蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

三國連太郎

2013-04-16 | ステージ
訃報以上に、佐藤浩市の記者会見の弁がすごかったね。録画しときたかったよ。

「ひどかった。世間の父親のような会話は出来ない。僕と彼のあいだにあったのは、役者ということだけだったんで、世間一般の人に理解してもらえるような父親像は語れないです」

これ、人間・佐藤浩市が精いっぱい誠実に絞り出した言葉じゃなかろうか。通り一遍の追悼談話なんかより、よほど胸を打たれた。

役者は、役を演じ切ろうとすればエゴに徹さざるを得ない。三國もそうだが、田中絹代も老人を演じるために健康な歯を抜いた。大滝秀治は役にふさわしい服を着ている人物を見かけると、だれかれ構わずその服を譲ってくれと迫るので、追い剥ぎ秀治と呼ばれていた。

香川照之は3歳の時に家族を捨てた父の先代・猿之助に会いに行ったら、何しに来た、おれを父親とは思うな、と追い払われたそうだ。家族のしがらみが芸の邪魔になる、と猿之助は考えていたらしい。

三國は、相手役の女優が恐怖するぐらい役にのめり込む俳優だった。当然、芸以外の配慮はゼロに等しかっただろう。家族を顧みない、どころか母親と離婚してはるか年下の女へ走った父・三國に、佐藤は香川同様、強いわだかまりがあったはずだ。時々顔をゆがめながら懸命に実のある言葉を語ろうとする姿が、内心の葛藤を如実に物語っていた。

佐藤の会見を見ていたら、普通と次元の違う極限状況で命をすり減らすプロの業(ごう)、みたいなものを垣間見た気がしたね。父子ともに、並みじゃない。
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アナログLP

2013-02-04 | ステージ
クロマニョンズってバンドは申し訳ないが、聴いたことはない。いまさら若い人のビートにのれるトシでもないから、これから聴くのもご遠慮申し上げたい。でも、今朝の朝日のインタビュー記事を読ませてもらって、わが意を得たりと思ったね。

彼らはまずアナログLPを作り、CDはLPをレコードプレーヤーで再生してCD-Rにダビングしたのを基に制作するんだって。

その方が、マスターから直接作ったプレスCDより好みの音になる、って、分っかるなあ。オレ自身確認してるが、おんなじCDプレーヤーで掛けてるのに、なぜかLP由来のCD-Rの方が心地いい音がするもん。

というわけで、ワタシも手持ちのLPをせっせとダビングしてます。といっても、CD-Rが増えて仕方がないので、いまはUSBオーディオでパソコンのHDDに蓄えてるけどね。

ステレオではなくモノラルで、ってのも、分かる分かる。ヴォーカルもソロ楽器もモノラルの方がリアルで、ぐんと身近に聞こえます。なんかピントがピタッと決まる感じ。

音楽なんかiPodかスマホとイヤホンで充分て人は、そんな細かいことどーでもいーじゃん、とか思うかも知れないが、こういうこだわりって、基本的に音楽に対する愛情の問題だと思うんだよね。

LPの収録時間はCDより短い。で、クロマニョンズのアルバムは全12曲37分だけ。ヒロトいわく、「たとえばCDに5時間入るからってさ、毎回5時間のアルバム出されたらめんどくさいっしょ?『ドラム缶しかないから、これでカツ丼食って』って言われてもさ。いらねえよって思うじゃない。そういうことです」。

そういうことです。
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環境相

2013-01-30 | ステージ
縊死魔羅の息子、手抜き除染の横行認めず。いわく「過去の政権で行われたこと」。

ほ~ら始まった。自民てのは元来、土建屋の献金で食ってきた政党だ。政策上、ゼネコンのご機嫌を損ねるようなマネはしないんだよな。環境相は、そのためにある。環境保全ではなくゼネコンの利益保全のためにある。

3年前、国民に見放される原因になった体質は、結局、何一つ変わってないことがよく分かるね。予算案の公共事業費5兆(!)のうち、道路族の吸う甘い汁はいくらに上ることやら。

これで怖いのは、ふたたび国民が政権に失望してしまうことだ。自民はいまのところ、国家主義の維新その他へ国民の支持が向かわないための防波堤になっている。それが崩れたら日本はいつか来た道、破滅へ向かって一直線だ。

維新と言えば、みんなとの口ゲンカ、おもろかったね。近親憎悪とは、あのことじゃないか。
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社会文化会館

2013-01-27 | ステージ
オレは社会党/社民党の支持者だったことが一度もないので、三宅坂の党本部が取り壊しになると聞いてもなんの感慨もないが、ただ一つ、この建物にまつわる想い出がある。

いま劇団☆新感線が上演している『ロッキー・ホラー・ショー』の日本初演が、ロンドンからのツアー・カンパニーによって、ここのホールで行われたのだ。たしか1975年の夏。宣伝不足がたたって初めのうち入りはガラガラだったが、口コミで次第に評判になり、翌年も再演された。

ゲイ、トランスヴェスタイト、ホラー、SF等々、70年代の記号をちりばめたこのロック・ミュージカルは、場末のうらぶれた映画館で上演されるのが慣例だった。それが、なんで労組と左翼政党の牙城で上演されることになったのか経緯は知らないが、そのミスマッチングな取り合わせも70年代的で面白かった。

当時の社会党は55年体制の一端を担う大政党だったから党本部も立派なもので、地下には小ぎれいなレストランもあった。ロッキーを演じる役者が開演前にメシを食っていて、なぜかフォークじゃなくチョップスティック(箸)をくれと要求し、蝶ネクタイを締めたウェイターが理解できなくてヘドモドしたりしていた。

ヘタウマな歌とプレイ、チープなサウンドのB級ロックンロールの楽しさに、あのときオレは開眼させられたんだよなあ。この作品は新感線のように、鍛え上げた芸と確かな存在感を持つ役者が演じると、かえって面白くない。といって、2年目の来日公演のように、まったくのシロウト芸では話にならないのだが。

ともあれ、あれから間もなく40年。未来が限りなく明るかったあのころの日本は、いまどこに。
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御用学者

2013-01-21 | ステージ
イタリアで大地震の前に安全宣言を出していた学者が、「政府のメディア操作に協力した」罪で有罪になった。ヨーロッパを崇拝するワケじゃないが、さすが市民の権利意識は日本より高いみたいだね。

だってさあ、あれだけ原発の安全神話作りに協力した無数の学者の中で、だれか有罪になってムショにブチ込まれたヤツって、いる? 一人もいないじゃん。これって、なんかヘン。

あ、そうか。原発反対のデモはあるが、個別の学者や役人を告発した例は一つもないもんなあ。告発されなきゃ裁判にはならない、したがって有罪にもならない道理。

御用学者は起訴されないが、小沢のように、鬼の検察特捜部さえ二度も起訴不可能と判断した案件でも、極右が強制起訴に持ち込めば裁判になる。で、アンチ官僚の小沢は政治生命を絶たれる。これが日本て国なんだよな。
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