エーッもう売られてるの?
そういえば、毎朝の散歩で通る道の向こう側の畑では、夏野菜の姿は日に日に
なくなって、整地された畑には小さな苗が最近やたらと目に付くようになって
は来ていたけれど、去年の種まきは9月になってからだったし、
ーーー農家の人とは違うのよねぇって。でも、少し気にはなってた野菜の苗。
消毒用の噴霧器を買いに出かけて、そこでいっぱい小さな苗が売られてるでは
ありませんか!見ちゃったのよ。
秋トマト、秋ナス、白菜、キャベツ、ブロッコリー、レタス等、種類も色々。
我が家の夏野菜も収穫を終えて、プランターや大鉢を整理しだしていたのだけど、
この猛暑でも元気な苗を見ていたら、
---育てよう~~!
ブロッコリー、キャベツ、白菜、レタスの小苗、腐葉土と肥料を買って帰って
きました。
種は種でそのうちに蒔いて、これで数種類の蔬菜が今年もプランターや鉢で育
てられます。
セニョール・ダンが借りていた菜園は、全員返還。まだ借りられる段にはなって
いないようですから、せっせとプランター栽培に精を出さなくちゃ!
大根や白菜はここ何年も買った事がないのですから。庭作りに取り掛かって、
念願の堆肥場は確保。
バラ用のアーチ2台も寄せて、1本立ちバラも大鉢に移して、・?・?・?
小さな庭ですが、・・・畑にするのは?悪くないかも。そんな気分になりつつあります。
50~60cmも掘り起こせば、大根だってOK! 敷石も取り払って、・・・
庭は畑になります。
グッドアイデア!なんて、ちょっとニヤついてしまうわね。
ず~っとお花を楽しんできた庭だけど、畑にしてもいいかも。
お花もいいけど野菜もね、って。
何でも、即断即決即行動のあたくしよ。これで後悔した事はないわ。自分を信じてる
のだと思うの。ファミレスあたりの注文ですらグジュグジュ迷う人。大そうなもので
も事でもなくてもね。決断力の希薄な人は苦手です。生きるか死ぬかの選択を迫られ
ているような、大袈裟に考える人が苦手です。
フフフ、楽しみが又増えたって事でしょう。
ほ~んと、退屈してる暇なんてないわね。
幸せな時間を過ごせます。
今夜は、衛藤信之心理カウンセラーのNHKラジオ出演、最後の晩です。
「生きる目的は?」がテーマのようです。
まだ、人の妻、母になる前の娘の頃、よく母に言われました。
「人は何のために生きるのかよく考えなさい」って。
あたくしは特定の宗教は持っていませんが、聖書の中にあるイエスと悪魔の対決の場面、
イエスが色々な奇跡を起こすのを見て、悪魔が勝ち誇ったように言います。
「この石をパンに変えてみろ!」
その時にイエスが言った言葉は有名ですね。
「人はパンのみに生きるにあらず」
これは、子育ての時に何回か子ども達に言い聞かせたものです。
「モノ・カネのために生きるのではない」
って。
母もよく言ってました。
「人生、意気に通ず」
そして、こうも言ってました。
「人のために生きなさい。けれども人のために何をしてきたかが問われるのよ。
人のために何を差し出したか?それは戻ってくるのよ。ブーメランのように。
お金を出した人には、お金は戻ってくるかも知れないけど、お金があっても、
愛がなければ寂しいわね。何でも最後にその人が手にするものは、その人が
蒔いたものでしかないのよ。それは必ず戻ってくるのよ」
示唆に富んだ言葉です。
あたくしに、死にたくなるほどの辛い母の言動もありました。
けれども、それを凌駕する数々の言葉と、基本的な生き方に自分を律する姿を
子ども達に見せていた母でした。ええ、人として尊敬するに値する人だったと
いうことです。これは感謝してもしきれないことです。
今夜、衛藤氏は何を語るでしょうか?
人生で、何人尊敬できる人に出会うか?あたくしの場合は、それがとても重要でしたし、
これからも、と思っています。でも、人生の目的を一言で言うなら、自分を愛し抜く
ことに尽きるような気がします、あたくしには。自分をまるごと愛せない人は、
人も愛せないのです。
今日まで、生きてきた自分を褒めましょう。
「よく生きてきたね!」って。
そういえば、毎朝の散歩で通る道の向こう側の畑では、夏野菜の姿は日に日に
なくなって、整地された畑には小さな苗が最近やたらと目に付くようになって
は来ていたけれど、去年の種まきは9月になってからだったし、
ーーー農家の人とは違うのよねぇって。でも、少し気にはなってた野菜の苗。
消毒用の噴霧器を買いに出かけて、そこでいっぱい小さな苗が売られてるでは
ありませんか!見ちゃったのよ。
秋トマト、秋ナス、白菜、キャベツ、ブロッコリー、レタス等、種類も色々。
我が家の夏野菜も収穫を終えて、プランターや大鉢を整理しだしていたのだけど、
この猛暑でも元気な苗を見ていたら、
---育てよう~~!
ブロッコリー、キャベツ、白菜、レタスの小苗、腐葉土と肥料を買って帰って
きました。
種は種でそのうちに蒔いて、これで数種類の蔬菜が今年もプランターや鉢で育
てられます。
セニョール・ダンが借りていた菜園は、全員返還。まだ借りられる段にはなって
いないようですから、せっせとプランター栽培に精を出さなくちゃ!
大根や白菜はここ何年も買った事がないのですから。庭作りに取り掛かって、
念願の堆肥場は確保。
バラ用のアーチ2台も寄せて、1本立ちバラも大鉢に移して、・?・?・?
小さな庭ですが、・・・畑にするのは?悪くないかも。そんな気分になりつつあります。
50~60cmも掘り起こせば、大根だってOK! 敷石も取り払って、・・・
庭は畑になります。
グッドアイデア!なんて、ちょっとニヤついてしまうわね。
ず~っとお花を楽しんできた庭だけど、畑にしてもいいかも。
お花もいいけど野菜もね、って。
何でも、即断即決即行動のあたくしよ。これで後悔した事はないわ。自分を信じてる
のだと思うの。ファミレスあたりの注文ですらグジュグジュ迷う人。大そうなもので
も事でもなくてもね。決断力の希薄な人は苦手です。生きるか死ぬかの選択を迫られ
ているような、大袈裟に考える人が苦手です。
フフフ、楽しみが又増えたって事でしょう。
ほ~んと、退屈してる暇なんてないわね。
幸せな時間を過ごせます。
今夜は、衛藤信之心理カウンセラーのNHKラジオ出演、最後の晩です。
「生きる目的は?」がテーマのようです。
まだ、人の妻、母になる前の娘の頃、よく母に言われました。
「人は何のために生きるのかよく考えなさい」って。
あたくしは特定の宗教は持っていませんが、聖書の中にあるイエスと悪魔の対決の場面、
イエスが色々な奇跡を起こすのを見て、悪魔が勝ち誇ったように言います。
「この石をパンに変えてみろ!」
その時にイエスが言った言葉は有名ですね。
「人はパンのみに生きるにあらず」
これは、子育ての時に何回か子ども達に言い聞かせたものです。
「モノ・カネのために生きるのではない」
って。
母もよく言ってました。
「人生、意気に通ず」
そして、こうも言ってました。
「人のために生きなさい。けれども人のために何をしてきたかが問われるのよ。
人のために何を差し出したか?それは戻ってくるのよ。ブーメランのように。
お金を出した人には、お金は戻ってくるかも知れないけど、お金があっても、
愛がなければ寂しいわね。何でも最後にその人が手にするものは、その人が
蒔いたものでしかないのよ。それは必ず戻ってくるのよ」
示唆に富んだ言葉です。
あたくしに、死にたくなるほどの辛い母の言動もありました。
けれども、それを凌駕する数々の言葉と、基本的な生き方に自分を律する姿を
子ども達に見せていた母でした。ええ、人として尊敬するに値する人だったと
いうことです。これは感謝してもしきれないことです。
今夜、衛藤氏は何を語るでしょうか?
人生で、何人尊敬できる人に出会うか?あたくしの場合は、それがとても重要でしたし、
これからも、と思っています。でも、人生の目的を一言で言うなら、自分を愛し抜く
ことに尽きるような気がします、あたくしには。自分をまるごと愛せない人は、
人も愛せないのです。
今日まで、生きてきた自分を褒めましょう。
「よく生きてきたね!」って。