新しい年になりました。
静かな年明けです。
子どもの頃、日付を跨いで起きているという習慣がありませんでしたので、年越しの紅白終了から行く年くる年を見て、年が変わることをとても不思議な感覚で見ていました。何しろ「子供のテレビは8時まで」というのが我が家のルールでした。早寝早起きの「よい子」だったのです。
紅白が始まるころには祖父も布団に入ってしまい、23時頃に、「そばが出来た」と祖父を起こしに行ったものです。そんな経験で大きくなっていますから、明るいうちに年越しそばを食べても「年越し」にならんやんかと思っていたものですが、今や、31日の昼ごはん代わりに近所の蕎麦屋に行くのが定着してしまいました。「おじいちゃんはどうして、こんな貴重な紅白を見ずに寝てしまうのだろう」と思っていましたが、昨日、ついに私もまったく紅白を見ずに朝まで寝てしまいました。祖父と同じことをしているわけです。テレビを見ることがつまらないのかもしれません。長時間の番組に疲れるのかな。そもそも私の知らない人が歌ったり踊ったりしていても、何がいいのかわからない。
0時が近づくと叔母がミシンの椅子を持ってきて、テレビの時報に合わせて柱時計の針を修正する。そして椅子の上から、「新年あけましておめでとうございます」と一同を見下ろす。そういう年越しを思い出します。
つまらないといえば、正月の番組もだいたいバラエティ系。どこの局も和服の芸人やアナウンサーが出てきて…。私の子供の頃は浪曲なんてのもあって、子どもにはたいそうつらかった。両親はというと寝正月。今、まったく同じ道を自分も歩いています。
年賀状は、書く習慣がどんどんなくなっていっています。我が家で書くのは私だけ。それもそうだなと思います。LINEですぐに情報が行き来するのに、何日も前に投函しなければならない年賀状も時代に合わないのかなとも思います。「終活により、年賀状はこれで最後にする」なんて文言もよく見かけるようになりました。
注連縄も、我が家にはもうありません。近所を確認しても注連縄が玄関で見られるお家は半分をきっているように思われます。私の子どものころには自家用車にまで注連縄をつけて走っていましたよ。
全くの感覚で具体的な根拠を挙げられませんが、平成のおよそ30年の間に、正月関連の様子が大きく変わったような気がしています。
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