ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

最初の形態

2009-05-03 21:45:02 | Weblog
私がクモ膜下出血で緊急手術、その病院の奇跡と言われた回復力で、この9月に
なれば満9才になるという第2の人生を歩んだ月日です。激痛と倒れざま打ち所が
悪く口からも出血で、そのまま気絶。
それを機に、帰ってきてしまったウチの宇宙人。「息子がいて全員離れて住む
なんて、そんなみっともないことは出来ないし、心配だよ」って、殊勝な事を言って
た次男です。凡そ似つかわしくないサラリーマン生活なども経験し、この度晴れて(?)
自由の身となった彼。

「働かざるもの食うべからず」、なんて下品な言い方でしょう。
お腹一杯食べられなかった頃の言葉です。それでも、それは他者が言うべきセリフ
ではないと私は思います。それは当人が感じて行動することなのですし、何がしか
形あるモノ(お金)を生み出さなくては、提供しなければ存在価値がないと、この
豊かな時代になっても同居するなら幾らか出すのが当たり前!ですって?ホントに
下品です。私達家族間で、そんな事は話題にもなりません。いるだけでいいのよ、
って、人の存在はそうあるべきと思いますから。役に立つとか立たないとかって、
ホント、狭量で下品な感覚からしか生まれないのです。
何かにつけてカネ・金・かねの世間。疑いも持たず、大勢の見方に迎合することを
恥じない生き方に、ここでも私は毅然とします。大勢の意見がどうであろうと、私は
私の哲学で生きる!です。およそ、知識人、有名人、そう、権威という権威を拒否
することが重要なのです。メディアを介して得られる情報など、いかほどのもので
しょうって、いつも思っていますから。

万分の1秒も離れる事がない、死ぬまでいつも一緒の存在以外の人に振り回される
愚かさは拒否しなければならないって思うのです。それは失礼なことなのです。
片時も離れられない存在って誰?自分自身!その自分の事を他者へ委ねるなんて、
そんな失礼なことはしてはいけないって、強く思います。
誰が、私のことを知ってる?誰もいません。そう、いないのです。ですから他者へ
人生の回答を求めてはいけないのです。

晴れて自由の身になった宇宙人は、東京へ出かけています。いつ帰宅するかはわか
りません。最小家族単位の日々に生きています。セニョール・ダンは寡黙な男です。
会話は、言葉のキャッチボールです。共通話題というボールのやりとりですが、
お互いの関心事はかなり違いますから、暗黙の内に不可侵条約が結ばれています。
静かに穏やかに時間は刻まれていきます。セニョールへ要求する事は滅多に、否
ほとんどありませんから、世間がどうあろうと、いつもと変わらない日々です。
なんてありがたいことでしょう。不幸な事は私を避けます。ええ、そうなのです。
いつも幸せです。天災も人災も私には起こらないのです。心配事など何もありません。
世の中の人々は、不幸話が好きです。心配事を作り上げたいのです。片時も幸せ~
って思いたくないのです。そんな事は口にすべきではない!って殊更自らへ言い
聞かせているような、そんな生き方をしているように見えます。そんな人々とは
縁は結ばないようにしています。お付き合いの基準は「尊敬できるか否か」です。
これに集約です。・・・・・・そして・・・少しも寂しくはありません(苦笑)。

今日も1日、植物たちと時間を共有しました。これを幸せといわず何を幸せと言う
のでしょう。間引きした小さな野菜達を、手製ドレッシングをからめて戴きます。
日増しに姿を変える植物たちの成長の様に感激します。このところの陽気に、一斉に
静かに激しく動き出した植物たちです。九州から送られてきたバラは、まだ1輪も
咲きませんが、まもなく一斉にその姿のお披露目になりそうな蕾の形と数です。
その時を、今を遅しの心境で待っています。