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本の書評

2024-09-28 08:04:40 | 日記
『「「遺骨を拾わない・お墓をつくらない」葬送を考え得』の書評が、佛教タイムスに載りました。知り合いの編集者が書いてくださったと思い、読み終えてすぐにお礼の電話をしました。内容に喜んだからです。わたしの知り合いが書いたのではなく、京都支局の人が書いたとのこと、その人をわたしは知らないので、お礼を伝えてほしいとお願いして、電話を切りました。
新聞に載っていることが分かったとき、すごい悪口は書いていないだろうと予想しながら読みました。それでも、嫌われてきたわたしは怖かったのです。読み終えて、ほんとうにうれしかったです。悪口が書いてなかったし、すばらしく気に入るように書いてあったからです。
その文章を貼りつけます。

それにしても、仏教界から嫌われているわたしは、先日もそのことが明らかになりました。
「大峰山女人禁制」の開放を求める会で、比叡山のフィールドワークに、29日に行きます。女人禁制を解いた比叡山の結界石があった場所を見学するフィールドワークです。
コロナ前、高野山に行き、担当の知り合いの方がていねいに説明してくださったので、比叡山でもそれをしてほしかったので、高野山の人に紹介してもらった人にお願いの電話をしました。返事が1ヶ月もなく、しびれを切らしてこちらから電話したところ、「女人禁制」のことをしている担当者がいないという理由で断られました。そんなことはないと思いましたが、断られたことは事実なので、女人禁制の結界石の写真を集めてきた木津譲さんとわたしで説明することにしました。
今月23日に下見に行ったときに、ある人から比叡山の本心を聞きました。「源淳子からの依頼はすべて断る」というお触れが宗務庁にまわったそうです。すでに「女人禁制」を解いているから何ともないと思いましたが、今問題になっている比叡山の性暴力問題の質問もされたら困るという本音があったそうです。
ほんとうに嫌われたものです。

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「佛教タイムス」の書評

著者は浄土真宗本願寺派寺院に生まれた仏教学者で親鸞を深く尊敬する。しかし現在の本願寺教団や檀家制度、形骸化した葬送習俗にはきわめて批判的である。「遺体は鴨川に捨てて魚の餌にしなさい」と言った親鸞にならい、己の墓は不要、火葬後の遺骨を一切拾わなくていいという選択をした。実際にパートナーの遺骨を拾わなかった。そのいきさつは不思議にも胸を打つ。
遺骨に過度に意味を求めることは、墓への執着につながり、少なくない現代人にとってそれらは「束縛」になるのではないかと著者は考え、遺骨がなくても故人を偲べることを実践した。他人任せの葬儀ではなく、マンションの集会室や男女共同参画センターで無宗教でのお別れの会を手作りすることも提言。
離檀や戒名についても検討を解くなど、寺院関係者が読むと緊張するかもしれないが、寺院生まれならではの思索と自己に偽りのないエンディングの希求で書かれた思いに圧倒されるのは間違いない。 (四六判・164頁・価1540円)



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