自分らしいお葬式やお墓を考えましょう。

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「ふぇみん」の記事

2025-01-29 10:51:33 | 日記
「ふぇみん」の2回目の記事です。


仏教における女性差別(下)

 わたしが信心(信仰)をもたないと決めたのは、大学院時代に出会った恩師の生き方をまねできなかったこととフェミニズムに出会い、生きるよりどころを見つけたからである。以後、日本の宗教への見方が変わった。

檀家制度と妻帯仏教
 日本の仏教は長い歳月を経て、他国にはない大きな特徴をもった。近世につくられた檀家制度と近代国家が許可した出家者の妻帯である。
 檀家制度は、幕藩体制下におけるキリシタン禁制を目的としてつくられた寺請(てらうけ)制度の延長線上にある。本山を頂点とするヒエラルキーをつくり、本山に末寺が所属し、末寺に檀家が所属する関係である。それまで信仰は個人の選択だったが、個人の意志が無視され、家の宗教と化した。檀家制度は幕府の庇護を受けるから、強固な身分制を補完した。各宗派の宗祖のラディカル性が削がれ、教団維持が目的となった。  
 檀家制度下で、仏教は被差別者の現世の苦しみは前世の報いであるとし、来世(死後)に救われて極楽浄土に生まれるには信仰が必要だという因果思想(業論(ごうろん))を説いた。被差別者のなかの女性には前世の結果、罪悪の身であり、さらに古代から続く血の穢れによって神仏を汚す身であることを仏教は教化した。最終的には信仰によって救われるが、その教えは差別される人たちに信仰をよりどころとすることを強制した。
 1872(明治5)年、国家が出家者の「肉食・妻帯」を許可した(太政官布告)ので、出家者は家族をもつことになった。国家が出家者の妻帯に口出すことは許されないし、出家者は自らが決断すべきだったと思う。

教団のジェンダー差別
一方1873(明治6)年、国家は寺請制度を廃止したが、檀家制度が残ったので、個人で信仰を選ぶ人はごく少数であった。民法は祭祀権(過去帳・仏壇・位牌・墓)を家長が承継することを制定した。国家の支柱となる家制度は、祖先崇拝・供養というかたちで家父長制を補完した。
 戦後、家制度はなくなったが、檀家制度は残った。また、妻帯仏教は現在もそのままである。
 檀家制度が現存する社会は、家制度的なものを残す。そうした社会はジェンダー平等ではない。仏教教団の男性中心主義、性別役割分業、世襲制はいまだ強固である。例えば、わたしが生まれた浄土真宗本願寺派の寺の住職は男性8510人、女性415人(2023年)であり、女性住職は5%にも満たない。国会にあたる宗会の議員に女性はひとりもいない。8000人を超える男性住職と妻との関係は、性別役割分業が一般家庭よりも顕著である。本山の門主の妻を「裏方(うらかた)」「お裏さま」と呼ぶように、住職の妻のあり方は推して知るべしである。
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ジェンダーと葬送

2024-12-28 17:32:52 | 日記
 「ふぇみん」から「ジェンダーと葬送」の内容で原稿を頼まれ、編集者の清水さんと相談しながら、月1回4回を書くことになりました。
 第1回目の9原稿が12月に載りました。
 小見出しは清水さんがつけてくださいました。


ジェンダーと葬送
第1回目「仏教における女性差別(上)

 今年4月、『「遺骨を拾わない・お墓をつくらない」葬送を考える』(同時代社)を上梓した。タイトル通り、「遺骨を拾わない」を実践し、当然お墓をつくらなかったことを書いた。遺骨の人はわたしが心から大切に思っていたつれあいである。
 
収骨と痛みは別
 わたしが遺骨に関心をもったのは、寺に生まれたからである。家族の会話に「死」がタブーではなく、本堂の横には墓があり、土葬があたりまえの子ども時代だった。
 38年前父の葬儀の後の収骨のとき、部分収骨の残りがどうなるかを焼き場の人に尋ねた。「粉にして果樹園の肥料になる」という答えに、わたしは「すべてが肥料になってもよい」と強く思った。そして仏教を学び、親鸞の思想に傾倒したわたしは、親鸞の「死後賀茂河に遺体を流して魚の餌にしてほしい」という遺体観は収骨しないことに通じると共感した。
 四半世紀をともに暮らしたつれあいも同じ考えだったので、どちらが先に逝っても収骨しないことを決めた。2016年、わたしが彼を見送った。ただ、わたしにとって収骨しないことと彼を悼む思いは別ものであり、今もなお彼への喪失感は大きい。
 
女性差別を知り衝撃
 現在も親鸞の思想に共感するが、仏教を勉強するなかで、女性差別の文言に出会った。「女人五障(にょにんごしょう)」と「変成(へんじょう)男子(なんし)」である。女人五障とは、女性は梵天(ぼんてん)王(おう)・帝釈天(たいしゃくてん)・魔王(まおう)・転(てん)輪(りん)聖(じょう)王(おう)・仏になれないという意味である。仏になれないのは仏教の根本を揺るがし、衝撃を受けた。変成男子とは、女性は男性に変わって成仏するという意味である。女人五障の解決策とも考えられるが、なぜ女性が男性に変わらねばならないのか納得がいかなかった。
わたしはそこから仏教における女性差別の問題を研究する道を選んだ。仏教の教えは、人間の苦悩(生老病死苦・愛(あい)別離(べつり)苦(く)・怨憎(おんぞう)会苦(えく)・求(ぐ)不得(ふとく)苦(く)・五縕(ごうん)盛(じょう)苦(く))を解放し悟りを開く教えなので、人生そのものを教える。だれでもが悟りを開くことができ、わたしはそれを信じた。
 さとりを開いたブッダは何も書き残さなかった。ブッダの死後、弟子がつくった経典には、男性中心の考えが散見する。わたしが仏教の教えを信じて生きることを諦めた理由のひとつが、女性差別を含む宗教だからである。
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今月の記事

2024-11-28 17:17:06 | 日記
1ヶ月が過ぎる早さに驚いています。これは今に始まったことではありませんが、年々時の過ぎるのが早く感じられ、1年が早く終わってしまいます。
このブログもしばらく休んだように、そんなに記すことがありません。
今月も何もありませんでした。
来月から月1回で4ヶ月の連載が始まります。すでに第1回目の原稿は送りました。
来月からはこの原稿のことを記すことができます。
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『「遺骨を拾わない・お墓をつくらない」葬送を考える』

2024-10-28 08:40:39 | 日記
 10月に『「遺骨を拾わない・お墓をつくらない」葬送を考える』の内容で、日本女性学研究会が講座を開催してもらえました。友人の小川真知子さんが声を挙げてくれたので、できた講座です。
 講座の報告を話し手のわたしが頼まれて、日本女性学研究会のニュースレターに書きました。その文章を下記に記します。


10月例会報告                                                  源 淳子                 

 10月13日(日)に行われた10月例会のテーマは、「自分らしい週末と葬送を考える」だった。この会は私が問題提起者だったが、その提起者自身が報告をするのは何とも書きにくいのだが、ご容赦ください。
 私は、この4月、『「遺骨を拾わない・お墓をつくらない」葬送を考える』(同時代社)を上梓した。この本を読んで関心をもった友人の小川真知子さんが、今回の例会の企画をしてくれた。
 当日はドーンセンターの会場とオンラインをむすんで開催された。会場の参加者16人、オンラインの参加者7人(会員外計7人)だった。
 司会の小川さんから会の進め方や注意等があり、私は自己紹介から始めた。この自己紹介が長くなってしまった。私が島根県奥出雲の小さい寺に生まれたことから話さないと、なぜ私が「死」や「死後」の問題に早くから関心をもったかということがわかりにくいと思ったからである。死後の問題として、遺骨にも関心があった。
 今から38年前、父の遺骨を拾ったとき、拾わず残った遺骨がどうなるかを業者に尋ねたところ、「粉にして果樹園の肥料になる」という答えだった。このとき、すべての遺骨が肥料になってもかまわない、と強く思ったのある。その業者の回答は、遺骨の具体的なことを考えるきっかけになった。ちなみに現在は遺骨を肥料にしておらず、各自治体で決めた場所に集める方法である。
 その後、親鸞を研究するなかで、親鸞が「死んだら遺体を賀茂河に流し魚の餌にしてほしい」といったことばに触発され、親鸞の遺体観から私の遺骨を拾ってもらわなくてもよいという考えに至った。
 そして、つれあいと生活をともにしたなかで彼の考えも同じだったので、どちらが先に逝ってもお互いの遺骨を拾わない、と二人で決めた。しかし、現実には遺骨を拾わない人はほとんどおらず、彼が死んだ後、葬儀社はこのことをなかなか理解してくれなかった。ていねいに説明をしてようやく了解してもらい、私は彼の遺骨を拾わないことができた。
 「遺骨を拾わない」ということは墓をつくらないことであり、その管理から解放され、墓の悩みをもたないで生きることである。それは、墓についての悩みをもっている多くの人にとっても好都合ではないかと考え、本のかたちにしたのである。
 私にとって大事な人の悼み方は遺骨を大切にするのではなく、生きていたときの彼を愛しく大事に思うことである。だから、大切な人を喪うことは大きな喪失感になり、なかなか立ち直れないのである。そこに、亡くなった人が霊魂としてつながりがあると思いたい気持ちが生まれ、霊魂があると信じる人が、日本では60%もいるのである(1981年)。仏教は霊魂があるといわないので、彼の霊魂があるなんて兎の毛羊の毛ほども私は信じていない。日本の仏教は、霊魂の存在を肯定してきた。
 以上が自己紹介である。
 葬送が現在のかたちになるまでの歴史は、近代から始めた。家制度ができる近代天皇制国家は、天皇の万世一系を重んじるためには家族の祖先が大事であるから祖先崇拝を重視した。そのため民法で「祭祀権」を定めた。「系譜、祭具及ヒ墳墓ノ所有権ヲ承継スルハ家督相続ノ特権ニ属ス」(987条)。系譜とは過去帳、家系図をあらわし、祭具は仏壇、位牌である。墳墓は「〇〇家之墓」「先祖代々之墓」と刻まれた墓を示す。祭祀権はほとんどが財産の相続者である長男が受け継ぎ、家制度を補完した。
 そして近代における戦争は、国家のために戦死した人を「英霊」として靖国神社に祀った。白木の箱に入った遺骨が自宅に還ってくるとして、遺骨は大切なものという意味が付加された。実際には石ころが入っていたり、何も入っていなかったそうだが、遺骨の意味が重視されたことは間違いない。石ころでも、何もなくても、墓に納め、墓参りをしてきた。
 戦後、家制度はなくなったが檀家制度は残り、葬送のかたちも戦前が引き継がれた。これに大きな変化をもたらしたのは葬儀社の出現であり、地域共同体で行っていた葬儀が葬儀社主導に変わったことである。そしてもう一つの大きな変化は、コロナ禍での変化である。一般葬から家族葬への移行である。葬儀のありようを個人が反省した上での変革ではなく、外部からの力による変化である。現在家族葬が半数以上を占め、テレビコマーシャルも家族葬の宣伝しかしていない。家族葬に伴い、葬儀費用も一般葬があたりまえだった時代からみると大きく減少した。
 しかし一方、遺骨を納める墓の事情には大きな変化はみられない。納骨堂やその種類はさまざまなかたちをとるようになったが、墓についての悩みは多くの人が抱えている。その悩みは、「お墓参りができない」「管理する後継者がいない」「墓じまいをしたいけど、どうしてよいか分からない」など、多種にわたる悩みである。
 そういう悩みは、結局は遺骨に束縛され、墓にも束縛されているからである。結論として墓からの解放は、「遺骨を拾わないこと」である。その前に、「遺骨とは何か」を考える必要がある。遺骨について考えることをしてこなかったので、遺骨は拾うものという慣習が今なお根強く根底に残っている。私は、遺骨や墓に縛られない人生があることを提起したかったのである。
 
 以上のような私の問題提起が終わり、30分の小グループでの話し合いが行われた。その後のグループ発表で、多くの質問があった。私が印象に残った質問を挙げてみよう。
 ▼墓じまいをして寺と縁を切るにはどうしたらよいか? 
▼霊魂の有無について知りたい(ただし、「水子霊」「英霊」「祖先の霊」などは否定)。
▼親鸞は祖先供養をしない、という意味を教えてほしい。 
▼葬儀にかかわる仕事が貶められている。死と穢れの関係とは? 
▼仏壇・位牌の意味とは? 
▼土葬の許可の問題について。 
▼遺骨の意味は何? ・・・など。

 ほとんどの答えは、本に書いているので本を読んでいただきたい。

 各グループの感想も、こうした死後の問題を前向きに考えてみようとする内容であり、発題者としての私はホッとしたし、意義ある集会だったと了解した。
参加者のみなさま、スタッフのみなさま、お疲れさまでした。そして、ほんとうにありがとうございました。
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本の書評

2024-09-28 08:04:40 | 日記
『「「遺骨を拾わない・お墓をつくらない」葬送を考え得』の書評が、佛教タイムスに載りました。知り合いの編集者が書いてくださったと思い、読み終えてすぐにお礼の電話をしました。内容に喜んだからです。わたしの知り合いが書いたのではなく、京都支局の人が書いたとのこと、その人をわたしは知らないので、お礼を伝えてほしいとお願いして、電話を切りました。
新聞に載っていることが分かったとき、すごい悪口は書いていないだろうと予想しながら読みました。それでも、嫌われてきたわたしは怖かったのです。読み終えて、ほんとうにうれしかったです。悪口が書いてなかったし、すばらしく気に入るように書いてあったからです。
その文章を貼りつけます。

それにしても、仏教界から嫌われているわたしは、先日もそのことが明らかになりました。
「大峰山女人禁制」の開放を求める会で、比叡山のフィールドワークに、29日に行きます。女人禁制を解いた比叡山の結界石があった場所を見学するフィールドワークです。
コロナ前、高野山に行き、担当の知り合いの方がていねいに説明してくださったので、比叡山でもそれをしてほしかったので、高野山の人に紹介してもらった人にお願いの電話をしました。返事が1ヶ月もなく、しびれを切らしてこちらから電話したところ、「女人禁制」のことをしている担当者がいないという理由で断られました。そんなことはないと思いましたが、断られたことは事実なので、女人禁制の結界石の写真を集めてきた木津譲さんとわたしで説明することにしました。
今月23日に下見に行ったときに、ある人から比叡山の本心を聞きました。「源淳子からの依頼はすべて断る」というお触れが宗務庁にまわったそうです。すでに「女人禁制」を解いているから何ともないと思いましたが、今問題になっている比叡山の性暴力問題の質問もされたら困るという本音があったそうです。
ほんとうに嫌われたものです。

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「佛教タイムス」の書評

著者は浄土真宗本願寺派寺院に生まれた仏教学者で親鸞を深く尊敬する。しかし現在の本願寺教団や檀家制度、形骸化した葬送習俗にはきわめて批判的である。「遺体は鴨川に捨てて魚の餌にしなさい」と言った親鸞にならい、己の墓は不要、火葬後の遺骨を一切拾わなくていいという選択をした。実際にパートナーの遺骨を拾わなかった。そのいきさつは不思議にも胸を打つ。
遺骨に過度に意味を求めることは、墓への執着につながり、少なくない現代人にとってそれらは「束縛」になるのではないかと著者は考え、遺骨がなくても故人を偲べることを実践した。他人任せの葬儀ではなく、マンションの集会室や男女共同参画センターで無宗教でのお別れの会を手作りすることも提言。
離檀や戒名についても検討を解くなど、寺院関係者が読むと緊張するかもしれないが、寺院生まれならではの思索と自己に偽りのないエンディングの希求で書かれた思いに圧倒されるのは間違いない。 (四六判・164頁・価1540円)


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