猛烈な暑さの夏にも絶縁状を叩きつけられる時期に、やっと辿り着け
たようです。イッセ-ノーセッ!で、押し入れから衣装ケースを引き
出して、箪笥の中身と交換。そう、衣替えです。四季のある日本なら
ではの家庭の行事のひとつです。クリ-ニング店へも、どっさり。
今では、どこでも空調が行き届いていますから、1年中着まわしが
出来る環境になって、それは感謝の何者でもありませんが、やはり、
季節感が欲しいって思います。
冬でも、ペラペラの、下着だか何だかわからない服のお嬢さん方を見
ていると、育ってきた家庭のありようが見え隠れするようです。
お箸やお茶碗の持ち方、片手に乗らない大きさの器は、基本的に持って
はいけない、持つ場合は、両手で。お箸の使い方にも、いくつも禁止
事項があります。作法は何のため?美しくあるため!今の若者の食事
風景は、絶対に同席したくないそれよ。
なんでもなし崩し、中心がなくなってきています。芯がないのです。
「イイジャン、自由なんだから。迷惑かけてないでしょ?!」
なら、何をしてもいいのかしら?
違うと、あたくしは思います。
お掃除が出来ない若者が増殖中。
生きるって、お掃除をし続けることだと思うのです。
モノを捨てられない人は、そのモノに支配されているのです。
使わなくなったモノはゴミ!ですからゴミに支配されているという
ことに気付かなくてはなりません。
屁理屈をこねる前に掃除!
生きる=掃除
昔、ある人が友人達と壮大な夢を持って、着々と準備をしていました。
「ゴミはどうするの?」
あたくしの素朴な疑問に、彼等の夢は頓挫!
生きる=ゴミが出る=掃除をし続ける
こんな単純なことも分からずに、何が夢だ?!理想だ!?
開いた口がふさがらなかったわ。
自分を戒めています。
出来るだけシンプルに生きるように。それはモノに支配されない、
お掃除を心がけるように、以前よりね。
なぜなら、自分が汚くなっていくのです、好むと好まざるとに関係なく。
美しくなくなって、汚い部屋に住んで、いいわ、いいわにしてたら、
堆肥の中に生きるキノコみたいになっちゃうような気がしてね。
そう、腐って行くような。自分も堆肥の一部にって。
人の目じゃなく、自分に言い訳を、理屈(大体屁理屈)をこねながら
生きるのはやめなくちゃって。すべては、他者の目を意識してではなく、
言い訳って、自分を誤魔化すって事でしょう?自身の冒涜ね。
身ぎれい(自身もまわりも)にするには、継続する意思が必要です。
誰も関係ないのです。怠け者になりそうな自分に、注意深く関心を持ち
続けるのです。マッいいや!これを排除しなくてはならないのです。
そして、--言い訳してない?って。
スッキリ整理された環境へ自分を置く事は、自分を大事にしてるって。
別に、叱咤激励なんかしません。シャラーッと、動くだけの事です。
自分が心地よくなるために、のちのち楽をするために、ナマケる
ために動くのよ!ってね。
そんなこんなを考えながら、容姿が衰えたのだから(今?ウソ!)、
身辺をこぎれいにするように、なのです。
誰も見てないじゃない!?
エッ自分が見てるじゃない!失礼ですよ、最優先は自分!です。
人なんかの思惑を考えたって、他者や事を想像して行動の有無を
決めるなんて、そ~んな自分に失礼な事をしてはいけません。
なるべく自分が心地よく生きるために、日々の生活は自分で作る
ルールが必要な気がします。
人なんか知ったこっちゃないよ、全ては自分のため!
ショッピングが趣味って大バカものは、大体ゴミの中に生きてるのよ。
買い物が趣味~?
ああ、モノの奴隷があっちこっちにいるわ。挙句、
鬱になって、自殺?
戦後、食うや食わずの頃は、自殺なんかなかったって。もちろん糖尿病も。
なんか変じゃない?
おカネやモノは幸せをセットにはしてないって事よ。
モノ(いずれゴミ)の奴隷にならないように。
ブランド?有名人?それが?
あたくしにとってのそれは、あたくし自身よ。お生憎様でした。
自分にとって、自分以上の存在なんてない!!!です。
いとしみましょう、自分を。
たようです。イッセ-ノーセッ!で、押し入れから衣装ケースを引き
出して、箪笥の中身と交換。そう、衣替えです。四季のある日本なら
ではの家庭の行事のひとつです。クリ-ニング店へも、どっさり。
今では、どこでも空調が行き届いていますから、1年中着まわしが
出来る環境になって、それは感謝の何者でもありませんが、やはり、
季節感が欲しいって思います。
冬でも、ペラペラの、下着だか何だかわからない服のお嬢さん方を見
ていると、育ってきた家庭のありようが見え隠れするようです。
お箸やお茶碗の持ち方、片手に乗らない大きさの器は、基本的に持って
はいけない、持つ場合は、両手で。お箸の使い方にも、いくつも禁止
事項があります。作法は何のため?美しくあるため!今の若者の食事
風景は、絶対に同席したくないそれよ。
なんでもなし崩し、中心がなくなってきています。芯がないのです。
「イイジャン、自由なんだから。迷惑かけてないでしょ?!」
なら、何をしてもいいのかしら?
違うと、あたくしは思います。
お掃除が出来ない若者が増殖中。
生きるって、お掃除をし続けることだと思うのです。
モノを捨てられない人は、そのモノに支配されているのです。
使わなくなったモノはゴミ!ですからゴミに支配されているという
ことに気付かなくてはなりません。
屁理屈をこねる前に掃除!
生きる=掃除
昔、ある人が友人達と壮大な夢を持って、着々と準備をしていました。
「ゴミはどうするの?」
あたくしの素朴な疑問に、彼等の夢は頓挫!
生きる=ゴミが出る=掃除をし続ける
こんな単純なことも分からずに、何が夢だ?!理想だ!?
開いた口がふさがらなかったわ。
自分を戒めています。
出来るだけシンプルに生きるように。それはモノに支配されない、
お掃除を心がけるように、以前よりね。
なぜなら、自分が汚くなっていくのです、好むと好まざるとに関係なく。
美しくなくなって、汚い部屋に住んで、いいわ、いいわにしてたら、
堆肥の中に生きるキノコみたいになっちゃうような気がしてね。
そう、腐って行くような。自分も堆肥の一部にって。
人の目じゃなく、自分に言い訳を、理屈(大体屁理屈)をこねながら
生きるのはやめなくちゃって。すべては、他者の目を意識してではなく、
言い訳って、自分を誤魔化すって事でしょう?自身の冒涜ね。
身ぎれい(自身もまわりも)にするには、継続する意思が必要です。
誰も関係ないのです。怠け者になりそうな自分に、注意深く関心を持ち
続けるのです。マッいいや!これを排除しなくてはならないのです。
そして、--言い訳してない?って。
スッキリ整理された環境へ自分を置く事は、自分を大事にしてるって。
別に、叱咤激励なんかしません。シャラーッと、動くだけの事です。
自分が心地よくなるために、のちのち楽をするために、ナマケる
ために動くのよ!ってね。
そんなこんなを考えながら、容姿が衰えたのだから(今?ウソ!)、
身辺をこぎれいにするように、なのです。
誰も見てないじゃない!?
エッ自分が見てるじゃない!失礼ですよ、最優先は自分!です。
人なんかの思惑を考えたって、他者や事を想像して行動の有無を
決めるなんて、そ~んな自分に失礼な事をしてはいけません。
なるべく自分が心地よく生きるために、日々の生活は自分で作る
ルールが必要な気がします。
人なんか知ったこっちゃないよ、全ては自分のため!
ショッピングが趣味って大バカものは、大体ゴミの中に生きてるのよ。
買い物が趣味~?
ああ、モノの奴隷があっちこっちにいるわ。挙句、
鬱になって、自殺?
戦後、食うや食わずの頃は、自殺なんかなかったって。もちろん糖尿病も。
なんか変じゃない?
おカネやモノは幸せをセットにはしてないって事よ。
モノ(いずれゴミ)の奴隷にならないように。
ブランド?有名人?それが?
あたくしにとってのそれは、あたくし自身よ。お生憎様でした。
自分にとって、自分以上の存在なんてない!!!です。
いとしみましょう、自分を。