ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

中国人と中国語

2009-10-30 19:56:37 | Weblog
昨日はキョウシンクンと5時間もオシャベリしてきました。
中国5000年って言ったら、彼はとても喜んで、
「そう、そうなんだよ」
「なんで?」
「だって、日本人は皆、中国4000年って言うんだもの」
まあ、本心としては、4000年でも5000年でもいいって思うけど、
そこはそれ、中国人にとっては1000年って大きい差なのよね。
そこで、あたくしが北京滞在中に感じた事を言うわけよ。
「冷静にね、個人を祭り上げるって、国民の意識、成熟度が低いって
思うのよ。どこもかしこも毛沢東って、あたしはああ、この国の人達は
まだ成熟してないって、ね」
「毛沢東は、今じゃ、それほどじゃないよ」
「そうねえ、去年の08憲章なんかがその表れかも。でも、到底理解で
きなかったあなた達の国よ」
「カルチャーショック?」
「う~~~ん、全部!なんで、あんなに他省の人達をボロクソ言うの?」
「ああ、言うね~。上海は有名だけど、上海人にしたら北京なんてダサイ
って」
「ええ、すごい反目だものねぇ。おらが国さが一番って、それはみんな?」
「うん、みんな」
「でね、あたしの中国語はいい加減だから、あたし個人が感じた事を言えば、
強烈な中華思想がそこいら中から匂ってた。世界の中心は中国って。あの
中華思想が、骨の随まで染み込んでいるんじゃない?って感じたほど、
中国人は世界の中心にいる民族だよ、文句ある?ってね」
「アハハハ、そうか」
「うん。それにごめんなさいはないし、ありがとうって言葉は身内では言
わない。水臭いって?もう、すっごいストレスだったわ」
「そうだねえ、家族間じゃ言わないね」
「でしょう?基本の言葉よ。ありがとうは。でね、お世話になったお家の
チビチャンに、家政婦さんが何かしてくれたら、ありがとうは?ってあたし
が催促するのよ。だって、当たり前じゃない?それは中国人は言わないし、
言わさないだって~。あたしは、息子たちへどれほどその言葉をスムーズに
出させるか、一番大事な言葉だって今でも思ってるもの」
「そうだね」

彼の今後は、来春、川崎へ多分引っ越すと思う。今のバイトは辞めない。
同居の彼女とは結婚する。前はそんなでもなかったけど、喧嘩するねぇって。
「ウン、情熱は花火だから、消えるのも早いのよ。愛は高く燃えないけれど、
ず~~~~っと低いところで暖かく消えない火が燃える」

さんざんしゃべって、お待ちかねの彼女のオーダーは、coco一番館のカレー。
福神漬けを多目にって、注文。
「袋入りを買ってったら?」
「ダメだよ、高いからって」
「だって、あなたのご馳走でしょう?」
「ウン、そうだよ」
「そうなのね~」
シッカリお嬢さんのようです。
中国の高校、大学で愛国教育をシッカリ受けてからの大学留学生です。
あたくしが感じた以上の違和感を彼女は抱いて日本で生活していると思います。
けれども、キョウシンクンとの生活を優先して、決してしっくりはこない
日本での生活を今のところは選んだようです。ちょっと可哀想。

今日の高老師のお教室は、なぜか欠席が目立ち、総勢7人。インフルエンザで
ないことを祈ります。隣りの席のヨウコサンはメールで欠席って。
来週は、もう一人のヨウコサンが欠席です、東欧旅行で。素晴らしい!

日暮れが早くなって、蜘蛛の子を散らすように放課後の解散の早い事、早い事。
気がせくのです、主婦たちにとっては。冬至の頃は、ここ南関東では、3時半
ともなるともう、暗くなりだしますから、家に着く頃はしっかり暮れている事
でしょう。

新聞にデカデカ出ていた某書籍広告。只今33万部だそうで。
固定観念をこの際はずして、速読法ではない読書方法で、あたくしは我が家の
書棚やアチコチに平積みしている本達を片っ端から読みまくります。
ああ幸せ~~~。今日はBOOKOFFで2冊購入。明日もアマゾンから本が2冊届
く筈です。こんな嬉しい事はああた、そうそうあることじゃござんせんことよ。
 う・れ・し・い!

陰徳

2009-10-29 06:56:02 | Weblog
ひたすら読書・パッチワーク・園芸の日々です。外出はしない、いわゆる
家内をやっています。
世の中はかまびすしい。

流行しだした頃の大騒ぎより、現在の方が感染力が強まって、企業など運
営が成り立つかどうか、危機管理はどうするか?って、スペイン風邪の次
に次ぐって感じの今回のインフルエンザ。
そんな状況に、不特定多数が出没する所へ出掛けますか?

病院は、・・・ 行きません。あそこは病気の巣窟ですから。
大体が、病気になりたい人が行く所が病院って思うあたくしですからね。

クリントン、ブッシュが手を組んで、今回の菌をばら撒いたって話がある
のよ。そういえば、メキシコ発だけど、厳密な発生原因・場所はウヤムヤ。
ネットで堂々と、世界で起きている誰も書かない情報を発信し続けてきたジャ
ーナリスト、最近は送られてこないけど、消されちゃった?

エイズも、故意に広めた、それは白人至上主義が根底に。
そんなバカな!って、絶対に多くの人が陥る、固定観念の呪縛から逃れられ
ない事を知る邪悪な人間のなせる事。思うほど広まらなかった悔しさを
発案・仕掛け人は歯噛みらしいわ。

核は、ハッキリわかる製造。核不拡散がやかましいし。
けれども菌など、誰がどうするなんて想像すら出来ない存在だから、ひそか
に誰かが壮大な計画の下で広めたら?殺人計画があるとしても、多くの人々
はその回避を専門家に委ねるしかないのよ。

偶然などということは起きないってご存知ね?
全ての現象は、必ず原因があって結果が表れる。
誰かの、意思が大きく関わる。

今、試されています。誰に?あたくし自身に。
不愉快な状況下に、直接な関係ではなくても、思わしくない言動に瞬間ムッ!
そんな反応をする、不快感を持つ自分に、いささかげんなりしています。
当たり前?ええ、当たり前の感情ですね。
でも、以前ここに書いた、本当の自分、心の中にいる自分の成長は、感情の
処理にかかるのです。感情が負の方向へ行くと、ギュッと縮まります。それ
を感じるのです。

最悪な時に最良の事を考えなさい!これは極意。けれど、とても難しい。
そう、対象者の幸せを祈る事です。ボロクソ言いたい(思ってしまう)
対象者のために。陰徳を積みなさいって事。

確かに、そう、間違いなく非難、攻撃は悪しき結果しか起こさないのです。
人はそういう生き物です。どれほど自分を正当化して他者を非難してきたで
しょう。
こんな言葉もありましたね。聖書の中だったか、出自は定かではありませんが、
「過去に1度も間違いを犯さなかった者だけに他者を攻撃する資格がある」
というような。
ああ、そうなのです。間違いを起こさない人など存在しませんから、他者を
責めるなって事です。
「私はあんなことはしない」?けれど他者から言わせると
「私はあんなことはしない」ことをやってるのです、往々として。

深くため息が出る時は、強引にでも意識を引きずり出して、
「あの人はいい人なのよ。たまたま今だけ道を間違えているだけ。だから
信じましょう。いい人だって」
同じ人間だって。私もあなたも間違いを犯す。けれども、心から他者を信じよ
うと心がければ、それは必ず通じるものって。長く紆余曲折があっても信じる
ことしか救いの道はないって知っています。経験から辿り着いた結果です。

邪悪な人々が起こす想像を絶する事は、ここでも深く自分の意識が関わります。
「私は絶対に関わらない!絶対に!ぜったいに!」
強い意識だけが関わるのです。行動は関わってはいけない。不特定多数が
うごめく場所に、身を置かないことなどです。

今日は久し振りにキョウシンクンに会います。
日本の国費で某国立大学院で学びます。マクロ経済が専攻です。
彼はあたくしの北京話を聴きたいって。あたくしはその試験に受かったお祝いと、
彼の未来話を聞きたくて夕飯を一緒にって。
お国(湖北省・武漢)で、可愛い息子さんの安否をうかがうお母様の気持ちを思
うと、一人っ子の彼の今回の快挙を、どれほど誇らしく思われたか。充分に察せ
られる快挙でした。う~ん、中国人にしておくのはもったいない(笑)。

ドテッ!イタッ!アハハハハ

2009-10-17 22:02:26 | Weblog
久し振りに「おが屋」へ出掛けて、あたくしに会いたいっておっしゃってらした
ヤマウチサンが2日続けてお出ましでした。
「どうだった、中国は?」
「う~ん、大きすぎて入りきらなかったですね~」
「次はツアーで行ったらいいよ」
「台湾と上海?」
「そうだな~」
週3回の透析はかなり身体に負担なのでしょう、げっそりとお痩せになって。
でも、あたくしは喝を入れるのです。
「エエッまさかどうせ なんて思ってないでしょう。信じきれるかどうかが
鍵だけど、それが、しかも期限なしで。それができたら身体は奇跡を起こし
てくれますよ。自分の力を侮って、お医者様ばかり頼ってたら、自分に失礼
ですよ、頑張って!」
「だけど」
「生物の本能は生きたいって。だからもういいよってのはウソよ」
「う~ん」
お子さん3人は、1人はアメリカ。次は上海をベースにベトナムもテリトリー
の実業家。もう一人は経済実務関係の講師、こちらは日本。
とりとめもなく、常連オオタサンも交えて経済・子育て論・世界四方山話と。
「俺、明日もちょっと病院なんだよ」
「じゃ、さようなら。またお会いしましょう」
あっさりしたものです。

夜中にならないように、あたくしも10時過ぎに
「ご馳走様でした、又ね」エッ、息子のお店だからタダ?いいえ。ご馳走様は
食後の当たり前のご挨拶です。

我が家のある駅を降りてバスの時刻表を見れば、もうありません。いつものように、
徒歩で帰宅です。小さな公園を横切って、--ン?アラッ!アララララ・・・・
ものの見事にドテッと前に倒れてしまったのです。右ひざを着いて、両手は前方へ。
靴は脱げてストッキングの足。

あたくしの倒れる様を見てたのでしょう。少し向こうから
「大丈夫~~~~?」女の子の声。
振り向けば、4~5人の若者がこちらを見ているじゃありませんか?
「ありがとう~、大丈夫よ~」
「あとから腰や足が痛くなるよ~」
「そうお?でも大丈夫よありがとう~」
「ウチは遠いの?」
「15分位かしら、でも本当に大丈夫。それよりおかしいのよ」
「?????」
「だって、子どもの頃みたいな転び方をしちゃって。おかしい~~!ハハハハハ」
「本当に~?」
「ええ、フフフおかしい~」
「大丈夫~?帰れる~?」
「ええ、本当に大丈夫。ありがとう心配してくれて。あなたも早くお帰りなさいね」
「は~~い!」
その子の心遣いがあたくしをエスコートしてくれました。
右ひざと、右手をちょっと擦り剥いただけ。他はなんともありません。
転んだのは、不覚だったけれど、身体の機能には全く異常もなく、継続は力なりを
実感。スクワットはかれこれ20年近く、最近はゆ~っくり深くのそれ。
フフフフフフフおかしかったわ~。けど、すっごくみっともない正式転倒でした。

自己との遭遇

2009-10-15 08:09:10 | Weblog
太陽の周りを大きく変形しながら動いていたものは何?
何であれとてつもないエネルギーであることは間違いないわね。
もう2度と、沈み行く、けれどもまだ光り輝くまぶしい太陽を肉眼で見ることは
ないでしょうから、貴重な体験をしたことを胸に収めて。ホント「見てご覧!」
って、そんな感じで引き寄せられたのでした太陽に。

ン?そういえば、室戸岬の洞穴で瞑想していた彼の体内に飛び込んで来た太陽
(のエネルギー)を感じ取ったって逸話があるそれをふっと思い出したわ。
恐れ多くも、ーーーあら同じねーーなどとは露ほども思わないけれど。
人間のスケールの差異は、太陽と月、否、月とすっぽんほどにもならないくらい
ですから。
国費で中国留学した最澄(天台宗)と違って、私費留学生だった空海(真言宗)の
ことです、彼はって親しげに言ったのは。最澄も空海も同じ密教系です。
空海は太陽が体内に入ってきた強烈な感覚があったのでしょう。
たしか大日如来がシンボル(本尊)だったように記憶しています。

この春でしたっけ? 天台宗と真言宗のトップがガッシリ握手してハグしたのは。
ハグまではなかったかしら?ええ、どちらも凄いご高齢でした。
公務員の最澄、民間の空海って。民間の経営者”守るは己”が強いのは言うまで
もありませんね。守ってくれるものがなければ、自身を頼まなければ生きていけ
ません。
そしてその後の2人の歩みが後世の今を見ればわかります。
一つの流行のようになってしまった四国お遍路48箇所(寺)巡りの今日。
空海、弘法大師の行動の表れ。日本中に足跡を残す彼です。和歌山県高野山の
金剛峰寺が真言宗の総本山。最澄の天台宗は比叡山の延暦寺。

凡そ宗教ほど激しい自己顕示と排他はありません。うんざり。シッシッシッあっち
へ行って!ですあたくしには。
時代が変わり、5感で感じられない事すら科学の力で解明されてきている現在、
ありがたがって、難しい経文を唱える必要があるとは到底思えないのです。
神秘的だから、ご利益もある?解らないほどに難しいから霊験あらたか?
一神教の怖さは歴史が証明してますね。
あたくしは、他者が他者へ根本の幸せをもたらすことはないって確信しています。
どんなにありがたい教えであろうと、他者に依存している間はそれは借り物でし
かないのです。
自分を他者に預けた幸せなど砂上の楼閣でしかないことを知らなくてはなりません。
けれど人の言う事に耳を傾けない倣岸な人もいます。
なぜ皆自分を嫌うのでしょうか?なぜ自分以外の人になろうとするのでしょうか?
反対に、絶えず批判的な人が自分を愛しているかといえば、これもまた、自分を
嫌っている証。
親であれ、身内他人関係なく、一瞬も離れる事のない存在は自分自身だけなのに。
生を受け、此岸から彼岸へ行くまで、絶えず一緒は己自身。逃げることは不可能
な存在が自分自身だけと気付く、そう、なるべく早く身体で感じなければならな
いのです。それを感じた瞬間に、いとしくなって、嫌っていた、愛し切れなかっ
た自分にわびる滂沱と流れる涙の後から自分以上の存在なんてないって事に
気付くのです。
そこに初めて自分の足で立つ自分を見るのです。そして、自分を導くのは自分
自身だということに気づき、ーーーそうか、私にとって私以上の存在なんてない
んだ!---沸々と湧いてくる自信と開放感に涙するのです。これは
嬉し涙です。自己嫌悪?そんな、自分に失礼なことは2度と思わなくなります。
他者の目を気にしない、他者と比較しない、何も怖くない自分に出会うのです。
こんな嬉しい感覚は生涯に2度とないって思います。

あぁあたくしも意識はしていませんでしたが、多分自分が嫌いだったんだと、今
にして思うのです。それも長~い年月。苦しんで、自分で自分を認められない愛
し切れない、けれど、自分が大切、そんな自分と離れられない苦悶の日々が重く
のしかかっていたのです。つい何年か前まで。
エエ~~ッ!つい最近まで~~?・・・はい。

子どもの頃、あたくしにとって大人って不可解な生き物でした。好きじゃありま
せんでした。胡散臭い生き物でした。単純な質問にも明快な答えをくれません。
正確な答えを子どもは要求なんかしてないのです。ただ、どこかでふ~んそうな
んだって、子どもの心が納得をしたいだけなのに。
そう、ファンタジーでいいのです。いつか知識が増えて、現実に向き合うのですから。
いつも他者との比較の中にその子を置いて話す大人をあたくしは認めていません
でした。大人は子どもがどんなに無垢な心で大人達を見ているか知らなければい
けません。自分より長く生きているからあんな風に偉そうにするんだ、って。
尊敬なんか出来ないのです。尊敬されていないのに、威張りたがる大人がバカに
見えていました。いっつもーーーおとなって何?---。
みんな子どもの頃があったのに、そんな過去のない違う生き物のようでした。

くも膜下手術以後、そう、2年ほど経ったある日の事です。
洗面所で顔を洗ってました。その直後のことです。頭のてっぺんから足の裏を通
って抜けたように感じたものがあたくしを蘇えらせたのです。電流のような、
一瞬の感覚でしたけれど、それはあたくしに
「レイコにとってレイコ以上の存在がいる?」
って聞いたようでした。あたくしがそう感じたのです。瞬間!あたくしは崩折
れたのです、べたっと床に。手は洗面台の淵を握っていました。その衝撃に
立っていられなかったのです。考えた事もありませんでしたから。

その後、あたくしは人の身体の中に子どもの姿を見るようになったのです。
その人の子どもの時代の姿を。全く等身大の人にはお目にかかっていません。
それからあたくしは、自分の心の中に正真正銘の自分がいることに気付いたのです。
そのそれぞれの子どもを成長させなければならないって。
子どもを育てるコツは「5つ褒め3つ叱る」。
実際に褒められて育つのです。他者に批判的な人は褒められるより、叱られて
育った人のようです。
そして、人は自分を愛せないようになってしまうのです。
あたくしの目には怒られて、叱られて、上目遣いに人を見る子どもが見えます。
大体の人の心の中に住む子ども(まだ大人に会ってません)は、泣いているか、
視線の定まらない目を虚ろにしています。苦しそうな顔をしています。
「ああ、私も成長したい!」って、叫んでいるように見えるのです。
多分、心の中のあたくしも、まだ腕の中に腕が、足の位置に足が、頭は頭の中
には入ってないように感じます。ですから、あたくしはあたくしを育てる義務
があると深く思うのです。ニッコリ微笑むあたくしに出会わなければならない
のです。さあて、どうしましょう。丹田を意識して、腹式呼吸をします。
腹が立ったり、落ち込んだり、そんな自分を心の中の自分が励まします。
「大丈夫!大丈夫!あなたは素晴らしい。素晴らしい存在なのよ、だから、
腹を立てたり、落ち込んだりしないのよ。ええ、大丈夫よ!」って。
あたくしは本当のあたくしと出会ったのですから、じっくりと付き合うのです。
これは、全ての人が出会える自分です、出会わなくては自分が可哀想です。
「ごめんなさいね、いっつも無視してて」
此処から始まる自分との遭遇です。素晴らしい感覚です。

いわゆる宗教は必要ないってことに気付くのです。素晴らしい自分がいっつも
一緒なのですから。あぁ こんな言葉がありましたね。
「天は自らを助ける者を助ける」
ええ、そうなのですよ。
さあ、今すぐ自分に向き合って、心の中の自分に気付かなかったことを謝りま
しょう。 そして許すのです、他者がするのではないのです。 この世に最高の
存在(自分にとって)の自分を思いっきり褒めましょう。そしてねぎらいましょ
う、よく生きてきたねって。ええ、本当に頑張ってきたのですから。
自分にとって自分以上の存在なんてないのです。そこに気付いた時、本当の自分が
ニッコリ微笑んで、ググッと大きくなるでしょう。そうなのですよ。

太陽

2009-10-13 00:02:21 | Weblog
裸眼で太陽を見てしまいました。
夕方4時頃のことです。夕食の支度にちょっと足りないものがあり、5分ほど
離れたこの界隈唯一の小さなスーパーへ。
さっさとお買い物を済ませ、家の傍まで来た所で足が止まってしまいました。
西に傾きかけている太陽は、まだまぶしく輝いていました。
何を思ったか、あたくしはその輝く太陽に見入ってしまったのです。
買い物に行く途中でサングラスを持ってこなかったのをちょっと悔いてたあた
くしがです。ええ、まぶしいのですが、目を細めて太陽光線を避けるどころか、
引き込まれたように太陽の輪郭をこの目は捕らえていました、しっかり見開いて。
太陽の周りを何やら大きな動きをする物体まで捉えてしまいました。コロナが
そんなに大きくない事は先の日食の時の写真で知ってましたから、太陽の周り
を動いていたものが何かはあたくしは知りません。紫外線が有害なことも、そ
れが白内障の一つの原因になっている事も知っています。けれども思わず見
入ってしまったのです。時間にすれば、20~30秒位の短い時間でしたが、
なんとも言えない神秘的な体験でした。

長く生きていると、様々な経験をするものです。
全く同じ日なんてないのですから、面白いのです生きているって。
しかし、昨日のあれは何だったのかしら?って自分の不可解な行動を訝ります。
とてもきれいでした。黄色くも赤くもなく金色でももちろんなく、どちらかと
いえば白に近い色。
馬鹿だな~ってどこかから言われそうな気がしないでもありませんが、引き込
まれたという表現が一番当たっているかもしれない時間でした。そして、
「見た~?じゃ、おしまいね」って感じで、その後雲に隠れてしまいました。
そしてその後、特筆すべき事は何もありません。
大作(200×200cm)パッチワークに取り掛かっています。布同士を縫いつなげる
ための針に糸を通すのもまだ裸眼です。ありがたい事です。
アラッ、ずうっと昔から自動車免許証には「眼鏡等」って書かれてある近視と
乱視の目のはずなのに、なんで見えたの?やっぱり不思議な体験です。

まあ、何もかも説明がつくものでもありませんから、そういう体験をした。
それだけのことです。しかし、裸眼で空に輝く太陽を見た人ってそうそう
いないでしょう。そんなおバカはあたくしだけ!でも見たくても見られない
太陽そのものです。強烈な光線で不可視です。西に傾きかけていた太陽ですか
ら、頭上にある時のそれとはかなり違う事は事実ですが。

あの古事記の?

2009-10-10 22:34:52 | Weblog
稗田阿礼(ひえだのあれ)が元明天皇に語り、太安麻呂(おおのやすまろ)が
書いたと言われる「古事記」日本最古の歴史書。

中国語教室。今日は、3回続けて宋先生の授業。横山先生はお忙しいようです。
いつもはセニョール・ダンへ送ってもらうのですが、今日は寄りたい所が
あって、彼の出番はありませんでした。あと数分で始まるという時間に
お教室へ入ってみれば、---どうしたの~?---という混み様。
9月から、2クラスが合同になって1つのクラスへ。けれども今日はかつてない
人数になってて、いつもの席はもう空いていません。
「こっちこっち」というお誘いで、やっと着席でした次第。フ~~
教科書に沿ってではあるけれど、以前より会話の時間を多く作られます。
隣りの方との会話は、「教科書は見ないで!」という厳しいもの。初見ですぐ
暗記など無理ですが、なんとか頑張りました。フ~~~

あと20分、というところで、
「では、ヒエダさんにご旅行のお話をしてもらいましょう」
ー-ン? ヒエダ? もしかして?---
ボードへ少し古びた中国の地図を貼られます。76才とおっしゃる男性。
3月~9月、1人で中国南方を気の向くままの旅行をなさったのでした。ワォ!
就労ビザ(を取得されて)、向かった先の大学に短期留学、個人レッスン。
ご自分で撮られた写真を4枚載せられた旅行行程。半年は世界旅行に当てられ
ているとおっしゃる方です。何もかもご自分で。移動に24時間列車なども。
「費用は?」「そのエネルギーはどこから出るの?」「怖くなかった?」
「言葉は?」etc.
今迄24カ国を一人旅行され、その海外旅行のために残り半年は体力作りを
なさるそうで、しかもベジタリアン。ハァ~~~

放課後、
「もしかして、あの古事記の稗田阿礼のご子孫でいらっしゃいますか?」
「はい」
素直にハイっておっしゃられて、こちらがちょっとドギマギ。
「お名前を伺った時に、もしかしてって思ったのですが、本当なのですね?」
「傍流かもしれませんよ、もう、大昔の話ですから」
「いえ、それはそれとして、まさか古事記のあの稗田阿礼のご子孫にお会い
するなんて、すっごく感激です。ぐっと古事記が身近に感じられます。
今日はありがとうございました」

グァテマラでじっくり読んだ古事記です。そして、日本人が経営する民宿へ
置いて来たそれです。日本を離れると日本が見えます。21世紀に1300年以上
も前(奈良時代初期)に書かれた最古の歴史書を外国で読む。
あたくしの旅は読書がメイン。観光は極力しません。大勢の人を見に行くよう
なものですから。
家に居てもよく読みますが、家事やら何やらで、集中が難しいので、長期旅行
は絶好の読書タイムなのです。特に長編ものを携えます。(重い!)

稗田さんという方と知り合えたからって、別になんていうこともありません。
ただ、少し心が豊かになったような気が、そう、ただそんな気がしたのです。
幸せ感て、個々人が心の中で感じるものです。他者には窺い知ることの出来な
いものなのですから。幸せって、ほわ~~~って全身が暖かくなるような感覚
です。今日も大声で笑いました。農家の方々が利用するような園芸店で、肥料
と土中の害虫を駆除する薬剤が買えました。古事記に繋がる方と会えました。
授業はどうにかクリア。SONGちゃん(宋先生)とゆっくりお話が出来ました。
暑くも寒くない日でした。オクラがもう少しで食べられるほどに育っています。
今日も健康でした。あ~~幸せ~~~~~~~な1日でした。

手作り枕

2009-10-05 10:35:07 | Weblog

もうお引越ししたと思っていた付君(大連出身)から一昨日の夜
「中秋快楽」ってメールが深夜に届きました。そうです「中秋の名月」
「月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月」って詠まれたお月様。
「月餅」を食べる習慣の中国人達。蓮の実から作られる餡。塩漬けのアヒルの
卵の黄身をその餡で包んで、暗闇に浮かぶ月を表現なんて、風流&手が込んで。
その他にも、色々な果物(甘く煮たもの)も餡になるそうです。
彼は、日中双方の月餅を食べたって。

「ところで搬家(引越し)は?」
「まだ越してません、未だ物件決まりません」
なんと、新小岩に行くって話だったので、なかなか会えなくなるわねって話
だったのに。
中国とは全く事情が異なる日本の不動産賃貸。大連にマンションを待つ彼は
色々と考えて、決めかねているのでしょうね。
「越す時に、僕が作ったブルーベリー酒を一緒に飲みませんか?」
ですって。お酒には弱い彼だけど、あたくしが上げた梅酒が美味しかった、で
季節を逃した彼に勧めたブルーベリー酒。美しい色合いで、そろそろ飲みごろに
なってきたらしいの。あたくしの方は、黒砂糖で作った梅酒は飲み終えちゃった。
残った梅は種から果肉を取って、そこへ又黒砂糖を入れてじっくりじっくりとろ火。
梅ジャムの出来上がり~~~!

ウチの宇宙人が使っている枕がグジャグジャ。中身がなんだったか、どうなって
いるのか、正体なく形が崩れて、それはゴミ。
で? セニョール・ダンもだけど、蕎麦殻枕、それもバスタオルでかっちり固め
たそれが好み。フワフワなんて嫌い。
能書きの多い昨今の様々なアイテムだけど、「ジャカマシイ!」じゃない?
昔からの小さな瀬戸物・製麺販売のお店。最近ちょっとした園芸品も扱うように
なって、便利にしています。そこで、「ン?」見かけないものが店頭に。
「そばがら1杯¥120」ですって。これはラッキー!1杯?1升よ。
そして夕べ、55×40cm生地で作りました。ミシンなんか必要ありません。
糸と針でしっかり袋縫いです。老眼鏡は必要なしなのです、ありがたい事に。

「完成~!どうお?」
「もっとぎっしり詰めた方がいいな」
そして今朝、朝食を摂っている彼は、両手を広げて
「こんなのがいいな」
ですって。
昔から「頭寒足熱」って言われます。低反発なんとやら・・・余分な熱を吸収
しないわね。蕎麦殻枕は日本人の知恵から生まれたもの。最近見直されている
ようだって、店主も言ってました。そういえば、北京のスーパー(日本の)で
見かけたわね。ポリエステルの中身の枕は、頭のためには良くないかも知れな
いわ。余分な熱は放出して、気持ちよい眠りにいざなうのかもね蕎麦殻枕は。
足が火照るって方は、しっかり厚地の靴下を履くことをお勧めします。
どんなに暑くてもね。我慢して履いていると、火照ることはなくなります。

さあて、当分あたくしの枕作りが続きそう。プレゼントなんかにもいいわね。
蕎麦殻があんなに軽いものだったなんて・・・・・、いくつになっても嬉し
い経験を積んでいます。
そういえば、昔、パンヤなんて綿でよくクッションなんか作ったけれど、
今はポリエステルに代わってしまったみたいで見かけません。
我が家の庭で作られる棉実。今年もいっぱい実をつけています。
去年のと合わせて、何か作りましょうか。
手作業が好きなあたくしは、ほ~んと幸せ者です。
そうそう、ドングリをお散歩途中で拾ってきて、苗床(小さな種まきポット)へ
埋め込みました。リンゴ「つがる」「ふじ」の種も。大きくなったそれらの姿を
想像するだけでも嬉しいわね。

車内で

2009-10-03 10:13:19 | Weblog
昨日の続きです。
ヨウコサンの車の中での会話は、何とも言い難い面白いキャラのクラスメイトの
話から、
あたくし :「ねえ、ところでクラス全員の名前ご存知?」
ヨウコサン:「それが知らないのよ」
あたくし :「だって、1年間ご一緒だったんでしょう?」
ヨウコサン:「そうなんだけどねぇ」
あたくし :「もう一度やり直そうって入ってこられた、おみ足の具合がお悪いって
      おっしゃるけれど、いっつも追い越して行かれるあの方は?」(笑)
ヨウコサン:「あの方はカトウサン」
あたくし :「幼馴染のあの方は?」
ヨウコサン:「ああ、彼女はヨウコサン」
あたくし :「前にお茶をご一緒した時にそうおっしゃってらしたわね、苗字は?」
ヨウコサン:「う~ん、なんだったっけ?」
あたくし :「ええっ、長いお付き合いでしょう?」
ヨウコサン:「そうなんだけど。なんだったっけ~?」
あたくし :「・・・・・・・」
ヨウコサン:「あっ思い出した。コシノサン。字はね、コシマキのコシじゃないコシ」
あたくし :「アハハハハ、コシマキって、あのコシマキ?」
ヨウコサン:「そうよ~」
あたくし :「コシジフブキのコシ?」
ヨウコサン:「そうそうそれ!だけど例えが古いわね~」
あたくし :「ガハハハハハ・・・ハハハハハハハ」(止まらない)
ヨウコサン:「そういえば、ユエライユエって遣えるわね」
あたくし :「ええ、little by little,少しずつね」
ヨウコサン:「ほら、コシノサンのコシ、越えるってあれは、段々登っていくって
       感じがするものねぇ」
ユエライユエ=越来越~ =段々に、徐々に~になるという漢語です。
ヨウコサン:「チャブドゥオ(差不多)って、ちゃぶ台って感じしない?」(笑)
あたくし :「そうやって覚えるといいのね。大差ないよってそれを」

こんなどこか少し噛み合わない場面が続きます。
そのズレがおかしく、笑い過ぎて涙が出てきます。細い目が完全に1本の線に
なって、お腹の皮はよじれるほど。
「ィタタタタもう辞めて!」って言うあたくしにヨウコサンはおすまし顔。
その又ギャップがたまらない空間。

気がつくと大笑いしている最近のあたくし。テレビを見ても、活字を読んでても、
おかしい場面で心置きなく大笑いです。地声が大きいせいか、笑う時も声帯全開
って感じです。気持ちがいいですよ。思いっきり笑うって。
ご存知ですか?「糖尿病」の特効薬が笑いだってことを。ストレスが大きな要因
になる糖尿病ですから、大笑いってストレス開放なのですからこれは実行すべき
ですね。昔から「笑う門には福が来る」でしょう?やっぱり病気は本人が製造して
るのですよ。なら、いかようにでもなるってことなのです。お医者さん?薬?
もしかしたら要らないんじゃない?なんて祖父が医者、医療関係者が身内にいっぱ
いのあたくしの発言、いえ信条です。
国が自治体が何とかしてくれる、してくれるべきだなんて、さもしい考えはポイ!
健康保険を遣わなかった人は、「自分を愛したで賞」なんて表彰状を上げるって
いかが?何としてでも何か欲しがってないと済まない人々のようですから。
そう、自分を本当に愛している人は、病気にかかっても治し方を知っています。
トコトン自分を信じている人です。あたくしもその一人って自負してます。
さあ、今日も大笑いしましょ!

形容詞や副詞が

2009-10-02 20:52:20 | Weblog
2週間ぶり、後期(10月~3月)に入った高老師(先生)の授業です。
教科書に沿って、質問がバンバン飛びます。比較の構文です。肯定・否定
では形が違います。大体が「不」をつければ否定になりますが、比較では
違います。それで、2人1組でお互いに質疑応答。あたくしとヨウコサンは
もうシッチャカメッチャカ作文です。
ヨウコサン:「あなたは彼女より美しいわね」
あたくし:「当然!」
ヨウコサン:「ええーっ、凄い!」・・・日本語
あたくし:「なんて言ったの?」
老師:「言ったの何て?」
あたくし:「ああ、そうでしたね」・・・日本語
つい日本語の形で言ってしまう中国語です。
私達の後ろの席では、難しい顔をして問題作りの2人。
「ねえ、法廷じゃあないのだから、面白く作らない?」
仮死状態の言葉に息を吹きかけたいって思うあたくしですから、教科書どおり
なんてしません。おかしく面白く身近にをモットーにして文を作ります。

「忘年会などいかがでしょう?もう、半年過ぎてますし、彼がお勤めしている
お店でどうですか?」
「ああ、いいわねぇ」
「では先生のご都合と、彼の都合を聞いて、私が皆さんへ聞きますので、先生の
スケジュールを教えて下さい」
「はい、わかりました」
クラスの唯一若者(上手な中国語)がお勤めしている中華料理店のことです。
お教室から歩いて行ける距離です。

「クラスの雰囲気が変わりましたね」
最近帰りはいつも気がつくと一緒って3人のお子さんがいらっしゃる(とは全く
見えない)年齢不詳の女性クラスメイト。何とも言えない雰囲気をお持ちで、
その方があたくしが参加してから空気が変わったっておっしゃいます。
ヨウコサンも「そうそう」って。去年1年間皆さんご一緒のクラス。

ヨウコサンの車を置いてあるコインパーキングまで、3人でオシャベリしながら。
道々その彼女が言った言葉が
「あたしって、年寄りが好きなんです」
ドコ?ドコ?ドコ?ってあたくしは探すパフォーマンス。
駐車場へ着いて、ハッと彼女は気がついたようで、
「若いってなんて言いましたっけ?」当然中国語を聞いているのはわかったけれど、
「それはヤング!」
「そうですね、ヤング・・・・・」
もう、ダメ!爆笑ですあたくしは。アッハハハハハハハハハハハハハ・・・・・・

「憎めないわね~、あのキャラは」
「そう、本当は失礼ね!って怒るところよ、失礼な!年寄り~~~!?だけどね」
「あの何ともいえないボケがたまらないわね。ああ、おかしい~」
ヨウコサンが
「ねえ、お茶でも飲まない?」
「飲もう飲もう!」
彼女のお家の近く(って彼女)のファミレスで、お茶ならぬお夕飯に切り替えて。
退職した小学校の先生のヨウコサンですが、来年3月まで依頼があって、只今
2年生の先生を担当なさってらっしゃるそうです。可愛い~~~って。

昨日の木曜日フリー英会話は、このところ続いていたBE動詞の活用から、突如
WOULD、HAVE+過去分詞(現在完了形)、短縮形など、そして現在完了形を
つかった伝言ゲームなんて。
日本人のほぼ全員が6年間英語を勉強してきた事を言いましたらご存知でした。
それで、完了形なんて、授業になったようで、これは気を引き締めねば!です。
例えば"This is , I could, You would,Why did "を、アポストロフィーで
省略して言う。これが聞き取れないと会話にならないって若き長老(宣教師)は
言います。そう、日本人は少なくとも6年も勉強しているのに話せないのよって。
耳からではなく、文字から入った英語ですから、読み書きは出来てもすんなり
会話に・・・ならないあたくし達の英語教育でした。今は?知りません。
ヨウコサンへそこのところをお聞きしたら、「月1回だからね~」って。
しゃべれない言葉なんて、中身のないハリボテ?文部科学省が導入した意図が
あたくしには解りません。何それ?です。
最近、BOOKOFFで見つけたある本。英文法のそれです。ウチの宇宙人が
「今更それを勉強してどうするの?」
って言います。
「いいのよ、面白いんだから。形容詞や副詞の働きがやっとわかったんだから」
「そう、だから、全ては日本語なんだよ。それに単語の数!今わかったって?」
相変わらず、息子をがっかりさせている親です。それでも、
「ええっイイダクンは文法!って言ってたじゃない」
宇宙人と同じ専攻です。英語攻略法について、2人の意見は真っ向反対でした。
「それで、腑に落ちた?」
「うん、少しずつね」
「そりゃあ結構」
面白くなければしないあたくしですから、面白がってるのよ。

北京から帰ってきて、少し落ち込んでました。なんで、外国語を勉強するのか?
原書を読みたいも一つの目的ですが、会話を楽しみたいが大きな目的でした。
でも、かなりショックな北京滞在で、目標を見失いそう、否その目標が意味のない
ものとして、かすんでいたのです。外国語?それが?・・・状態。
でも、仕切りなおしをして、気持ちを新たにして取り組もうと思えるようになり
ました。知らないより知ったほうが世界は広がるって自論をね。

この3月迄あたくしの中国語の先生だったキョウシン君が見事「一橋大学」の
大学院へ合格。今は横浜国大の4年生。専攻が経済ですから一橋大学がいい!って。
この優秀な頭脳へ、努力へ、最大級の賛辞を送りました。
近い内にゆっくりおしゃべりしましょうねってお互いのメール。
可能性、建設的、グローバル、挑戦、そんな言葉が好きです。
老若男女なに人関わらず、前を向いている人が好きです。
でも、
未来は誰も経験してないのですから、今どうやって生きるか、今、今日、だけを
考えて、先の不安を作ることに躍起になるような愚は犯さないで今日を生きる
のです。幸いな事に何もかも鍛える事が出来る事は科学が証明しています。
筋力も脳ミソも。だから、つかいましょう!昨日がどうしたって?明日が何だって?
そんなことは関係ないのです。今日です!過ぎ去った事にくよくよして、まだ来ない
未来を心配するなんて愚かな事です。今日、何をするか?だけね。