千歳橋の上から東の方向を見ると、泉尾病院の向こうに丘のようなものが見えます。埋め立ててできたのが大正区であるはずで、丘や山があるのは変です。もしかしたら埋め立て地とは言いながら天保山や蘇鉄山のように浚渫した土砂で作った山かもしれません。
テニス場の横を通って病院の脇を抜けて行ってみると、その丘の麓は大正区役所でした。区役所の横を抜けると、丘の入り口には「昭和山」と書いた大きな石碑。地元の人が喋っているのを聞くと「しょうわざん」と読むらしい。大正区に昭和山とはこれいかに。その石碑の裏にはこんなふうに記されていました。
天保2年 安治川の川ざらいの土を盛って天保山を築き出船入船の目標と市民遊覧の地とした。139年後の今日都市再開発の一環として地下鉄を掘った土を盛ってここに港の見える丘を築き、天保山の故事に因んで昭和山と命名した。
昭和45年10月30日 大阪市
(原文縦書き)
よくわかる説明です。この計画を千島計画というそうです。別の説明板も山頂にありましたが、もともとこの土地は貯木場だったそうです。その後貯木場が住之江区に移転し、大阪万博を前にして地下鉄工事が行われた際の残土を170万立方m、ダンプカーにして57万台分積み上げてできたのがこの標高33mの昭和山だということです。人工の山ですね。
山は人々の憩いの場になっているようで、花見をする人たち、ジョギングなどに勤しむ人たち、犬の散歩をさせている人たち、お弁当を食べる人たちで結構な賑わいです。桜の木もツツジも多いようで、花を楽しむのにもいいところですね。
山頂に三角点があるかなと思って探しましたが見あたらず、「標高33m」という碑が立っていました。 「港が見える丘」とありますが、おそらく造成された当時土がむき出しであったろう昭和山は40年ほど経過した現在、大きな樹木たちが生い茂り、南方面がわずかに見えるだけで見晴らしはいいとはいえません。植物を40年間育て上げた時間の偉大さを感じます。その南方面も工業地帯の風景で港が見える丘という優雅さは感じられませんでした。
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