先回で「仏教とジェンダー」が終わりました。
今回は、今年、関東の生協雑誌「のんびる」の原稿を頼まれて書いたものを載せます。
つれあいの遺骨を拾わなかったことは、編集者に衝撃だったようです。
わたしには「あたりまえ」になっているのですが、わたしの「あたりまえ」と多くの方の「あたりまえ」が違っています。
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自分らしい葬送―そうしき・おはかの「あたりまえ」をこえて
葬儀の不満はどこに?
読者のみなさまのなかに、葬儀に参列したことがないという方はいらっしゃいますか。いらっしゃらないのではないでしょうか。
では次に、これまでに参列したことのある葬儀で、「よかった」と心から(・・・)思える葬儀はありましたか。また、葬儀の主催者になり、「いい葬儀だった」と何一つ(・・・)不満をもたなかったことはありますか。
これまでわたしが聞いた限りでは、参列者として「よかった」という人はいましたが、それは、「シンプルだったから」という感想でした。主催者になった友人・知人のなかには「葬儀社にとられた」という人が多く、なかには「ぼったくられた」という人もいました。不満の原因の一番は、葬儀代です。それに戒名料の高さ、僧侶へのお布施など、結局はお金の問題です。なかには、香典の額の低さを指摘した人もいます。「このぐらいしか出さないのは・・・」と。人間の欲深さは計り知れないです。
その他の愚痴には、「親戚が金は出さないのに口を出してきた」「次から次へすることがあり、葬儀社のいいなりになった」「焼香の順番に不満があった」など、細かいところでも満足のいかない葬儀を体験されています。
では、不満や愚痴のない葬儀をするにはどうしたらよいでしょうか。また、わたしの葬送は自分ではできません。 わたしの死後をどうしたいのか、考えたことはありますか。そして、頼める人はいますか。
このような死後の問題を、わたしの体験を踏まえて、ごいっしょに考えたいと思います。
戦後のお葬式・お墓事情
戦前の家制度下の葬儀は、明治民法の「系譜、祭具及ヒ墳墓ノ所有権ヲ承継スルハ家督相続ノ特権ニ属ス」(第987条)に則り、祭祀権(さいしけん)として財産を相続する長男が行いました。系譜とは過去帳・家系図のことで、祭具とは仏壇・位牌をいい、墳墓とは「〇〇家之墓」「先祖代々之墓」と刻まれた墓を指します。
現在は遺骨を拾うこと があたりまえですが、その歴史はそんなに古くはありません。そもそも近代以前は土葬が主流でした。明治政府は土葬用墓地の不足、公衆衛生面から火葬を許可し、人口密集地域では土葬を禁止しました。日本の火葬率は1915年には36.2%でしたが、現在は99.99%です。
戦後、家制度はなくなりました。民法は「系譜、祭具および墳墓の所有権は、(中略)慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承継する」(第897条)に変わりましたが、戦前の慣習を引き継いだままでした。墓のかたちや銘文は大きく変わったものの、葬送のあり方は変わっていませんでした。
ところが現在では、コロナ禍により葬送のあり方がずいぶん変化しました。家族葬がほとんどになり、葬儀を行わず、病院や自宅や施設から火葬場へ直行する直葬も行われています。 葬儀代をはじめお金への不満も減っています。つまり、葬儀がシンプルになり、安価になったのです。葬儀社の広告も、「小さなお葬式」「寄り添うお葬式」と謳っています。
ただ変わらないのは、葬儀の実施と遺骨を拾うことです。遺骨は基本的には墓に納められますが、納骨堂、散骨、樹木墓地、宅墓などさまざまな収骨の方法が考案されています。
しかし、多くの人が墓の問題に直面しています。ひとことでいうと、墓の管理の問題です。「墓が遠くにあり墓参りができない」「継承者がいない」「子どもに継承させたくない」「新しい墓は高すぎる」など、悩みは尽きません。
自分らしい葬送をめざして
文句の出ない、愚痴をこぼさない葬送のあり方を考えてみましょう。
現在ほとんどの人は葬儀社の主導のもとで葬儀を行っています。それは、「自分らしくない」葬送のやり方です。民法の慣習に従っていては、自分らしさが出るわけがありません。
なぜでしょうか。
葬送のあり方、つまり葬儀や収骨のあり方など、大切な人を送ることについて、根本から考えてこなかったからだと思います。
わたしは島根県奥出雲町の小さな寺に生まれたこともあり、子どものころから葬送を身近にみてきました。住職の父は葬儀のあった夜にはいつもいろいろな話をしてくれました。それは、亡くなる人との関係によって哀しみにくれる人、淡々と準備をする人、ホッとする人など、実にいろいろです。子どもを亡くした人は遺体から離れようとせず自分も死んでしまいたいと号泣していたそうです。わたしは帰省した折り、本堂の裏にある墓で、わが子を亡くした若い母親のすすり泣く声を聞いたことがあります。彼女にとってなくてはならないお墓です。
そのような人々の姿を知ることで、 わたしは、生きているときの人間関係が大切なのだと学びました。死ぬこととは生きることを意味します。わたしは、自分の死後のことを30代後半ごろから考えていました。40代で父を亡くしたとき、初めて収骨をしました。一部分しか拾わないよう指示され、その通りにしましたが、残りの骨がどうなるかをその場で尋ねました。隣にいた母がわたしをたしなめましたが、わたしにとっては大きな疑問であり、どうしても尋ねないわけにはいかなかったのです。「粉にして果樹園の肥料にします」という焼き場の職員さんの答えは、「それはいい!! それなら全部が肥料になってもいい」と思ったことを鮮明に覚えています。
そして、つれあいと生活をともにするようになってから、お互いの死後の話をしてきました。ふたりとも直葬にすることで領解し、葬儀をしないと決めました。亡くなったあとに着るものも決めました。
わたしたちは親鸞の思想に共鳴していたので、親鸞が「死んだら加茂川の魚の餌にしてくれ」ということばを考えました。これは、親鸞の遺体観(遺骨観)を表しています。「遺体に意味があるなら、生きているもののためになる」ことであり、いのちは循環している意味です。遺骨は大切なものですが、別のいのちのために使われるなら、わが手に保管することはないと考えます。
ふたりとも親鸞の思想を実践したいと思い、どちらが先に逝っても、お互いの骨を拾わないと決めました。2016年、つれあいが亡くなり、わたしは彼の遺骨を拾いませんでした。収骨しないことは、法的にも問題はありません。
わたしたちが20年以上の時間をかけて話し合った結果、彼にとっては「彼らしい葬送」であり、わたしも「わたしらしい葬送」で彼を送りました。彼の墓も仏壇もありません。 しかし、大切な彼は、かたちではないものをわたしに遺し、今なおわたしのなかに生きています。
おわりに
葬儀のあり方、遺骨の意味などをわたしたち日本人は考えることをせず、「あたりまえ」に行われてきたやり方を継承してきました。身近な人の死は非日常的なことであり、めったに遭遇することではありません。しかし、葬送の体験をすれば、いろいろな問題を感じます。その問題を置き去りにしないで、自分の葬送のために根本からその意味を考え、自分にとって大切なものは何かを考えてみませんか。
根本から考えた上なら、まったくこれまでと同じにはならず、新たな気づきがあるかも知れません。例えば、葬儀社にまかすだけの葬儀はやめよう、亡くなったときに着たいのはあの花柄の着物、退職した日に着た背広など。また、僧侶が読む経典はどういう意味だろうという疑問もわいてくるかも知れません。
死にゆくこと、死後のことを考えることは生きることを考えることです。しかも自分ひとりで考えるのではなく、大切な関係の人とともに、元気なときから考えることが大事です。そのことはまた新たな人間関係を築いていくことになると思います。
今回は、今年、関東の生協雑誌「のんびる」の原稿を頼まれて書いたものを載せます。
つれあいの遺骨を拾わなかったことは、編集者に衝撃だったようです。
わたしには「あたりまえ」になっているのですが、わたしの「あたりまえ」と多くの方の「あたりまえ」が違っています。
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自分らしい葬送―そうしき・おはかの「あたりまえ」をこえて
葬儀の不満はどこに?
読者のみなさまのなかに、葬儀に参列したことがないという方はいらっしゃいますか。いらっしゃらないのではないでしょうか。
では次に、これまでに参列したことのある葬儀で、「よかった」と心から(・・・)思える葬儀はありましたか。また、葬儀の主催者になり、「いい葬儀だった」と何一つ(・・・)不満をもたなかったことはありますか。
これまでわたしが聞いた限りでは、参列者として「よかった」という人はいましたが、それは、「シンプルだったから」という感想でした。主催者になった友人・知人のなかには「葬儀社にとられた」という人が多く、なかには「ぼったくられた」という人もいました。不満の原因の一番は、葬儀代です。それに戒名料の高さ、僧侶へのお布施など、結局はお金の問題です。なかには、香典の額の低さを指摘した人もいます。「このぐらいしか出さないのは・・・」と。人間の欲深さは計り知れないです。
その他の愚痴には、「親戚が金は出さないのに口を出してきた」「次から次へすることがあり、葬儀社のいいなりになった」「焼香の順番に不満があった」など、細かいところでも満足のいかない葬儀を体験されています。
では、不満や愚痴のない葬儀をするにはどうしたらよいでしょうか。また、わたしの葬送は自分ではできません。 わたしの死後をどうしたいのか、考えたことはありますか。そして、頼める人はいますか。
このような死後の問題を、わたしの体験を踏まえて、ごいっしょに考えたいと思います。
戦後のお葬式・お墓事情
戦前の家制度下の葬儀は、明治民法の「系譜、祭具及ヒ墳墓ノ所有権ヲ承継スルハ家督相続ノ特権ニ属ス」(第987条)に則り、祭祀権(さいしけん)として財産を相続する長男が行いました。系譜とは過去帳・家系図のことで、祭具とは仏壇・位牌をいい、墳墓とは「〇〇家之墓」「先祖代々之墓」と刻まれた墓を指します。
現在は遺骨を拾うこと があたりまえですが、その歴史はそんなに古くはありません。そもそも近代以前は土葬が主流でした。明治政府は土葬用墓地の不足、公衆衛生面から火葬を許可し、人口密集地域では土葬を禁止しました。日本の火葬率は1915年には36.2%でしたが、現在は99.99%です。
戦後、家制度はなくなりました。民法は「系譜、祭具および墳墓の所有権は、(中略)慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承継する」(第897条)に変わりましたが、戦前の慣習を引き継いだままでした。墓のかたちや銘文は大きく変わったものの、葬送のあり方は変わっていませんでした。
ところが現在では、コロナ禍により葬送のあり方がずいぶん変化しました。家族葬がほとんどになり、葬儀を行わず、病院や自宅や施設から火葬場へ直行する直葬も行われています。 葬儀代をはじめお金への不満も減っています。つまり、葬儀がシンプルになり、安価になったのです。葬儀社の広告も、「小さなお葬式」「寄り添うお葬式」と謳っています。
ただ変わらないのは、葬儀の実施と遺骨を拾うことです。遺骨は基本的には墓に納められますが、納骨堂、散骨、樹木墓地、宅墓などさまざまな収骨の方法が考案されています。
しかし、多くの人が墓の問題に直面しています。ひとことでいうと、墓の管理の問題です。「墓が遠くにあり墓参りができない」「継承者がいない」「子どもに継承させたくない」「新しい墓は高すぎる」など、悩みは尽きません。
自分らしい葬送をめざして
文句の出ない、愚痴をこぼさない葬送のあり方を考えてみましょう。
現在ほとんどの人は葬儀社の主導のもとで葬儀を行っています。それは、「自分らしくない」葬送のやり方です。民法の慣習に従っていては、自分らしさが出るわけがありません。
なぜでしょうか。
葬送のあり方、つまり葬儀や収骨のあり方など、大切な人を送ることについて、根本から考えてこなかったからだと思います。
わたしは島根県奥出雲町の小さな寺に生まれたこともあり、子どものころから葬送を身近にみてきました。住職の父は葬儀のあった夜にはいつもいろいろな話をしてくれました。それは、亡くなる人との関係によって哀しみにくれる人、淡々と準備をする人、ホッとする人など、実にいろいろです。子どもを亡くした人は遺体から離れようとせず自分も死んでしまいたいと号泣していたそうです。わたしは帰省した折り、本堂の裏にある墓で、わが子を亡くした若い母親のすすり泣く声を聞いたことがあります。彼女にとってなくてはならないお墓です。
そのような人々の姿を知ることで、 わたしは、生きているときの人間関係が大切なのだと学びました。死ぬこととは生きることを意味します。わたしは、自分の死後のことを30代後半ごろから考えていました。40代で父を亡くしたとき、初めて収骨をしました。一部分しか拾わないよう指示され、その通りにしましたが、残りの骨がどうなるかをその場で尋ねました。隣にいた母がわたしをたしなめましたが、わたしにとっては大きな疑問であり、どうしても尋ねないわけにはいかなかったのです。「粉にして果樹園の肥料にします」という焼き場の職員さんの答えは、「それはいい!! それなら全部が肥料になってもいい」と思ったことを鮮明に覚えています。
そして、つれあいと生活をともにするようになってから、お互いの死後の話をしてきました。ふたりとも直葬にすることで領解し、葬儀をしないと決めました。亡くなったあとに着るものも決めました。
わたしたちは親鸞の思想に共鳴していたので、親鸞が「死んだら加茂川の魚の餌にしてくれ」ということばを考えました。これは、親鸞の遺体観(遺骨観)を表しています。「遺体に意味があるなら、生きているもののためになる」ことであり、いのちは循環している意味です。遺骨は大切なものですが、別のいのちのために使われるなら、わが手に保管することはないと考えます。
ふたりとも親鸞の思想を実践したいと思い、どちらが先に逝っても、お互いの骨を拾わないと決めました。2016年、つれあいが亡くなり、わたしは彼の遺骨を拾いませんでした。収骨しないことは、法的にも問題はありません。
わたしたちが20年以上の時間をかけて話し合った結果、彼にとっては「彼らしい葬送」であり、わたしも「わたしらしい葬送」で彼を送りました。彼の墓も仏壇もありません。 しかし、大切な彼は、かたちではないものをわたしに遺し、今なおわたしのなかに生きています。
おわりに
葬儀のあり方、遺骨の意味などをわたしたち日本人は考えることをせず、「あたりまえ」に行われてきたやり方を継承してきました。身近な人の死は非日常的なことであり、めったに遭遇することではありません。しかし、葬送の体験をすれば、いろいろな問題を感じます。その問題を置き去りにしないで、自分の葬送のために根本からその意味を考え、自分にとって大切なものは何かを考えてみませんか。
根本から考えた上なら、まったくこれまでと同じにはならず、新たな気づきがあるかも知れません。例えば、葬儀社にまかすだけの葬儀はやめよう、亡くなったときに着たいのはあの花柄の着物、退職した日に着た背広など。また、僧侶が読む経典はどういう意味だろうという疑問もわいてくるかも知れません。
死にゆくこと、死後のことを考えることは生きることを考えることです。しかも自分ひとりで考えるのではなく、大切な関係の人とともに、元気なときから考えることが大事です。そのことはまた新たな人間関係を築いていくことになると思います。