自分らしいお葬式やお墓を考えましょう。

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遺骨の喉仏

2019-01-19 08:03:33 | 日記
 6年前に夫を亡くした友人が電話をかけてくれた。亡くなったときに遺骨を拾い、明くる年にお墓を建て、納骨していた。それで何も問題なく終わっていると思っていたが、喉仏だけが仏壇に置いてあるという。それを聞いたときに、変なことをするのだと思ったが、実家の四国でもそうしたと彼女が言うので、地域性かなと思っていた。
 彼女の息子さんは家制度を守っていこうとする考えで、いろいろな点でぶつかるが、その喉仏は彼女が亡くなったときにいっしょに納骨してもらったらいいと思っていたし、息子に伝えたという。しかし、それで納得する息子ではなかった。
 喉仏だけは本山か檀那寺に納骨堂をもってそこに納めるか、別に納骨するシステムになっているそうだ。わたしは初めて聞くことで、驚いた。分骨は知っているので、それとは違うという。「喉仏」だけをとっておき、別に納骨するのだという。
 いつからどの宗派でやっているのかも知らないし、彼女の家は浄土宗、彼女の四国の実家は浄土真宗だから、彼女はどこでもやっていることだと聞いているという。
 納骨するなら、一括してしたらよいと思うので、まったく納得がいかないが、納骨を受け入れる本山とか寺は、そのときまた、お布施をもらうことになる。
 事実、彼女はまたお金が必要だといい、今回は息子が出すことになっているので、文句はあるが、黙っているという。わたしに「いくらだと思う」と聞いてきた。予想もつかないが、適当に「20万円?」と答えた。「今回は思ったより安く5万円ですむ」との答えである。それでも出費は出費である。お寺ってお金が入るシステムをつくろうと思ったら、できるのだと、変に感心してしまった。

 納骨を一括しないシステムを少し調べようと思った。
 どうしても納得がいかないから・・・。
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エンバーミング

2019-01-09 09:42:36 | 日記
 先月急変して亡くなった友人の死に顔が頭から離れない。人形のように化粧された顔である。頭から離れないのは、やはり「異形」ということばが浮かんだからである。きれいすぎるし、同じ年なんてとうてい思えないし、あまりにも施されたという感が否めない。
 そこで浮かんだのが、「エンバーミング」である。
 エンバーミングとは遺体を腐食させないための防腐処置をいう。始まったのは、古代からという古い歴史をもつのだそうだ。つまり、ミイラがまさにその始まりである。
 しかし、現代のようなエンバーミングは1860年代のアメリカの南北戦争だという。当時の交通手段では、遺体を故郷まで移動することが不可能だったことから、一般的になったという。アメリカの遺体処理は今でも土葬であるから、さもありなんと思う。家族に遺体と対面させるのに、戦死という勲章ものであることと同時に「みられる顔」である必要があった。戦争がエンバーミングに大いに役割を果たしていることに驚くが、戦死という国家のために亡くなった兵士を敬い、国家が顕彰する意味があるわけだから、当然といえば当然だろう。
 その方法が日本の靖国神社であるのは、問題が大きいが、この話はまた別の機会にしたいと思う。

 友人の化粧も一種のエンバーミングだと思う。普通に我々が行う化粧とは明らかに異なっていた。ある友人がお母さんの死に顔に化粧しようと思ったが、ぜんぜん化粧品が皮膚にのらなかったといったので、死体となっている理由は、普通の化粧ではないということである。死んだ皮膚にのる化粧が「死に化粧」ということなのだ。
 この前も書いたが、男性にはそこまで化粧を施さないのだから、死に顔にもジェンダーがあることだ。「死に化粧」ということばも男性には使わないということになるだろう。

 再度、自分の死を考え、そこまでしてもらう必要もないし、何よりも多くの他人にみられたくないと思う。死んだ先のことを考えるという意味で、生前準備を本としたが、エンバーミングまでは思いが及ばなかった。また一つ、新たな生前準備が必要となった。私は弟と甥にしっかりいわねばならないし、二人だけがわたしの死に顔をみたらいいということだ。
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