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自分らしいお葬式やお墓を考えましょう。

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業論

2019-03-24 08:21:12 | 日記
 この前の続きになりますが、「業論」の悪いところは、祟り信仰につながるからです。現世利益(げんぜりやく)信仰といってもいいです。この世において、いい結果を得たいという信仰です。多かれ少なかれ、すべての人が幸せにこの世を暮らしたいと願っています。わたしも例外ではありません。幸せの内容が人それぞれ違いがあるでしょう。しかし、その違いはあっても、それを追究する姿勢には、これまた違いが出てきます。
 現世利益信仰とは、その人が考える幸せを求めるのを自己の力にも頼るのでしょうが、カミに頼ることなのです。日本の宗教が流行るのは、そういう人が多い証だと思います。例えば、受験です。合格したいとどの人も思っているから、受験勉強という、くだらないと思っていてもやるのですが、わたしのまわりで聞いた話で驚いたのは、大阪府や兵庫県の人が、京都の北野天満宮まで行ったというのです。「受験生はお参りするもの」のという慣習をあたりまえとしているからだと思います。自分から行ったという人もおれば、親が行けといったからという人もいます。学校で習うことではありません。どこまで信じているのかは、本人もあやふやです。だけど、ここが肝心なのですが、「お参りしたから、何となく安心」という感覚があったそうです。合格する保証とかは思わないというのです。でも「安心感」はあるのです。学問の神という天満宮が栄えるわけです。「安心感」を買いに行くのです。

 そういうしきたりや慣習となっているカミ信仰をあたりまえにしていることを、完全に否定した人がいます。親鸞です。「神祇不拝」という思想です。
 子どものころは、父が押しつける「神社の祭りに行ってはいけない」「ひな祭りはしない」「七夕はしない」「厄よけなんてとんでもない」などのカミにかかわることを一切しないことに情けない思いをしたものです。友だちが神社の祭りに行くのを恨めしく思ったものです。
 しかし、親鸞の思想を学ぶなかで、親鸞のすごさを感じ取っていきました。カミ頼みをしないことは、この日本で生きるのは、あんがい難しいことだとわかったからです。子どものころの恨めしさが、自分の思想として確立していったと思っています。人間は弱いから、しきたりや慣習として家族がやってきたことは、やり続けなければ安心できないという感覚は当然のように身につくのです。それを否定していくのは、之までにつくられたしきたりや慣習をもう一度見直すことなのです。それは、ものすごくむずかしいことだと、講座などで話し合いになると、実感します。まして、ジェンダーの視点からしきたりや慣習を見直すことは、さらに難しいのです。

 この間も紛糾したのが、焼香の順です。父が亡くなり母が喪主となって子どもの焼香順をどう考えるか、問題提起しました。長女、長男、次男、次女の順に生まれたきょうだいの焼香は、「だれが一番先ですか」と問うたら、みんなといっても過言ではないほど、「長男」と回答がありました。ジェンダーの視点からいうと、生まれた順がもっとも妥当だと思います。イギリスの国王は、生まれた順に決めるとなりました。長男が先というのは、家制度の名残です。きちんとしたしきたりがつくられ、長男が家・家督・祭祀権を継ぐとされたのを、今なおわたしたちの意識下に潜んでいるのです。それが、実際の通夜・葬儀のときに出てきて、変革が思うように進まないのです。ジェンダーの視点でしきたりや慣習を見直すことがいかに大変かを示しています。
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生前準備の流行

2019-03-18 10:40:17 | 日記
 週刊誌の見出しに「生前準備」が非常に多くなりました。今朝の新聞の広告にも「死後の手続きと相続」と銘打って、「遺産相続」の問題、葬式・墓の問題が提起されています。死ぬ前にやっておくこととして、他人事ではないから、これだけの記事になり、売れるのでしょう。
 先週行われたわたしの講座も、「慣習・しきたり・伝統とわたしの最期を考える」がテーマでした。参加者が予想外の人数でした。何を期待してこられるかはだいたい想像できますが、週刊誌の見出しの内容を期待されていると思います。
 でも、わたしの話はみなさんの期待を裏切っています。その一番の原因は、「ジェンダー平等」を視点に話すからです。「慣習・しきたり・伝統」がおかしいと思っていない人に気がついてもらいたいと思っているからです。
 死後の問題の「慣習・しきたり・伝統」は、近世にできた檀家制度と近代にできた家制度です。
 檀家制度は、江戸幕府がキリシタン禁制を敷き、どの家も仏教徒であることを証明するための制度です。本末制度もいい、寺請制度もいいます。平安時代・鎌倉時代に多くを輩出した宗祖を開祖として宗派がつくられた仏教が本山に所属する末寺をもち、その末寺に所属する檀家を形成したものです。
 檀家からいいますと、自分の所属する寺によって、自分の家族の宗派が決定します。例えば、わたしが生まれた実家は浄土真宗本願寺派です。その寺に所属する檀家(浄土真宗では門徒といいます)は、生まれたら浄土真宗本願寺派の門徒です。自分で意識して宗派を変えたいと思う人はまずいなかったでしょう。檀家となれば、その寺を支えていくことになり、自分の家族の葬式・法事をやってもらうことになります。寺を支えるのは、寺族の経済を支えることであり、本堂や庫裡(庫裡とは寺族が生活する場、中には庫裡の維持はまったく関係ないという寺院もある)の維持を維持していくことです。わたしの実家の寺など小さいものですが、それでも本堂がいつまでも丈夫のままでいるわけがありません。屋根の葺き替えや畳の入れ替えなど、わたしが記憶しているだけでもいろいろ門徒の人のお世話になって維持されているのです。
 その檀家制度下で、もっとも寺院が罪なことを行ってきたのは、布教の内容です。「業論」といいます。「後生の一大事」といわれた死んだ先が重要だと思われていた近世の時代に、「悪因悪果、善因善果」論を説いたのです。それもどうしようもない行いではなく、身分についていったのです。「女・被差別民・障害者・ハンセン病(当時はライ病者)などの差別されている人々」は前世(過去世9に悪因があるから、そうした身分に生まれてきた、そして、その現世のありようが因となって来世地獄に堕ちると教えたのです。自分ではどうすることもできない前世の悪因を持ち出すのですから、それにあてはまる人々は抗うことができません。その悪因が「罪深い存在者」とのレッテルを貼られたのですから、ジェンダー不平等そのものです。
 また、「現世利益(げんぜりやく)信仰」につながるので、現在生きているときに何か不都合なこと、大変なこと、しんどいこと、困ることが起こるのは、法事をしていないせいとかいわれたら、それもどうしようないことで、法事をすることになります。祟り(たたり)信仰といってもいいです。そこにも自分で抗うことができないので、また身の上にあてはまることなので、仏教者や宗教者のいうことを聞く信者さんの存在があったのです。
 来世に用意された地獄と極楽の極楽に生まれる方法を説いたのが、「信仰」をもつことです。そういう人々が寺にお参りし、住職や説教師(布教師)の話を聞き、信仰をもったことは疑いのないことです。
 この業論こそ、支配者である幕府の都合のよいものであり、本末制度をうまく機能させたのです。この仏教者による布教の罪深さを仏教者自身が問わなければならないのですが、いまだに、そういう話を聞いたことがありません。
 とくに罪深い存在とされた女性は、文章として残っています。「男にまさりて罪深い」存在が、女性でした。

 現在、そういうことがわかったなら、女性が嫌だと思うなら、どうしたらよいのでしょう。そういう文書を差別としてまずは認めるところから始まるのではないでしょうか。女性がいやという反応を受け止めることができない人がいるのですが、どうしたらよいのでしょう。
 そして、それをどうしていくのかを考えていくのではないでしょうか。
 長くなったので、今日はここまでにしておきます。
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最期の別れ

2019-03-12 08:19:27 | 日記
 大学院のときの友人が難病(病名が覚えられない)となり、もう会えないかも知れないということと、そのお寺の「婦人会」で話をしてほしいということで、新潟まで行ってきました。すでに病院へ入院しているので、彼の妻の運転で病院へ向かいました。
 この前行ったときには、杖をついて歩くことができ、ゆっくりだけど、話ができました。本堂での読誦は声を出すことができたのです。4~5年前になるでしょうか。
 今回はもう話ができないときいていました。
 病院へ着くまでの車の中で、彼のことをいろいろ聞いてもよい話は出ないので、覚悟を決める時間となりました。

 いよいよ病室へ向かうのですが、足が重いことがよくわかります。
 車の中で思い出していたのは、父との別れです。30数年前、胃癌の末期で、父には病名を告げず、入院となり、5月の連休に帰省しました。当時はガンは、まして末期のガンは隠すのがあたりまえでした。明日は帰るという夜、病院へ泊まってほしいと父が言いましたが、なぜかそれはできず、明くる日もう一度来ることを約束して帰りました。その晩いっしょに食事をして、ビールを買ってきて、「呑む?」と差し出しましたが、「いらない」といいました。最期までタバコは吸えましたが、アルコールは受けつけなくなっていました。あれだけ飲んだ人なのに、悲しかったです。
 明くる日、ほんとうにこれが最期だとわかりました。やせ細った体は、次の夏休みまでもつはずがなく、それも死期が近いことがわかるほどでした。
 「お父さん、これが最期」といい、「わかった」と応え、右手を合掌しました。左手は点滴がされていたので、右手だけの合掌です。末期のガンで意識だけははっきりしているので、何かいわねばと思うのですが、ことばがスッと出てこないのです、思ってもいないことばが出て、わたしが一番驚いていたのですが、「次はお浄土で」といっていました。そんなことを信じているわたしではないのに、なぜそのことばが出たのかいまだにわかりません。
 最期の別れができ、それから10日して亡くなりました。

 友人の部屋へ入り、ベッドの傍らにいったとき、予想外の顔にまず驚きました。まったくやせていなかったのです。やせ細っていると想像していたからです。そして、その顔の穏やかなこと、それにも驚きました。わたしに気がついてくれ、わたしが来たことを認識してくれていることがわかります。まったく一方的ではないのが救いです。手を動かし、「アー」とか「ウー」とかに似た声を発してくれるのです。てを握りながら、話すことは多くはありません。ゼミのころの話、お互いの友人のこと、顔が穏やかなこと、明日「婦人会」で話すこと、いろいろ考えるけど、顔をみていたら、話せなくなるのです。もうそろそろ別れるときです。「彼は、「あ、り、が、と、う」とわたしが認識できることばをゆっくり大きな声で言ったのです。わたしは涙が出るしかありませんでした。傍らで、彼のつれあいが「ああ、ありがとうといっている!!」と驚いていました。
 「これが最期」とはいえませんでした。「また呼んでもらうときまで、がんばって、また会えるかも知れない」というのがやっとでした。手を放してベッドを離れたのですが、大きな声が聞こえます。ベッドに駆け寄り、手を握って別れを言いました。そして、ベッドを離れたら、また大きな声が聞こえます。うなり声のようにも聞こえます。また、駆け寄りました。そして、これを最期にしようと、ベッドを離れ、外に出ました。
 友との最期の別れでした。別れは「愛別離苦」といい、仏教では苦と捉えます。真實を教えていると実感します。人生のなかで、こういう辛さを経て、わたしは生きるのだし、わたしも死を迎えるのだと思ったことでした。
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新聞記事

2019-03-03 09:10:19 | 日記
 しばらくブログに向かい気もおこらなかったことがあります。関心のある方は、下記のインターネットを開いてみてください。

  www.asahi.com/articles/ASM2F6S6MM2FPTFC014.html

 セクハラやレイプの被害とは違いますが、被害者であったことは間違いなく、なかなか次の行動を決心することができませんでした、昨年11月末から約2ヶ月間を要しました。少し被害者の気持ちを理解することができたかと思います。それでも、行動を決意させたのは、友人や仲間です。グチを聞いてもらえる人がいることは、ほんとうにありがたいことだと、改めて感じました。


 さて、「朝日新聞」2月23日のbe report 「お骨の行き先」をご覧になった方はいらっしゃいますか。土曜日のこの欄を見る人が少ないのを知りました。わたしの周りで「朝日新聞」をとっている人が多いのですが、たった一人しか気づいてくれませんでした。書いてくれた記者を紹介してくれた本人さえ気づかなかったです。
 汽車の林るみさんは、お墓などまったく関心がなかったのですが、昨年東京で行われたわたしの本の出版記念会に紹介されたから、ある意味仕方なく参加して、わたしの「つれあいの遺骨を拾わなかった」発言に関心をもってくれ、記事にしたいと思ったそうです。
 その記事で紹介されているように、「墓じまい」が多くなっている現実は、過去の「家」を中心にした社会から「個」へのかたちをもつ家族関係に移行したからです。どれだけ「個」の関係になっているとはいえ、それも都市部からであり、地方へいくと、まだまだ「家」は強いところもあります。人間が生まれ、死んでいき、残るのが「遺骨」だからです。「遺骨」をゴミのように扱えない人間の心が、さまざまな問題を生んでいるのです。
 記事で紹介されていますが、金額が出ていないので、もっとも安い納骨でもお金がかかる問題が必ず残ります。浄土真宗の住職が行っている安い納骨堂でも85万円です。85万円を出せる人はそれをやればいいでしょう。お金を持っている人は、お金で解決できます。孤独死の人の身元がわかっても、その人が遺骨を引き取らないのは、お金の問題があるからでしょう。そして、粗末に扱うことができないし、その後のことも関係があるのでしょう。生活保護を受けている人が、ギリギリの生活から、遺骨の世話になるお金を貯めていたという話を記者から聞きました。それだけ、遺骨は厄介な問題となっています。
 わたしのやり方が紹介されていますが、わたしはお金の問題もさることながら、死んだあとの遺体をどう考えるという根本的な問題をこれから考える必要があると思います。日本の長い間は土葬だったので、遺骨に対する思いはこれだけ深く考えたことがないです。土葬のときに、お墓参りもしていたし、お墓が大事という考えもあったでしょう。
 ここで、親鸞の思想を考えることは大事ではないでしょうか。「死んだら賀茂川に流し、魚のエサにしてくれ」と遺言した親鸞にとって、遺体がどんな意味をもっていたか、おわかりでしょう。わたしは、宗教者である親鸞のここに感銘を受けます。だから、つれあいともども、元気なときからお互いに相手の遺骨をひろわないと決めていたのです。
 親鸞の思想を広めるのにはどうしたよいのか、いい案が浮かびませんが、今後のわたしの課題としたいと思います。

 新聞記事によると、「お骨を一切拾わない」選択を可能としない都道府県があるのが気になります。ここからも変革の必要があります。
 この問題の根は深いし、変革の可能性は少ないし、ほんとうに困難な問題であることは、事実です。


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