昨日の講座は、「しきたりにしばられず、スッキリ生きる」がタイトルでした。サブタイトルには「家制度を考える」がついていました。行われる会場は、男女共同参画センターでした。関西の〇〇郡☆☆町というだいぶ地方という感じがします。担当者の方と打ち合わせをしていても気がついたのですが、年配の人ほど「しきたり」を守ろうとしているから、若い人が集会などに行かなくなるそうです。
わたしは、自分にとって遠い問題としての「女人禁制」と日常的にはおこらないが、我がこととなる葬送の問題のふたつをあげて、問題提起をしました。
50人近くが参加し、若い人はいません。13時半から始まる講座では、年配の人しか参加できないのも当然です。若い人は働いています。顔ぶれを見ておもしろかったのは、男性の参加が多いということです。とくに前のほうに座っているのは、男性でした。
まず、「女人禁制」の問題では、他人事なので、そんなに嫌な顔が見られません。それでも、土俵の上に宝塚市長が登れない話を具体的にして、「同じ市長なのに、女性だけが上れないのは女性差別であることに気づく、おかしいと気づくことの大事さ」を提起したときには、男性の顔は硬い顔になっていました。
葬送の話になって、これまでの経験があるので、家制度をきちんと説明しました。戦後家制度がなくなってからの問題としての「焼香順」を出したときには、喪主の母の次に来るのは、生まれた順が長女、長男、次男、次女となってどの人からでしょう、と提起すると、あちこちから長男の声が上がります。男女共同参画の考えから違うし、すでになくなった家制度そのものの考えだと思うという話をすると、男性の顔はもう嫌という顔になっています。
固い頭の男性を少しでも考えてもらうには、ほんとうにどうしたらよいのか、むずかしい問題です。講座が終わった後、本を買ってもらいたいと思って持参した本を売ったのですが、担当者の男性が一冊買ってくれただけで、受講していた男性はひとりも買ってもらえませんでした。そそくさと部屋を出て行く男性の姿が目に焼きついています。女性は何人かが買ってくださり、声をかけてくださり、「しんどかったけど、今日来てよかった」といってくれた人もいました。
年配の男性の意識は、どうすることもできないのでしょうか。わたしは落ち込んで、電車に乗っている時間がすごく長いと感じてしまいました。
わたしは、自分にとって遠い問題としての「女人禁制」と日常的にはおこらないが、我がこととなる葬送の問題のふたつをあげて、問題提起をしました。
50人近くが参加し、若い人はいません。13時半から始まる講座では、年配の人しか参加できないのも当然です。若い人は働いています。顔ぶれを見ておもしろかったのは、男性の参加が多いということです。とくに前のほうに座っているのは、男性でした。
まず、「女人禁制」の問題では、他人事なので、そんなに嫌な顔が見られません。それでも、土俵の上に宝塚市長が登れない話を具体的にして、「同じ市長なのに、女性だけが上れないのは女性差別であることに気づく、おかしいと気づくことの大事さ」を提起したときには、男性の顔は硬い顔になっていました。
葬送の話になって、これまでの経験があるので、家制度をきちんと説明しました。戦後家制度がなくなってからの問題としての「焼香順」を出したときには、喪主の母の次に来るのは、生まれた順が長女、長男、次男、次女となってどの人からでしょう、と提起すると、あちこちから長男の声が上がります。男女共同参画の考えから違うし、すでになくなった家制度そのものの考えだと思うという話をすると、男性の顔はもう嫌という顔になっています。
固い頭の男性を少しでも考えてもらうには、ほんとうにどうしたらよいのか、むずかしい問題です。講座が終わった後、本を買ってもらいたいと思って持参した本を売ったのですが、担当者の男性が一冊買ってくれただけで、受講していた男性はひとりも買ってもらえませんでした。そそくさと部屋を出て行く男性の姿が目に焼きついています。女性は何人かが買ってくださり、声をかけてくださり、「しんどかったけど、今日来てよかった」といってくれた人もいました。
年配の男性の意識は、どうすることもできないのでしょうか。わたしは落ち込んで、電車に乗っている時間がすごく長いと感じてしまいました。