食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『挨拶のできない大人たち』

2014年06月13日 12時43分00秒 | 日記

町の角や人通りの多い所には『明るく元気にあいさつをしよう』などとスローガンが掲げられている。また通学路

には子供たちが作った啓発のスローガンが看板にして立てかけられている。町内の子供たちは低学年が一番元気よ

く大きな声で挨拶をし、高学年になるに従って声が小さくなっていく。恐らく、この傾向は何処の地域でも似たよ

うなものではないかと思う。

最近は知らない人に声を掛けられても返事をしないとか、不審者と思われる人には注意をすると教えられているだ

ろうから、子供たちも挨拶をされたらどう対応していいのやら…悩むのでは。

私は近所で出会う人は知らない人でも会釈程度の挨拶をするし、顔見知り以上の人なら必ず声を出して挨拶するの

が当たり前だと思っている。自分の子供たちにも挨拶は五月蠅く躾てきたから私が見てきた限りではよく身に付い

ていると思っている。当然、孫たちにもそのように躾けているから我が家に来た時、挨拶がないとそれを求める。

しかし挨拶は左程、大切なものではないと考えているのか無頓着な家庭もある。親が挨拶をしない家の子供たちも

挨拶をしない。総じてこの傾向にある。

親は社会人でいい歳をしているから会社や職場で挨拶をしないことはないだろうと思う。お客さんや目上の人と顔

を合わせても挨拶をしないなんてことは考えられないとすると、自宅周辺の人だけに挨拶をしないということにな

る。特定の人が嫌いだとしても私の感覚からすると会釈程度は、人の基本としてすべきだと思うし、何度無視され

ても、出会った時に挨拶をしないと、挨拶をしない嫌な人と同じ種類の人になってしまうことになる。

挨拶はそんな難しいことではなく他人からの挨拶を無視する方が余程難しいと思うが。

挨拶は礼儀の一つでもあるから、きっと挨拶をしない親たちはその親から礼儀に対する躾がされず、挨拶できない

DNAが子供たちに伝えられていったのではなかろうか。

私たちは田舎で暮らしているからまだいい方だと思う。都会地のマンションでは『隣は何をする人ぞ』は当たり前、

表札なども個人情報なんて馬鹿げたことになっている時代、朝に顔を合わせても目を合わさない人間関係の中で暮

らすのは味気なく私の性分には合わない。そうした人たちも職場に行き自分たちの部下には挨拶の大切さを説いて

いるのだろうか。


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