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コロナ禍での差別

2020-05-15 15:24:24 | 日記
 久しぶりに美容院へ行くことができ、カットしてもらいました。頭が軽くなった感じがします。これからも何があるか分からないので、短めに切ってもらいました。
 美容院は5月6日まで休み、7日から営業を再開されていました。当然のようにコロナウィルスの話題になりました。有名人の死の話はもちろんですが、同じ町内に感染者が出たとのことです。美容院は情報のたまり場だと分かりますが、嫌なことも多く聞きました。感染者の家の特定であり、近所の人たちが何をしているかの話です。嫌がらせというか差別です。「ゴミを出すな」といっているそうです。生活が成り立たなくなります。「他のところへゴミを出しに行け」ということだそうです。聞いて驚きます。差別です。
 その上、隣町の感染者の特定まで教えてくれるそうです。そこも、そんなに大きな街ではないから、感染者の家が嫌がらせを受けているのでしょう。
 今回のコロナだけではなく、福島の原発で逃げてきた人を差別しました。感染した人、原発事故に遭った人は何も悪くないのに、どうして差別されなければならないのでしょう。
 世界中でコロナ感染者が出ているので、日本と同じことがおこっているのでしょうか。

 こんな時期に友人が集まりました。当然、コロナによる差別の問題が話題になり、「こんなひどい差別は日本だけと違うだろうか」ということになりました。同じことがどこの国でもおこっているとは思えないというのが、わたしたちの根拠はないが結論みたいになりました。いわゆる排除の論理で行われる差別です。子どもたちのいじめものけ者にする排除の論理で行われています。
 こんなことを考えていたら、「朝日新聞」(5月8日)の「インタビュー」欄に共感しました。医療人類学者の磯野真穂さんのインタビュー記事です。「コロナが起きる以前から「社会秩序を乱す」と名指しされがちだった集団に向けて、「正しさ」の混紡が振るわれているのです」と述べ、例としてハンセン病を出しています。ハンセン病の隔離施設に入れられた人のなかには、ハンセン病ではない人も隔離されていたというのです。遺体の確認から分かったそうです。隔離が差別そのものです。彼女は、「「感染リスクをゼロにするべき」という正しさは、強い排除の力を生み出します。社会の対して特に強い力が働く。リスクはゼロか1ではいえないのに、「安全な人や集団」と「危険な人や集団」を分けてしまう。(中略)普段から個々人が秩序を乱すものを排除したいという感覚が、排除に拍車をかけたように見えます」と述べる。
 まったく同感ます。そういう問題が「社会の死を意味する」というのも共感できます。
 今、わたしたちが何を考えるべきかを問われるコロナ禍です。
コメント
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