ここは被災地?いいえ!
商店から、スーパーから食料品や日用品が消えていってます。
不安がそうさせるのでしょうが、なぜ平安な日々・地域で、このような恥ずかしい、浅ましい、情けないことをするのでしょう。買占めをする人は、他者の生活をおびやかしている行為をしていることに思いを馳せていないのです。抱えきれない商品を、
「いいじゃない、買ってるんだから!泥棒してるわけじゃないのに、私の自由、勝手でしょ!なんかあったらどうするのよ!」
これが全てなのでしょう。・・・・これを浅ましいと言わず、なんて言いましょう。
第1次、2次オイルショックがありました。
米騒動もありました。
トイレットペーパー・洗剤・米の買占めに、狂奔する人々。
冷ややかに眺めていました。あたくし達の生活は、微動も平静とたがわなかった。
それで、何か不便が? い・い・え!
あたくしの価値観が、浅ましい行動をとらさない、ただそれだけです!
母に、多くの本に、育てられてきたことに、深く深く感謝するのです。
信徒ではありませんが、「新約聖書」の中に、
「人はパンのみに生きるにあらず」
子育て中も、折りに触れて言ってきました。・・・それより何より、
あたくしの家では、おカネやモノをメインテーマにした会話はなされない、これ!これです。
結果、子ども達に大きな教育をしてきたと自負しています。
どこでも生きていける、およそ人が住む所で、彼等は尊敬されるかどうかは、太鼓判が押されるかどうかはあたくしといえどもわかりません。けれども、これは胸を張って言えます。
決して決して軽蔑はされないって。
人の顔色を伺う人が多いことにいつも驚かされます。
自信がないからです。
お金持ちじゃない、自慢できる肩書きがない、容姿に自信がない、ETC.
そんなことなんて、どうでもいい事なのです。ホント、どうでもいいことよ。
氏より育ち・・・あるでしょう。でもそれだって、自分が自分を育てればいいのです!
あるがままの自分を認めることから始めればいいことなのです。
自分を認めない、その人は、誰でもない自分自身に無礼を働いているのです。
努力をするのも能力だって?なら、努力なんかしないで、ひたすらひたすら何が起きようとも
「私(俺)の行く手を阻むものはない!」って、言い(思い)続けましょう。
それだって、続けるって努力でしょって?
当たり前じゃないですか?
人のことばっかり気にしてないで、その関心を自分自身に向けるって、何よりも今必要な事で、努力云々は関係ないことよ。
このところの気温の急上下で、ン?って、胸の辺りに深夜。
「冗談でしょ!これはウソなのよ、何やってるのよ。痛くない!苦しくない!」
言い続けます。
朝、生きていました。普通に。
何回も書きました、アレ!
心理学を勉強している課程で、「至高」経験者の映像が流され、それの分析がなされました。
フロイトから始まる心理学も、今や第4グループと言われる「トランスパーソナル」の時代に入りました。ユングがフロイトから袂を分かつ理由となった「個人」も含めた「他者」も影響し合うという自論。そこから発展してきた現在の心の解明です。
それで、あの経験(泣き崩れた)は、間違いなく「至高」経験だったと知ったのです。
心理学は、哲学から分かれた分野です。
決して宗教ではありません。
けれども、何か目に見えない、声も聞こえないけれど、身体中が感じるアガペー(神の愛)は、自身の心深くに住む、間違いない救いなのです。誰?それも私自身。
人々はそんな存在なのです。
浅ましいことをするのは、誰も知らなくても、自身が知ってるのです。
困った事が起きたら?
起きない事を信じるのです。あなたが、正しく生きてさえいたら、誰かが助けてくれます。
欲張らず、不安がらず、疑わず、恐れずにいたら、必ず、堂々と歩ける道が目の前に開けます。その道を作るのは、決して他者じゃないということです。いわんや、神様でも仏様でもないことをシッカリ胸に刻みましょう。
人の心の作用を口にすると、「オカルトじゃん!」って馬鹿にする人が居ます。
やんぬるかな!
「私の前進を阻むものなんかない!」
大停電も回避、胸の不具合も乗り越えました。ごく普通の生活を営んでいます。
スーパーにもなくなったパンも卵も、今朝ふっと、
「あそこなら!」
思いがけない幸運で買えました。
ええ、あたくしに不都合は起きないのです。偶然なんかじゃないのよ。あたくしが露ほども疑わない結果なのです。
「奥さん、卵2パック買ってってもいいよ」
「いいえ、ほかの方へ回すわ」
あたくしは、ごく普通の生活をするだけです。譲れるものはお譲りします。誰のためでもないあたくしのためなのですから。
「買いこんでさ、部屋中そのモノに埋まってるって金持ちだらけだよ」
「そう、その方達は、心が貧乏だわね」
食パンは1斤までって張り紙がありました、町の小さなパン屋さん。ありがとうございました。普段は素通りの雑貨屋さん。卵をありがとう。今日は、素敵な始まりです。
商店から、スーパーから食料品や日用品が消えていってます。
不安がそうさせるのでしょうが、なぜ平安な日々・地域で、このような恥ずかしい、浅ましい、情けないことをするのでしょう。買占めをする人は、他者の生活をおびやかしている行為をしていることに思いを馳せていないのです。抱えきれない商品を、
「いいじゃない、買ってるんだから!泥棒してるわけじゃないのに、私の自由、勝手でしょ!なんかあったらどうするのよ!」
これが全てなのでしょう。・・・・これを浅ましいと言わず、なんて言いましょう。
第1次、2次オイルショックがありました。
米騒動もありました。
トイレットペーパー・洗剤・米の買占めに、狂奔する人々。
冷ややかに眺めていました。あたくし達の生活は、微動も平静とたがわなかった。
それで、何か不便が? い・い・え!
あたくしの価値観が、浅ましい行動をとらさない、ただそれだけです!
母に、多くの本に、育てられてきたことに、深く深く感謝するのです。
信徒ではありませんが、「新約聖書」の中に、
「人はパンのみに生きるにあらず」
子育て中も、折りに触れて言ってきました。・・・それより何より、
あたくしの家では、おカネやモノをメインテーマにした会話はなされない、これ!これです。
結果、子ども達に大きな教育をしてきたと自負しています。
どこでも生きていける、およそ人が住む所で、彼等は尊敬されるかどうかは、太鼓判が押されるかどうかはあたくしといえどもわかりません。けれども、これは胸を張って言えます。
決して決して軽蔑はされないって。
人の顔色を伺う人が多いことにいつも驚かされます。
自信がないからです。
お金持ちじゃない、自慢できる肩書きがない、容姿に自信がない、ETC.
そんなことなんて、どうでもいい事なのです。ホント、どうでもいいことよ。
氏より育ち・・・あるでしょう。でもそれだって、自分が自分を育てればいいのです!
あるがままの自分を認めることから始めればいいことなのです。
自分を認めない、その人は、誰でもない自分自身に無礼を働いているのです。
努力をするのも能力だって?なら、努力なんかしないで、ひたすらひたすら何が起きようとも
「私(俺)の行く手を阻むものはない!」って、言い(思い)続けましょう。
それだって、続けるって努力でしょって?
当たり前じゃないですか?
人のことばっかり気にしてないで、その関心を自分自身に向けるって、何よりも今必要な事で、努力云々は関係ないことよ。
このところの気温の急上下で、ン?って、胸の辺りに深夜。
「冗談でしょ!これはウソなのよ、何やってるのよ。痛くない!苦しくない!」
言い続けます。
朝、生きていました。普通に。
何回も書きました、アレ!
心理学を勉強している課程で、「至高」経験者の映像が流され、それの分析がなされました。
フロイトから始まる心理学も、今や第4グループと言われる「トランスパーソナル」の時代に入りました。ユングがフロイトから袂を分かつ理由となった「個人」も含めた「他者」も影響し合うという自論。そこから発展してきた現在の心の解明です。
それで、あの経験(泣き崩れた)は、間違いなく「至高」経験だったと知ったのです。
心理学は、哲学から分かれた分野です。
決して宗教ではありません。
けれども、何か目に見えない、声も聞こえないけれど、身体中が感じるアガペー(神の愛)は、自身の心深くに住む、間違いない救いなのです。誰?それも私自身。
人々はそんな存在なのです。
浅ましいことをするのは、誰も知らなくても、自身が知ってるのです。
困った事が起きたら?
起きない事を信じるのです。あなたが、正しく生きてさえいたら、誰かが助けてくれます。
欲張らず、不安がらず、疑わず、恐れずにいたら、必ず、堂々と歩ける道が目の前に開けます。その道を作るのは、決して他者じゃないということです。いわんや、神様でも仏様でもないことをシッカリ胸に刻みましょう。
人の心の作用を口にすると、「オカルトじゃん!」って馬鹿にする人が居ます。
やんぬるかな!
「私の前進を阻むものなんかない!」
大停電も回避、胸の不具合も乗り越えました。ごく普通の生活を営んでいます。
スーパーにもなくなったパンも卵も、今朝ふっと、
「あそこなら!」
思いがけない幸運で買えました。
ええ、あたくしに不都合は起きないのです。偶然なんかじゃないのよ。あたくしが露ほども疑わない結果なのです。
「奥さん、卵2パック買ってってもいいよ」
「いいえ、ほかの方へ回すわ」
あたくしは、ごく普通の生活をするだけです。譲れるものはお譲りします。誰のためでもないあたくしのためなのですから。
「買いこんでさ、部屋中そのモノに埋まってるって金持ちだらけだよ」
「そう、その方達は、心が貧乏だわね」
食パンは1斤までって張り紙がありました、町の小さなパン屋さん。ありがとうございました。普段は素通りの雑貨屋さん。卵をありがとう。今日は、素敵な始まりです。