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日本の仏教とジェンダー 1

2022-10-28 09:07:24 | 日記
2年前に依頼された原稿ができあがりました。
英訳される原稿です。公になるのはまだ先のことですし、読むのは大変だと思います。日本語で書いた原稿を読んでもらえないです。ということで部録に載せることにしました。
20000字前後の依頼だったので、一度に全部を載せるのは読むのが大変だと思い、項目ごとに載せていきます。
第1回目は、「はじめに」です。

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日本の仏教とジェンダー
 ―ジェンダー不平等な家制度的なものに支えられる日本の仏教

                             源 淳子
はじめに
 日本で新型コロナウィルスの報道が始まったのは、2019年12月31日からである。その後、2020年1月から報道の量が多くなる。クルーズ船から感染者が出たこと、同年2月にクルーズ船から乗客が横浜港で下船できなかったこと、その後下船した乗客から感染者が出たこと、店頭にマスクがなくなったことなどが報道された。国内初の感染者は1月16日の発表だった。
 それ以後、感染者は増えたが、もっとも衝撃的なニュースであり、連日その報道が繰り返されたのは、日本のコメディアンを代表する志村けんさんの新型コロナウィルスによる死亡だった。3月29日のことである。その衝撃の理由は、彼が有名な現役の芸人であり、70歳という年齢もさることながら、彼の死の直前も直後も身近な人が傍らにいることを許されなかったことである。コロナで亡くなる人の前後の状況が一変した。入院先の病院へ見舞うこともできない、遺体に触れることさえ許されなかった。荼毘に付すとき、棺に記念のものを入れるとか花を添えることも許されず、火葬場にも参列できず、親族は遺骨を受け取るだけだった。それも直接の手渡しではないことも衝撃的だった。彼の死は、日本中の人々に新型コロナウィルスによる死がそれまでの死とは異なることを知らせた。
 新型コロナウィルスによる死は、その前後の状況を一変させた。それとともに、新型コロナウィルス患者への差別が顕わになり、「感染する」ことが差別を生み出した。感染者となった人が自死したり、住む場所を追われたりした。
 また、新型コロナウィルスによって葬儀のかたちが変化し、密を避けるため多くの人の参列が不可能になった。志村けんさんの葬儀が身内だけで行われたことは考えられなかった。しかし、新型コロナウィルスそのものが個々人にとって身近なものにはならなかった。東村山市出身の彼の生地には、毎日献花が途切れなかったが、自分ごとではなかった。それは、志村けんさんが遠いテレビの側の人だからだ。
コロナ感染が自分ごととして受け取られるようになるのは、4回目のワクチンを打つ時期になった2022年6月以降と考えてよいだろう。身近な人が感染するようになってきたからである。 
 コロナの影響で、自宅、病院、介護施設などのどこで亡くなっても、また、コロナ感染の死ではなくても、葬儀のかたちは大幅に変わった。日本人の葬儀の多くを担ってきた仏教の儀礼のあり方にも変化がみられた。コロナ感染での死では死者から感染しないことが分かっても、葬儀の参列者は火葬場への参列の人数も制限された。なかには通夜をしないで一日葬とするケースも出てきた。葬儀社のコマーシャルも変わった。「小さなお葬式」「寄り添うお葬式」の文言が流されるようになった。
 変わっていないのは、葬儀社が葬儀を仕切り、僧侶が読経する形式である。仏教が「葬式仏教」といわれてきたかたちは、わたしが知る限りではそのままである。つまり、檀信徒が僧侶に依頼して行う葬儀であることは変わっていない。
 それは、日本にある檀家制度が変わらないことであり、その背景にある家制度的なものが変わっていないことを意味する。このことは、この論文の目的であるジェンダー平等を阻害している日本の仏教を論究することになると確信する。

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