○ 「脳の働き」が衰えてきたことを実感する「高齢者」の日常
※何事をするにつけても、昔のようには、「意欲」が湧いてこないのです。
今住んでいる伊豆高原の地に移り住むようになったのは、2000年の7月のことだったのです。「あれから、もう13年!」。「身体」の方はそこそこなのですが、肝心の「脳」の方がすっかり衰えてきてしまっているのです。その頃は、手芸、絵画、編み物等いろんな趣味にも手を出していました。能や狂言の観劇や美術館での展示物を観るために東京にもよく出かけていました。プライベートなものも含め、年に3~4回は、海外旅行にも行っていました。
週に1~2回は、お友達を我が家にご招待して、富戸の定置網の朝採れの魚をメインに、私の手料理でおもてなしもしていました。それでも、毎日が楽しいばかりで、疲れを感じるようなことは全くなかったのです。「あれから13年」、「意欲」がすっかり衰えてきたのを実感させられる毎日なのです。
※「大丈夫かしら?!」、我がことながら気になるほど、「物忘れ」が日常茶飯事なのです。
脳全体の司令塔の役割をしているのが「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)です。その「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」を左右する基礎的な機能(「根幹」をなす機能)を担っているのが「三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」(異なる複数の「テーマ」を同時に遂行していくうえで不可欠の機能)の機能なのです。高齢になると、物忘れの症状が日常的に起きてくるのは、「注意の分配力」の機能が、加齢により衰えてきた証の「老化現象」なのです。ほら、前々回のこのブログにも書いておいたでしょう。(恥ずかしながら、ここにもう一度引用しておきます)。
☆ 二階の部屋に用事があって階段を上っていく途中、雑誌が階段に置き忘れられているのを見つけて、階段下の書籍戸棚に片付ける。そして、階段を上っていこうとした時、自分が何をしに二階の部屋に行こうとしていたのかが分からないのです。
☆ コミュニティーセンターで、別荘地の清掃管理についての会合があったのです。会議の重要な議題となるテーマや問題点とか提案内容とかが詳細に書かれたメモが送られてきていたので、忘れないようにと、わざわざ玄関の下駄箱の上に昨晩置いておいたのです。コミ・センについたら、持ってくるのを忘れていたことに気づいたのです。
○ 「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化」の性質
脳の司令塔の役割を担う「前頭葉」の根幹をなす基礎的な機能である「三本柱」の機能には、加齢とともに「老化」していくという性質があります。上に表示した図は、加齢によるその老化のカーブを表したものです。「前頭葉」を含む脳全体をそれなりに使う「生活習慣」のもとでも、「高齢者」と呼ばれる年代の60歳代の半ば頃になると誰でも、「三本柱」の働き具合がピークである18歳から20歳代の半ば頃に比べて半分程度にまで衰えてくるというのがこのデータが示す重要な意味なのです(加齢による「前頭葉」の「正常老化」の性質)。そして、加齢による「三本柱」の「正常老化」の進行は、70歳代、80歳代、90歳代と年をとるにつれて、緩やかではあるが直線的に「低空飛行」の状態に入っていくのが特徴なのです。
脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、状況判断に基づいて何をするのかの「テーマ」を思いついたり、「テーマ」を実行するための「計画」を立てたり、そのやり方を工夫したり、「テーマ」の実行の仕方や予見される実行結果に対する洞察や推理等のシミュレーションをしたり、状況の変化に応じて機転を利かせて対策を立てたり、或いは気持ちや感情の吐露の仕方や程度等の態様について、状況の評価に基づく必要な抑制をかけたり、体験に感動したり、高度な働きを担当しているのが「前頭葉」の各種の機能なのです。
私達が意識的に何かをする世界、思考や行為や行動や言動をする場面をコントロールしているのが「前頭葉」なのです。脳全体の「司令塔」の役割をしているとされながら、「前頭葉」の機能については、データを獲得する条件設定や機能レベルを判定する手技の開発が難しいために、或いは「前頭葉」の機能が人間にしか具有されていない為に、驚くなかれ「世界的」に研究自体が遅れているのです。
○ 「高齢者」であれば、誰の脳にも起きてくる「廃用性の機能低下」
仕事とは無縁になる第二の人生では、上司の指示や命令も来なければ、周囲からの無理難題の要求にさらされることもなくなります。何を何時までにどのようにやり遂げるかは、全て自分が自分の思うように決めればいい訳です。「なんて、自由な毎日なんでしょう」と指示も来なければ要求も来ない自由とかを謳歌しているうちに(言い換えると、「暇」という自由を持て余しているうちに)、使われる機会や場面が減った「脳」自体が自堕落になっていくのです。
※ 加齢とともに働きが衰えていく脳、その脳が「正常な老化」のカーブを維持し続けるためには、やることが楽しくなるような「テーマ」を見つけて、達成「目標」を設定して、「前頭葉」を含む脳全体を意識的にしっかりと使ってやり、働く機会や場面を増やしてやる生活の仕方を工夫すること(脳の使い方としての「生活習慣」の構築)が不可欠となるのです。
「第二の人生」では左脳が主役の「仕事」とは縁がない日々とは言え、右脳や運動の脳が主役となる「趣味や遊びや人づきあいや運動」などを楽しみながら、自分なりの「生き甲斐」や「目標」がある生活を日々過ごすことで「前頭葉」をしっかり使ってやれば、加齢による老化のカーブを描きつつも、脳の機能を「正常なレベル」に保つことができるのです。
「前頭葉」を含むこうした脳全体のメカニズムからすると、これといった生き甲斐もなく、楽しんだり熱中したりできる趣味もなく、親しく交遊する友達もなく、散歩程度の運動もせず、何らかの社会活動に参加する場もなく、達成しようと心に決めた目標もない生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の下では、「前頭葉」の根幹をなす基礎的な機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「三本柱」の機能の出番が極端に少ない生活をしていることになるのです。
「前頭葉」のこの「三本柱」の機能には、上述したように、加齢と共に働きが衰えてくるという「正常老化の性質」がもともと備わっているのです。そのため、60歳を過ぎた「高齢者」と呼ばれる年齢のお年寄りが、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続していると、お年寄りなら誰でも経験があるあの体験、「膝」の筋肉の衰え(廃用性の機能低下)と同じようなことが、「前頭葉」を含む「脳」の機能にも起きてくるのです。
※ 例えば、足腰が痛いとか痺れがあるとか、何かがキッカケで出不精となり、外に出ていかないで部屋にこもったままの生活を何ヶ月か続けていると、廃用性の委縮により「膝の筋肉」があれよあれよという間に衰えていくのと同じように、「三本柱」の機能を使う機会が極端に少ない生活が半年から1年間も継続されていると、廃用性の機能低下が起きてきて、「前頭葉」を含む脳の機能が加速度的に衰えていくことになるのです。
○「 アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム
世間で認知症の専門家達から(世界中の専門家達から)原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「加齢とともに脳の老化が進む」という要件(加齢に伴う正常老化という「第一の要件」)と「ナイナイ尽くしの単調な生活の継続」という要件(廃用性の機能低下という「第二の要件」)の二つの要件が重なり合うことによる「相乗効果」により、脳の老化が「加速度的に進んでいく」ことにより発病するというのが私達の主張です(実は、世界中で私たちだけなのです)。中身はなくても権威がある人達の主張を取るか、権威はなくても中身と実績とがある私たちの主張をとるか、その選択は皆さんの手に委ねておきましょう。
※ このメカニズムのもとでは、60歳を超えた年齢の「高齢者」にとって、「第一の要件」は誰しも共通であって、「第二の要件」こそが「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないかを決定づける要件となります。
正常な老化の過程とはいえ、加齢による老化により「三本柱」の機能が低空飛行状態に入ってきている60歳を超えた高齢者と呼ばれる年齢の「お年寄り」(発病の「第一の要件」)が、脳を積極的には使おうとしない生活、生き甲斐や目標もなく、趣味や遊びや人付きあいもなく、運動もしない、何らかの社会活動に参加することもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々続けていると(発病の「第二の要件」)、出番が少ないために使われる機会が極端に減った「前頭葉」が廃用性の機能低下を起こしてきて、第一の要件と第二の要件とが重なり合うことの相乗効果によって「前頭葉」の老化が加速度的に進行していくことになるのです。
そして、「前頭葉」の働きが加速度的な速さで衰えていき、「異常なレベル」に衰えてきたところに、「アルツハイマー型認知症」(晩発型アルツハイマー病とも言います)の発病が待っているのです。
※ 認知症の大多数90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続という、第二の人生での「生活習慣」が発病と直接の関係がある病気、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるというのが私達の主張です。下図は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下を示すときの、加速度的な衰え方のカーブ(立体図)を示していて、約15000例の症例に基づく「前頭葉」を含む「脳の機能データ」が基礎になっています。
○ 「発病の原因」に関する「諸学説」が抱える未解決の問題点
「アルツハイマー型認知症」は、アミロイド・ベータやタウ・タンパクや脳の委縮が原因で脳内の情報の連絡機能が低下する為に起きてくるわけではないのです。これらの学説は、表面から見つけやすい「記憶の障害」という症状に目が向いただけの、「前頭葉」の機能に目が向けられていない(「前頭葉」のことをよく知らない)単なる推測を基礎とした主張(仮説)に過ぎないのです。それらが発病の原因だとしながらも、発病との因果関係さえ証明できていないのです。
上図の脳機能データは、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の機能が、「最初に異常なレベルに衰えてくる」ということを示しているのです。更に言えば、「MMSで測定される下位項目には、できなくなっていく明確で客観的な順番がある」のです。MMSで測定される左脳と右脳の機能項目に衰えていく順番があるということなのです。もっと驚くべきことはと言えば、脳を活性化する生活習慣に改善させることによって、「小ボケ」のレベルの人は「前頭葉」を含む脳の機能を「正常レベル」に回復させることが容易であるし及び「中ボケ」 レベルの人は正常レベルに回復させることが未だ可能なのです。このような客観的な事実を示している私たちの「脳機能データ」に対して、上記のすべての学説は、どのように説明し、反論できるというのでしょうか。
※私達は、生きた人間が目的とされる「テーマ」を「意識的」に実行している状態下で、「前頭葉」を含む脳の機能レベルとその直接のアウトプットである症状(正常な症状と認知症の症状)とを「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストを活用して調べた上掲の立体図に示す極めて多数の症例を分析し、解析して上述の結論(「アルツハイマー型認知症は、脳の使い方としての視点から言うところの生活習慣病である」)に到達しているのです。これは、世界で唯一私たちだけが問題提起している主張なのです。私たちはこの考えに基づき、1995年から先進的な市町村での「地域予防活動」を指導し成果を挙げてきているのです。
そしてこの先2~3年もすると(被災という「キッカケ」の発生から4~5年が経過すると)、東日本大震災の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」達が日本のどの地域の高齢者とも比較にならないほどの高率で(年齢別の「発病率」)、「アルツハイマー型認知症」を発病してくることにより、私達の主張の正しいことが疫学的に証明されることになるのです。
然もその際に注意すべきなのは、その時になって認知症の専門家達が騒ぎ出す人達は既に末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)のレベルに症状が進んでいることなのです。その上、認知症の専門家と言われる人達が問題としていない(認知症だということが理解できていない為に、「不活発病」とか「老化現象」とかの見方から、見逃してしまっているだけなのですが)「軽度認知症」(小ボケ)と「中等度認知症」(中ボケ)の段階の人達の数を併せるとその数は、「重度認知症」(大ボケ)の人達の数の4倍にもなっているはずなのです。「重度認知症」(大ボケ)の段階にまで脳の機能が衰えてしまうと、脳の機能を正常な機能レベルに回復させることは困難になるのです。「中ボケ」レベルに回復させることさえも困難になるのです。医療の現場で行われているような、「大ボケ」の段階で見つけても意味がないのです。
○ 「キッカケ」となりうる状況や出来事は、高齢者の誰にも起きてくる
「左脳」(仕事)中心の生活だけを生き甲斐に第一の人生を送ってきた人は、定年退職や家業の廃止や家業を息子に譲って仕事がない毎日が始まり、「左脳」を使う機会が極端に少なくなっても、趣味や遊びや人づきあいや運動など、「右脳」や「運動の脳」を使う目標への切り替えが出来ないのです。そのため、「時間だけはたっぷりあるのにすることがない」毎日、「前頭葉」の出番が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活」で毎日を過ごすことになることが多いのです。
他方、趣味や遊びや人づきあいや運動などを自分なりに楽しむ毎日を過ごし、生き甲斐や目標があり脳全体をしっかり使う「生活習慣」がある人達も、安心するのは未だ早いのです。「ボケ」とは無縁の「第二の人生」を過ごしているはずなのに、そうした「生活習慣」とは関係なく、ある日突然降って湧いたように後で例示する「生活状況の変化或いは出来事の発生」に遭遇することになるからです。
そのことに衝撃を受けて、大きな痛手を感じ、立ち上がる「意欲」をなくしてしまって、趣味や遊びや人づきあいや運動を楽しむ生活、或いは何らかの社会活動に参加する生活、言い換えると「生き甲斐や目標がある生活」ができなくなり、「前頭葉」の出番が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々過ごすようになる「お年寄り達」が極めて多いのです。そうしたお年寄り達が、日本全国どこにでもいるのです。
○ 「単調な生活」開始の「キッカケ」となる出来事や状況の例示
集積した多数のデータから言えば、次に例示するような「生活状況の変化や出来事」が起きてくれば、「ナイナイ尽くしの単調な生活」が始まる「キッカケ」となる可能性が高いということなのです。但し、こうした具体例のような「生活状況の変化や出来事の発生」がそのまま「キッカケ」になるかどうかは人それぞれ、一概には言えない点にも注意が必要です。
その「生活状況」に遭遇した本人の「受け止め方及び対応の仕方」次第なのです。本人にとっての生活に占める重要度と痛手を感じる深さ次第で、本人がとる態度が変わってくることに留意してください。ある程度重要なものでも、本人の痛手が小さければ「キッカケ」にならないし、周りからみてそれ程重要でなくても、本人の痛手が大きければ「キッカケ」になるということなのです。
□ 仕事の第一線を退くこと(定年退職、家業の廃止、家業を息子に譲る、嫁に家事を譲る)
□ 世話役を降りること(子供や孫の手離れ、地域の世話役を退く)
□ 配偶者の死亡(特に、妻が死亡したときの夫)
□ 趣味や遊びやお茶飲み会などの「集いの会」の中止
□ 重大な病気や怪我、腰痛その他の身体上の不具合、配偶者の看病生活(自身の病気や怪我による入院や療養生活、病気や怪我あるいは身体の痛みなどの不具合が継続する生活、認知症その他の重い病気の配偶者の看病生活)
□ 重大な災害の被災により、財産や家族や友人や思い出を失うこと
□ 家庭内のトラブルや心配事(息子のリストラやサラ金問題、息子や娘の離婚、孫の不登校、家庭内の不和)
□ 家族の一員のように可愛がっていたペットの死亡
□ 友人や自分自身の転居(転居により旧来の友達を失い、新しい友達が出来ない)
□ 兄弟姉妹の死(特に、相手が自分より年少の場合は痛手が大きい)
□ 周囲との接触もない孤独な一人暮らし(趣味や遊びや交遊を楽しんでいるような暮らし振りの一人暮らしなら、ボケとは無縁です)
□ さびしい生活 (二世代同居といいながら、家庭の隅に追いやられて家族との会話もないさびしい生活)
○ 「アルツハイマー型認知症」の発病を左右する「分岐点」となるもの
前回の報告でも説明したように、「キッカケ」となりそうな状況の発生に対する「受け止め方及び対応の仕方」が人によって異なるので、一概には言えないという側面があるのです。それ迄と変わらず、それなりに生き甲斐や目標がある楽しい生活を続けていける人もいれば、他方で、意欲をなくしてしまい、生き甲斐や目標もない、趣味や遊びや人づきあいも楽しまない、何らかの社会活動に参加する機会もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に変わってしまう人もいるのです。
私達が開発した「二段階方式」の手技を活用するときは、「アルツハイマー型認知症」を発病した全てのお年寄りを対象として、「キッカケ」発生の時期から判定時に至るまでの間の脳の使い方としての「生活習慣」(「生活歴」)について、本人及び同居の家族から詳細な聞き取りを行います。「アルツハイマー型認知症」を発病した極めて多数のお年寄りを対象とする「生活歴」の聞き取りの結果、「前頭葉」を含む脳の老化を加速させる原因となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、発病した全員について、「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生が必ず存在することが確認されているのです。
但し、「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したとき、そのことがそのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に直結することになる訳ではないことは上述した通りです。その発生が「キッカケ」となるか否かは、遭遇した「生活状況の変化」(或は、「生活上の出来事」の発生)に対する「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」が極めて重要となるからです。
或る「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したとき、その発生に対処しようとする自身の気持ち自体が負けて、心が折れてしまい、そこから立ち上がっていこうとする「意欲」をなくしてしまい、新たな「テーマ」を見つけられない人が、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。
つまり、この「大きな」という要素は、客観的なものではなくて、あくまで本人の主観的な評価によるものだということが重要なのです。本人の評価として、その衝撃が余りにも大きいが故に、「意欲をなくしていく」(再起できなくなっていく)のであって、周りの目から見た客観的な評価としてのものではないという点が極めて重要なのです。その意味で、「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」という側面が極めて重要な要素となるということなのです。
○ 脳のメカニズムから見た、「脳を使う」ことの意味
「脳を使う」ということは、意識的に何かの「テーマ」を実行するということなのです。ところで、脳を使うってどういう「テーマ」を実行することだとあなたは思っていますか。「勉強」することですか?「仕事」をすることですか?「遊ぶ」ことは、どうですか?「趣味や人付き合い」を楽しむことは、どうですか?「散歩」をするのは、どうですか?
※「勉強」するということは、「左脳」を主に使うことになります。「左脳」は、言葉、論理、計算、場合分け等の「デジタルな情報の処理」を担当しているからです。
※「仕事」をすることが脳を使うことですか?「仕事」も「勉強」と同じく、「左脳」を主に使うことになります。
※「遊ぶ」ことや「趣味や人付き合い」を楽しむことは、「右脳」を主に使うことになります。「右脳」は、色や形や音や時間や空間、感情等の「アナログな情報の処理」を担当しているからです。
※「散歩」をすることは、「運動の脳」を使うことになります。「運動の脳」は、身体を動かす働きを担当しているからです。
○ 「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する5つの秘策
「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する秘策はあるか。あるのです。それは、簡単な足し算や引き算をすることではないのです。ひら仮名で書かれた簡単な文章を音読することでもないのです。ここで忘れてならないことは、脳全体の司令塔の「前頭葉」のことなのです。「左脳」が「デジタルな情報の処理」を実行するときも、「右脳」が「アナログな情報の処理」を実行するときも、「運動の脳」が「身体を動かす」ときも、三頭立ての馬車(左脳、右脳、運動の脳の三頭の馬)の御者の役割をしている「前頭葉」の指示なしには、勝手には動かない仕組みになっているからです。
三頭の馬のどれかが動くときには、必ず「前頭葉」からの指示があるのです。言い換えると、「前頭葉」自体(三頭の馬を主導し制御しつつ、同時に協働して働く)というのが、「意識的な行為」下で人間の脳が働くときのメカニズムなのです。「三頭立ての馬車」のいづれかの「馬」が働く場面があるということは、不可分的に「前頭葉」の三本柱の機能を含む各種機能が働く場面があるということになるのです。但し、三本柱の機能、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が活性化することが前提となります。この三本柱の機能が衰えてしまうと、「前頭葉」の個別認知機能が発揮できなくなるからなのです。脳の活性化とは、「前頭葉」の活性化のことであり、就中三本柱の機能の活性化と言うことでもあるのです。あなたにとって、意欲が沸々と湧いてくるとき、注意の集中力が高まるとき、注意の分配力が高まり脳の回転が速くなるときとはどんな時ですか、どんな「テーマ」を実行しているときですか。
「アルツハイマー型認知症」を予防する秘策は、達成すべき「目標」がある自分なりの「テーマ」を見つけて、その「目標」を達成する過程自体や「目標」を達成したことにより自分なりの「生き甲斐」や「喜び」や「感動」が得られることが、「前頭葉」の三本柱の機能の活性化につながるのです。「前頭葉」の三本柱の機能の活性化が得られるような「テーマ」や「目標」を持ち、その実行を自分なりに楽しむ生活、そうした「生活習慣」を構築することこそが、「アルツハイマー型認知症」発病の「予防」に直結するのです。
※ 「アルツハイマー型認知症」を予防する方法とは、日常生活のいろんな場面で、「前頭葉」を含む脳全体をしっかり使ってやることなのです。「趣味」や「遊び」や「人づきあい」や「運動」或いは地域興し等の「社会活動」を自分なりのやり方で「楽しむ」生活を「習慣化」することに尽きるのです。自分なりの「目標」や「喜び」や「生き甲斐」がある生活を送ることで、「前頭葉」の出番を増やしてやる(しっかり使ってやる)ことしか方法はないと言うのが、データと実践に裏付けられた私達の考えなのです。
第二の人生を、ボケとは無縁で自分らしくいきいきと生きるために不可欠な「生活習慣」を打ち立てるための「大原則」。「左脳」中心、仕事偏重だった第一の人生とは生き方を変え、第二の人生では、「右脳」重視の生き方への転換を図り、周囲の目を気にせず、自分らしさが前面に出るような生き方をして、自分がイキイキしていると感じられる脳の使い方(「生活習慣」)を毎日の生活の中に打ち立てることが必要不可欠の条件となるのです。
やることが楽しくて、「意欲」が自然と湧いて来て、熱中できるようなテーマ、「注意を集中」したり、「注意を分配」したり(複数の異なったテーマを同時並行して実行する前頭葉の機能)することができるだけ多い「テーマ」に取り組む中で、自分らしい「生き方」、自分らしい「生活の楽しみ方」を追及し、そうした暮らし方(「生活の仕方」)が「生活習慣化」するよう、意識的に努力して欲しいのです。
☆ 熱中し、夢中になれる趣味や遊びをできるだけたくさん持つ
☆ 社会活動への参加を含め出来るだけたくさんの友達と親しく交わる機会を持つ
☆ 自分なりの生き甲斐や喜び、目標となるものを見つける
☆ 精神的な張りと適度に緊張感のある毎日を過ごす
☆ 散歩程度でも良いから、運動する機会を出来るだけ多く持つ
○ これこそ、蛇足?!
※今さら 「趣味」や「遊び」に挑戦と言ったって、もともと私は無趣味なの。私の「第一の人生」を一言で言えば、牛馬のごとくに働くばかりの人生だったのよ。
※ 社会活動に参加するなどして出来るだけ友達づき合いの機会を増やせと言われたって、私は人見知りをする性質なの。おまけに、マンションに住んでいるので、隣の家とも付き合いがないのよ。
※ 先がそれほど長くもないこの私に「生き甲斐」や「目標」を見つけろと言われても、この年で、何があるというのよ。身体が丈夫で、暇があるだけで、社会的地位も学歴もお金もないのよ。
※ 空気のような存在感で長年連れ添ってきたとはいえ、老夫婦二人だけの生活では、お互いに話すことさえもないのよ。緊張感なんてまるでないもの。日常交わされる会話と言ったら、「おい、飯。風呂は?寝るぞ。」くらいのものなのよ。
※ 私、リュウマチの気があって、関節が痛いのよ。杖を頼りに、ヨチヨチ歩くのが関の山なの。運動するなんて、考えたこともないわ。
まあ、なんて口がよく回る人達なのかしら。言い訳ばかりして、楽をしていると、知らず知らずのうちに「意欲」自体が急なカーブを描いて衰えてくるようになってきて、言い訳さえもする意欲がなくなってしまうのよ。
「アルツハイマー型認知症」になって、症状が重くなってきて、介護施設にお世話になるようになると、税金による負担分だけでも毎月1人当りで30万円ものお金が必要になるのよ。家族や1000兆円を超える債務を抱える財政難のこの国に迷惑をかけたくないなら(未だ、そのことの意味が理解できるくらいの「前頭葉」の機能レベルに在るなら)、言い訳ばかりしてないで、自分なりの方策を見つけ出す努力をすることね。 頑張ってね。
注)本著作物(このブログA-93に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
エイジングライフ研究所のHP(ここを「クリック」してください。
機能からみた認知症の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)
http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist
http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます