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エッセイ

2022-09-20 08:13:43 | 日記
久しぶりにブログに向かいました。ブログに書くことをしんどいと思ってしまいました。わたしには向いていないのかも知れません。
ブログではないものは書いてきましたので、それを載せていきたいの広報誌に載せるために依頼された原稿です。の広報誌に載せるために依頼された原稿です。



宗教とジェンダー
  
 今年の一大事件に挙げられるのは、7月8日の安倍晋三元首相の銃撃殺害事件です。事件がおこったのが、わたしが住んでいる木津川市に隣接する奈良市であり、近鉄大和西大寺駅はよく利用する駅なので、その衝撃は大きかったです。お昼近く、ニュースを観ようとつけたテレビの前からしばらくは離れることができませんでした。
 事件をおこした山上徹也容疑者の供述によると、彼の母親が「世界平和統一家庭連合」(以下「旧統一教会」)にのめり込み、家庭が崩壊した恨みを、旧統一教会と関係が深いとみた安倍元首相をねらったということになっています。その後、事態は一気に旧統一教会と政治家との関係の問題に展開しました。
 政治と宗教の問題は、日本国憲法に則らなければなりません。憲法は、政教分離と信教の自由を守るためにあります。しかし、宗教は公共空間における役割(宗教団体が政治に格差の是正を求めたり、核廃絶を求めることなど)は認められています。しかし今回、政治家との関係は、政治家に有利に働くと指摘されており、あってはならないことです。ただ、この問題はマスコミで取り上げられるので、わたしはこの紙面を借りて、宗教とジェンダーの問題を論じたいと思います。

 容疑者の母親がのめり込んだ旧統一教会はカルト宗教であり、そうした宗教の信者になる原因は、近代以降、「貧・病・争」といわれてきました。「争」とは家庭内の不和をいいますが、親子や夫婦関係だけではなく、仕事や地域でうまくいかない問題も含みます。そうした問題を抱え、相談できる相手もいなくて孤独で不安な状況になったとき、そこにつけ入る宗教があり、少なくない人たちがそういう宗教に入信しています。
 「貧・病・争」の状況は現代にも通じています。近代とまったく同じだとはいえませんが、現代も「取り残されてしまい孤独な状況」「寄る辺のなさ」をつくっている社会であることは確かです。人間の悩みは時代や社会を超えて、いつの世でもなくなることはありません。現代のわたしたちは、コロナ禍という新しい状況におかれています。人間関係がむずかしいし、孤独な状況下に追い込まれやすい社会だといえるでしょう。
 こうした状況下で、カルト宗教にのめり込まない道を見いだしていかねばなりません。その道をみつけることは困難ですが、かならずあると思います。

 ところで、日本人の宗教観は、無信仰といいながら、イベントに宗教性が濃厚であってもあたりまえに参加するという特徴をもっています。例えば、七五三や厄払いは神道で、結婚式はキリスト教で、葬儀は仏教で行うことにも抵抗がありません。それは、日本人の宗教人口に如実に表れています。日本人の宗教人口は、総数183,107,772人(神道系48.6%、仏教系46.3%、キリスト教系1.0%、諸教4.0%)(『宗教年鑑』2020年版)となっており、総人口126,220,000人を超えています。
 
 上記の宗教事情をあたりまえにすることが、何を意味するかを考えたいです。結論を先取りすれば、「個」の確立をもてない状況をつくっていることになります。そして、そのような状況では、悩みを抱えながら「孤独な状況」や「寄る辺のなさ」に陥ったとき、救いの手を差し伸べられた宗教に安易にはまっていくことが予想されます。その上、そうした宗教の特徴は、反ジェンダー(反フェミニズム)、ナショナリズム、暴力主義、民族主義、血統主義、家父長制、反性的マイノリティ主義、非科学的世界観などに基づき、一言でいうなら、反人権思想そのものといえます。
 「社会に存在する差別をなくす」とか「弱者に寄り添う」といった思想や考え方をもちません。「孤独な状況」や「寄る辺のなさ」の原因を個人や先祖の責任にし、社会の問題にしないのです。孤独な状況から抜け出せるような甘い勧誘に引きずり込もうとするのです。孤独な人は、話を聞いてくれる人の態度に居心地のよさを感じるはずです。

 フェミニズムは、女性差別を解消する理論・運動であり、ジェンダー平等を求めます。日本は、ジェンダーギャップ指数が146カ国中116位(2022年度)であり、女性差別の解消が遅れています。女性差別の定義は、「女性差別撤廃条約」(1979年、1985年日本は批准)の第1条に、「性に基づく区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう」と謳われています。
 ジェンダーギャップ指数が示す低さは、「区別、排除、制限」である女性差別を検証すれば分かります。「区別」は男女の違いからおこる性別役割分業を女性差別と捉えます。「排除」は、大相撲の土俵の上に上がれない、「大峰山」(奈良県)に登れないといった「女人禁制」に代表されます。「制限」は、今日あまりみられなくなりましたが、2018年に発覚した東京医科大学の女性受験者の入学人数を制限していた事件などがあてはまります。
 性別役割分業は身近であり、あらゆる分野に浸透しているので、重大な女性差別です。日本の性別役割分業の強固さがジェンダーギャップ指数を低位にしています。
 フェミニズムは4つの自立を主張しました。経済的自立、生活的自立、精神的自立(社会に差別があることを認識し、それをなくすための行動をおこす)、性的自立です。フェミニズムは、4つの自立のいずれかができない状況の人は、支援を受けることをあたりまえと考えます。わたしがフェミニズムに出逢ったとき専業主婦だったので、「生活的自立」は完璧にできていましたが、あとはおぼつかない状況でした。「経済的自立」がもっともできておらず、性別役割分業そのものを生きていました。4つの自立のむずかしさを感じます。

 わたしは、宗教を専門にしているので、今回の安倍殺害事件の背景にある容疑者の母親が旧統一教会にのめり込んだことを重要な課題と思えました。日本人の宗教観と重なるし、自立の問題とも重なります。フェミニズムが主張した「精神的自立」は、社会を見極める力だと思いますが、宗教を見極める力にも通じます。自立にちなんで、わたしの造語ですが、「宗教的自立」を提起したいと思います。つまり、「個」の確立をめざすことが重要なのです。宗教的自立とは、信仰(信心)をもつにしろもたないにしろ、宗教を見極める力をもつことです。その宗教が、人権思想に基づいているかどうかを見極める力です。
 宗教を見極める力をもつことは、ジェンダー平等を求めることにつながります。のめり込んでいく宗教が反フェミニズムであり、反宗教的自立を含めてフェミニズムが主張した4つの自立に反することが分かります。それは、「個」の確立を阻むものです。

 では、「個」の確立と自立した生き方を求めるには、どうすればよいのでしょうか。
 わたしは、小さな読書会をしています。ひとりでは生きられない社会で、ジェンダーの問題を語れる仲間が集まっています。わたしは、この仲間にわたしの悩みを聞いてもらったり、哀しみを癒やしてもらったり、どれだけ助けてもらったことでしょう。そして、社会のおかしさを怒りながら語り合えます。
 こういう小さな輪があちこちにできることが、孤独にしない社会をつくることにつながっていくのではないでしょうか。そうした輪は、少人数でかまわないと思います。人権思想、ジェンダーの視点をもつ人の輪がつくられていくことを期待したいし、望みたいです。
 

コメント
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