休日は風を切って

休日は自転車に乗って風を切って、そんな生活をずっと続けていけたらと思っています・・・

夏なんだよなあ・・・(きょうは『黒塚』経由“第3のコース”)

2018年06月20日 | 自転車

(2018.6.19 2:21pm 舟形橋:二本松市)

6月19日、この天気はやっぱり夏なんだよね。あんまり気持ちよく晴れているから自転車で走り出してきたんです。



軽く“島山公園(稚児舞台)”まで行くつもりで杉田小学校の前から続く堤防道路を走っています。それにしても、昨日の大阪府北部の地震では可哀相なことがありましたね。これからもっと大きな地震が発生しなければいいのですけど、なんだかいま日本中どこで大きな地震があってもちっとも不思議じゃない気がします。ほんとうに不気味です。



安達ヶ原のここには大きな杉があっていつも気になっていた場所なのですが、堤防道路からちょっと下るのが面倒で近寄らなかったのです。安達ヶ原ふるさと村を会場に開催される『にほんまつファミリーサイクリング大会』には何度も来ていて、しかもこのすぐ近くがコースにもなっているっていうのに。そしたら、ここが安達ヶ原の“黒塚”なんだそうです。この地で66年も過ごしてきたというのに知りませんでした。



黒塚の由来が書かれていました。直ぐ近くの観世寺には鬼婆が住んでいたという岩屋があるんだけれど、黒塚もそこにあるんだとばかり思っていたのです。



『みちのくの 安達ケ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか』という歌はおふくろから聞いて知っていました。それがこの場所だったんですね。



わが家から20キロ走って、ここが目的地の阿武隈川の景勝地“島山公園”。阿武隈川を挟んで対岸が“稚児舞台”。



ここに大きな歌碑があるのですが、何だか読めそうで読めなくていつもあきらめていたんです。でもね、ネットで探したら今日はやっと解決したんです。
『かくしつつ 古さと人にいつかさて あふくま川の あふせにはせ舞(む=ん?)』“道興親王”
【かくしつつ 故郷人にいつかさて 阿武隈川の 逢瀬(おうせ)にはせむ】という歌を掲載しているページが見つかったのです。『道興准后(どうこうじゅごう)は、左大臣近衛房嗣の子で、京都聖護院門跡などをつとめた室町後期の高僧です・・・文明十八年(1486年)6月から約1年にわたって東国を巡歴し・・・奥州松島までの旅を紀行文『廻国雑記』にまとめ・・・』
なるほどそうだったんですね。でもね歌は読めたけれど意味がさっぱり分からないのです。いにしえ人の教養には本当に頭が下がります。
ということで、本日の走行距離41.80 走行時間2:01 平均速度20.6 消費カロリー736(今月累計:421.97)



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6 コメント

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ちょっと驚き (玉井人ひろた)
2018-06-20 11:10:39
黒塚だったことをご存知なかったとは・・・ちょっと驚きでした。
ふるさと村が作られてから、ちょっと外れになった感がありますからね。しょうがない気もします。
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“玉井人ひろたさん” (koji)
2018-06-20 11:46:07
いままでにこの場所を幾度となく通過していました。この大きな杉も見ていましたし、塀らしきものも造られて、なにやら由緒のある杉なんだろうなぐらいには思っていました。
黒塚は観世寺のどこかにあるんだろうと今までずっと思っていたんです。だいたいあの岩屋の方がはるかにインパクトがありますしね。ですから、これが黒塚だったことに、そして長いことここが何の謂われのある場所なのかどうして確認しようともしなかったのか。“玉井人ひろたさん”が感じられたとおり、そんな自分自身が少し恥ずかしくもあり本当に驚かされました。
“ワイフ君”にも聞いてみたんですが、“ワイフ君”もあの岩屋のある場所が黒塚だと思っていたみたいで、黒塚は別の場所にあるんだよと言ったら驚いていました。
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ここですか~! (へばな)
2018-06-20 13:29:41
・「黒塚」って有名ですが、ここなんですね~!
子供の頃、この伝説を呼んで大変ビビった記憶が有ります(^_^;)
サイクリングをしていて、あれはなんだろう?と思いつつも止まるのがめんどうで通り過ぎてしまうってことけっこうありますよね。
・道興親王さんの歌ですが、私的には「こうして都から遠く離れた奥州を旅していますが、いつか故郷に残してきたあの人に、阿武隈川の合流する流れのように会いたいものだと思いをはせながら舞を舞いました」って解釈したいのですがどうでしょうか?(^_^;)
・一枚目の写真がいいですね~! 帽子がいかにも「夏」らしい雰囲気を醸し出していますね(^^)v
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“へばなさん” (koji)
2018-06-20 13:56:30
鬼婆の話って恐いですよね。わたしも小さな頃に聞いて、なんておそろしい話だって思いましたから。不思議なんですよ、いつもは由緒ありそうなものがあると飛びついていくんですが、ここだけは幾度となく見ているのに近づこうとしなかったんです。おそらくは鬼婆の怨念が周辺に漂っていて、無意識のうちに近寄りがたい感じがしていたのかも知れません。
道興親王の歌の解釈ありがとうございます。なるほど“へばなさん”が解釈くださった通りだと思います。この道興さんは高僧だと申しますが、やはり色恋には勝てなかったと見えますね。近ごろでは善光寺のトップがセクハラで辞任に追い込まれたとか、坊さんは煩悩に打ち勝っていらっしゃるのかと思いきや、一生修行の所以がその辺にあるんでしょうかね。ハハハ
麦藁帽子をかぶって自転車に乗る、ママチャリならではですね。ありがたいことです。
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へぇ〜! (なでら男)
2018-06-20 14:18:48
安達ケ原の鬼婆伝説はよく聞いてましたし有名ですが,その先の話はちっとも知りませんでした。なんでも,高僧が退治した云々は聞いたような気がします。それにしても,ああいった伝説にはなにかかにかの実際の話が係わっているはずですが,それが何だったのか,..。^^;
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“なでら男さん” (koji)
2018-06-20 17:26:03
鬼婆伝説はその昔菊人形の出し物になっていて、洞窟の中で鬼婆が包丁を研いでいる姿が子供だったわたしにはかなり強烈なインパクトがあったことを記憶しています。
鬼婆伝説は各地に存在しているようですね。まさかその昔に人肉を食らう習慣があって、カニバリズムを戒めるために創作した話ではないのでしょうね。アハ
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