ぶろぐのおけいこ

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宇津ノ谷峠1  行き行きて駿河の国に至りぬ(5)

2021-01-05 19:22:41 | PiTaPaより遠くへ

 宇津ノ谷峠というところに、いつか行ってみたいと思っていたのです。伊勢物語、東下りの中で、「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つたやかえでは茂り…」という部分にある、宇津の山が今の宇津ノ谷峠だとされています。

 これが難しい峠かと思っていたのに、案外行き来しやすい峠だとわかったら、なおさらに行ってみたいという思いが強くなりました。今回の静岡行きの旅の2つ目のねらいはこの宇津ノ谷峠です。

 

 宇津ノ谷峠は、現在その下を国道1号線の岡部バイパスがくぐっています。まずは、このトンネル(宇津ノ谷トンネル)の東側(静岡口というらしい)の道の駅にクルマを停めて様子伺い。11時ごろですが、今朝歯磨きをしていないことに気づきました。歯ブラシとタオルを持って、昼前に洗面所にいたのは私です。

   この道の駅の駐車場は利用のものであって、峠を散策する人はここにクルマを停めるな、川沿いの道路に停めよと書かれています。私も道路にクルマを移動して出発。この峠を行き来するには、宇津ノ谷トンネル(歩道が作られている。クルマの速度と排ガスを考えると歩く気にはならないけれど)を含めていくつもルートがあるらしい。

 私は蔦の細道と呼ばれる山道を歩いてみました。徒歩でしか登れない植林の中の山道です。登山道の登り始めのような道です。植林によって昼間でも薄暗い。苔やシダが多いのは、日差しが届かないからでしょう。おまけに東側斜面ですから、昼くらいには陰ってしまう。日頃から訓練のできていない私の体はすぐに音を上げ、時折立ち止まって休憩。すると20mくらい先にデイパックの女性が一人、歩いています。そんなに苦労をせず歩いているように見えます。後でカメラの記録を見たら、入り口から10分で尾根まで上がっているのですが、とても10分に思えない辛さでした。あかんもんです。

 尾根は少し広くなっていて、先ほどの女性がベンチに腰を下ろしています。背中から「こんにちは」と声をかけたものの、お弁当を広げている様子の女性からは反応なし。聞こえなかったのかな?

 昭和44年に建てられた石碑が一基。東下りに登場する「駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」の歌が書かれています。その隣には案内板。東側には富士の山のてっぺんが小さく見えます。

 このルートは宇津の山を越える一番古いルートだったのですが、豊臣秀吉が別ルートを通してからは途絶えていたものを、昭和40年代に地元の人が復活させたということです。とすると、復活と石碑はワンセットのものかもしれませんね。そして、「昔男」は、「時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらむ」を詠む場面にたどり着く前に、この尾根から富士の山を見たかもしれないとも想像します。楽しくなってきました。絵巻物では、宇津の山を越える「昔男」は、たいがい馬に乗っていますが、このルートは馬には無理ではないかとも思います。もっとも、『伊勢物語』は歌物語。紀行文とは違いますので、ストーリーとリアルの世界を比較して考えるのはあまり利口なことではありませんね。

 ひと休みしたら、今度は岡部口を目指して下りましょう。こちらは西側斜面、日当たりもよい様子で同じ植林の中でも明るく、カラッとした雰囲気です。下方から人の話し声が聞こえます。しばらくしたら、登ってくる3人の男女に会いました。年は私よりも一回りくらい上でしょうか。登りで息もあがるでしょうに、お三方とも律義にマスクをなさっています。「こんにちは」と声をかけて、立ち話が始まりました。

「どこから来られました?」

「私は奈良から」

「いや、出身地じゃなくて、今日はどこから登ってこられたの?」

「はい、静岡口から登ってきました。多分、こちらの斜面よりきついと思いますよ。こちらを上りにされたみなさんは、いいルートを選ばれたと思います」

「奈良はいいとこよね、私たちは果無へ行ったことがあるよ」

「あぁ、十津川の…。和歌山県との境ですけど」

「そんないいとこ(=奈良)からなんで静岡まで?」

「こちらにも素敵なところがたくさんありますから」

   では、お気をつけて、と先輩方を見送ったのでありました。「東下り」では、宇津の山で知り合い(見し人なりけり)の修行僧に偶然会ったことになっていますが、私が会った三人はもちろん知り合いではありません。彼らは峠道マニアなのでしょうか。古道マニアなんでしょうか。

 岡部口側の斜面はかなりの部分が石畳になっています。昭和に入って整備されたものなのか、もともと石畳だったのかわかりませんが、かつてはそれなりの交通量があったということでしょう。みかん畑があったり、ねこ石と案内された石があったりの道を下ると、山道はすぐに終わり。ここの石碑(↑)が興味深い。というのは、「蔦の細道」と彫られた石碑が昭和29年8月に建立されたとあるからです。昭和40年代に地元の人たちによって復活したとどこかに書かれていましたが、その10年以上前に、「蔦の細道」という概念があったことになります。そして昭和48年4月、当時の岡部町教育委員会は「蔦の細道」を町指定史跡に指定します。

 ここからは歩きやすい沢沿いの道を下り、すぐに公園(蔦の細道公園という名らしい。)に入ります。落ち葉で作ったハートマーク。近頃こんなのよく見かけますね。

 そのまま下っていくと、宇津ノ谷トンネルの岡部口。

(つづく)


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