うれしいことをもう一つ。
原発の近くの浪江で伝統工芸品の大堀焼の窯元の近藤さんが昨年12月に
飯坂で窯を作り活動を再開したことです。
地震があってからすぐには連絡が取れず心配しましたが。
無事に福島市にいることがわかりました。娘さんの京子さんの積極的な
活動で再開にいたりました。
昨年お父さんからあいさつの電話を受け取りました。本当に良かったと
お祝いしました。
ただ残念なのは私たちの大好きな浪江は元に戻るのに時間がかかりそうなのです
義父の仕事で浪江で育った夫は、いつも浪江での遊びや友人たち、素晴らしい先生の
ことを話していました。戦後間もなく担任の先生がディベイトを教えてくださったこと
アユ釣りの話、野山を駆け巡ったことなど、いつも聞かされているうち私も浪江で
育ったような気持ちになったものでした。とても良い人たちで、私を妹のように
してくれていました。夫が生きていたらどんなに喜んだか。でもいまの浪江を見たら
さぞ悲しがったこと思います夫の宮城県の従妹たち、岩手県の従兄も元気になって
うれしいことです。