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桂三金さんの死

2019-11-23 15:20:48 | 日記
 久しぶりにブログへ向かう感じがあります。原稿の直しをしていると、ついそれに集中して、他のことをやる時間をなくしてしまいます。
 桂三金さんの死を新聞で知り、どんな人かも知らないし、あまり落語に詳しくないのですが、年齢をみてこの人の名を忘れなかったです。49歳でした。あまりにも若い年齢の死は、やはりショックを覚えます。50年も生きないで、この世を終えるなんて、あまりにも理不尽と思えるからです。人生100年時代といわれるのに。
 それでも、他人事の死です。
 ところが、友人の女性住職をしている人の寺報が送られてきました。彼女のお寺の門徒さんだったのです。だから彼女は葬儀の導師をし、師匠の桂文枝さんや同期の林家菊丸さんの弔辞を、姿は前を向いて見えないけど、聞いていたのである。どの弔辞も笑いをとる落語に仕上がり、ライブのようだったと記している。
 有名人の導師をする人がこんなに身近にいるなんて、それに驚いてしまったのです。寺報を読みながら、お葬式の場面が臨場感をもっているのです。一つは、友人の文章のうまさにあります。もう一つは、落語界のお葬式ならでの噺家さんたちの弔辞のうまさでしょう。弔辞を笑いでできるのは、この社会のなかでそんなにありません。また、お葬式の場で、突然の若い人の死に対して、笑いなんて出るわけがないのです。亡くなった人の両親、きょうだいなどの関係者に対しての気持ちが先に働きます。ショックを受けている関係者に対して笑いは禁物になるところをさすが落語界だと感心しました。

 72歳のこの年まで生きていると、ほんとうに若い人の死はショックです。知らない人でも感じるのですから、関係者だったら、と思うとゾッとします。桂三金さんの関係者の方のショックと哀しみは大変なものだと想像できます。寿命を自分で決めることはできない分、あまりにも長生きも困ったものだし、若い人の死は受け入れられないし、人間って、人生ってやはり思うようにならないものです。
 友人の寺報を読みながら、つくづく感じました。
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