続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

もう七月です

2018-06-30 18:21:49 | びっくり

もう七月になってしまいました。あ~早いな 光陰矢の如し
C.M.ベーカーのカレンダーは、キングサリ、周りはバターカップ、
白樺、クサノオウ、みんな可愛い花の妖精たちです。

昔はこのカレンダーを買うのに10月から日本橋丸善に行って
買いました。今はWEBで簡単に買えて幸せ!
少女趣味と言われても何と言われても、好きなんです。
コーヒーカップはロンドン駐在だった友人がお土産に
買ってきてくれました。ブローチ、ピルケース、絵葉書
と可愛い絵本、飛び出す絵本も買いました。
絵をかく職人が、日本に来たときは、並んでイニシャルを
描いてもらいました。
スワロスキーに夢中になったり、いろいろありました。

今は百田尚樹さんの本に夢中、昨日はボックスを読んで
朝になってしまいました。

元ライト級東洋チャンピオン、坂本博之さんを応援していました。
今も彼の運動を支援しています。

夫に支援してもらえないかと頼まれて、忙しい夫に代わり
私が支援しました。後楽園ホールの熱気は素晴らしかったです。
サッカモト サッカモト
と応援しました。
ボックスを読んで後楽園ホールを思い出しました。
なんかあちこちに飛んでしまいました。


梅の想い出

2018-06-30 13:23:32 | くすくす

私が会社で働いていた頃の梅酒の梅の失敗は此処でつぶやきましたが。
先日新聞の投書欄で車の屋根に梅を干したら、ご主人がそのまま
会社に乗って行ってしまったそうです。
会社で、何か乗っていますよと言われたそうです。
なにかほほえましいですね。

昔姉が梅干しの種をカチン!と噛んで種の中の実を食べてしまったのです。
食べると罰が当たると言われていました。
私が騒いで、一番上の姉が二階から降りてきて、大声で騒ぎました。
天神様に謝りなさい。
食べていない私も一緒に梅干しの種に向かって謝りました。
天神様を粗末にすると、字が下手になるらしいです。

食べた姉も私も普通の字を書きますが、
もう亡くなった姉は、達筆と言われていましたが、時々
分からない字を書いていました。
ふつーの字が良いよねなんて負け惜しみの二人でした。
ここまでつぶやいて、私の口に中は酸っぱい唾がたっぷり
出てきました。涎になりそうなのでおしまいにします。





劇団四季の想い出

2018-06-28 17:36:03 | 懐かしい
劇団四季が創立65周年にリました。
高校生の時演劇部に憧れて、お手伝いをしていました。
部員にはなれず勝手にお手伝いをしていました。
素敵な人ばかりで私はお手伝い専門でした。

あるとき先輩に学生が作った劇団の公演があるからと誘われました。
神田の共立講堂前で待ち合わせました。
ジャン、ジロドウのアンドロマックでした。なんか難しくて、
主演の藤野節子さんの独特の発声に圧倒されて、もう一人
男性もすごい迫力の声でした。何が何やら分からぬうちに終わり
先輩の興奮した演劇論に圧倒されて、うなずくだけの私でした。
帰りに御茶ノ水の喫茶店でコーヒーをご馳走になり、
また先輩の演劇論を聞いて、疲れて家に着きました。
カルチャーショックを受けたんでしょうか。
母はどんな芝居だったの?と聞きましたが、答えられませんでした。

先輩は友人達と劇団を作りました。私は切符売りをしました。
なかなか売れなくて、従姉妹たちにお願いして買って貰いました。
間もなく劇団は解散しました。

あれから何十年!キャッツを見てこれがあの時の
四季と同じかと思いました。
その後ライオンキングを見て楽しかったのですが。昔の四季を思いだし
必死で先輩の話について行こうとした高校生の私を愛おしくなりました。
時は流れゆく~ですね。

劇団四季65周年おめでとうございます。

三匹のヤモちゃん

2018-06-25 16:17:47 | 面白い

昨夜は珍しく三匹のヤモがいました。小さい子も逃げずにじっと
しています。
小さい子は7cm大きい子は12センチぐらいです。
三匹もいるのは明日は暑くなるな、と思っていたら
やっぱり今日は暑くなりました。

木槿も沢山咲いてくれました。夫は昔ながらの木槿を
暑苦しいなんて言っていましたが、私が植えた木槿を
バラと間違って、綺麗だななんて言っていました。

ホスタも大きな花を咲かせてくれました。
小さな苗を買って植木鉢に植えましたが、大きな植木鉢で
立派に咲いてくれました。夫はウルイだと言っていました。
山菜のウルイは酢味噌で食べますが、これとは違うのかしら。

こんなに暑くなって大阪の人たちはどうしていらっしゃるのかしら
電気が通じても、エアコンが壊れてしまったら・・・
早く元の生活に戻れると良いですね。気がかりです。

あの時頑張ってくれた人たち

2018-06-24 14:57:49 | 有難い
先日お墓参りをしました。我が家の墓石は
横が広い洋式です。両隣も同じタイプです。最近縦長の昔風が増えています。
夫の従兄が東北に住んでいて、宮城沖の地震で家は何でもなくて、
墓石が倒れて大変だったと聞きました。洋式が良いよと言っていましたが、
従兄はお婿さんだったので、奥さんのお母さんの大反対にあい、
昔の様式にしました。

従兄は医者で3.11の時三階建ての家でしたが、高台に避難しました。
従兄も奥さんも足が痛くても、若い看護師さんたちに助けられて、避難所に
落ち着いたそうです。利尿剤を服用していた奥さんは何回もトイレに行くので
周りの人に嫌な顔をされたそうです。
二日後に医者であるお婿さんが迎えに来てくれて二人とも他の町の病院に
入院させてもらいました。そのお婿さんも患者さんがたくさん来て大忙し
で、足は痛くて行動範囲も狭かった従兄ですが、
お医者さんが不足しているので、入院しながら診療をしていました。

あの時お医者さんは大忙しで、仙台にいた別の従兄の息子さんも医者です。
毎日救助活動をしていたそうです。
ガソリンが不足しているので、自転車でマイクロバスの所まで行き
救助活動にあたったそうです。疲れ切ったことでしょう。
みんな頑張ってくださったのですね。

勿論自衛隊の皆さん、アメリカ軍の皆さん消防、警察。
外国の皆さんが、助けててくださいました。
従妹は津波の翌朝自衛隊の方に背負われて避難所まで行きました。

沢山の人に助けていただきました。