しばらく稽古がありませんで、一か月ぶりくらいの更新になってしまいました。あっと言う間に年の瀬、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。おはようございます!一刀貫です。
いよいよ五段審査まで一年を切ってしまいました。合格できないまでも「五段はこんな感じだと思っています」と言う、自分なりの理解をもって審査に臨みたいとは思っています。まだまだ、暗中模索の段階ですが。
このお休みの間、割と自分の剣道の事を考えていました。一つ強く思ったのは、どう考えても自分の剣道は「待って」いた剣道だなということ。先生が打って来られるのを待って、それに合わせるような面打ちをしていました。もっと動いてみたり、払ったり抑えたりうんぬんかんぬんして機を作っていかないといけないのでは。今の方針で良いのかどうか…を考えたのですが。これはこれで、良いのかなと。相手の起こりを捉える稽古、また「ここで打ってきなさい」という機を教えて頂く事。当てるよりも面打ちそのものの形を見て頂く事、あとは打たれる恐怖心を克服していく事。こういう面でとても意味が深いと思え、とりあえずこの方針は続けようと思いました。ただこれまでのように待って打つのではなく、少なくとも心はしっかりと機を捉えるのだという意識で稽古したいと思います。そう考えると、私がしたいのは「試合に勝つ稽古」ではなくて「自分と向き合い、弱さの克服に挑戦する稽古」なのだとも改めて気づきました。そういや、試合なんかで負けて悔しい!ってなるのって。自分を出し切ってバーン!と打って、それで打ち負けてもそんなに悔しくないんですよね。そりゃ稽古してないもんね、しょうがないと。ただ、相手に動かされて動揺してふにゃふにゃっと構えが崩れた所をビシ!っとやられると、こーーれは悔しい心底悔しい。ああそれはつまり相手に負けたからじゃない、自分に負けたから悔しいんだなぁなんて事にも気づきました。
さて、同じ四段五段の先生方や子供たちとの稽古ではどうだろうとも考えました。そこでも同じように、待つ剣道をしていて良いわけはありません。ではどうしたいのか。それは「相手を動かす」剣道だと思いました。いわゆる「崩す」という事です。そこで久々昨夜の稽古では、自分の「間」と「機」が作れないか。色々やってみました。これまでは出来もしないのに「気」だけで、何とかしようとしてた気がします。剣や足は未熟過ぎてロクな事にならない、なら気持ちだけ作って打って行ってダメで今はいいのではと。それもそうなのですが、少しだけギアを上げ、竹刀を使い足を使って、相手の動揺を誘うような稽古もしてみました。
まだうまくは出来ないのですが、何か新しい世界が広がったというか、またほんの少し理解が深まり、相手との気持ちのやり取りが進んだように感じました。やはりこれも、大事。
先日Y先先生との自主練の時にも思ったのですが。最近また剣道の稽古してると「楽しい・面白い」なぁと感じます。それは何なのだろうと改めて考えると、お相手との言葉のないやり取りが本当に興味深い事だと思いました。「口」は時に嘘もつくし虚勢も張ります。でも剣道の稽古は、人間がまんま出てしまう。私は特に、多分普段は潜めている「弱さ」がまんま出てきます。そういう本当の自分になった同士で気持ちをやりとりする刺激、面白さ。大概、剣を交えた途端にお相手と自分の力量の差も分かります。そしてお相手がこちらの力量が分かったことも、分かったりします。じゃぁそこでどういう稽古をしましょうか、とまた言葉なく剣で相談し合ったりして。お相手が良く知った先生だったり、初めてのお相手だったり、それでまたちょっとやりとりが変わってきたりもして。そして剣道は基本「敬意」を尊びますから、私とどんなに力量の差を感じられても、疎かにはされずしっかり稽古をして下さる。そういう所にまた感謝と敬意を感じたり。そういうのって、ホントにいいなぁと思います。そして稽古あとに先生にお話を伺うと、いややっぱすごいわと感じさせられるのも、また興味深い。自分とははるかに違う世界を見てるし、剣道をされている。こりゃ前途多難だわ…とまた改めて剣道の難しさを知ります。
でも難しいから面白い。楽しい。私の「難しい」などフェルマーの最終定理解明に挑む数学者に向かって「因数分解って難しいッスよねw」とか言ってるのと同程度なのでしょう。10年かかって、やっと本格的に面白くなってきました。
私の剣道は、やっと始まったばかりなのかもしれません。引き続き稽古のほど、よろしくお願いします!
ぜひ私たちと一緒に、気持ち良い汗をかいてみませんか!