「妊婦加算」なるものがあることを初めて知った。長い間、健康保険の多額の掛け金のみ支払って、その恩恵を受けることのなかった身にとって、妊婦への嫌がらせのようなこの「加算」が納得いかない。正直、びっくりし、恥ずかしくなった。
政府は、少子化、労働力不足などへの対応として、野党の反対する様々な法案を提出して、多数決という非民主的な方法でごり押しをしようとしているが、もっと真面目に、国民が、子供を産み、育てる環境の整備をするべきであろう。
保育園の整備、保育士の待遇改善、扶養手当の見直し、税制の見直し、非正規雇用制度の改善等々、改善の必要なことは多数あるが、要は、国民が子どもを作り、育てやすい環境作りをしているかどうかが問われている。生んだ子どもが、生きがいのある人生を送れる社会を保障できるかどうかも含めて、いかにもあやふやな「今」を生きている者たちにとって、子どもを持つことを躊躇し、結果として少子化という現象をもたらしている責任は、どこにあるのだろうか。
子どもを身ごもった者からは、加算という形で診療費を水増しするという発想そのものに疑問がある。「いや、妊婦、出産には、いろいろな補助制度がある」という言い訳も用意されているようだが、補助金を受け取るには、面倒な「申請」が必要である。その煩瑣な手続きを避ける人達のことを見越した制度ではなかろうか。子どもを持つと言うことは、多額の出費を伴うことであり、それを受け入れることである。政府がそのことを理解して、様々な支援をするか覚悟なくして、少子化の問題は解決しない。外国人労働者の受け入れという緊急避難かつ姑息な方策で、根本的な解決は望めない。まず、母国を愛し、母国に守られて、子孫を育て、国の存続と発展が可能な環境作りをすることが先決で、そういう国は近隣の諸国からの尊敬を獲得することにもなり、優れた労働力の獲得も可能になるのである。
今、わが国は、そのような魅力を持つ国であるのか?
何かあるとアンケートに頼るというのは、大学生の卒業論文作成に特有のことかと思っていたが、技能実習生に対する法務省の行為も似たり寄ったりで、いかにも客観的で公正なデータを導き出したようなふりをして、恣意的な結果を生んでいることが野党のチェックによって明らかになった。
テレビでは、アンケート用紙の内容が、一瞬しか放映されなかったが、失踪の理由として挙げられ、該当するものにチェックを入れるようになっている項目が、「低賃金」と「最低賃金以下」が並列する形で存在し、「最低賃金以下」にチェックを入れた者は、わずかに20数人だったという。野党の吟味の結果によれば、1500人以上が、実は、「最低賃金以下」であったということが明らかになった。
法務省の官僚の能力が低くて、こういういかがわしい結果が得られたのかと疑われもするが、官僚はそれほど無能ではなかろう。意図する結果を生むための企みの結果のようである。「最低賃金以下でなくとも、低賃金にいやけがさして失踪したのである」という雇用者の違法行為でなく、実習生の責任であったという事実を生み出すための工夫だったようである。
そもそも、「最低賃金以下」と「低賃金」は、並列関係ではない。前者は、後者の下位項目の一つである。アンケート作成者は、無能であったのか、有能でありすぎたのか、結果として法務省や与党に都合のいい結果を生んだ。多分、意図的な行為の結果に違いない。未熟な学生の行為とは違うのだから。
世の中には、さまざまな調査、アンケートの結果としての数字が提示される。数字の出てくる所以を理解しておかないと調査者、作成者の思惑に踊らされることになる。このことを再認識するよい機会になった。
それにしても、技能実習生に関するこの実態(野党による吟味の結果)は、日本人の一人として恥じ入るばかりである。
マラソンの元日本代表の女子選手が、涙ながらの会見をしている。コンビニでの万引きで有罪判決が下されたのを受けて、放送局が設定したものである。いたたまれない思いで観た。
彼女の犯行の原因は、クレプトマニア(「窃盗症」あるいは「病的窃盗」)という精神疾患の一つによるものだという。
放送局は、精神障害や認知症などの疾患を原因とする違法行為については人権問題という観点から慎重過ぎるほど慎重であった。名前を伏せ、画像など思いもよらないという配慮をしてきた。それに比して、今回の扱いは異様ではないのか。
前回の窃盗事犯で、執行猶予中であったということがあったかもしれない。しかし、前回の犯行も、精神障害の一つが原因だとされるのなら、著しく公平性を欠いているとは言えないか。
今回の事件の内容は、コンビニでの392円の万引きだという。無論、万引きも犯罪であり、金額の多寡によらない面はある。しかし、わずかな金額である。店側としても対応の仕方があったのではないか。有罪判決で執行猶予4年で、テレビによって実名、本人出演というさらし者にするのにふさわしい行為だと信じたのであろうか。少なくとも、病気が原因の行為であるとするなら、警察も検察も、そして裁判所も、もう少しだけ、他の事例に準じた人情味のある措置が可能だったのではないかと思えてならない。
今月初めから、4K8Kのテレビ放送が始まるというので、放送局と電器店が騒ぎ立てている。
ブラウン管時代のアナログ標準画面から、デジタルハイビジョンへの移行は衝撃的で、新しい方式の精細な画面に感動したものであるが、今回はどうであろうか。
「新4K、新8K」の「新」とは何を意味するのだろう。これまで、「4K対応テレビ」なるものが存在し、それを購入した人も多いと思うが、4K放送を見るためには別にチューナーが必要であるという、いわば、詐欺のような存在であった。8K放送に至っては、パラボラ・アンテナまで新調する必要があるという。
新方式のテレビ放送と現在までのもの(K、2K放送)のどこがどのように違うのかを、昨日、今日のテレビ放送で、様々に解説している。なるほど、精細さが増して、小さいものがよく見える。色彩も鮮やかになっている。しかし、その違いを表示しているテレビは、従来の、Kや2Kのテレビなのである。現有の機材でも可能なのではないのかということになる。チューナー内蔵の新しいテレビや、対応チューナーは、特に必要ないのではなかろうか。特に、50インチ以下の家庭用テレビで十分だと思っている人達には、新方式の機器は、高機能すぎて、不要なのではなかろうか。上等なデジタルカメラの画素数が2,000万画素以上になっているが、サービスサイズで印刷するのなら、500万画素程度で十分なのと同じではなかろうか。
といろいろ疑問に思っていたら、消費者の反応は、予想したほどではないようで、やはりと納得したところである。ふすまや障子ほどの大きさのテレビを持っている人は、2K程度では不満があるかもしれないが、そんな人は少数派である。私の部屋には32インチの1Kテレビがあるが、十分に高精細である。階下の50インチ2Kさえも必要ない。4K8K路線は、技術開発という面では意味があるのかもしれないが、一般家庭用、民生用としては、技術水準が高すぎて、現実的でないような気がする。
今ひとつ盛り上がらないという現実から学ぶことも多い。が、これから生産、販売される新型4K、8Kテレビの価格が大幅にダウンして、従来製品と差がなくなればどうなるか分からない。
画像でなく、現物(物そのもの)は、何K相当なのだろうか。限りなく、現物に近づくという路線もありうるのだろうか。私には興味がないけれども。