先日の記事で、18歳のアルバイト君が『蛍の光』を知らない!
と驚いたコトを記事にしました。
でも、よく考えてみたら、私も1番はまだしも、2番はウル覚えだったので調べて見ました。
原曲 ・スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」
作曲者 ・不明
作詞 ・稲垣千頴(原詩とは全く違う歌詞を付けた。)
歴史 ・明治10年代初頭。
・1881年(明治14年)に尋常小学校の唱歌として小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)に載せられた。
・NHK紅白歌合戦の最後に、この曲の全体合唱が行われる。
・全民放版「ゆく年くる年」では、1956年~1989年まで時報に合わせて流されていた。
・阪神タイガースファンが試合中、相手チームの投手が途中降板する際、応援団の指揮でファンが1番のみ、
ペンライトの代わりに応援バットを左右に振って厳かに合唱し、
すぐさまテンションを上げ六甲おろしを大合唱するのが定番である。
しかし2006年(平成18年)7月25日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)から、
阪神が優勢の時のみ歌う形に変更になった。
・1964年に行われた東京オリンピックの閉会式では、この曲の大合唱で式典を締めくくった。
・学校の卒業式シーズンでは、在校生がよく歌う曲の1つとして現在も知られている。
・日本では、多くの公共施設や商業施設において、閉館・閉店直前のBGMとして流されるという認識が多い。
まあ、Wikipediaから、ざっとまとめてみました。
コレを見て、なぜひばり吹雪さんの学校では小中と卒業式で歌われたのか納得。
関西人には絶対に覚えておかなければならない曲のひとつだったんですね。
そして、もう一つの理由から、なぜあまり歌われなくなったのか?も理由がわかるような・・・
単に、昔の歌詞で、内容が難しく現代の子供にはムツカシイから?と思っていたけど、
どうやらそれだけではないようで・・・
『蛍の光』は本来4番まであったんですね。以降歌詞↓
1番 ほたるのひかり、まどのゆき、ふみよむつきひ、かさねつつ、
いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。
(螢の光、窓の雪、書読む月日、重ねつつ、
何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く。)
2番 とまるもゆくも、かぎりとて、かたいにおもう、ちよろづの、
こころのはしを、ひとことに、さきくとばかり、うたうなり。
(止まるも行くも、限りとて、互いに思う、千萬の、
心の端を、一言に、幸くと許り、歌うなり。)
3番 つくしのきわみ、みちのおく、うみやまとほく、へだつとも、
そのまごころは、へだてなく、ひとつにつくせ、くにのため。
(筑紫の極み、陸の奥、海山遠く、隔つとも、
その眞心は、隔て無く、一つに尽くせ、國の為。)
4番 千島のおくも、おきなわも、やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさをしく、つとめよわがせ、つゝがなく。
(千島の奥も、沖縄も、八洲の内の、護りなり、
至らん國に、勲しく、努めよ我が背、恙無く。)
そう、3番と4番は、まさに戦争を物語る歌詞だから・・・
また、日本の軍国主義時代、
「蛍の光」のメロディは日本を経由して朝鮮半島や台湾、中国本土にも紹介され、
日本とはまた別の浸透をしました。
たとえば日本の侵略に対して独立を目指した朝鮮半島の抵抗運動においては、
このメロディにあわせて「わが大韓万歳!」と歌われました。(1896年)
愛国歌として知られるこの詞は、同時に賛美歌14番としても知られています。
また、1948年までは韓国国歌でもありました。
韓国の映画では、日本の政治家などが殺される場面になると、
よくこのメロディが象徴的に流され、日韓の過去を象徴するものとして使われています。
そういえば、昔見た戦争アニメでも、この曲が使われていた記憶が・・・
なんだか複雑な気分です・・・
お気楽に、1・2番の歌を歌う日本人を見て、朝鮮や中国の人は、どう思っていたんだろう?
反日の気持ちで、自国を占領された歴史を思い出して、腹立たしい思いでいたのか?
それとも、「わが大韓万歳!」の歌詞を口ずさみながら、日本が戦争に負けた事を喜んでいたのか?
それとも、何も知らずに歌っている日本人を「バカな奴らだー」と見下していたのか?
戦争が絡んでいる以上、
ま、いわゆる日教組が放っておくハズがないわな・・・
☆結構好きな曲だったんだけどなあ~・・・
参考にしたサイト・Wikipedia d-score 蛍の光
と驚いたコトを記事にしました。
でも、よく考えてみたら、私も1番はまだしも、2番はウル覚えだったので調べて見ました。
原曲 ・スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」
作曲者 ・不明
作詞 ・稲垣千頴(原詩とは全く違う歌詞を付けた。)
歴史 ・明治10年代初頭。
・1881年(明治14年)に尋常小学校の唱歌として小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)に載せられた。
・NHK紅白歌合戦の最後に、この曲の全体合唱が行われる。
・全民放版「ゆく年くる年」では、1956年~1989年まで時報に合わせて流されていた。
・阪神タイガースファンが試合中、相手チームの投手が途中降板する際、応援団の指揮でファンが1番のみ、
ペンライトの代わりに応援バットを左右に振って厳かに合唱し、
すぐさまテンションを上げ六甲おろしを大合唱するのが定番である。
しかし2006年(平成18年)7月25日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)から、
阪神が優勢の時のみ歌う形に変更になった。
・1964年に行われた東京オリンピックの閉会式では、この曲の大合唱で式典を締めくくった。
・学校の卒業式シーズンでは、在校生がよく歌う曲の1つとして現在も知られている。
・日本では、多くの公共施設や商業施設において、閉館・閉店直前のBGMとして流されるという認識が多い。
まあ、Wikipediaから、ざっとまとめてみました。
コレを見て、なぜひばり吹雪さんの学校では小中と卒業式で歌われたのか納得。
関西人には絶対に覚えておかなければならない曲のひとつだったんですね。
そして、もう一つの理由から、なぜあまり歌われなくなったのか?も理由がわかるような・・・
単に、昔の歌詞で、内容が難しく現代の子供にはムツカシイから?と思っていたけど、
どうやらそれだけではないようで・・・
『蛍の光』は本来4番まであったんですね。以降歌詞↓
1番 ほたるのひかり、まどのゆき、ふみよむつきひ、かさねつつ、
いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。
(螢の光、窓の雪、書読む月日、重ねつつ、
何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く。)
2番 とまるもゆくも、かぎりとて、かたいにおもう、ちよろづの、
こころのはしを、ひとことに、さきくとばかり、うたうなり。
(止まるも行くも、限りとて、互いに思う、千萬の、
心の端を、一言に、幸くと許り、歌うなり。)
3番 つくしのきわみ、みちのおく、うみやまとほく、へだつとも、
そのまごころは、へだてなく、ひとつにつくせ、くにのため。
(筑紫の極み、陸の奥、海山遠く、隔つとも、
その眞心は、隔て無く、一つに尽くせ、國の為。)
4番 千島のおくも、おきなわも、やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさをしく、つとめよわがせ、つゝがなく。
(千島の奥も、沖縄も、八洲の内の、護りなり、
至らん國に、勲しく、努めよ我が背、恙無く。)
そう、3番と4番は、まさに戦争を物語る歌詞だから・・・
また、日本の軍国主義時代、
「蛍の光」のメロディは日本を経由して朝鮮半島や台湾、中国本土にも紹介され、
日本とはまた別の浸透をしました。
たとえば日本の侵略に対して独立を目指した朝鮮半島の抵抗運動においては、
このメロディにあわせて「わが大韓万歳!」と歌われました。(1896年)
愛国歌として知られるこの詞は、同時に賛美歌14番としても知られています。
また、1948年までは韓国国歌でもありました。
韓国の映画では、日本の政治家などが殺される場面になると、
よくこのメロディが象徴的に流され、日韓の過去を象徴するものとして使われています。
そういえば、昔見た戦争アニメでも、この曲が使われていた記憶が・・・
なんだか複雑な気分です・・・
お気楽に、1・2番の歌を歌う日本人を見て、朝鮮や中国の人は、どう思っていたんだろう?
反日の気持ちで、自国を占領された歴史を思い出して、腹立たしい思いでいたのか?
それとも、「わが大韓万歳!」の歌詞を口ずさみながら、日本が戦争に負けた事を喜んでいたのか?
それとも、何も知らずに歌っている日本人を「バカな奴らだー」と見下していたのか?
戦争が絡んでいる以上、
ま、いわゆる日教組が放っておくハズがないわな・・・
☆結構好きな曲だったんだけどなあ~・・・
参考にしたサイト・Wikipedia d-score 蛍の光