に数回起きてくるようになる

 自分が飲む23種類の服薬管理が出来なくなる

 簡単な計算もできなくなる

 料理の味付けが可笑しくなる

 (塩辛すぎて食べられないものを作り、本人だけが平気で食べる)

服を自分で着ることはできるが、季節に合ったものを選べなくなり、着方にだらしなさや可笑しさが目立つようになる

(セーターの上からYシャツを着たり、パジャマの上にズボンを履いたり、前後ろに着たり、裏返しに着たりするようになる)

家族のことを正確に言えなくなる

(自分の子供が何人か、名前を何と言うか、どこで何をして暮らしているかが正確には言えなくなる)

パジャマを着たまま平気で表に出たり、髪の手入れやお化粧を殆どしなくなる

昨日の出来事をすっかり忘れてしまうようになる

(昨日の老人会の出来事を忘れているというのではなくて、昨日老人会に行ったこと自体を忘れてしまっている)

「所の見当識」が衰えてきて、自分が今居る場所が何処だか分からなくなる

(自分の家に居るのに、夕方になって「今日は、長いことお邪魔しました。そろそろ帰らせていただきます。」と言い出し、出ていこうとする)

お金や持ち物の仕舞い場所を忘れてしまい、「盗まれた」と言って、騒ぐようになる

(「物盗られ妄想」は、初めのうちは、通帳、財布、証書類などのことが多いのですが、次の段階では、化粧品や食料品などの日用雑貨に及ぶようになります)

  & 「アルツハイマー型認知症」の三段階(「大ボケ」)

「中ボケ」の段階が更に進んでくると、「セルフ・ケア」(食事をしたり、服を着たり脱いだり、風呂に入ったり、トイレの後始末をしたりといった身の回りのことを自分で処理すること)にも様々な支障が出てくる、「大ボケ」の段階に入っていきます。廃用性の機能低下に起因して、「前頭葉」を含む脳全体の働きの具合が、「中ボケ」の時のそれよりも更に衰えてくる為なのです。

「大ボケ」は、「脳の機能レベル」で言うと、当初は4歳児レベルの幼児のレベルに始まり、次第に低下してきて、3歳児、2歳児、1歳児のレベルとなり、終には、寝たきりの植物状態にまで衰えが進んでいきます。

4歳児のレベルから次第に「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えていくのですが、以前には「社会生活」がちゃんとこなせていた生活体験を経由した者としての、言い換えると、成人レベルの脳機能の働きにより暮らしていた当時の様々な知識や体験の断片なり欠片なりが、日常の言動や態度や行動の合間に漏れ出してくることがあるのが特徴なのです。)

「大ボケ」のレベルに特有なもので、日常の生活面で発現して来る症状、行動、或は態度について、類型的なものを列挙すると、以下のようになります。

 MMSEの得点が14点以下になる「大ボケ」の段階になると、初期の段階でも、「時の見当識」も「所の見当識」も「人の見当識」も全くなくなってきます。「今日が何年何月何日」なのか、「今の季節が何なのか」が分からなくなるだけではなくて、「昼夜の区別」も分からなくなるのです。自分が今何処に居るのかも分からなくなって、自宅に居ても落ち着かなくなるのです。そのうえ、同居している家族の名前も顔も分からなくなるのです。その根底には、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を支配しコントロールしている「前頭葉」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下によって、働き具合が衰えてしまっていて、殆ど働いていないことにあるのです。アミロイド・ベータやタウ・蛋白の蓄積が原因という主張は誤解に過ぎないのです。

○ MMSEの得点が1410点である「大ボケ」の前半のころは、症状事態は重くて、日常生活面での自立度は低くても(セルフケア自体には様々な支障が起きていても)、或る程度の言語能力が保たれていて、挨拶などの身体に染みついたような日常の会話や内容の簡単な会話は、交わすことが出来るのです(状況や話の流れに沿った会話や質問に対する応答などは、無理になります)

MMSEの得点が一桁の得点(9点以下)となる「大ボケ」の後半のころは、時の見当識や所の見当識や人の見当識がないだけでなくて、社会的な存在としての「人間らしさ」そのものが失われてきます(廃用性の機能低下により「前頭葉」も左脳も殆ど働かなくなってきていて、僅かに働きが未だ残っている右脳と運動の脳だけによる反応が見られるだけになります。時間や空間や人の認識が殆どなくなって、感情的、或は本能的に生きているだけの存在となっていきます)

いつも着ている服を脱ぎたがらず、風呂の後も汚れた下着を先ず身に着けて、其の上から、新しく出してもらった下着を着たりします

(症状がさらに進んでくると、着衣失行が起きるようになり、服を一人では着ることが出来なくなって、ズボンを頭から被ったりするようになります)

風呂に入れても、ただ入るだけで身体を洗わず、洗髪もしなくなります

(脳機能の廃用性の機能低下により症状がさらに進むと、水を怖がり、風呂に入るのを嫌がるようになります)

「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が殆ど働かなくなっているので、「記銘」自体がきちんと為されない為に、(保持も想起もできないので)直前に起きたことも直ぐに忘れるようになります

幻覚や妄想が出て来ることがあります

(誰も居ないのに、「人が居る」と言い張ったりする)

独り言や同じ言葉の繰り返しが多くなる

夜中に起きてきて、「会社に行く」とか「田んぼに行く」とか言って聞かないことがある

せん妄、妄想、徘徊、他傷、便コネなどの「問題行動」を起こすことがある

(「前頭葉」を含む脳全体の機能が「大ボケ」のレベルにまで衰えてきていても、全てのお年寄りに問題行動が見られる訳ではありません)。

(私たちの観察では、「大ボケ」の段階にまで脳の機能が衰えた「お年寄り」の約7割の人達は、単に判断力や理解力や記憶力の顕著な機能低下のみを示す場合が多く、問題行動を起こすことはありません。特に、付き添いの人に従順で、その人の言うことをよく聞くタイプの人の場合は、付き添いの人との間の人間関係が良好な場合が多いように見受けられます。最後まで機能が残っている右脳の働きにより自分の味方と感じている為と考えられるのです。僅かに未だ右脳が働いているので、感情面や感覚的な面での反応を示していると考えられるのです)

(逆に、問題行動が見られるお年寄りの場合は、配偶者やお嫁さんが日常生活面での様々な面倒を見ていても、その人達との間の人間関係が悪いことが原因となって、「大ボケ」のお年寄り自身が付き添いの人達を「敵であるか」のように、感情的に/感覚的に捉えている

と考えられるのです。「前頭葉」も左脳も殆ど働いてはいないので、僅かに機能が残っている「右脳」で感じたり見たりしているのです。)

(「妄想」については、認識する能力自体の機能低下が原因で、息子のお嫁さんを自分の母親と取り違えているような単純な錯覚のことが多いようです。精神病の場合に見られるような、複雑なストーリー性を持った妄想とは、根本的に異なるものと考えています)

器質的な障害が「アルツハイマー型認知症」発病の原因だとする専門家達の考えは、根本的に誤り

中核症状と周辺症状とに区分するのが通例である専門家とされる人達の特段の意味のない区分に対して、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善により)治すことが可能であるか、且つその程度はどの程度なのかと言う視点から、私たちは上述のような「三つの段階」に区分しているのです。しかもその区分は概念的なものではなくて、「二段階方式」を導入して(導入に際しては、有償の期間が10年間の「使用許諾契約」の締結が必要となります)440を超える市町村が「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期発見による回復を明確な活動目的として掲げて実践した住民参加型の「地域予防活動」の成果として実証されてきてもいるのです。

「小ボケ」の段階から、「中ボケ」の段階を経て、末期の段階である「大ボケ」の症状を列記した上述の説明を読めばお分かりのように、「アルツハイマー型認知症」の本質とは、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の廃用性の機能低下を中核として、且つ「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した「生活習慣病」(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣が原因)なのです。「前頭葉」の働き方の仕組み、機能が異常なレベルに衰えていく仕組み、機能が回復してくる仕組みの根本となる原因(機序)が単なる「機能低下」、或いは「機能回復」によるものであることに気づかないで居て、器質的な原因に違いないとの仮説、前提の下で、マウスやアルツハイマー・マウスの尻を追い掛け回している限り、何時まで経っても、真の原因を解明する日はやってこないことを指摘しておきたいのです。プロであることを自負するが余りに学者や研究者は、発病の原因に器質的な病態を求めたがるのですが、原因不明とされている「アルツハイマー型認知症」発病の原因は、情報伝達の機能を担う神経細胞の「器質的な病態」なのではなくて、「前頭葉」を含む脳全体の機能の低下、然も、「廃用性の機能の低下」に過ぎないのです。付言すると、「物忘れ」の症状が出てきていようと、「小ボケ」や「中ボケ」の段階の症状が出てきていようと、器質的な病変は起きてきていないのです。「脳のリハビリ」で治すことが出来るのですから。回復させることが困難となる「大ボケ」の段階にまで症状が進んで、更に何年間も生きている内に、「老人斑」の沈着やら「神経現線維変化」とやらが起きてきたにすぎないのであり、それらの器質的な病態は発病の原因ではなくて結果に過ぎないのです。注)本著作物(B-68)の著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。  

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