「ふぇみん」の2回目の記事です。
仏教における女性差別(下)
わたしが信心(信仰)をもたないと決めたのは、大学院時代に出会った恩師の生き方をまねできなかったこととフェミニズムに出会い、生きるよりどころを見つけたからである。以後、日本の宗教への見方が変わった。
檀家制度と妻帯仏教
日本の仏教は長い歳月を経て、他国にはない大きな特徴をもった。近世につくられた檀家制度と近代国家が許可した出家者の妻帯である。
檀家制度は、幕藩体制下におけるキリシタン禁制を目的としてつくられた寺請(てらうけ)制度の延長線上にある。本山を頂点とするヒエラルキーをつくり、本山に末寺が所属し、末寺に檀家が所属する関係である。それまで信仰は個人の選択だったが、個人の意志が無視され、家の宗教と化した。檀家制度は幕府の庇護を受けるから、強固な身分制を補完した。各宗派の宗祖のラディカル性が削がれ、教団維持が目的となった。
檀家制度下で、仏教は被差別者の現世の苦しみは前世の報いであるとし、来世(死後)に救われて極楽浄土に生まれるには信仰が必要だという因果思想(業論(ごうろん))を説いた。被差別者のなかの女性には前世の結果、罪悪の身であり、さらに古代から続く血の穢れによって神仏を汚す身であることを仏教は教化した。最終的には信仰によって救われるが、その教えは差別される人たちに信仰をよりどころとすることを強制した。
1872(明治5)年、国家が出家者の「肉食・妻帯」を許可した(太政官布告)ので、出家者は家族をもつことになった。国家が出家者の妻帯に口出すことは許されないし、出家者は自らが決断すべきだったと思う。
教団のジェンダー差別
一方1873(明治6)年、国家は寺請制度を廃止したが、檀家制度が残ったので、個人で信仰を選ぶ人はごく少数であった。民法は祭祀権(過去帳・仏壇・位牌・墓)を家長が承継することを制定した。国家の支柱となる家制度は、祖先崇拝・供養というかたちで家父長制を補完した。
戦後、家制度はなくなったが、檀家制度は残った。また、妻帯仏教は現在もそのままである。
檀家制度が現存する社会は、家制度的なものを残す。そうした社会はジェンダー平等ではない。仏教教団の男性中心主義、性別役割分業、世襲制はいまだ強固である。例えば、わたしが生まれた浄土真宗本願寺派の寺の住職は男性8510人、女性415人(2023年)であり、女性住職は5%にも満たない。国会にあたる宗会の議員に女性はひとりもいない。8000人を超える男性住職と妻との関係は、性別役割分業が一般家庭よりも顕著である。本山の門主の妻を「裏方(うらかた)」「お裏さま」と呼ぶように、住職の妻のあり方は推して知るべしである。
仏教における女性差別(下)
わたしが信心(信仰)をもたないと決めたのは、大学院時代に出会った恩師の生き方をまねできなかったこととフェミニズムに出会い、生きるよりどころを見つけたからである。以後、日本の宗教への見方が変わった。
檀家制度と妻帯仏教
日本の仏教は長い歳月を経て、他国にはない大きな特徴をもった。近世につくられた檀家制度と近代国家が許可した出家者の妻帯である。
檀家制度は、幕藩体制下におけるキリシタン禁制を目的としてつくられた寺請(てらうけ)制度の延長線上にある。本山を頂点とするヒエラルキーをつくり、本山に末寺が所属し、末寺に檀家が所属する関係である。それまで信仰は個人の選択だったが、個人の意志が無視され、家の宗教と化した。檀家制度は幕府の庇護を受けるから、強固な身分制を補完した。各宗派の宗祖のラディカル性が削がれ、教団維持が目的となった。
檀家制度下で、仏教は被差別者の現世の苦しみは前世の報いであるとし、来世(死後)に救われて極楽浄土に生まれるには信仰が必要だという因果思想(業論(ごうろん))を説いた。被差別者のなかの女性には前世の結果、罪悪の身であり、さらに古代から続く血の穢れによって神仏を汚す身であることを仏教は教化した。最終的には信仰によって救われるが、その教えは差別される人たちに信仰をよりどころとすることを強制した。
1872(明治5)年、国家が出家者の「肉食・妻帯」を許可した(太政官布告)ので、出家者は家族をもつことになった。国家が出家者の妻帯に口出すことは許されないし、出家者は自らが決断すべきだったと思う。
教団のジェンダー差別
一方1873(明治6)年、国家は寺請制度を廃止したが、檀家制度が残ったので、個人で信仰を選ぶ人はごく少数であった。民法は祭祀権(過去帳・仏壇・位牌・墓)を家長が承継することを制定した。国家の支柱となる家制度は、祖先崇拝・供養というかたちで家父長制を補完した。
戦後、家制度はなくなったが、檀家制度は残った。また、妻帯仏教は現在もそのままである。
檀家制度が現存する社会は、家制度的なものを残す。そうした社会はジェンダー平等ではない。仏教教団の男性中心主義、性別役割分業、世襲制はいまだ強固である。例えば、わたしが生まれた浄土真宗本願寺派の寺の住職は男性8510人、女性415人(2023年)であり、女性住職は5%にも満たない。国会にあたる宗会の議員に女性はひとりもいない。8000人を超える男性住職と妻との関係は、性別役割分業が一般家庭よりも顕著である。本山の門主の妻を「裏方(うらかた)」「お裏さま」と呼ぶように、住職の妻のあり方は推して知るべしである。