女装子愛好クラブ

女装小説、女装ビデオ、女装動画、女装記事などを紹介していきます。

2022年 印象に残った本~私の読書記録から

2022年12月31日 | 私的読書日記
2022年もあと1日ですね。

昨夜は今年の読書記録を読み返しておりました。
「趣味は読書」ですので、かなりの量の本は読んでおります。
そのなかで印象に残った本を挙げてみます。
これは、私自身の備忘メモの意味もありますので、書評・紹介は省かせていただきます。
(実は年末の大掃除でこき使われて余力がないのであります)

『梶山季之 最後の無頼派作家』(大下英治)

『孤蝶の城』(桜木紫乃)
『おんなの女房』(蝉谷めぐ実)

『彼は早稲田で死んだ』(樋田毅)
『漂流 日本左翼史』(池上彰・佐藤優)

『評伝 小室直樹 上・下』(村上篤直)
『痛快!憲法学』(小室直樹)
『日本教の社会学』(小室直樹・山本七平)

『戦争は女の顔をしていない 1.2.3』(小梅 けいと, スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ )
『ペリリュー 戦場のゲルニカ』(武田一義)
『ウクライナ戦記』(宮嶋茂樹)

『迷宮の花街 渋谷円山町』(本橋信宏)
『開局70周年記念 TBSラジオ公式読本』(武田砂鉄)
『波の音が消えるまで 上・下』(沢木耕太郎)


パソコンにプライベートの時間をとられるようになり、書籍を読む時間は年々少なくなってきています。
それでもこの1年間、いろいろなジャンルのいろいろな本を読んできました。
まだまだ挙げたい本がありますが、きりがないのでこのあたりにしておきますね。

この1年間、『女装子愛好クラブ』をご愛読いただき、本当にありがとうございました。
皆様の温かいご声援や叱咤激励で1年間、ブログを続けることができました。
来年が女装子さん・女装子愛好男子さんにとって良い年となることを祈っております。
































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人の心を下向きにする自分に気づいていない不幸せを考える~斎藤薫著『美人だけが知っている100の秘密』

2022年12月14日 | 私的読書日記
再掲になります。
前回は一部分だけでした。
どうも、このコラムが気になって、改めて本を読みなおし、改めて引用することにします。

この年になると、人とのコミュニケーションは楽しい場にしたい、自分も愉快に過ごせる場にしたい、と考えるようになります。しかし、そうではないコミュニケーションを取るの人が多いのも悲しいかな、事実ですね。

美容ジャーナリストの斎藤薫さんは「人の心を下向きにする」ことの重大さを改めて書いてくれています。

■人の心を下向きにする自分に気づいていない不幸せを考える■
 この世で自分を知らないのは自分……よくそう言われるけれど、人は自分の一体何をいちばん知らないというのだろう。たとえば、後ろ姿。人間は悲しいかな、そもそも鏡に映さないと自分の姿を見られないが、鏡があってもなお、自分の後ろ姿は見られない。厳密に言うと、ぐるりと体を囲むような4面の鏡がないと見られない。だからパンツ姿のヒップの形を、自分は知らないのだ。
 そしてまた、誰かと会話している時の自分の顔を、人は見られない。だいたいが鏡には、自分の好きな顔しか映していないから、会話している顔は、自分の知らない顔だったりする。だから時々は、鏡を見ながら電話してみて。リモート会議でも時々は自分の顔を見ながら話してみて。そうやって自分の死角を減らしていくことは、とても重要な美容なのである。
 いずれにしても、自分にそういう死角があることをちゃんと知っておくことが何より大事。知らないと永遠に気づかない。永遠に間違え続けることになってしまうから。でも、百歩譲って何とか鏡に映して見られるものはまだいい。鏡でも見られない、誰も間違いを教えてくれない自分を、人は山ほど特っている。特に人付き合いにおいては、死角だらけ、知らない自分だらけであることを知っておかないと。

 たとえば自分の心の向きを、人はあまり気づいていない。もちろん自分が前向きな人間なのか、後ろ向きな人間なのかには自覚があるはずだけれど、意外に気づいていないのが、もっともっと日常的なさりげない会話の中で、人の気持ちを上に向けるタイプか、下に向けるタイプか。人はそこに気づいていないのだ。
 言ってみれば、自分自身は大いに前向きな性格なのに、人との関わりの中では人の心を下向きにしてしまう。そういう人ってじつは少なくないのである。しかも、そういう人ほど、自分が人の心を下向きにする人間だなんて夢にも思っていない。そこが問題なのだ。

 たとえば人と一緒に食事をする時。ワインがまずい。料理が出てくるのが遅い。この料理は塩辛い。あのスタッフ、感じが悪い。そんなふうに文句ばかり言っている人がひとりいたら、みんな心が下向きになる。逆にこういうワインこそ好みだし、料理の味も悪くない。いい感じの店で気分がいい……そう思えた人の心まで、くまなく下向きにしてしまう。他にいくら前向きな話をしていても。たった今、相手が口にしているものを美味しくないと口に出すことが、どんなに相手の心を下向きにするのか、それ自体に気づいていないのだ。

 ともかく食事で誰かとテーブルを共にする時、そこにネガティブな要素を持ち込んでは絶対にいけない。食事がまずくなるのはもちろん、会食はみんなの心を上向きにするためのもの、という本来の意味に思いっきり反してしまうから。従って、ワインがまずくてもまずいと言わない。Iカ月後に「あれはまずかったね」と笑い合うのは構わないが。

 同様に人との会話において、相手が言ったことをひとまず否定してみる癖のある人も、一刻も早くそれに気づかないと。ましてや、誰かが褒めた物や事や人を否定するのは、やってはいけないこと。でも取るに足らない世間話だと、自分が何でも否定していることにうっかり気づかないものなのだ。なんらかのテーマをテーブルにあげて、みんなでちゃんと議論をするならば、反対意見を出すのは一向に構わないが、それこそもっともっと日常的な会話の中で、あのドラマ面白かった、あの俳優はいい俳優、あのタレントはいい感じ……そういう他愛のない話題でもって、自覚のないまま、相手の言ったことにいちいち反対意見を持ち出す人は少なくないはず。つまり親しい者同士の会話でこそ、やってしまいがちなミスなのだ。他愛がなさすぎて本人は気づかないのかもしれないが。

 もちろん基本的に誰もそのことを指摘してくれないから、そういう癖は知らず知らずエスカレートしていってしまう。誰もそんな人と会話したくないし、ましてやご飯も食べたくない。そういうふうに自分の知らない自分が、幸せになれない原因だとしたらどうだろう。だからこの機会に考えてみてほしいのだ。あなたは、ついうっかり人の心を下向きにしていないか? その、ついうっかりで、あなたは自分自身を不幸せにしていないかと。
出所:斎藤薫著『美人だけが知っている100の秘密』


私は基本的に会食や雑談の中で人が言ったことに異を唱えたり、味の負の評価はしないようにしています。
デール・カネーギーの『人を動かす』を大学時代に読んでから、愚直に続けていることです。
でも、身近にいますよね、「でも」「だって」「「そんなことないよ」「これは美味しくない」「この俳優は下手」「脚本がなっていない」......。
とはいえ私も聖人君子ではありません。
心の中では「いいじゃねえか、俺が楽しんでるんだから、いまはぐちゃぐちゃいうな」と叫びまくってます。

まあ、こんなことでコンフリクトを起こして2人の空気が悪くなるなるほうが気分が悪いんで、黙っていますけどね。
女装子愛好クラブでこのコラムを紹介しましたが、これは女装子さんだけではなくB面のビジネスパーソンにも共通することだと思います。
相手の心を下向きにしない、上向きにする。すると幸せはすぅぅとやってきます。たぶん....。



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女の美しさはむしろ体の動きで決まる? ~斎藤薫著『美人だけが知っている100の秘密』から、

2022年12月13日 | 私的読書日記
承前です。
斎藤薫さんのエッセイを読んでいましたら、これまた奥が深いことが書いてありました。
これもご参考としてアップします。

女の美しさは、むしろ体の動きで決まる?
だからひとつひとつの動作を丁寧に心を込めて

 自分の体の動きは、みんなほとんど把握していない。一体どんな不自然な、野暮ったい動きをしているのか、幸か不幸かそれさえ自分には見えないが、まずは体の動きに自覚を持つことなのだ。本来は所作しだいで、女はいくらでも変われる、いくらでも美しくなれるという普遍的な法則があるのだから。
 そこでふと気づいた。この人素敵! この人のようになりたい! 少なくとも自分の場合、そういうふうに憧れてしまう人の中には、仕草や身のこなしなど、体の動き自体が美しい人がじつはとても多いこと。10代の頃、憧れていた女生徒は、後で知ったのだけれど、バレリーナを目指す人たった。いつも背筋がピンと伸びていて、指先の1本1本までが優雅に見える人だった。自分が憧れるのは、体の動きの美しさに魂が宿っている人、この事実にも気づくのだ。

 ひとつ、決定的なことを言うなれば、キビキビとした動作は確かにカッコよくて知的。早口のように、スピード感あふれる体の動きで仕事をあっという問に片付ける女性は、もちろん素敵。素敵だけれど、キビキビした動きはそれが本当に板についていてスマートでないと、瑞から見ていて、どうしてもイライラしているように見えてしまう。ともすると乱暴に、ガサガサとがさつに見えてしまう。そういう意味ではとても損なのだ。

 逆にひとつひとつの動作をゆっくりゆったり行うと、それだけで穏やかな、心の整った女に見える。もちろんただのろいのとは違う。所作はゆっくりゆったり流れるようなのに、それでもきちんと物事は片付いていくという、まさに冷静だからゆえの動作こそ、人目を奪うのだと思う。だからともかくまずは、動作を意識してゆったりと、を心がけてみてほしい。努めてゆっくり動くと、自分が今までどんなに乱暴に所作を済ませていたのかが、逆にわかってくるから。

 もっと言うなら、ゆっくり動くとひとつひとつの動作に自覚がこもってくる。動きに気持ちが入ってくる。つまり心がこもってくるのだ。心をこめると、それだけで動作はまた自ずと美しくなるもの。つなぎがなめらかになるもの。特にテーブルに物を置いたり、人に物を渡したり、そういう所作を意識してゆっくりと丁寧に行うと、それだけでその人の印象は明らかに変わってくる。すべてのことに心をこめる人に見えるから。
 だからたった今からこの本のページをめくる動作もゆっくりと丁寧に。それだけであなたの印象はもう変わってくる。
出所:『美人だけが知っている100の秘密』斎藤薫著


>だからともかくまずは、動作を意識してゆったりと、を心がけてみてほしい。
>努めてゆっくり動くと、自分が今までどんなに乱暴に所作を済ませていたのかが、
>逆にわかってくるから。

お化粧を上手、お洋服の着こなしも上手。
でも、どこかに「おとこ」を感じてしまう。
いままでお会いした女装子さんのなかにもこういう方が何人もいらっしゃいました。
(いや、これは仕方がないことです。クロスドレスしようとして努力しているのですから)
この斎藤さんのエッセイを読んで、そのポイントがよくわかりました。
ゆったりした動作、ゆったりとした仕草でした。
「おとこ」のスビートで動くのではなく、「おんな」のスピードにシフトチェンジしてみる。

デートの時、コーヒーを飲むときの動作をゆったりとしてみる。
ホテルの部屋で、彼のグラスにビールを注ぐとき、おとこの飲み会のスピードではなく、ゆったりとゆっくりと注いでみる。
そして自分のグラスについた口紅をティシュでゆっくりとゆっくりと拭いてみる。
すると彼がたまらなくなって、せっかちに唇を寄せてくるかも......。




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あなたは、ついうっかり人の心を下向きにしていないか?

2022年10月28日 | 私的読書日記
斎藤薫さんは美容エッセイストです。
私は彼女の書くエッセイが好きです。
それは背筋をきちんと伸ばして、正しいことを分かりやすくそして読者に伝えてくれるからです。
斎藤さんのエッセイを読むと、自分の人生や日常の態度を改めて振り返り、そしてそれを正すことができます。

最近読んだ本が『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』です。
さまざまな気づきを得ることができました。
そのすべてを紹介したいところですが、ひとつだけ、これは自分への戒めでもあるのですが、「人の心の向き」をご紹介します。

たとえば自分の心の向きを、人はあまり気づいていない。
もちろん自分が前向きな人間な 後ろ向きな人間なのかには自覚があるはずだけれど、意外に気づいていないのが、もっ ともっと日常的なさりげない会話の中で、人の気持ちを上に向けるタイプか、下に向けるタイプか。
人はそこに気づいていないのだ。

言ってみれば、自分自身は大いに前向きな性格なのに、人との関わりの中では人の心を下 向きにしてしまう…そういう人ってじつは少なくないのである。 しかも、そういう人ほど、 自分が人の心を下向きにする人間だなんて夢にも思っていない。 そこが問題なのだ。

たとえば人と一緒に食事をする時ワインがまずい。 料理が出てくるのが遅い。この料理 は塩辛い。あのスタッフ、感じが悪い。 そんなふうに文句ばかり言っている人がひとりいた ら、みんな心が下向きになる。
逆にこういうワインこそ好みだし、料理の味も悪くない。い い感じの店で気分がいい······そう思えた人の心までくまなく下向きにしてしまう。
他にいい 話をしていても、たった今、相手が口にしているものを美味しくないと口に出 すことが、どんなに相手の心を下向きにするのか、それ自体に気づいていないのだ。

誰かとテーブルを共にする時、そこにネガティブな要素を持ち込んでは絶対にいけない。食事がまずくなるのはもちろん、会食はみんなの心を上向きにするためのも という本来の意味に思いっきり反してしまうから。 従って、ワインがまずくてもまずい と言わない。1カ月後に「あれはまずかったね」と笑い合うのは構わないが。

同様に人との会話において、相手が言ったことをひとまず否定してみる癖のある人も、一 刻も早くそれに気づかないと。
ましてや、誰かがめた物事を否定するのは、やって はいけないこと。
でも取るに足らない世間話だと、自分が何でも否定していることにうっかり気づかないものなのだ。 なんらかのテーマをテーブルにあげて、みんなでちゃんと議論を するならば、反対意見を出すのは一向に構わないが、それこそもっともっと日常的な会話の 中で、あのドラマ面白かった、あの俳優はいい俳優、あのタレントはいい感じ・・・・・・そういう 他愛のない話題でもって、自覚のないまま、相手の言ったことにいちいち反対意見を持ち出 す人は少なくないはず。
つまり親しい者同士の会話でこそ、やってしまいがちなミスなのだ。
他愛がなさすぎて本人は気づかないのかもしれないが。

この機会に考えてみてほしいのだ。 一人の心を下向きにしていないか? その、ついうっかりで、自分自身を不幸せにしていないかと。
もちろん基本的に誰もそのことを指摘してくれないから、そういう癖は知らず知らずエス カレートしていってしまう。
誰もそんな人と会話したくないし、ましてやご飯も食べたくな い。
そういうふうに自分の知らない自分が、幸せになれない原因だとしたらどうだろう。
だ からこの機会に考えてみてほしいのだ。
あなたは、ついうっかり人の心を下向きにしていな いか?
その、ついうっかりで、あなたは自分自身を不幸せにしていないかと。

出所:『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』

食事の時、ネガティブな話題は出さないようにしていますが、自分では意識せずにそれを出してくる人は多いですね。
会話の時、人の話の腰を折って、でも・だって・そんなことないよ、と反対意見を言ってくる人は多いですね。
そういう人とは食事をしよう、会話を楽しもうとはしたくないですね。
女装子さんと女装子愛好男子の会話もこれと同じでしょうか。
せっかくの逢瀬ですから、お互いの心が上向きになるような食事と会話と房事を楽しみたいものです。

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女子サッカー日本代表選手の恋

2022年09月10日 | 私的読書日記
古い本だなから見つけてきました。
水間百合子さんはサッカー日本代表です。
90年、北京アジア大会で銀メダルを獲得します。
そして、水間さんは性同一性障害でした。
日本代表に選ばれた彼女はチームメイトの女子選手に惹かれます。
そして、意を決して告白します。

 当時女子サッカー日本代表に選抜されていた私か彼女と知り合ったのは、その代表の合宿でだった。理屈なしで彼女に惹かれた。その頃の私は、誰が見てもその辺にいるサッカー小僧のようだった。彼女も初めて私を見た時、ものすごくボーイッシュな子が入ってきたなと思っていたらしい。そして私は代表経験が長い彼女に、色々とアドバイスを受けに部屋へ話を聞きにいったり、買い物にいったりと、何かにつけて一緒にいる時間を増やしていった。それでもなかなか告白できずに半年が過ぎた。
 ある夏の日本代表合宿の時、ついに私は覚悟を決める。ちょうど合宿の気分転換に、ある選手が花火をやろうと言い出してみんなで盛り上がり、そのどさくさにまぎれて彼女に告白したのだ。

 「オレさ、前からあなたのこと、とても好きだったんだ」
 「え……」
 花火も終わり、みんなそれぞれ部屋に帰っていく。
 「ちょっと部屋に寄ってもいいかな」
 ためらいながらも彼女は「いいよ」と呟いた。
 部屋で二人きりになって、思いきってもう一度話を切りだしてみた。
 「オレ、本気で好きなんだよ。どうしたらいい?」
 「……。私もなんか初対面の時から、男の子みたいな子だなと思って気にはなっていたんだ」
 まさに宙を舞うような気分だった。
 「じゃあ今度、家に遊びにいっていいかな?」
 「いいよ。いつでも遊びにきて。合宿が終わったらオフに入るしさ」
 「分かった。オレ、絶対行くからさ」
 そして私は彼女にキスをして、部屋から出ていった。
 合宿が終わった次の週末。仕事をすませた私は、矢も楯もたまらず名占屋へと向かう新幹線に飛び乗った。この日ほど新幹線がノロく感じられたことはない。
 駅には彼女が車で迎えにきてくれていて、二時間ほどで家に着いた。もう夜中の零時、あたりは真っ暗で、物音ひとつしない。
 部屋へ入ると、私は彼女を抱きしめ、キスをした。
 「ちょっと待って。焦らないで。お腹すいてるでしょ」
 ふとテーブルを見ると、たくさんの料理が用意されていた。
 「まずはゆっくりお話をしながら、ご飯食べましょう」
 「すっごい! これ全部作ったの? オレのために?」
 「そうよ。口に合うかどうか分からないけど、せっかくだから一緒に食べましょう」
 「ありがとう、いただきます」

  食事も終わり、色々話をしながら、いよいよ本題に入ってゆく。
 「オレ、本気でお前のこと抱きたいんだよ」
 「でも私、女の人とそういうことになったことないんだよ。だから……」
  戸惑う彼女に私は夢中で話し続ける。
 オレだって、自分から本気で女性を好きになったことないよ」
 「そうなんだ。あなたは少年みたいだからさ、私てっきり......」
  そんな会話がしばらく続いた後、私は意を決して言った。
 「一緒に寝ようか」
 「……うん」
  そして私は彼女を抱いた。ごく自然に……。
 夢のような.夜が明けた。朝食をとり、ドライブを楽しみ、瞬く間に時間は過ぎた。名古屋駅まで送ってもらう車の中で、私は彼女に言った。
 「オレたちこれからもこうして会おうよ。また来ていいよね?」
 「うん、いつでも電話ちょうだい」
 私は幸せだった。練習の後に毎日かける電話だけでも充分な幸福感を得られていた。

 しかし、別れは突然訪れる。彼女が私の家に遊びにきた冬の夜、忘れもしない成人式の日のことだった。
「話しておかなければいけないことがあるの」
 彼女のいつもは見せない真剣な表情に、嫌な予感がよぎった。そして、その予感は現実の言葉として私に突きつけられた。
 「あのね、実は私、結婚することになったの」
 「えっ!」
 耳の奥で心が砕ける音が聞こえた。いつかひょっとしたらこんな日が訪れるかもしれないというかすかな予感は前々からあった。なぜなら、彼女が女性しか愛せない人ではないことは薄々感じていたから。私がどんなに彼女を愛していても、女である私は彼女と結婚はできない。私が男を愛せないように、彼女も女しか愛せない人ならば、私たちの付き合いがずっと続く夢も描ける。

 だが彼女が男も愛せるのなら、いずれ彼女は心を動かされた男と結婚する道を選ぶに違いない。
 そういう予感に私はずっと苛まれていた。そしてその悲しい予感は当たった。
 彼女かそう決断した時、いったい私に何かできるだろう。もし彼女か結婚という形あるものを望むのならば、私か彼女に与えられるものは何もない。彼女を失いたくはない。だから「結婚なんかできなくったって、オレはお前を幸せにできる」と足掻きたい。でもそれを彼女は喜ぶだろうか。その言葉を受け入れてくれるだろうか。そして何より、一生「同性愛者だ」という誹りを受けても余りあるほどの幸せを本当に彼女に与えられるのだろうか。答えは出ない。結局私は、いつかはやってくるだろうその日に備えて心の中の引き出しに用意していた言葉を持ち出すしかなかった。
 「そうか。じゃあもうお別れなんだね」
 動揺を懸命に隠しなから呟いた私に、彼女は予想だにしなかった言葉を返してきた。
 「なんで? 結婚するからって、私たちか別れることはないじゃない」
 意味か分からずにキョトンとしている私に、彼女は言葉を続ける。
 「私たちは女同士なんだし、サッカー選手同士なんだし、ダンナには友達だって言っておけば会える時間なんていくらでも作れるじゃない。普通、女同士の関係を疑ったりするわけもないでしょ? だから私たちは今まで通りでもいいと思わない?」
 彼女の唐突な提案にどう答えたらいいのか分からなかった。

   出所:『女に生まれて男で生きて 女子サッカー元日本代表エースストライカーと性同一性障害』水間 百合子著

「私たちは女同士なんだし、サッカー選手同士なんだし、ダンナには友達だって言っておけば会える時間なんていくらでも作れるじゃない。普通、女同士の関係を疑ったりするわけもないでしょ? だから私たちは今まで通りでもいいと思わない?」
 このくらいの強さがないと日本代表にはなれない、と妙に感心したことを思い出しました。
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私は何か言われて、不快でも反論せずに黙ってしまう癖があります(萩尾望都)

2022年09月09日 | 私的読書日記
『一度きりの大泉の話』(萩尾望都著)を読んだのは偶然のことです。

萩尾さんと竹宮恵子さん、増山法恵さんは1970年から1972年まで大泉で共同生活をしていました。
しかし、あることがきっかけで萩尾さんはこの2人との関係を断つことになってしまいました。
この本は、その経緯を一度だけということで書いた本です。
私は女性漫画家の作品はほとんど読んだことがありません。
ですので、ここに登場してくる作家さんたちもお名前を知っているだけ。
題名にひかれて図書館から借りました。
しかし、萩尾さんの文章の軽快さ、爽やかさに魅入られ、あっという間に読み終えました。

萩尾さんは『これは私の出会った方との交流が失われた、人間関係失敗談です。』と前書きで書いています。

そのなかで、私が一番共感した部分がこれです。
私は何か言われて、不快でも反論せずに黙ってしまう癖があります。
それは不快という感情と共に、強い怒りが伴うので、自分で自分の感情のコントロールができなくなってしまうのです。
感情は熱を持ち、一気に暴走列車のようになり、自分で持て余してしまいます。
この感情はきっと大事故を起こす。
怖くなって、押さえ込み、黙ってしまう方を取ります。
冷静に反論する練習をすればいいのでしょうが、なかなかうまくいきません。
冷静に反論できるのは、自分の描く、漫画の中だけです。



>私は何か言われて、不快でも反論せずに黙ってしまう癖があります。
私も全く同じ。
反論できずに、沈黙する。心は煮えたぎっているのに。
また厄介なコンフリクトを起こして感情が疲弊することを恐れて、沈黙する。
心のなかで自己を苛む。これも自己嫌悪。

萩尾さんも自分と近いということを知ってなんだかほっとしたので、このブログで紹介した次第です。
女装とは関係ないですが......


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誤解を怖れずに言えば、プロレスはセックスに非常によく似ている(アントニオ猪木)

2022年08月26日 | 私的読書日記
ある女装子さんの書き込みに目を止めました。

女装子さんが初めての男性とベッドで肌を合わせる。
初めてだから、相手も女装子の自分のことがわからない。
いろいろと愛撫してくれる。
気持ちいいところもあるし、痛いだけのところがある。
口で表してしまうと、せっかくの閨房が白けてしまうかもしれない。
そこで彼女は、彼をリードする。
きもちの良いところは喜悦の声を上げる。
そうでないところは、優しく彼の手を違うところに導く。
本ブログご愛読の皆様も思い当たるところがあるのではないでしょうか。


これをよんでふと思い出しのたが、ずっと前に読んだ『猪木寛至自伝』。
そうアントニオ猪木の自伝です。

そのなかで、猪木は「プロレスはセックスに非常によく似ている」と書いています。

遠藤幸吉の知人で吉田という古いプロモーターがいた。日系二世で力遠山時代から各地にネットワークを持っている人だった。
彼からカナダにインド系の面白いレスラーがいると言って来た。それで資料を入手して、呼んだのがタイガー・ジェット・シンである。
 ジェット・シンはもともとオーソドックスなレスリングをする正統派の選手だった。だが、彼が持っていた狂気を私が引き出していくと、彼は凶暴な悪役に変貌を遂げた。
 ジェット・シンが狂うほどに、観客は熱狂した。私とジェット・シンの試合は話題を呼び、怖いもの見たさで観客が詰めかけるようになった。私も彼もどんどんエスカレートして行った。私も彼の腕を析ったこともあるし、彼も私を血ダルマにした。ついには試合会場でも何でもない新宿の伊勢丹前で、買い物をしていた私たち夫婦をシンが襲い、警察沙汰になったこともあった。
 誤解を怖れずに言えば、プロレスはセックスに非常によく似ている。体を通して互いに刺激し合い、相手の反応を見ながら次の手を打つ。相手もまた様々な技術で応酬してくる。いい相手とセックスすれば自分も高まり、素晴らしい快楽と解放感を得ることが出来る。プロレスの場合、それを支える観客の視線も必要条件になる。
 私にとってジェット・シンはいいセックスが出来る相手のようなものだった。闘うほどにテンションが上がり、快感が増して行くような感じで……私も燃えたのである。
セックスはどうかわからないが、格闘技では身体に残った感覚は消えない。闘って「こいつは凄い」と感じたことは絶対なのである。
  出所『猪木寛至自伝』


体を通して互いに刺激し合い、相手の反応を見ながら次の手を打つ。
相手もまた様々な技術で応酬してくる。
いい相手とセックスすれば自分も高まり、素晴らしい快楽と解放感を得ることが出来る。

猪木さんは素晴らしいことを言いますね。
これは冒頭の女装子さんの書き込みとも通じるものがあるのではないでしょうか。
セックスはコミュニケーションでもあります。
相手の身体、心、想いを相互に思いやることで、高みにのぼり、二人で一緒に天国のドアを開けることができるのです。




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白衣は作業服ということです

2022年07月07日 | 私的読書日記
承前です。

若き日の井上ひさし青年は勤務先の結核療養所の看護婦さんの更衣室に忍び込みました。
大晦日です。
そしてお気に入りの看護師さんの白衣をクンクンしたそうです。
しかし、そこにあったのは甘い女性の香りではなく、消毒液などの匂いだったのです。

以前、看護婦さんと付き合っていた男性のブログを読んだことがあります。
「なあ、コスプレしようぜ。白衣を持ってこいよ」
「いいけど、あれは作業服よ。じいさんのおしっことか、膿とかいっぱいついているけど、それでいい?」
「うーん、いいや」
白衣の天使さんは小説のなかにしかいないようです。

そういえば、看護師さんで白ストッキングを穿いている人もいないですよね。
それ以前に大きな病院はパンツの白衣ですしね。




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一方的に恋い慕っていた看護婦のロッカーを開き、彼女の匂いのしみ込んだ看護衣を鼻に当てて嗅ぎながら

2022年07月03日 | 私的読書日記
井上ひさしさんは『ひょっこりひょうたん島』からこっち、好きな作家です。
小説もですが、読書やテレビをテーマにしたエッセイをよく読んできました。
本棚の奥から井上ひさしさんの『ブラウン監獄の四季』を引っ張り出して再読していたところ、衝撃的な告白?がありました。


 そのころ、ぼくは岩手県釜石市郊外にある国立結核療養所で事務雇をしていた。たしか若い男の事務員が10名ぐらい居たと思うが、ぼくは土曜の夜や日曜の夜の宿直をこれら同僚にかわってよく引き受けたものだ。
  宿直は順番に廻ってくるのだが、恋人のいる人は土曜や日曜の宿直を嫌った。ゆっくりデートができないからである。そういう場合はいつも恋人のいないぼくが代った。家といっても四畳半の借間に母親がいるだけで、帰ってもたいしておもしろい事が起る気づかいはなし、宿直を一回つとめれば二五〇円の手当がつく。この二五〇円も魅力だったのだ。

 そんなわけで、この年の暮も三〇日から正月の三日まで他人の宿直を一手に引き受けることになり、五日間ラジオぽかり聞いて暮しだのだが、このときの紅白は、司会が高橋圭三と水の江滝子で、江利チエミや浜口庫之助などの初出場組にまじって真木不二夫が出ていたはずだ。こんなことを憶えているのはじつは理由がふたつある。
 ひとつは真木不二夫が地元釜石市の出身だったということ、もうひとつは、紅白が始まって間もなく入所患者がひとり亡くなるという変事が起ったからである。患者の家族にこういう場合の手続きの説明をし、霊安室を掃除し、お棺の手配などをして、事務室に戻ってみると、もう紅白は殆ど終りに近づいていて、ちょうど藤山一郎が歌っているところだった。藤山一郎のへんに明るい声が妙に白らけて開えていたのを憶えている。

 ラジオを消して宿直室の布団にもぐり込んだが、なかなか寝つかれず、仕方なしに看護婦のロッカー室に忍び入り、こっちから一方的に恋い慕っていた看護婦のロッカーを開き、彼女の匂いのしみ込んだ看護衣を鼻に当てて嗅ぎながら自涜した。そういうやり方がそのころ、若い男の事務員の間で流行っていたのだ。だがそのときの看護衣の匂いはひどく薬品臭くてあまりよくはなかった―――。I


まあ20歳頃の持てない男子はリビドーに負けて何でもやりますから、この行為分かりますよね。
でも直木賞作家が「自涜した....」と自虐的に告白するんだから、大したものです。
ただ、いまはこんなことしないでくださいね。
見つかったらとんでもないことになりますから......と、いちおう書いておきます。





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沖縄慰霊の日

2022年06月23日 | 私的読書日記
本日は沖縄慰霊の日です。
昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦があり、20万人以上が亡くなりました。
6月23日は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされています。
沖縄戦で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

この沖縄戦には、阪神タイガース監督だった松木謙治郎氏が一等兵として従軍して、沖縄戦の酷さ、そして捕虜としての生活を体験しました。
松木氏はその時の体験を『阪神タイガース松木一等兵の沖縄捕虜記』として残しています。
沖縄戦の現場を知る兵士が書いたこの本は、実際の戦場がどのようなものだったかを私たちに伝えてくれています。
このブログのご愛読者の方には野球ファンも多いと思います。
ぜひ一度、松木氏のこの体験記もお読みになってください。

※見出し画像の出所は沖縄タイムスです。
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