ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

酔い痴れて

2007-05-23 21:47:58 | Weblog
決して小さいとは言えない、形状は、ハハハハハ・・・・
その胸の奥の方が、なんだかわからない得体の知れない何かで一杯になって
しまって。
そしてなぜか涙がドッドドーって出そうになって、悲しかった?いいえ!
もしかして感動?ン~~そうなのかしら?・・・
ハイ! YES! SI! 対!

久しぶりに、本当に久しぶりに、ご近所の花友達と、あるお宅のバラを見に
出掛けたの。
モンテスキューの頭(中学校あたりの社会科の教科書に載ってるでしょう?)
みたいなヘアスタイルにかなり黒いサングラスをかけて、
セニョール・ダンお得意の
「Have you MONKU ?・・・文句ある?」って雰囲気の私と、ごくごく普通の
主婦達3人で、10時に待ち合わせて、レッツ・ゴー!徒歩でね。

林の脇の小道を通り、私が毎週通う地区センターをやり過ごし、さっさと歩く
女4人。
「ちょっと、キャベツが50円よ~~!」
無人の簡易野菜販売所に並ぶは、キャベツ・キュウリ・新玉ねぎ・レタス・
サニーレタス・スナックエンドー・ソラマメ・フキなど等。
ウェストポーチだけで手ぶらの私が、目的地に着く前にずっしり重い袋を持つ
はめに。主婦である全員が、こんな嬉しい買い物をしないなんてことはあり得
ないもの。みんな欲と二人連れでずっしり重いお野菜たちも軽々とよ。

アレッ、道が違ったかしら?ちょっとあそこのお家の窓、見て~!バラ?真中は
ゼラニュームかしら?素晴らしいわねえ。ねえねえ、こちらのお庭も素敵よ! 
アラッ行き止まりだったわ。
お野菜片手に、それぞれに素晴らしいお庭を拝見しながら、ぞろぞろ。
「この道だわね」
「ちょっと待って!自由にご覧下さいって看板があるわよ。バラですって!」
急いで戻って、その手書き立て札に書いてある所を目指して、

 ジャッジャッジャ~~~ン ! 目に飛び込んできたバラ・ばら・薔薇・・・・

鳥肌が立って、なぜだか涙が溢れそうに。
個人のお宅です。でも、その数・色・形・香りが、圧倒するのです。
こんな光景は、かって経験した事のない見たことのないものです。
「お邪魔しま~す!」
って、それぞれが見知らぬオーナー、姿の見えないそこの住人に声をかけて
お庭に入りました。
その空間が醸し出すなんともいえない、そのお庭を造ったひとの想いが、私から
言葉を奪いました。いえ、奪われたようにそこにいる私が感じたのでした。
言葉は不要!ただただ魅入られたように、花数で言えば恐らく数千以上でした
でしょう。数え切れない無数の色と形の一つ一つに吸い寄せられてしまいました。
こんもりと茂った白のつるバラの下には、ガーデンセット(テーブルと椅子)が
しつらえられ、ぐるりはウッドベンチが幾脚も。

計画していたお宅ではない、通りすがりの初めてのお家です。
予定していたお家のお庭は、そこのご主人の丹精が形になっていました。
お見事!と思わず言ってしまった、計算されたような造園。初めて見せて頂いた
時の感動が忘れがたく、そこで、見たいと言う花友達を誘ってみたのです。

そして、そこへお邪魔する前に巡り会った、立ち寄ったお庭は、息遣いが感じら
れるお庭でした。体温が感じられるような、息遣いまで聞こえるような、無数の
花たちがオシャベリをしているような、感覚をそこここに感じたのでした私は。

普段、歩かない彼女達にしてみたら、2時間の歩きは少しお疲れさん。
丁度お昼頃に帰路となり、ファミリーレストランで昼食。
刺激を受けた面々は、バラに酔いしれて。足は疲れたけれど、心はウキウキの
心地よい疲労を携えて帰宅。
当初予定のお宅は、感動を受けたお家の近くでした。
インターホンで、ご挨拶をして、どうぞ勝手に見てくださいという奥様の言葉に
甘えて、全員お庭に。
どうしたのでしょう?美しいお庭なのですが、どこか投げやりな造園になってました。
それでも、素敵なバラたちではありましたけれど。心は震えませんでした。

そして、今日のバラには及ばない我が家のバラたちです。
けれど、いとしいいとしいウチのバラ・ばら・薔薇・ROSE・ROSA・・・・・
無くなってしまってたと思っていた「アプリコット・ネクター」が、見事な
アプリコットカラーの花を咲かせ、「マダム・ビオ-レ」は、「ブルームーン」に
勝るとも劣らない青みがかった紫の花を幾つもつけて、新たなシュートを
日増しに伸ばして、楽しませてくれています。

ソラマメは塩茹で。スナックエンドウも茹でて、こちらは千切ったレタスと一緒に
かつお節をふりかけてポン酢。
「今日はねえ、すっごく幸せな1日だったわ。あのお家じゃない別の初めてのお家で、
思わず鳥肌だった見事なバラを見られてその上、う~んこんな新鮮なお野菜も食べら
れて、なんて素晴らしい1日だったかしら、なのよ」
セニョールが関心を持たないような話は、まずしない私です。ほとんど一人で反芻
するのが常ですが、今日の感動は、セニョールの反応がどうなどとは考える事もなく
報告してしまったのです。ええ、何の反応もありませんでしたが、それは取るに足ら
ないことですから、問題ありません。あ~~~い~い日だったわ~~~~・・・・

   アッ、お花を見てる間は、もちろんサングラスははずします。
   だって、お花に失礼ですもの、礼儀として。

風薫る皐月

2007-05-21 21:54:17 | Weblog
朝早く、寝坊助マリリンを起こしてお散歩。
"Todavia tienes sueno?" まだ眠い? でも、おかまいなしに抱き上げて、
"Buenos dias! Good morning! Buon giorno! 早上好!anyo haseyo!Huomenta!"
そして、おはよう!って、毎朝彼女に話し掛ける7ヶ国語。ただ~これだけ~~。
おはよう!って言う頃には、いっかな彼女もお目覚め。毎朝毎朝これだもの~ってね。

私の足首に巻くはいつもの片足500gのリスト型ダンベル。サングラスにサン
バイザー。今の私の髪型は、ヘンデルかモンテスキューみたいなスタイルよ。
結構気に入ってるわ。ちょっと恐ろし気な雰囲気が出てるかも、ってところがいい!

ウェストポーチにはCDプレイヤーを入れて、聞くは中国語会話。
2ヶ月くらい聞いてるわね。そう、私の脳みその言語野に色んな言語を印刷しようって、
最近はほとんど中国語よ。
中国語には丁寧語や、尊敬語みたいな表現はないって、今では日本名をお持ちの
アヤサンがおっしゃってらしたけど、私が聞くところでも、老若男女同じ表現ね。
スペイン語では、丁寧語はあるわ。動詞が変化するもの。だから、中国語は簡単
なんて言えない、あの四声。1語1音の難しさ。子音の多さ。ンもう~・・・・・。

お散歩から帰ってきて、庭いじり。お昼ご飯を済ませて、ダイエット・メガネの
事を教えてって言われる知人宅へ、1式持って。ご自分でネットで調べて下さい。
アララ・・、遅刻しちゃう~~!で、ノートや辞書をバッグに詰め込んで、急ぎ足で
地区センターへ。2週目の月曜日は休館日で、2週間ぶりのスペイン語です。
今日は、カルロスさんもご一緒にいらして、クラスへ向かえば、新しい生徒さんも
2~3人。私とカザマサンは、別の場所でカルロスさんとオシャベリ。と言っても
カザマサンがね。でも、彼女のスペイン語はとってもわかりやすくて大助かり。

カザマサンがなさっていらっしゃるボランティア通訳は、かなり難しい人たちのお相
手で、芯から疲れるっておっしゃる。
学業、医療関係の通訳は、下調べを含めて、細部に渡ってミスがないようにって気を
遣うから、ちょっと疲れが出てるみたいって。目が充血してらして、疲労の程が伺え
るくらい。きっと手を抜くことなどお出来になれない性格なのだと思うわ。
「ストレスは無意識のところに起きるから、意識して面白い事をなさらなきゃね」
くも膜下出血で倒れた経験持ちの私のアドバイス。私のそれも原因はストレスって
診断だったから。ええ、意識上はストレスなんか感じなかったのに よ。

日が延びてきて、徒歩も苦にならない風薫る皐月の夕方。
明るいうちに帰宅。セニョール・ダンはもう晩酌を始めてて、私はそのまま猫(ジョ
ディ)のご飯作り。猫に餌をやって、初めて私のお夕飯です。
朝のマリリンのお散歩、夜のジョディの餌作り、これが私の飼育日課なのです。

さあて、今から問題集に取り掛かりましょうか?です。単語の数を増やさなきゃ!
カザマサンもそれが肝心よって。外国語はそこに鍵があるのよね。文法以前。
日本語にしてもそうなのは当たり前ですものね。語彙を増やすって、とても大事
なことですもの。久しぶりのスペイン語レッスンは、楽しいそれでした。
Gracias Todos.

とうちゃんと呼ばせる父親と雨

2007-05-17 09:00:47 | Weblog
 いつものように、父親は幼い息子を抱いて、道路よりかなり低い所を流れる川の
流れをフェンス越しに見せている。
毎週土曜日の朝に見られる光景。男の子は4才。
若い父親は、息子に「とうちゃん」て、呼ばせている。
時に遭遇するその場面の息子は、いつも驚くほど大きくなってきている。
しかし、全身から溢れる父親に寄せる信頼感は変わらず。
掛け算的語彙増幅を駆使して、彼は父親に様々な質問と感想を述べているようだ。
溢れる思いは言葉となって、父と息子をつなぐ。
サラリーマンの父親と過ごす土曜日の貴重な親子の朝の時間。

仕事帰りの父親とたまに話すことがあるが、いつだったか思わず
「あなたは大事に育てられてきたでしょう?」
って、言ってしまった事があるそんな男児である父親。
自分の考えを、近所のオバサンとも話せる、世間話にも付き合うそこには拒否も
おもねもない。
話し方、考え方などなどから、思わず出てしまった賞賛。
「奥さんもお子さんも、なんて幸せなことでしょう」

大事に育てられた人は、他者を大切にする。いつも「私」に囚われない余裕がある。
「私」は大事だが、同じくらい「私以外の人」にも、熱い思いが持てる。
「私が!」を強調しなくても、充分に認められてきた自分を知っている。
それが生きて行くための基礎栄養だということを、それが血肉になっていることが
うかがえる父親。無意識の化学変化が精神の血肉形成になっていると思われる父親。

滅多に会う事もない親子だが、思わず頬がゆるむ光景に出会う土曜日は、私にとっ
ても嬉しいシーンである。
しかし、いつかその息子も大きくなって、
「行く川の流れは絶えずして・・・・・・」
鴨長明だったか、川の流れに人生をたとえた、やや無常観が漂う有名な出だし。
私たちが学生時代に暗記させられた古典のひとつにその息子が出会う時、彼は過ぎ
去りし日にとうちゃんと見た川の流れを、どのような感慨を持って追憶するのだ
ろう。

どのように便利なモノに囲まれていても、抱えきれないモノを持っていても、彼等
親子の間にあるような、見えない絆と愛にかなうものはない。
次の土曜日は雨の予報。
雨の土曜日の朝は、彼等親子は何で絆を紡ぐのだろう。

♪あ~めが降ります、あ~めが降る~~。い~やでもおうちで遊びましょう~~~
       お~りがみ折りましょう、畳みましょう~~~~♪  (二番)

こんな歌を歌った時代があった。一番は、

 ♪あ~めがふ降~ります、あ~めがふる~~~。
         あ~そびに行きたし 傘はなし~~~~、・・・・・・

今は100円で傘も買え、使い捨てのような貧しさの中に生きている。

とうちゃん と呼ばせる父親は、ほとんどがアメリカ人達の職場で働く。

外は雨。腹這っての行儀悪い読書に最適な、雨垂れの音を聞きながら、
読むは中原中也の本か。ウチの宇宙人がテーブルに置いていった中也の本4冊。
詩を読むなぞ、何年ぶりか。
「檸檬哀歌」が懐かしい。智恵子抄の中に香気を放つ一篇。トッパーズ色の香気が
漂うと歌われた檸檬。雨の日は、詩が似合うかも知れない。

アドレスもバラが織り込まれて・・・

2007-05-15 23:42:08 | Weblog
バラばら薔薇roseroseroserosarosarosaあ~薔薇。
漢字で薔薇って書けない。読めるけれど。 この読めるけれど書けない漢字って
かなり多いのよねぇ、情けないけれど。
2~3日前の新聞に、色々な検定問題が載っててね。中学受験なんやらって
書いてあったっけ。ま、理由付けはどうでもいいとして、漢字検定3級問題やら、
日本史問題 ETC. 量は少しよ。まあ、暇つぶしには格好のものなんて、やって
みれば、脳みそはどうにか腐ってはいなかったみたいで、ホッ。
旧友の一人に、漢字検定に挑戦してる男。是非って勧められたわ。
数独にはまってる女。勧められない。よおくご存知で。私はこのパズルは苦手。
漢検は、悪くないわね。ま、いずれ挑戦してみようかしらって思ってるわ。
読書量は、半端じゃあないって思ってるけれど、書けない漢字はゴーロゴロよ。
猛烈読書家のケイコサンもそんなことを言ってらしたっけ。
英語スペイン語なんてかじってはみても、日本語だ~い好き女だから、日本語を
読まない日はないわ。これはほとんどの日本人がそうであるようだけど。
でも、崩れしままの今風日本語は拒否なので、芸能人・タレントと言われる人達の
日本語は聞かないし、活字も避けるわね。テレビに消音機能があるのは嬉しい!

久しぶりの空きになった先週の土曜日。
6時半に犬とのお散歩。新たに土曜日コースを作って、一段落(今頃テレビなどから
聞こえてくるのはいちだんらく。本当はひとだんらく)してるはずの新聞販売所迄。
ミゲルクンとポリコチャンへ渡す「小学生新聞」を買いに。
朝刊を配り終えた販売所は配達員が一人いただけでした。

9時過ぎ携帯に電話があって、
「モシモシ、レイコサン。オハヨウゴザイマス」
ミゲルクンから。
"Que te pasa?"どうしたの?
「キョウ、オヤスミシタイデス」
"Ya quieres terminar japones?"もう、日本語辞めたい?
”No no no! スコシ ツカレテマス」
"Ah,entendi,que descanso bien." ああ わかったわ。お休みなさい。
滞在許可が出て、働き出して、なれてきて、いかな17才男の子も、そこまでに
至る諸々を越えて、どっと疲れが出てきたのかも知れないのよ。その上、容赦ない
日本語の特訓を受けてね。
都道府県まで、入っちゃう私の授業だからねえ。彼の頭の中は大変だと思うわ。
新聞が読めるまでのつもりではいるのだけど、日本人の血が流れてるらしい彼に、
日本の歴史と文化くらいは教えてあげたいって、にわか先生の私は思ってるのよ。
詳しいわけじゃないけれど、そこそこは教えられるって思ってるので。学生時代は
大っ嫌いだった歴史だったけれどね。「新平家物語」からのめりこんだわねぇ、
我が国の歴史に。ええ、学問としてじゃなく。今は亡き母によく言われてたものよ。
「日本人として、新平家物語くらい読破してなきゃ恥ずかしいのよ!」って。
私たちは、何人もの歴史小説家を持っている幸せ民族です。
司馬遼太郎の文には、下品さは皆無でした。それがとても心地よかったのです。
本能に殊更執着しない(肉欲・物欲・食欲等)、きっと彼の死生観から漂い来る潔
さが文体に反映されていたからなのかもしれないって思ったものです。
戦争体験から来る感情は、ある1点に於いては、およそ不釣合いな感情的昂揚をみる
こともありましたが。21世紀の子ども達へという文には、次代を担う子ども達へ、
真剣にバトンを渡す大人のあらまほしき姿がありました。

ミニ薔薇が、いつのまにか先祖がえりをして、嬉しい誤算。
早朝起床の毎朝は、消毒の朝。これがなければ言う事無しなんだけど、アブラムシと
ウドンコ病は、あっという間に薔薇に取り付きます。
アブラムシって何者?突然湧くのよ。ゾロゾロ歩いている姿を見るじゃ無し、羽根な
んかない虫が、1夜にして大量発生なんて。

剣咲きのモダンローズが好きです。けれども、剣咲きではないけれど、カップ咲きと
いうタイプの「ケアフリーワンダー」という名のそれは、花びらの外側は白、内側は
ピンク。そのピンクは日増しに色濃くなる逸品。
私が初めて入手した薔薇は「ジャルダン・ド・バガテル」。これはかれこれ20年。
これと「ブルームーン」は枯らすわけにはいかないという、私にとっての貴種。
挿し木しては絶やさないようにしてます。花友達に分けてあげるのも楽しい。

5月になれば、桜草やパンジー類は潔く抜きます。春は過ぎ去ったのですから。
「ありがとう、ご苦労様」って言ってね。
いつまでも足を絡めている女のような姿は浅ましい。これは毎年書いてるわね。
5月は、やはり薔薇の月のようです。暖冬で、早々と付いた蕾たちでしたが、
一向に大きくなろうとしなかった彼女達も、5月の声を聞くと同時に
「お待ちどう様~!」って、開花開花開花・・・・・・・

突然、自然界に一番多い花色は黄色だそうです。赤色は少ないのですって。
そういえば、我が家の薔薇たちも黄色が多く6種もあったわ。周りが明るくなる
のがいいのです。黄色の次に植えている色はブルーです。ええ、一応補色でね。
お互いを引き立てあう色です。

網戸にしたレース越しの窓辺のソファに横になって、お気に入り庭を時折眺めながら、
読むは「むかし・あけぼの」初版は昭和61年というシロモノ。手にするそれは
平成9年33版分。田辺聖子の清少納言物語。
そういえば、ライバルとも言われた紫式部の「源氏物語」が世に出て1000年に
なるらしい今年。1000年も前にあのような小説は、世界には誕生してなかったって。
なんて素晴らしい宝物を持っている私たちでしょう。
とてつもない知的財産を持っているのですから、嬉しいですねえ。
ところで、「源氏物語」は読破したんだったかしら?恥ずかしながら「いいえ」です。
女達の嫉妬を軸に書いたらしい瀬戸内寂聴著(訳)のそれは、本棚でお茶を挽いています。
いつお声がかかるかしらって。

楽しみは・・・

2007-05-05 09:06:50 | Weblog
世の中は、どこかへ行かなきゃ!楽しまなきゃ!って人々で大勢ね。
私はいつもの通りのいつもの日々。
小さな庭に、シジュウカラが飛んできて、あっちへこっちへ。バードウォッチング。
思わぬ(忘れていた)所からグラジオラスの新芽が出てきて、にんまり。
セニョール・ダンが借りている菜園の片隅に種まきをしてきて、夏の摘み取りを楽
しみに。セニョールは、いつもの季節の植付けを。ますます上手になって楽しみよ。
庭先のプランターに植えた3株のサニーレタス、イタリアンパセリ、パセリも順調に
育って、シーザースサラダに活躍よ。
"Sopa de ajo"というニンニクスープを覚えて。スペイン料理よ。

暖冬で、越冬したサフィニアの新芽をいっぱ~~い挿し芽。9割方成功。
バラは、もう数え切れないほど蕾をつけて。母の写真の所へ飾ります。
「お母さん、きれいでしょう?これからずっととっかえひっかえ、いろんなバラが
 飾れるから楽しみにしててね」
って、一人写真の母に話し掛けて。
そのバラの何本かは、根元からシュート(新しい茎)が出て、感激よ。
アーチを覆う黄色(アトール99)・杏色(ロココ)。反対側からは薄く紫がかった
ピンク(ワルツタイム)も迫り、嬉しい押し合いへしあいをしています。
ミニバラは、小さな花瓶に入れて洗面台の鏡の前に。
つるバラも充分飾れる長さなので、この季節は家中バラ尽くしになります。
去年の秋に植え付けていたフリージアの球根からも、白・黄色・紫・濃いピンクの
一重八重のお花が
「お待ちどうさま~!」
って、いっぱ~い。このお花の香りも大好きなのです。
純白のクレマチスのために絡み棚も新しく作ったわ。
レモングラス、レモンバームも寒さに負けずに新芽を出して。
レモングラスは、「トム・ヤン・クム」には欠かせないハーブでしょう。
香草(コリアンダー)も植えようかしら? ETC.

「ニーハオ」
って、電話の向こうから、先月から始めだした中国語のヒアリングレッスンの電話
レッスン。
「私のあとに続けて言って下さい」
四苦八苦の私に、時々
「ヘ(ハ)ン ハオ」
って、嬉しい反応も時折聞こえて。
本当は、カタカナでは書けない発音なんだけど。間違って言えば、出来るまで
(言えるまで)繰り返し。
「ハオ」が聞こえれば、こちらはホッ。「ハオ」は「好」で、いいですよ。
およそ1時間の電話。もちろん日本語で色々とオシャベリしたりも入ってて。
「本当に、ありがとうございました。・・・これをどう言います?」
「ヘ(ハ)ン ガン シェ、ニイ↑」
「ガンって?」
「感心するの感」
辞書を引いてみれば、簡易漢字(今の中国語)なので本当のところはわからない
けれど、推量してみれば「実在感謝」って。日本語でも色々な言い方があるの
ですもの、多分、私の言い方から、とてもの「ヘ(ハ)ン」を遣われたのでしょうね。
これは覚えたわ。

ウチの前の財務省管轄空き地に植えられた、カシ?ナラ?シイ?要するにドングリが
出来る木。そのドングリから若木が何本も。
お散歩途中に通りかかる県営住宅ハズレの花壇。
数メートル置きに、その若木を植えてきました。
いつでしたか、「ドングリを植えよう!」って、キャンペーンがありましたね?
彼の木は、常緑樹ですから、今問題になっているCO2の軽減に少しはお役に立つの
ではって思っているのです。でも通りかかると、着根してるようには見えないのですが、
祈ります、必ず必ず根づいてねって。そして、多くの生き物のために大きく枝と根を
張ってねって。

充分すぎるモノに囲まれて、それでも果てのない物欲に支配されて、あさましい。
みんな楽しみたいのでしょう?そのために生きてるのよね。それがお金やモノだと
したら悲しいわね。
いつも、お金が?誰かが?幸福を運んでくれるって思ってない?
そういう人は、いっつも文句を言うのです。悪口を言うのです。
だって、空が青いこともぽっかり雲が浮かんでる事も、風が木々を揺らして歌ってる
事に感動しないなんて、寂しいって思いません?
夕焼けが刻々と色合いを変えてゆく様を、雨垂れの音に耳を、アスファルトの隅っこ
から健気に咲いている小さなお花達に、もっともっと関心を持って五感を研ぎ澄ませ
て見れば、お金もモノも誰かも、どうでも良くなるって思うのです。

1日に700人以上の子ども達が死んでいるスーダン。ええ、ひとごとなのですね?
アラブ人達によるアフリカ人住民無差別殺戮なんて。9才の女の子が強姦されたって。
これが地球上で起こっている事実なのです。


殺戮の機会をうかがってるとしか思えないアメリカ。武器製造会社からの政治献金は、
戦争を起こせ、起こせ起こせ!って、暗黙のうちに言ってるのでしょう?
作れば使いたい。これは人情です。
我が身を守るため?勝手に上陸して、先住民の自衛に殺戮の限りをしてきた彼等が、
今尚それを盾にしてるなんて、秀吉の「刀狩」に相当する「銃砲狩」が必要な彼の国。
でもそれは最早不可能ね。戦争のない社会を!そんなものはありえないって思わなきゃ!
IPCCの提案にもNO!を言いつづける国に未来なんてないでしょう。

世の中を操るマスコミにしっかり背を向けて、無視!
物言わぬ自然に向き合います。そして、私を育ててくれた裏の立役者の本達!
彼らを最良の友・師として、今日も生きます。
そして今日は、ミゲルクンの日本語レッスン日。ファミリーレストランの片隅で、
容赦ない私の授業が始まります。
"No,otora vez!,違うもう一回!”
"Muy bien,pero otora vez. とてもいいわ。でももう一回”って。

3時半に起きてしまった今朝。
なにやら辛気臭い青春映画は、ヨーロッパ製。何語かは最後までわからなかったわ。
それで、眠たい眠たいマリリンを起こして、目はトロ~ンよ。
その彼女と早々とお散歩。彼女は朝寝をしています。ファ~~、ン?私も眠た~い。