ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

衣替え

2010-09-30 22:23:29 | Weblog
猛烈な暑さの夏にも絶縁状を叩きつけられる時期に、やっと辿り着け
たようです。イッセ-ノーセッ!で、押し入れから衣装ケースを引き
出して、箪笥の中身と交換。そう、衣替えです。四季のある日本なら
ではの家庭の行事のひとつです。クリ-ニング店へも、どっさり。

今では、どこでも空調が行き届いていますから、1年中着まわしが
出来る環境になって、それは感謝の何者でもありませんが、やはり、
季節感が欲しいって思います。
冬でも、ペラペラの、下着だか何だかわからない服のお嬢さん方を見
ていると、育ってきた家庭のありようが見え隠れするようです。

お箸やお茶碗の持ち方、片手に乗らない大きさの器は、基本的に持って
はいけない、持つ場合は、両手で。お箸の使い方にも、いくつも禁止
事項があります。作法は何のため?美しくあるため!今の若者の食事
風景は、絶対に同席したくないそれよ。

なんでもなし崩し、中心がなくなってきています。芯がないのです。
「イイジャン、自由なんだから。迷惑かけてないでしょ?!」
なら、何をしてもいいのかしら?
違うと、あたくしは思います。
お掃除が出来ない若者が増殖中。
生きるって、お掃除をし続けることだと思うのです。
モノを捨てられない人は、そのモノに支配されているのです。
使わなくなったモノはゴミ!ですからゴミに支配されているという
ことに気付かなくてはなりません。
屁理屈をこねる前に掃除!
生きる=掃除

昔、ある人が友人達と壮大な夢を持って、着々と準備をしていました。
「ゴミはどうするの?」
あたくしの素朴な疑問に、彼等の夢は頓挫!
生きる=ゴミが出る=掃除をし続ける
こんな単純なことも分からずに、何が夢だ?!理想だ!?
開いた口がふさがらなかったわ。

自分を戒めています。
出来るだけシンプルに生きるように。それはモノに支配されない、
お掃除を心がけるように、以前よりね。
なぜなら、自分が汚くなっていくのです、好むと好まざるとに関係なく。
美しくなくなって、汚い部屋に住んで、いいわ、いいわにしてたら、
堆肥の中に生きるキノコみたいになっちゃうような気がしてね。
そう、腐って行くような。自分も堆肥の一部にって。

人の目じゃなく、自分に言い訳を、理屈(大体屁理屈)をこねながら
生きるのはやめなくちゃって。すべては、他者の目を意識してではなく、
言い訳って、自分を誤魔化すって事でしょう?自身の冒涜ね。
身ぎれい(自身もまわりも)にするには、継続する意思が必要です。
誰も関係ないのです。怠け者になりそうな自分に、注意深く関心を持ち
続けるのです。マッいいや!これを排除しなくてはならないのです。
そして、--言い訳してない?って。
スッキリ整理された環境へ自分を置く事は、自分を大事にしてるって。

別に、叱咤激励なんかしません。シャラーッと、動くだけの事です。
自分が心地よくなるために、のちのち楽をするために、ナマケる
ために動くのよ!ってね。

そんなこんなを考えながら、容姿が衰えたのだから(今?ウソ!)、
身辺をこぎれいにするように、なのです。
誰も見てないじゃない!?
エッ自分が見てるじゃない!失礼ですよ、最優先は自分!です。
人なんかの思惑を考えたって、他者や事を想像して行動の有無を
決めるなんて、そ~んな自分に失礼な事をしてはいけません。
なるべく自分が心地よく生きるために、日々の生活は自分で作る
ルールが必要な気がします。
人なんか知ったこっちゃないよ、全ては自分のため!

ショッピングが趣味って大バカものは、大体ゴミの中に生きてるのよ。
買い物が趣味~?
ああ、モノの奴隷があっちこっちにいるわ。挙句、
鬱になって、自殺?
戦後、食うや食わずの頃は、自殺なんかなかったって。もちろん糖尿病も。
なんか変じゃない?
おカネやモノは幸せをセットにはしてないって事よ。
モノ(いずれゴミ)の奴隷にならないように。
ブランド?有名人?それが?
あたくしにとってのそれは、あたくし自身よ。お生憎様でした。
自分にとって、自分以上の存在なんてない!!!です。
いとしみましょう、自分を。

喝破!

2010-09-24 09:21:17 | Weblog
ごめ~ん遅くなって~~!って、秋が息せき切って走って来たような、
1日で10℃くらいも下降した外気。早や、2,3日前までの猛暑を忘れそうなほどね。
淑女(どこ~?どこにいるの~?)らしく、きちんと下着をつけて、長袖を着ます。
下着のような格好で街中を闊歩するあの、あの姿はダメなのです、あたくしは。

何もかも、ここ1線という踏ん張りどころをグジャグジャにして、何でもありって、
声高に主張する操り人の言いなりになって、自分を見失う人々(若者)。
どうしてそんなに操られたいのか、不思議でなりません。

スカートにスリップ。スラックスにはキャミソール。必ず着ける肌着。そして着る服。
ここ1線で踏みとどまるって、あたくしには美しく、その踏ん張る心意気が好もしく
思えるのです。
「エーッ、知らないの?流行よ」
こういう人とは、遠ざかるのが蚊帳の外の住人のルール。
浮世の動向に、なるべく鈍感でいたいってね。この誇り高き魔女は、誰かに操られない
のよ。操りもしないけれど。

ハマサキアユミのようなメイキャップ。男で眉毛をいじる。どちらも鏡の前では
絶対人様には見せられないアホ面よ。
なぜか、みんな自分が大っ嫌い。自分が嫌いな人は、絶対に(言い切っちゃう!)
心から他者を愛せない。だって、自分を好きな人は人真似に抵抗があるはずだもの。
そんな自分に対して失礼な振る舞いはしないのよ。
自分に向き会う事が怖い人が誰かに何かにすがる。

日本中セミナー開催、流行。
ふ~ん、で?
セミナー荒らし、そう。自分が嫌いだから、いっつも誰かの考え、意見を聞いて、
どこか偉くなったような錯覚を手に入れる。
けれども、ほとんど代わり映えのしない自分を見る。
高額なチケットで拝聴するのですもの、きっとタメになってる筈と自分へ言い聞かせる。
そして、次から次へ。又会いましたねなんて会話があちこちで。
なんだかやっぱり変な今の日本。
日本中、言葉が舞い踊ってるみたいよ。

読んでいて、思わず膝を叩いたユングの言葉。
「社会の中に身を置いていると、無意識にある意味では自分が思っている以上に悪い
人間なのである。なぜなら、個々人は、社会に担われていて、その分だけ自分の個人
的責任から解放されているから」
又、
「立派な人間ばかりが集まった大きなグループが、道徳と知性の点にかけては、
愚かで乱暴な動物に似てくることがある。すなわち、組織が大きくなればなるほど、
その組織の不道徳やバカさ加減は避けがたくなってくる」
ですって。
そう、だから、絶対に組織に入らないで生きてきたあたくし。
何やら、とてもタイムリー。1928年ユング58才の時発表「自我と無意識の関係」
ここで彼は言ってるのよ。時事には極力触れないようにしてるけど、あまりに今の
日本の話題にピッタリだったので、喝破したユングの説が正しいって、すごいでしょ?

三ない

2010-09-15 19:46:50 | Weblog
楽しい話題が、あるのでしょうけれど、人は人の不幸が好きなようで、
メディアが撒き散らす話題は暗~い話。勝手に飛び込んでくる以外は
自分から読まない・聞かない・話さない、そう、三猿みたいに「三ない」。
それでも、やっぱり目に耳に入ってくる痛ましい出来事に、私は意を決して
ある行動に移る決心をしました。
地域の公共施設で、心理学講座を開く事に。

勉強しても、入力だけではいけないって、インプットが多すぎる現代人かも。
心理学講座に通って(今再受講中)、15才の悩める自分に再会して、
無意識の力の強さを知り、少しずつ解放していってます。潜在意識を顕在
意識に、そう、お日様に当てるような作業をしている日々です。
ウッソ-!そんな事が次から次へ。でも、それを認めることがどれほど大事
なことか、わかっていますから。

潜在意識には、認めたくない、ある経験から起きた、感じた感情が処理されずに
心の奥深く住み着いているものがあります。それがトラウマとなって、
色々な場面で瞬間反応をして苦しめます。でも、それが何に起因しているか
わからないのです。単に目の前に起きたことが不快なんだと、意識は解釈します。
なので、目の前の事を解決すればいいって、とりあえず頑張ります。

子供同士で目いっぱい遊んで、喧嘩して、泣いて、誰か慰めてくれて。
例えば不注意な言動で、父が母があるいは身内の誰かが、自尊心を傷つけたと
しても、それをクリアする愛を父が母が与える、そして
「ごめんね、悪かった。許してね」
そんな姿に、傷は深くならなくて済むのです。けれども、なぜか親は子どもに
謝りません。なぜでしょう?あたくしには解せません。
あたくしは、非を認めれば相手が誰であれ謝ります。

足りないところばかり突付きます。
「何で、これが出来ないのよ!」
「何で、こんなことするのよ!」
「なんで、何々ちゃんのようにできないのよ!」
「早くしなさい!」

いっつも足りないところを指摘されて、人は嬉しいでしょうか?
自信が持てるでしょうか?
一番嫌いな人が母親という事実もあります。
親は自分が嫌われている事を知りません。想像すら出来ません。
子どもだって、本当は大好きなんですお母さんが。
でも、嫌いにさせているのです。
自信を持たせないような、そんな接触をしているのです。

言われたことしか出来ない。
いわれた事でも、出来ないって投げ出します。
誰かに指図、守られて(ある種の)生きてきた子どもは、困難に
ぶつかって傷つく事を恐れます。

それが、年間3万人以上の自殺者を12年連続で出している
我が国日本です。
アルツハイマー増加の一途。
どちらも自分を愛せない人と、あたくしには思われます。

あたくしの経験と知識を提供しましょう。
それで、どなたかが「あ~そうだったんだ、なあんだ」って。
解決の鍵はみんな自分が持っていることを知らないだけのことです。
その鍵の見つけ方をちょっとお教えするだけのことです。
あたくしは動きます。それが、誰かのためではなく、あたくしの
ためであることなのですから。

解せない!

2010-09-11 23:56:16 | Weblog
不思議は。少しも不思議じゃない事なのかも知れないけれど、思わず今回は
相手の方にお聞きしちゃいました。
「すっごい年寄りに見えました?」
「とんでもない!」
「とても疲れているように見えました?」
「いいえ」
「じゃ、なぜ?」
「そんな気に思わずなっちゃったのです」
「不思議ね~、以前にも何回も」
「本を読まれるのならって、どうぞお掛けになって下さい」
押し問答をしてたけれど、ご厚意に甘える事にしました。ありがとう。

木曜日の朝の、京急電車内のことです。
以前にも何回もここに書いていますよね。労わられてではないみたい
だけど、ならどうして?
いつも背筋をピンと伸ばして、努々(ゆめゆめ)労わられるような
格好雰囲気は出していないつもり。

冬の寒~い頃、毛皮のコートは羽織ってたわね。車内。
この時も、手で差し示して座席を譲られた男性、30代後半?
辞退したけど、どうぞどうぞって。
4,5年前のある時から始まった譲られる席なの。すっかり忘れてた
それが又、びっくりしちゃったのよ。今回は50代と思しき女性。
同じ品川駅で下車。私は都営地下鉄に乗り換えだったけど、彼女と
それまでオシャベリしてたの。これは初めてのことね。
「なんだかわからないけれど、お譲りしたくなったのです」

もしかして、都度、
「どきなさい!」「おのき!」ってオーラを出してたりして(笑)。

久し振り、去年の北京帰り以来、元・中国語の先生のシンサンと
二俣川駅ビル内のレストランでランチデート。
なんと5時間もオシャベリよ。その時、席譲られ話をしたら、
「僕だったら、絶対譲らないよ。だって、いっつもシャンてしてる
じゃない。譲る必要がないもの」
「でしょ?だから今でもなんでかなあって思うのよ」
「だよね~」
「やっぱり、どけ!って身体から出てたりして」
「ハハハ」

木・金曜日続けて銀座まで心理学再受講に出かけました。
感動した講義です。内容を充分理解するまで受講するつもりでいます。
金曜日のそれは、代表者衛藤氏の講義です。
相変わらず、全身を使っての講義、その上1時間オーバー。軽食を
摂りながら質疑応答。危うく終電を逃すところでした。

絵本

2010-09-07 10:28:47 | Weblog

机周りを整理整頓開始。20年以上使っていたFAX、お役目済んで廃棄処分。
かなり大きい我が机ですが、FAXをどけたら、あら~っ広い!出来ればこの
デスクトップ型パソコンがなくなれば、もっと広くなるんだけど。でも、きっと
他に代わるものを置くに決まってるわね、あたくしの事だから。

で、その場所に何を置いたかって、辞書~~~!電子なんとかは嫌いだから、
買う予定は絶対ない!言い切っちゃうわ、それほど温かみのない物体ってね。
辞書は、新しい方がいいって言われるわね。昭和54年発行なんて和英辞書も
あるけど、いかんせいいボロボロ。別に不自由はしてなかったんだけどね。
ちょっと大きめ"The WISDOM JAPANESE-ENGLISH DICTIONARY"が最近買った
一番新しい辞書。他は覚えてない購入時期だけど、辞書は子どもの頃から
遊んでたモノで、毎日手にしない日はないのよ。右利きだから、辞書群は机の
左側へずら~っと並べたの。使いやすく。およそ20冊近く、色々とね。

暇はいっぱいあるけど、退屈はしていないあたくしよ。
問題集はいっつも最初からだよって、ウチの宇宙人に最近言われてね。
なんで、試験勉強の時に言ってくれなかったのよ!って胸の内でブツブツ。
アッそうか、その頃はまだ彼はこの世の存在しなかったのよね、バカな
あたくし。
それで、この年になっても問題集や参考書と格闘している幸せ者の魔女は、
息子の言に従って、毎回何でも最初からしています。
問題集にじかに書き込まないで、別紙に解答を書いています。
いいでしょう?いくつになっても問題集に取り組めるって。ほ~んと幸せ者
だなぁって思うのよ。

そして、昨日は、「大きな木」村上春樹訳の絵本を買って読みました。
絵本ですから、10分もあれば終わります。けれども中身は1トン位。
表層をなぞるだけなら、なあんだかも知れませんが、50年も読み継がれた
本です、それだけの中身ということです。原書は"The Giving Tree"
GIVINGですから、与えるお話。
欲しがってばかりの人々。ボランティアに精出す人々。
大人になった人々。生きるのがちょっと辛い人々。
読まれる事を勧めます。

車椅子の物理学者、S・ホーキンス博士が、「神が宇宙を創ったのではない」
って「グランド・デザイン」という本の中で言ってるって。
これは是非読みたい本です。科学者の説は是非知りたいじゃない?
宇宙と神!宇宙と神ですよ。バチカン大騒ぎ(になるわね)。
読みたい本をリストアップしてますが、早く~~~!って自分に。
"The Giving Tree"は原書で読まなきゃ!って