戦後直ぐに生まれた私たちが戦争の名残りとして辛うじて知っているのは進駐軍のジープくらいしかないが、それ
も正確な時期は覚えていない。戦争のことを覚えているのは終戦時、7~8歳だった人たちだろうから70歳半ば以
上の老人しかいない。
🎶 戦争を知らない子供たち 🎶を歌っていた私たち若者も大人を通り越して老人の世界に突入してしまった。戦
争のない平和な暮らしは誰しもが望んでいる事なのに世界から戦争、紛争が絶えたことはない。日本は第二次世界
大戦の当事国、こんな小さな国が世界を相手に戦争し最後はこっぴどく始末された。その影を70年過ぎた今でも
引きずっており、戦争というものは如何に避けるべきかをよく示している。
だから日本人は子供から老人まで誰もが戦争への道を歩むべきではないと思っているし、戦争の意志など持ち合わ
せていないと確信している。戦争の選択など無いのは当たり前過ぎ、政府や政治がどんなに変わろうとあり得ない
から心配の余地などない・・・・恐らく大半の日本人の感覚ではなかろうか。
私が怖いと思うのは誰もが、当たり前のことから無関心になってしまい、このような事を考えなくなり政府や政治
とかい離しても気づかなくなることだ。日本には世界に誇れる平和憲法がある。国民が平和ボケになりつつある間
に政治屋はとんでもないことを始めようとしている。『憲法を内閣が勝手な解釈』をしようとしているのである。
内閣なんぞはチョイの間の政治屋の戯言ではないか。それが畏れ多くも憲法解釈を勝手に帰るなど不遜だ。
やるなら正々堂々と国民に問うて憲法を改正すべだ。安倍政権が倒れた後に別の内閣が『憲法解釈』を変えてしま
ったら・・・この国にはきちんとした憲法など存在しなくなる。国民の無関心は政治屋どもの好き勝手を容認する
のと同じことになる。民も政府、政治屋も戦争を知らない大人たちが主流になっている。政府や政治屋が戦争に傾
きかければ、一番被害や影響を受けるのは民であることを忘れてはならない。
私は右派でも左派でもないただの口うるさい一庶民だ。