休日は風を切って

休日は自転車に乗って風を切って、そんな生活をずっと続けていけたらと思っています・・・

きょうの安達太良(あの日から5年・・・)

2016年03月11日 | 四季の安達太良
(2016.3.11 am6:58)

気温は低いですが、きょうは天気がよさそうです。



春を待っていた安達太良は、おとといの雪でまた少し冬に戻ったみたいです。



きょうで、東日本大震災からまる5年が経ちました。あの日、わたしは福島市の職場で、“ワイフ君”は本宮市内の職場で、はじめて経験するとても大きな地震に見舞われました。家にいたのは二女と三女のふたり。家が壊れるかもしれないと思って、怖くて必至に表の車の中に逃げ込んだのだそうです。

そのとき咄嗟に持って出たのが、亀の水槽と入学祝にもらったiPad。残念ながら、iPadは運悪く亀の水槽の中に落ちて、そのあまりにも短い生涯を終えることになってしまいましたが、亀は感電することなく無事でした。娘達が一番大事なものと思って咄嗟に持ち出したのが、結局“亀”だったというところに思わず笑ってしまいましたが、決して間違った育だちかたはしていないと安心しました。

大きくても小さくても、大切なものは命。あの日、その大切なものが、あまりにも多く、あまりにも無残に奪われてしまいました。人々が負った心の傷は、そう簡単に癒えることはないでしょうが、その傷を抱えながら、それでも少しずつ前に進もうと努力している姿には心が震えます。きょうは、あの日亡くなってしまった多くの命に合掌し、この世の安寧を願いながら過ごすことに致しましょう。

あの亀はきょうも元気です。


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8 コメント

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5年経ったのですね! (山羊)
2016-03-11 20:16:17
お留守番の娘さん達に何事も無くて良かったですね。
あれから、もう5年も経ったんですね!
サッパリ何も進まずに時計が止まったままの方も居られる様です。全ては原発が災いの元になってしまいました。
私の写真の仲間にも浜から避難して、帰る日を心待ちにして居られる方も居ます。
本当に何も心配の要らない世の中に、早く戻って欲しいですね。
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まだ (玉井人ひろた)
2016-03-11 20:57:48
もう5年、まだまだ5年ですね。本宮市の住宅の除染作業はまだまだあちこちで見かけますね。
我が村は昨年に終了しましたが、これから運び出しが問題です
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“山羊さん” (koji)
2016-03-11 21:22:37
もしあのとき、自分の身の上に、家族が欠けるようなことがあったら、わたしは強い人間ではないのできっと耐えられないと思います。いまごろどうなっているかも自信がありません。テレビなどで、悲しみを乗り越えて頑張っている方々を拝見するたびにそう思ってしまいます。
“山羊さん”のおっしゃるように、福島県には原発事故で故郷にも元の生活にも戻れない方々もいます。「何もしないで、毎日保証金でパチンコやってていいな」みたいなことを、やっかみで言う人がいますが、ふる里も、そこで培ってきた人と人との繫がりも、全て失うことになってしまう辛さを分かってもらえないのは残念ですよね。そんな声に負けないで頑張って欲しいものです。
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“玉井人ひろたさん” (koji)
2016-03-11 21:50:57
おっしゃるように、5年ではまだまだどこも復興途中です。わが市でも郡山市などでも、まださかんに除染作業が行われています。
こういう惨状をみてもなお、原発を無くす方向に国策は進まないのですから、原発に絡む利権がいかに大きいことか・・・。
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koiさんのアップしてくださる (ケンヂ)
2016-03-11 22:29:35
画像に愕然としながら現実を直視し,実家になかなか戻れないこと,助けたいけれど難しいことを知り…。
でも福島の人々は強かった。避難した人たちは自分の家族を思い,残った人たちも家族を思い,それぞれが選んだ道を歩いています。
koiさんの御家族も,ボクの実家の家族も。

これからもできることで故郷福島とつながります。
さし当たっては,リタイヤ後の人生かな。
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“ケンヂさん” (koji)
2016-03-11 23:56:30
職場で地震に遭ったとき、とにかく異常な揺れでしたから、自宅はもうすっかり潰れてダメになっているかも知れないと思っていました。
中通りは津波の被害に無縁でしたから犠牲者は少なかったですが、浜通りの方々には地震と津波と原発事故という三重苦が襲いかかることになってしまいました。
福島県を中心に広がってしまった放射能禍は、いまだ住民の方々の生活を破壊したままですが、それでも人々は、踏みとどまってなんとか生活しようとしています。現実には放射能の影響下から全ての人が避難するなんていうことは、まったく不可能だということをイヤというほど思い知った訳ですが、依然日本は原発を廃止しようという方向には進んでいません。由々しきことです。
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あれから5年、、 (masa)
2016-03-12 06:29:11
私の会社では震災が発生した時間にサイレンを鳴らして全員が東北の方に向いて尊い犠牲者に黙祷を捧げました。
茨城でもすごいことになっていました。
私は4階の会社でコンクリートの天上が崩れ、鉄筋の柱が次々と挫屈し、窓ガラスが割れてきたときは、運を天に祈りました。もしコンクリートの天上が落ちて崩れたら今の私はありませんでした。その後はプレハブで2年間業務していました。今も原ノ町駅に取り残された錆びた特急がありますね。
復興に向け早く地元の人たちの為にも常磐線が開通して欲しいものです。
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“masaさん" (koji)
2016-03-12 07:55:10
“masaさん"のほうでも、震災被害も原発事故の影響さえも受けてしまいましたよね。そして、“masaさん"の会社は地震で大変な事になってしまったんでしたね。
おっしゃるように復興の第一手段がインフラの整備ですよね。常磐線の全線開通には、予定ではあと2年ぐらい必要とのことでしたが、少しでも早く開通できるといいですね。
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