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愛猫の死

2019-08-12 09:01:53 | 日記
 8月6日の朝、ペットのネコが亡くなりました。10日以上もエサを食べないので、覚悟はしていましたが、亡くした後の喪失感は予想以上で、何も集中してできない状態です。やっとブログに書こうという気になりました。17歳と2ヶ月あまりの命でした。老衰だと思います。眠るように亡くなりました。名前は「メイ」と、親友が名づけてくれました。亡くなった8月6日が親友の誕生日なので、彼女は、「けっしてこの日を忘れない」といってくれました。
 この前のマンションに住んでいたときは1階だったのですが、5月14日、連れあいが帰宅したわたしに「大変、大変」というので、何ごとがおこったかとベランダに行ったら、一匹の子ネコが生まれていたのです。たった一匹というのも不思議でした。捨て猫としか思えないすばらしい真っ白な母親から、ところどころ色が黒の模様があるかわいらしいネコをみて、いつまでここにいるのだろうと思い、長くいてもいいよという気持ちでした。つれあいは、母親猫のためにキャッツフードを買ってきて、エサをやっていました。
 ところが何日か経つうち、母親が子ネコをキチンと子育てをしないことがわかりました。しかし、わたしたちにはどうすることもできません。子育てをしない親猫がいるのは、人間社会も同じネグレクトなのです。つれあいが我慢できなくなって、「このままほっといたら、死んでしまう。それでもいいの?」とわたしにいったのです。「死ぬかもしれない」のことばに、家に入れることを絶対反対していたわたしが折れねばならなかったのです。こうしてわが家のネコになったのです。
 メスだったので、避妊手術だけはしました。二人で決めたことは、貧乏の家に入ってきたから、何かがあったとき病院へは連れて行けない、それがもとでなくなっても、それが寿命だったと思ってほしいという一点でした。亡くなるまで、一度も病院へ行かずにすんだのは、不思議なことです。
 家族の一員になったメイとともに、17年あまりを過ごし、腹の立つこともありましたが、結論は癒されてきました。とくにつれあいが亡くなった後、メイを抱きしめながら号泣できたのも、そしてその後、家で待っていると思って元気に仕事に行けたのも、メイのおかげでした。メイが亡くなった後、ひとりで泣くしかないのです。喪失感と何かしらの手持ち無沙汰は、これからどのくらい続くのでしょう。帰宅するとき、「ただいま」がいえない体験を初めてした日は、寂しいしかありません。
 それでも、友人のありがたさを今回もしみじみ感じました。「メイちゃんを偲ぶ会」をしてもらい、飲み会によって、わたしを励ましてもらいました。喪失感を話す相手がいることは、どれだけ救いになることでしょう。
 メディアなどで報道されるペットの死後、ペットの葬儀、収骨、お墓など、人間と変わらないようにしている人が増えています。家族の一員だったからの気持ちがわからないことはありません。したい人はしたらよいと思います。わたしは違います。以前にもブログに書きましたが、人間の死さえ、そういうことはしないと決めていたので、今回も同じです。親鸞のことば、「死んだら賀茂河に流し、魚のエサにしてくれ」という遺体観は、つれあいとわたしの基本的な考えの拠り所です。メイに対しても同じです。市役所に電話をして、引き取りに来てもらいました。キチンと正装した二人が丁寧な応対をし、段ボールに入って遺体を運ぶときは、白い手袋をされました。合同の焼き場で灰にされ埋葬されるとのことです。
 メイとの別れでした。
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