それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

文字力とPC、スマホ

2019-04-02 22:49:20 | 教育

 文字力には、書字力と読字力がある。ここでいう文字とは、特に漢字のことだと考えておいていただきたい。  かつて、ワープロを使っていると漢字が書けなくなるのだが、どうすればいいのだろうかという相談を受けた。そのときは、「それは書けなくなったのではなく、その前に習得できていなかったのではないですか。」と、真剣な質問に対して失礼な応対をしてしまっていた。今なら、「その通りです.漢字を忘れてしまいます。できるだけ手書きするようにした方がいいですよ。」と答える。

 ほぼ、一日中、読書ができるようになって、目には悪いが、精神的には快適な日を送っている。振り返れば、子どもの頃から、本を読んでいれば他に何も要らない、寂しくもない生き方をしてきたように思う。引退後の私は、外目には「引きこもり」状態のように見えるかもしれないが、多くの作品やそれを生み出した著者との対話という社会的人間関係の中にあって、めまぐるしく、活動的な時間を送っていると言ってよい。時々散歩の誘いがあって、10,000歩以上、2~3時間の運動が入るが、エネルギー消費量と人間関係の構築は、読書と変わるところがない。

 読書をしていて、時々、未知の言葉に出会う。あまり頻繁ではないが、「こんな言葉があるのか。」と自らの無知を恥じることがある。死ぬまでもう出会うことはなかろうと思うような言葉が少なくないが、読書は、語彙という「ものを見る、考える、感じる窓口、手がかり」を増やしてくれる。これは、「読字力」に関することであり、読書の効能の一つである。  ところが、「書字力」は、確実に衰えている。時々、万年筆で文字を書く必要に迫られることがあるが、しばしば、漢字で躓く。はて、どういう漢字だったろうか、筆順はどうだったかという問題が多発する。ほとんどの文章をワープロで書いているのが、その原因である。自分にとって身近な漢字の代表は、自分の名前(漢字)であろうが、その漢字を、例えば20回書き続けると、これはなんという文字だったかと思うようになるが、それに似た現象が頻発するようになっているらしいのである。読みや文脈をビッグ・データから類推して要求に応えるAIに助けてもらっているうちに、こういうことになったのである。「便利・楽」という状態は、人間の能力を退化させるもののようである。

 低年齢段階から、電子機器を、教育現場や生活の中に導入することは考え直した方がよいかもしれない、ということを、PCを使って書いている。