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母の入所

2020-09-14 10:55:32 | 日記
 8月半ばに母の入所ができるという連絡を受け取りました。
 昨年12月頃から母へ暴言がきつくなっていました。虐待をする自分に落ち込み、母の態度も変化し、丁寧語で話すようになりました。
 本の最後の仕上げの段階に入り、急がないと、2月の出版に間に合わないことがわかっていました。少しだけ新たに原稿をけ加えるつことと校正の段階です。校正の大変さは責任の問題もあり、何度読んでも間違いに気がつくものです。細心の注意が必要です。
 暴言はだんだんひどくなり、こんなことをいうかと思うほどの暴言になり、自分が一番驚き、落ち込みました。一度だけ手が出てしまいました。ウンチを失敗した母にでをあげてしまったのです。自分で片付けようとする母に「何もしないで待っていて」といったのに、自分で片付けようとして、さらに周りや自分を汚していたからです。全部をきれいにしてから、手が出てしまったわたしに落ち込みました。虐待を勉強してきたのに、加害者になってはいけないことを人にいってきたのに、そのことをやってしまったわたし。どうしようもないわたしをどうしたらよいかを考えました。これまで学んできたことです。被害者を加害者から引き離すことです。入所を真剣に考えました。ケアマネさんに正直にお願いしました。しかし、入所待ちは何の返事もなかったのです。わたしの住んでいる街の施設は何人も待っていることがわかっていましたが、99歳の母を73歳のわたしが看ている老老介護の実態は、ある意味悲惨です。わたしに子どもがいたら、助けてくれる人がいたら別かもしれませんが、一手にわたしひとりにかかっているのです。
 7月のある日、住職をしている女性の友人が西本願寺が創った「ビハーラ本願寺」の話をしてくれました。緩和ケアの施設であることは知っていましたが、得熱養護老人ホームがあることは知りませんでした。すぐに連絡し、相談に乗ってもらい、申込みをしました。もともと、母のような坊守をした人、住職だった人のために創られたそうですが、そういう人はひとりもいないとのことでした。感触として優先してもらえるかもしれないと思いました。8月半ばの返事は、きっと優先してもらったと思います。
 8月28日に入所を決めてから、わたしの虐待はなくなりました。期限が決まったら、イライラ感がなくなったのです。
 母の最後の住処は、母にとっても、わたしたちにとってもよい場所でした。実際入所の日に看護師、ケアマネ、スタッフ、事務の人など多くの人に会いましたが、だれひとり嫌な人はいませんでしたし、施設そのものが広々としていて、何よりも阿弥陀仏が安置され、母がお念仏を称える姿に安心感がもてました。
 わたしの責任がいちおうは田沙汰のです。虐待を続けることから解放されました。わたしに対しても安心感をもつことができました。
コメント
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