「おばちゃん、売春って何?」「・・・・・」
「春を売るって、何の事?」「・・・大きくなったらわかるわ」
「なんなんだろう?」
中学生になったばかりの頃、新聞紙上に毎日のように踊ってた言葉「売春」。
その後に続く「禁止法」。おませだった私は、何かを感じていたのだと思う、
売春という言葉に。しかし、どこかに親に聞いてはいけないと思わせていた
言葉。どこでどう思ったのか、垣根越しに、隣の奥さんに聞いてしまった。
それだけ無視出来ない何かがあったのだろう。冒頭の反応しか出しえなかっ
たお隣りの奥さん。隣りの困った娘。
そして、この20年位前から、「禁止法」を撤廃すべしと、思い続けてきた。
当時、ラジオから聞こえる討論会などで、男女、とりわけ女性達がヒステリ
ックにわめき散らす言葉は、子どもと大人の中間地点に立っていた私に、何
か胡散臭いものを感じさせていたのだと思う。と同時に半端じゃない興味も。
小学高学年で、早、「赤と黒」「ボバリー夫人」等など、もうすでに読みま
くっていた世界文学。
10代後半の、まだ解禁になったばかりだった「チャタレー夫人」、「悪徳
の栄え」これは反吐が出そうになったし、内容もわからないところだらけで、
アルバイト先の上司にあげてしまい、途中放棄。「O嬢の秘密」など等。
それとなくわかり始めてきていた男と女の関係だった。
ジュリアン・ソレルが、出産シーンを垣間見て、陣痛に顔を歪める女の顔を
見て、「あの時と同じ顔をしてる」って。どっちも知らない12~3才の
「赤と黒」の世界。
けれども現在、少年少女達が手にする書籍から比べれば、なんで裁判に?
と思うほどの内容で、更に今なお読み継がれている大きな理由は、普遍な
るテーマが内在しているから。
少年少女向けの過激な「暴力」「性」シーンの大量放出書籍類は、始皇帝
がしたように「焚書」(辞書をひいて!)にすべし。
「言論の自由」? 笑わせないで!
人間の暗部(私はそんなもの持ってない?持ってるのよ、認めようが認め
たくなかろうが)を、いたずらに刺激するものを世の中に放出するものは、
厳罰モノよ。なぜって、それらの作者と出版社は、子ども達への愛なんか、
これっぽちも持っていないからよ。
でも、私は関係ないと、知らん顔をする私達大人全員の責任がまぬがれる
なんて思っちゃいけない。
無関心が、一番罪が重いかもしれない。
一番とは言わないまでも、誰しも興味津々のセックス(生物、とりわけ人
間)の取り扱いに、いい大人がなんであそこまで、常軌を逸するような、
「此処で会ったが百年目」みたいな対応をしなきゃならないのか。今にし
て思えば、妊娠の可能性と同時に、快楽が伴うことに対する嫉妬心がさせた
言動だったとわかるけれど。
人類発祥最古の職業・売春。人類が滅亡しない限りこの地球上から消えない
職業。今はない? あるじゃないの。「援助交際」という名でも。
この法律が出来て、最初に少女を買って捕まったのが坊主というのが、情け
ないやら腹立たしいやら。そして、人の愛を受け取られないままに育った不
幸な少女達。そして、その不幸を埋めようとするかのように、早々と飛び込
む性の世界。
「売春禁止法」が成立した背景には、女性を道具にしている、モノのような
扱いをしている、金品が派生することが不純。あれは、人身売買。悲惨さが
つきまとう。そして、1人の女だけ、しかも紙の上の契約済みの女としかセ
ックスしてはいけない。という話。
給料取り上げ、手抜きし放題家事育児、権利の主張は膨張一途のビッグバン
クラス。
「疲れてるのよ!」あるいは、疲労困憊の夫の条件反射で頭をもたげる下半
身を責める。こういう男女関係は、不純じゃぁないの?
何事も、いくら経っても大人の対応が出来ない日本人。感情論で突っ走る愚
を繰り返す。けれど、見つからなければ ない、式の方法を模索実行は得意。
ヨーロッパのある国では、公娼がいる。ネイムプレイトを首から下げ、商談
(?)を進める。そんな映像を見たことがあるわ。ドラッグさえも、マリワ
ナは公認。人間の何たるかを知っている人たちなんだわ、と思ったわねその
時に。大人の対応。現実的処理。
日本人は、違うって思ってるのか、それとも歯止めが利かなくなると思うのか、
だとしたら、思い上がりあるいは愚か。臭いものには蓋で直視を避け、得意な
先延ばし、何事も。
「ダメなものはダメ」式の幼稚反応、婚外セックス、あるいは不特定多数と
のそれを認めない女達。今大騒ぎの「ジェンダーフリー」闘志達。恐らくや、
成長過程において、逃れきれない、トラウマのド壺にはまるような、不幸な
経験・体験をしてきたとしか思えない、彼・彼女達。
それは個人の問題であって・・・「ジェンダーフリー」なんて看板を立てて、
自分の不幸のすり替えなんて、誰も望んでなんかいない!
そう、昔「マーニー」という、ヒッチコック映画があったわ。ショーン・コ
ネリー、ティッピー・ヘドレン演ずる「トラウマ」物語。幼児期から思春期
に遭遇する不幸な出来事は、その人を一生苦しめ、決して人に寛大になれな
い、誰をも、自分すら愛せない人間を作り上げる。対人恐怖で逃げるか、反
対に徹底的に人を攻撃するか、のどちらかの型に。
充分堪能できる愛情の元で成長してきた人間は、自分以外の人間(あくまで
も人間。決して動物や植物ではない)を愛する事ができる。愛される心地よ
さを知っている。しかし、それとこれとは違う側面を持つセックス。
断言できる。どんなに法律で縛ろうとも、絶対になくならない売春と。
暴力団が絡んでの風俗業界。ならば、「三日男なしなんて耐えられない」女
性達(男じゃあるまいし、そんな女がいるわけない。いるのよ現実に。その
思い込みが恐ろしい)を、公娼にしたらいい。しっかり健康管理された、
エイズ(話題にならなくなったら、もう沈静化?いいえぇ、深く静かに、
猛威を振るっていて、数字は右肩上がり。あなたは大丈夫?)を始めとする
性病の心配もない女達と、性の享楽を堪能できる男達。まあ、法律があろう
がなかろうが、深く静かに行われる圏内・圏外セックス。女房を泣かす男は、
どうであれ、その程度の男というだけの存在。下半身ばかりに関心持つ人間
は、「愛」「思索」「哲学」そこに息づく「寛容」「真理への飽くなき探求」
「はかなさ」「あわれ」等とは無縁の存在。そんな輩が、こっそり行う無法
セックスから蒔き散らされる本人・家族への心身の病気。
法律ができたとしても、「行ってくるよー」と、大手を振っては行かれない
所業先ではあるけれど。
さあ、現実の男女という存在から目をそらさないで、暴力団の入る隙を与えな
い「売春法」を作って貰おうじゃないの。「ダメー!」って、叫び散らすあな
た。あなたの問題は、下半身にあるのじゃなくて、頭の中にあるのよ。心と言
ってもいいわね。
永井荷風作?「四畳半襖の下張り」の一夜を共にした男女の夜明け。にっこり
微笑む女が愛らしい。何処で読んだかって?蛇の道はへびよ。あれって、裁判
で決着がついたのだったっけ?
セックスを目の仇に、あるいは異常に執着する、はたまた男女差を表わす表現
に過敏反応・固執する人に、カウンセリングを受ける事を勧めたい。本人自身
が気付いていないトラウマから、解放され、人を愛する事を覚え、その心地よ
さに生まれ変わった自分に出会えるはずだから。
「春を売るって、何の事?」「・・・大きくなったらわかるわ」
「なんなんだろう?」
中学生になったばかりの頃、新聞紙上に毎日のように踊ってた言葉「売春」。
その後に続く「禁止法」。おませだった私は、何かを感じていたのだと思う、
売春という言葉に。しかし、どこかに親に聞いてはいけないと思わせていた
言葉。どこでどう思ったのか、垣根越しに、隣の奥さんに聞いてしまった。
それだけ無視出来ない何かがあったのだろう。冒頭の反応しか出しえなかっ
たお隣りの奥さん。隣りの困った娘。
そして、この20年位前から、「禁止法」を撤廃すべしと、思い続けてきた。
当時、ラジオから聞こえる討論会などで、男女、とりわけ女性達がヒステリ
ックにわめき散らす言葉は、子どもと大人の中間地点に立っていた私に、何
か胡散臭いものを感じさせていたのだと思う。と同時に半端じゃない興味も。
小学高学年で、早、「赤と黒」「ボバリー夫人」等など、もうすでに読みま
くっていた世界文学。
10代後半の、まだ解禁になったばかりだった「チャタレー夫人」、「悪徳
の栄え」これは反吐が出そうになったし、内容もわからないところだらけで、
アルバイト先の上司にあげてしまい、途中放棄。「O嬢の秘密」など等。
それとなくわかり始めてきていた男と女の関係だった。
ジュリアン・ソレルが、出産シーンを垣間見て、陣痛に顔を歪める女の顔を
見て、「あの時と同じ顔をしてる」って。どっちも知らない12~3才の
「赤と黒」の世界。
けれども現在、少年少女達が手にする書籍から比べれば、なんで裁判に?
と思うほどの内容で、更に今なお読み継がれている大きな理由は、普遍な
るテーマが内在しているから。
少年少女向けの過激な「暴力」「性」シーンの大量放出書籍類は、始皇帝
がしたように「焚書」(辞書をひいて!)にすべし。
「言論の自由」? 笑わせないで!
人間の暗部(私はそんなもの持ってない?持ってるのよ、認めようが認め
たくなかろうが)を、いたずらに刺激するものを世の中に放出するものは、
厳罰モノよ。なぜって、それらの作者と出版社は、子ども達への愛なんか、
これっぽちも持っていないからよ。
でも、私は関係ないと、知らん顔をする私達大人全員の責任がまぬがれる
なんて思っちゃいけない。
無関心が、一番罪が重いかもしれない。
一番とは言わないまでも、誰しも興味津々のセックス(生物、とりわけ人
間)の取り扱いに、いい大人がなんであそこまで、常軌を逸するような、
「此処で会ったが百年目」みたいな対応をしなきゃならないのか。今にし
て思えば、妊娠の可能性と同時に、快楽が伴うことに対する嫉妬心がさせた
言動だったとわかるけれど。
人類発祥最古の職業・売春。人類が滅亡しない限りこの地球上から消えない
職業。今はない? あるじゃないの。「援助交際」という名でも。
この法律が出来て、最初に少女を買って捕まったのが坊主というのが、情け
ないやら腹立たしいやら。そして、人の愛を受け取られないままに育った不
幸な少女達。そして、その不幸を埋めようとするかのように、早々と飛び込
む性の世界。
「売春禁止法」が成立した背景には、女性を道具にしている、モノのような
扱いをしている、金品が派生することが不純。あれは、人身売買。悲惨さが
つきまとう。そして、1人の女だけ、しかも紙の上の契約済みの女としかセ
ックスしてはいけない。という話。
給料取り上げ、手抜きし放題家事育児、権利の主張は膨張一途のビッグバン
クラス。
「疲れてるのよ!」あるいは、疲労困憊の夫の条件反射で頭をもたげる下半
身を責める。こういう男女関係は、不純じゃぁないの?
何事も、いくら経っても大人の対応が出来ない日本人。感情論で突っ走る愚
を繰り返す。けれど、見つからなければ ない、式の方法を模索実行は得意。
ヨーロッパのある国では、公娼がいる。ネイムプレイトを首から下げ、商談
(?)を進める。そんな映像を見たことがあるわ。ドラッグさえも、マリワ
ナは公認。人間の何たるかを知っている人たちなんだわ、と思ったわねその
時に。大人の対応。現実的処理。
日本人は、違うって思ってるのか、それとも歯止めが利かなくなると思うのか、
だとしたら、思い上がりあるいは愚か。臭いものには蓋で直視を避け、得意な
先延ばし、何事も。
「ダメなものはダメ」式の幼稚反応、婚外セックス、あるいは不特定多数と
のそれを認めない女達。今大騒ぎの「ジェンダーフリー」闘志達。恐らくや、
成長過程において、逃れきれない、トラウマのド壺にはまるような、不幸な
経験・体験をしてきたとしか思えない、彼・彼女達。
それは個人の問題であって・・・「ジェンダーフリー」なんて看板を立てて、
自分の不幸のすり替えなんて、誰も望んでなんかいない!
そう、昔「マーニー」という、ヒッチコック映画があったわ。ショーン・コ
ネリー、ティッピー・ヘドレン演ずる「トラウマ」物語。幼児期から思春期
に遭遇する不幸な出来事は、その人を一生苦しめ、決して人に寛大になれな
い、誰をも、自分すら愛せない人間を作り上げる。対人恐怖で逃げるか、反
対に徹底的に人を攻撃するか、のどちらかの型に。
充分堪能できる愛情の元で成長してきた人間は、自分以外の人間(あくまで
も人間。決して動物や植物ではない)を愛する事ができる。愛される心地よ
さを知っている。しかし、それとこれとは違う側面を持つセックス。
断言できる。どんなに法律で縛ろうとも、絶対になくならない売春と。
暴力団が絡んでの風俗業界。ならば、「三日男なしなんて耐えられない」女
性達(男じゃあるまいし、そんな女がいるわけない。いるのよ現実に。その
思い込みが恐ろしい)を、公娼にしたらいい。しっかり健康管理された、
エイズ(話題にならなくなったら、もう沈静化?いいえぇ、深く静かに、
猛威を振るっていて、数字は右肩上がり。あなたは大丈夫?)を始めとする
性病の心配もない女達と、性の享楽を堪能できる男達。まあ、法律があろう
がなかろうが、深く静かに行われる圏内・圏外セックス。女房を泣かす男は、
どうであれ、その程度の男というだけの存在。下半身ばかりに関心持つ人間
は、「愛」「思索」「哲学」そこに息づく「寛容」「真理への飽くなき探求」
「はかなさ」「あわれ」等とは無縁の存在。そんな輩が、こっそり行う無法
セックスから蒔き散らされる本人・家族への心身の病気。
法律ができたとしても、「行ってくるよー」と、大手を振っては行かれない
所業先ではあるけれど。
さあ、現実の男女という存在から目をそらさないで、暴力団の入る隙を与えな
い「売春法」を作って貰おうじゃないの。「ダメー!」って、叫び散らすあな
た。あなたの問題は、下半身にあるのじゃなくて、頭の中にあるのよ。心と言
ってもいいわね。
永井荷風作?「四畳半襖の下張り」の一夜を共にした男女の夜明け。にっこり
微笑む女が愛らしい。何処で読んだかって?蛇の道はへびよ。あれって、裁判
で決着がついたのだったっけ?
セックスを目の仇に、あるいは異常に執着する、はたまた男女差を表わす表現
に過敏反応・固執する人に、カウンセリングを受ける事を勧めたい。本人自身
が気付いていないトラウマから、解放され、人を愛する事を覚え、その心地よ
さに生まれ変わった自分に出会えるはずだから。
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