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自分らしいお葬式やお墓を考えましょう。

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シンポジウムの延期

2020-08-18 10:55:48 | 日記
 2月に発刊できた2冊の本『いつまで続く「女人禁制」』(解放出版社)『仏教における女性差別を考える』(あけび書房)の最後の出版記念会を、「女人禁制」の山「大峰山」のある奈良で行うことを決めていました。会場に選んだ男女共同参画センターは定員の半分の制限人数37人で予約をとることができました。37人の参加者を集めることが当初は大変なことだと思っていたのですが、宝塚のリピーターや宝塚で行けなかった人の参加申込みで苦労をせずに制限人数に達しました。懇親会の会場の下見もして懇親会参加者30人のお店も予約できました。宿泊希望の人も多く、そのホテルもすべて予約ができました。
 このスムーズな運びに実行委員会のもう一人の友人と、用意万端整い、開催の当日のレジュメをどうしよう、駅まで迎えに行くのは何時にしようと具体的なことまで決めていました。シンポジストになってくれる人も参加するのが当然のように思ってもらっていたと思います。ここまでしていたのが、8月初旬でした。
 その上、『いつまで続く「女人禁制」』の執筆者が、東京の親友が来てくれたら執筆者全員がそろうことになります。躊躇なく友人に電話をかけて、事情を話して遊びに来ないかと誘いました。忙しい友人ですが、こういうときに動いてくれる友人です、すぐに了解してくれ、10人の執筆者がそろうすごいシンポジウムになることになっていました。

 ただ心配なのが、コロナの感染者の増加です。日に日に多くなり、東京・宝塚から来てくれるシンポジスト、大阪からの参加者など、心配の種は尽きません。いつかは結論を出せねばならないのですが、友人4人に聞いたら、2対2に分かれ、開いたらよいといってくれる人と今回は辞めたらという意見に別れました。最後の決定は実行委員会のもう一人と友人とで決めなければなりません。
 2週間前に決めようと相談し、その日がついに来てしまいました。15日です。
 二人の意見が一致したのは、延期するということでした。どちらにしても、ほんとうにしんどい苦渋の選択でした。

 決定したあと、連絡を取りました。すべての人に直接伝えたかったので、電話をかけ続けました。多くの人が仕方がない、残念といってくれました。なかには文句を言う人もいましたが…。わたしにはよく理解できませんでした。

 今度いつできるかわからない状況です。
 ほんとうにできるだろうかという不安はあります。でも、必ずやりたいと思います。
 コロナは、ほんとうに見通しが立たないです。終息に向かうのかどうかさえ明らかではありません。

 今朝、島根の弟が電話をしてきて、コロナの話になり、島根で感染がわかった23歳の若い人が自死したそうです。聞いて、すごく腹が立ってきました。コロナの感染で自死しなければならない社会とは何でしょう。だれが感染してもおかしくないし、当人と関わりがあれ多くくの人が検査を受けたり、自粛をしなければならないけど、自死に追い込むことは許されないです。コロナによって自死する人の報道はないですが、世の中にはおきていると思います。絶対にあってはならないことです。
 やはり、人権教育がなされていないからだと思います。人権教育が絶対に必要です。たまたまコロナだったけれども、その根底には、差別意識と排除することが明確に表れています。感染した人がそれを感じたから自死したのです。コロナの感染で自死を求めている社会であることを、もっと多くの人が自覚しなければならないと思います。もうだれがなってもおかしくないところまで来ているというのに。
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葬送

2020-08-10 08:09:30 | 日記
 まったく面識のない人が、『自分らしい終末や葬儀の生前準備ー「生老病死」を考える』(あけび書房)を読まれ、共感するところがあり、わたしの連絡先を調べて手紙をいただきました。もうずいぶん前ですが、一年にはならないと思います。本を読み、共感して、連絡先を調べることをしたことがないわたしは、その行動力に感心し、すごくうれしかったです。今年出した『仏教における女性差別を考えるー親鸞とジェンダー』(あけび書房)にも、そういう人がいて、驚くとともに、すごくうれしく、その方はあけび書房の久保さんから電話があり、わたしが直接電話をしました。初めての人に対して、緊張して電話w祖いたことをよく覚えています。
 手紙をいただいた方は、電話番号が書いてあり、わたしから電話をしました。この方も緊張したことはいうまでもありません。それから、メールのやりとりを行い、お目にかかる日を5月に決めましたが、コロナの影響で、その日は延期になりました。次回の日程を8月初旬に決め、コロナも大丈夫だろうと二人が思っていました。ところが、7月後半になり、コロナは感染者の増加はありますが、その方の住んでいらっしゃる地域は大丈夫ということで、お目にかかることに決めました。グループで活動もされ、同じように共感してくださった方が4人ぐらい集まるとのことでした。
 梅雨が明けて、急に暑くなった日でしたが、5人の方とお目にかかることができ、いろいろな話ができました。そのうちのお二人は、その市で行われた過去の講座に聞きに来てくださったとのことでした。担当者の名前も覚えていてくださり、懐かしかったです。あいにくわたしは聞いてくださった方のお顔を覚えていませんでした。
 葬儀のやり方が、コロナによって大きく変わり、これは、コロナの終息収束後も続くのではないかと、話が出ました。コロナによっての葬儀は、「直送」に近いかたちに変わりました。とくに、志村けんさんが亡くなった場合、死に目にも会えず、葬儀も行えず、お骨が拾えなかったという報道は、多くの人にショックを与えると同時に、この時期に行う葬儀は、例えコロナによって死ななくても、簡単に行ってよいという考えが芽生えたと思います。葬儀が変わることにみんな大賛成でした。クリスチャンの人もいて、教会での葬儀の簡単さはすごくよいという意見が出ました。わたしも友人から教会の葬儀に何度が参列したことを聞いていて、仏教よりもよいと聞いていました。葬儀が簡単になることが、コロナによって行われるというのは、少し違和感があります。葬儀について考え、これまでの葬儀の総括を行った故の変化であるなら、そうは思わないですが、コロナによってです。考えないで、「外圧」によって変化するという日本的だと思います。葬儀が簡単になることはだれも異議はなく、賛成なのです。
 ところが、お骨の問題になると、そう簡単にはいきません。わたしがつれあいのお骨を拾わなかったことは、みなさん、相当にショックを受けたようです。というより、考えたこともなかったといったほうが、あっています。考えたこともないということを新たに考えるというのは、案外しんどいことなんだと、聞いていて感じました。収骨しないことがそれほどむずかしいことでもあると思ったのです。わたしの周囲で、簡単に同意してくれた人もいますが、今回の人たちは、そう簡単ではありませんでした。お墓の管理に困っているという現実がありながら、その後を簡単にする方法の収骨をしないのは、スムーズに移行しないのです。関西の人たちなので、ほんの少ししか収骨しないことをも知った上で、簡単ではないのです。なぜ簡単にいかないかの議論がなかなか進まないなかで、時間切れになってしまいました。
 遺骨の問題は、なぜこれだけ簡単にいかないのか、もう一度、わたしも考えてみようと思います。わたしは親鸞の遺体観によって考えたことですが、何かによらねばできないことかどうか、わたしへの問いが必要です。
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いつまで続く「女人禁制」

2020-08-02 16:06:31 | 日記
 「インターネットがつながらない?!」という経験はおありでしょうか。わたしは初めてのことでした。3日前です。「明日にならばつながるだろう」と、明日になってもつながらず、まだそれでも「明日は大丈夫だろう」と今朝になってしまいました。どこも変なところを触ったわけでもなく、メールの送受信はできるので、慌てていませんでしたが、今朝はさすがのわたしも慌てました。いつもの「ドクター・ホームネット」へ9時に電話しました。パソコンに関して決して自立できていないわたしは、パソコンは自信がなく、何かあれば、この「ドクター・ホームネット」が頼みに綱です。若い男性が出てきて、早口で説明し、番号をいうのですが、ついていけないわたしは、「すみません、もう少しゆっくり説明してください」とお願いしました。すると、「紙と鉛筆を用意してください。番号をいいますから書いてください」といわれ、番号をいうときだけはゆっくりでした。いつもはそんな早口ではないと思うのですが、人によって違うのでしょう。相性が悪かったら、その人で済まない事態になってしまいました。
 インターネットを契約しているところへ連絡をしてくれということになり、契約書を出してきて、一からやり直しです。ずいぶん待たされましたが、間に入ってくれた女性が優しく、待つ時間が長くても、心はイラッとしません。
 やっとつながり、一つ一つ丁寧にゆっくり説明してくれる男性でした。
 何処も問題がないことがわかり、shift を押しながら、シャットダウンすることで、インターネットがつながるようになりました。今後、どういう場合に同じことをしたらよいかを説明してもらえ、気持ちよく終わったのですが、疲れがどっと出てきて、午前中は何もできないままでした。

 さて、本題です。
 「女人禁制」の本を出すきっかけになったのは、2018年4月の「舞鶴場所」です。市長の挨拶の時、倒れた市長の救護に土俵に上がった女性看護師たちに「土俵から下りてください」という行司のアナウンスからです。友人が、「全国の多くの人が「女人禁制」を知らないからブックレットを出したら」というアドバイスから始まりました。「女人禁制」については、二冊の本を出していたのですが、ブックレットはいいなと思ったのです。ところが、欲張りすぎて、本になってしまいました。
 増えた理由のひとつが、「舞鶴場所」の明くる日に予定されていた宝塚市長中川智子さんの気づきとわたしたちがやっている「大峰山女人禁制」の開放を求める会がつながったのです。
 相撲のこと、「大峰山」のこと、マイノリティ(問題、性的マイノリティの問題、ハンセン病の問題など)の排除、精進落とし、遊廓など、バラエティに富んだ内容になりました。
 解放出版社の編集者がとても熱心だったことも増えた理由です。
 わたしは「「女人禁制」はなぜ許されるのか」を書きました。現在残っている「女人禁制」が非日常的なものであること、宗教と関係があることなど、多くの人の関心事にならないことを取り上げました。とくに宗教に関心がある人が少ないことは、「女人禁制」に関心がない、そのまま許す大きな原因になっているのではないかと問題提起しました。宗教的なイベントや葬送など関わっていることは多いのに、宗教に関心がない日本人です。非日常的なことなので、ひとつが終われば、すぐには関係がなくなってしまうのです。「大峰山」が「女人禁制」ですが、わざわざ登りたい女性はほとんどいないでしょう。登る山は、他にいくらでもあります。
 でも、「女人禁制」は、女性差別の根源になる女性排除です。多くの人に関心をもってもらいたいと願うばかりです。
 『いつまで続く「女人禁制」』(解放出版社)を是非手に取ってほしいです。
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