それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

ことばの力と危険性

2018-12-10 23:00:28 | 教育

 

 BS-TBSの『にっぽん!歴史鑑定「どこから来た?縄文人の真実」』を興味深く観た。この種の番組はNHKの得意とするところであろうが、民放の取り組んだ成果の一つとして評価したい。
 縄文人の生活レベルが、従来考えられていたものより、遙かに高度なものであることが証拠を挙げて説明・解説されて、認識を改めざるを得なかった。
 彼らのコミュニケーションの方法、つまりは「ことば」についての研究の成果を期待したのだが、これについては、オノマトペ(擬声語・擬態語)を用いての近隣の人々とのやりとりをしていたらしいことの指摘のみで終わったのが、やや残念であった。骨や住居などと違い、ことばの痕跡はとらえにくい。どうして、オノマトペが使用されていたことが判明したのかについて疑問が残ったが、使用の事実の提示は刺激的であった。(数百人も収容できる集会所を、共同で建築するには、相当に緻密な説明が可能なコミュニケーションが必要であったろうし、それを可能にすることばも存在したに違いないのだが……。)
  ことばは、人と人、人と集団、集団と集団を結びつけるとともに、自己を思考や行動の主体としてとらえ直し、成長させる上でも必須のものである.動物との違いは、ことばの使用の有無によるとされる。(チンパンジーやイルカのレベルの言語能力とは本質的に異なる使用能力を言っている。)
 が、時に、ことばは、事実、真実を覆い隠し、人や社会を欺くためにも使用される。SNSの発達は、虚偽の情報を量産し、人を欺くために多大のエネルギーを費やし、不幸な状況を生み出し続けている。ことばによるコミュニケーションが、人々を結びつけ、家族や自分自身の日々の生活をよりよいものにするために機能していた時点に遡って、ことばの力をとらえ直す必要があるのではなかろうか。
 国会で話題になった、「武力衝突」と「戦闘行為」は別物というようなやりとりを、縄文人ならどうとらえたであろうか、聴いてみたい。知恵がつき、ことばが複雑な構造になるとともに、悪用も誤用も進化し、真実を覆い隠すことにもなる。雑駁かつ不誠実なことばの使用は、いずれわが身に、災いをもたらすことになろう。
 
          偽装
     
      ちりめんじゃこの目玉
      数知れぬ命の残骸
     
      チキン・フラワー
      若い鶏のか細い手羽先
     
      いか(烏賊)リング
      原型は何だったか?
     
      いのちの存在を
      希薄にすることばの
      「偽装」