オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

高齢者・障害者のセックスと自慰

2019-03-23 11:51:30 | 身体障害者

 

 カタクリは、この時期には山のあちこちで見かける。

 

 登山なんてものは、その行程の9割以上が眺望も無い、薄暗く陰気で苔むした森を歩くことが多い。

 なにが楽しいのかと言われれば、別にそれ自体はなにも楽しくない・・・そうとしか答えられないわけで、それでも生きて居るということを確認するために歩いてるようなもんだ。

 自分の足で、ヘロヘロになりながら、自分のリズムで、汗だくになって、地球のアクシデントで遊び、ただひたすらに景色を眺めて歩くのが好きなだけ。

 いつも必ず新鮮なアクシデントと出会う。

 ・・・なんかオモシロイことないかな~・・・だから飽きずに歩いてる。

 すくなくとも、もうナニをしても見ても不感症になってる退屈な人間の社会にはない、オモシロイことがある。

 そうして他人よりも体力・精力が段違いに強すぎる身体があるからこそ、街中に長く居れば乱暴・狼藉を働きそうで、だから山や海で消耗させている・・・これは、まわりのガラの悪く古い周旋屋はみな激しく頷いて笑ってる。

 だから周旋屋には昔から山馬鹿は多い。

 持て余す体力と精力を、山で消耗させているという意味もある。

 昔の修験者や山伏なんてのは、だいたいがそんな大悪が社会には居れなくなってやっておった。

 銀座の街なんて、青山の町なんて、この歳まで生きて居るとナニも真新しい楽しいことはない。

 飽きてしまってるが、そこにやってくる人間がいるから商売にして生きている。

 反社会勢力だろうが、刑事・警察官だろうが、俺から見れば山にいる熊公と鹿の違いにしか見えてない。

 

 高齢者のセックスや自慰、こういう話はいまだにメディアでは語られない。

 悠々と説教たれてる高僧や尼さんや神父が、老いてひとりで自慰をしている話は醜い話なのか? 

 何故だろうか? 孫がいるお爺さんがオナニーをしてはいけないのか? 孫の前で毅然としているお婆さんが股座を濡らしてはいけないのか? 皺皺のそんな話は汚らしいのか? 俺はガキの頃からませたガキだったから、爺さんや婆さんだってセックスやオナニーをしていることを知っていた。

 ところがあれから半世紀以上も経ってるのに、そんな話は書かれないし、語られないし、メディアでも緘口令が敷かれてるかのごとくに、報じられない。

 俺は障害者となっても、相変わらず絶倫のまんまで、いまでは山も登れば、海でも遠泳するように戻った。

 そうしてこの身体障害者のセックスや自慰、これもまたタブー視するかのごとく風潮があることが不思議でならないまんま、今日に至っている。

 日常の会話で俺がいつもそんなことを平然と喋ってると、変な爺様、変な障害者、そういう反応が多い。

 人間が生きるうえで、これはとても大事な話なんだが、みな口を閉ざして見ないフリをする。

 だから余計に俺はみなに喋ってやってる。

 爺や婆でもセックスしたくなるし、障害者だって性器を弄って愛し合いたい、これは健康的な普通のことだ、と。

 昔から、世の中社会の50年先を生きてるような、そんな想いが強いから、別にナニも期待はしてないが、言うことは言っておかなければと、相変わらずあちこちで言い放ってやってる。

 俺は健常な頃からあちこちに女を作って、みな子供も育てあげて来たオヤジだからまだ良いとして、晩熟で内気で自信を失ってる障害者は多いだろうし、若い人たちには解決しない苦痛でもあるだろう。

 そういう人たちのために、そんなサービスを公的に考えてやっても良いのではないか? よく言ってる。

 この国は遅れている。

 北欧の国ではそんな公共のサービスもすでにある。

 人間が歪み果てるのは、隠したり、黙殺したり、見て見ないふりを続けるからであって、堂々と、健康な話は子供の前でもする、俺はそうやって子供らと接してきてもいる。

 現代社会の道徳や倫理観なんてものは、変態が自らマゾになって、隠れてムズムズして、こっそり楽しむことを強要してるだけの大奥のハリガタみたいな意味しかなくなってる。

 あと何年かかるのかね~?

 50年後も、この国の幼稚なオツムの大人社会では、子供はコウノトリが運んで来てるのかね~?

 

 とうとう昨夜のアメリカの市場では、長短金利差がマイナス圏に沈んだ。

 景気は下へ、確定ランプが点いたとも言えるが、トランプはどう対応するんだろうかね?

 日本の国内で幼稚なエリートもどき等がお砂場遊び続けてたって、世界の潮流にはなすすべもないだろうよ。


オストメイトを愉しむ生き方ゆえ

2019-02-21 12:03:24 | 身体障害者

 

 

 8時間を超える手術の最中に全身麻酔を追加して、翌日、まだ激痛と後遺症で吐き気と眩暈、幻覚を見るような酷い状態だったが、それでも10歩くらいは歩いた。

 車椅子を看護師に押して付いてきてもらって、ベッドから立ち上がるだけでも大変だったが、それでも歩いた。

 それから最短で退院を目指して、毎日一日中、夜中に目が醒めてもトボトボと歩いた。

 ボ~っとしてる時間はない、その分だけ身体は駄目になる、そう想っておった。

 チューブを突っ込んである腹部からダラダラと血液が流れ出てきておったが、関係なしに歩いた。

 動かさなければ駄目になる、動かして治す、これはガキの頃から身に付いてる処方だったろう。

 毎日いろんな面会人が来ても、病室ではなく面会室まで歩いた。

 凄まじく目だけギラギラした夜叉のような顔をして面会しておった。

 手術1週間後の深夜、歩いて横になると、男根が勃起した。

 腹膜炎も起こし、ボロボロになった腸があちこちの臓器に癒着して、不能になると言われておったものが、カチカチになった。

 痛みを堪えて射精してみると、鮮血が飛び散った。

 ・・・こりゃ~まだあかんわ・・・

 苦笑いで報告した主治医や看護師は、笑うしかなかった。

 ・・・じきに正常になりますよ・・・

 2週間で銀座の店に出たが・・・あれは癌でもうダメだろう・・・同業の若い衆は陰口を叩いておったことも、キチンと俺の耳に入っておった。

 体重は15キロくらい減っておった。

 そこから5カ月間、傷の後遺症と合併症に苛まれたもんだが、シャワーの湯さえ飛びあがるような激痛で、右向きでしか眠れない日が続いておっても、仕事は普通にこなし、3カ月目くらいから里山歩きを始めた。

 ・・・もうええか・・・諦めかけた命だったが、死ぬまで生きようとすることが俺の生だと考え、とことん戦うつもりになった。

 車を運転しておっても、揺れの振動で激痛が走ってる頃だ。

 治療中の毎日交換の簡易パウチのまんま、幼稚園児の団体に追い越されながらも、重いザックを背負って、ポールをついてトボトボ、ぜーぜー歩いて山頂まで辿り着いておった。

 5m進んでは休憩、10m進んでは座り込み、亀にも抜かれる・・・そんなスピードだった。

 傷口は痛かった。

 眺めは良かったが、痛みの方が勝っておった。

 大量に出されておった薬は、ぜんぶゴミ箱に捨てた。

 次はもうエエわ、これで駄目なら終わって良い、腹の底からそう想った。

 温泉にも浸かり、温水プールで歩き泳ぎも始めた。

 退院半年目に、2000mの山に戻った。

 同行者には 先に頂上で待っててくれ! そう伝えた。 

 みっともない姿は見せたくなかった。

 頂上直下の急登では、一度に3mくらいしか登れなかった。

 肺が破裂しそうだった。

 良いだとか悪いだとかではなく、意地になってた。

 ・・・赤鬼みたいな顔してたよ・・・

 なんども重いザックごと滑って転んで、なんども繁みに仰向けに倒れ、休憩をとりながらの山頂だった。

 これは今でもはっきり覚えている、目頭が熱くなった。

 景色に感動したのではなかった。

 そんなことは初めてだった。

 転び過ぎて、全身、傷だらけだった。

 それが自信になって、1か月後、外房の海に泳ぎ出た。

 沖で波にプカプカ浮いて流され、心地いい、生きてるという実感がはっきりとあった。

 この想いを忘れずに、残った時間を過ごしていたいと、それだけを想った。

 体重は退院した頃と較べると、3年後のいまは20キロは増えている。

 なにを喰っても美味いから、しかたない。

 カチカチの筋肉も戻り、いぜんよりも気合が入ってる分、ガタイは良くなった。

 176cmで75キロ、2Lが3Lになっているから、下着からすべて買い替えている。

 そのまんま、山を歩き続けている。

 海でも泳ぎ続けている。

 仕事も続けている。

 身体にフィットしないパウチを使ってる頃は、大量の汗を全身にかき、激しい岩場を登り切って、腹のパウチが剥がれてしまったり、漏れや剥がれは日常だった。

 タオルで剥がれた箇所を押さえながら下山したことも、一度や二度ではない。

 すぐに小蠅や蜂やアブやらが寄ってきて、人間ウンコみたいになっておった。

 綺麗な沖縄の海や外房の海で泳ぎ潜った時も、剥がれてしまって、小魚が寄ってきて、人間漁礁みたいになっておった。

 ・・・もう、おとなしく生きて居れば??

 よく周囲からは言われたもんだが、退院後の5か月間の苦しみは何の為?? 冗談じゃ~ね~よ。

 ただ、人生60年、男の色気だけで生きて来たエロ親父には辛いことだった。

 その後にいまのパウチと出会い、すべてが解決した。

 今じゃ~、どこに出掛けてもだ~れも障害者と見てくれなくなった。

 いろんなことがあった60年だけんども、この3年間も、いろんなことがあったよ。

 もう3年になる。

 これがオストメイトの本当の姿だ。

 辛気臭いオストメイトの苦労話など嘘ばかり、その辺の健常者には負けやせん。


銀座の周旋屋の笑えるよもやま話

2018-09-28 10:40:45 | 身体障害者

 

 銀座や青山という街は、日本の政治や経済やなんだかんだがいっさい関係の無い場所でもある。

 淡々と日が過ぎて、淡々と終わって、また淡々と始まってる繰り返し、始まりも終わりも、無い。

 いなくなった人のことはナニもなかったと忘れ、新しい人のことも別にとりたてて興味もない。

 淡々と時間が過ぎ、淡々と終わり、淡々と始まっている・・・2代目、3代目、もっと古い商売人たちが去って行くときも淡々とアッと言う間だし、すぐに別の商売人がそこで店を開くのもアッと言う間のことだ。

 何事もなかったかのようでもあるし、何事も最初から無いかのようでもある。

 商売とは顧客との体温の触れ合いでもあるが、やってる商売には血は通ってはいない。

 それが原則でもあり、幻想や亡霊はナニも無い。

 この30年、当社のまわりは当社のやった大規模な地上げや区による再開発で目まぐるしく賑やかになっているけんども、当社のまえにあった京橋小学校や、10年以上もその隣の京橋公園に棲みついて毎朝と毎夜に公園を掃除しておったホームレスのことを語るものはいなくなったし、ナニゴトも無かったかのようでもある。

 すべてがゼニカネ勘定だからと言う訳でもなく、それが人間社会の掟でもある。

 無駄な感傷や夢などは無い。

 だから俺も、じきに淡々と居なくなる。

 それで良いのだと想っている。

 俺が残るとすれば子供たちの血の中と、関わり合った人たちの胸の中にしかなく、あとは墓標なんて朽ちて三代で忘れ去られる、そんなもんさ。

 それ以上のことがあるかのような嘘は、余計なお世話だ。

 

 国連での日本国総理大臣の演説時には、空席が目立っておったし、座っておっても皆雑談して聞いてなかった。

 その演説の様子を映像で流すのは日本のチンドン屋だけで、しょせんは金出して買ってるから、無責任なことよ。

 自画自賛、島国の政治家のレベルが、与野党ともに国内向け興行でしかなく、世界中で売ってる世界地図を見てみると、日本の国土が変な形になってるものは多い。

 自分たちだけで偉そうにその気になってるだけで、自意識過剰なゴキブリ、たいして害はないが薄気味悪い連中、国民にもそんなのが多いがね。

 アメリカの奴隷国家日本、今回の安倍・トランプ会談でもロクな話はなかったろう。

 せいぜいたんまりと兵器でも買わされて、現ナマも貢がされて、挙句に捨てられる茶坊主のよう。

 日米の貿易協議を開始することに合意した・・・って、開始してないのか? 意味わからん逃げ口上。

 世界の先進国では、政治が興行になって、真剣になればなるほど笑いを誘うようになってる。

 トランプの最大の功績はこれだろう。

 大きな戦争はもう起こらない、30年前の不動産バブル崩壊時にそのど真ん中で謳歌しておった俺は確信した。

 人類の生態はパロディだ。

 これ、本当。

 だからそれ以降、俺は自分の好きなように自由自在に遊び呆けて生きて来てる。

 これ、真理。

 

 その頃から、通夜や葬式に出掛けても、俺は笑っているようになった。

 身内の葬儀でも、笑って・・・ごくろうさん・・・だ。

 泣いたり悔んだり感情を取り乱してるのを見ても、な~んも思わん。

 あんた死んでから泣いたり悔むくらいなら、生きてる時に精一杯関わり合っておけよ! そればかり。

 自己弁護と自意識過剰と自画自賛、それは現代社会のパロディだろう。

 

 ・・・妻がなくなってから、なんか楽しみがなくなってね~

 ・・・とっとと他に女を作りゃ~エエがな

 こういうことばかり平然と言い放って居ると、俺のような扱いになる。

 ・・・ひとり息子が亡くなってからは、毎日そのことを忘れたことはない

 ・・・次の子をたくさん作りゃ~エエがな

 そういうことばかり笑って言い放って居ると、俺のような扱いになる。

 人生一度、しょせんは独り、これは原始時代からの人類の道理だ。

 そうでないものは、根拠のない甘ったれた幻想、それを芸術と抜かして居った時代も、もうそろそろ終わりだ。

 40年前に俺が奇人扱いされても言い放っておったことが、今では普通になりつつある。

 そういう人間社会の経過を見て居ると、ますます俺は自信満々に奇人化・珍人化してゆくんだわさ。

 ロクでもね~のばっか、開いた口が塞がらない、それを見てる周囲の人間はみなクスクス笑ってやがる。

 ・・・オメ~らだってわかってね~んだよ、ボケなすびが

 振り返って怒鳴ると・・・ハイ・ハイ・ハイ・・・。


おい、もっと愉しく生きて行こう

2018-09-21 10:50:21 | 身体障害者

 

 30年近く、銀座の端っこで周旋屋を続けて来てると、地元の子供ら、とくに悪さをする利口な連中は、ずっと仲良くしてやってるから、親には言えないいろんなことを、話しにやってくる子も多い。

 成人してる子らもいる。

 それはそれで良い。

 エエ大人になって、親にもなって、爺婆にもなって、そんだけの日常しか送れてない奴らのことはどうでも良い。

 ・・・お前はどうしたいんだ? 産まれる時と死ぬ時は、みな独りなんだぜ

 大人のせいにして、社会のせいにして、今という大事な時から逃げる口実にするようじゃ~、自分から逃げてばかりじゃ~、おなじ醜い大人になって終わりだぜ、つまんね~野郎だな

 後悔ばかり、人のせいにしてばかり、運が悪いとか、ついてないとか、不幸だと決めつけて悪さ続けるのか?

 それこそ地獄で閻魔と喧嘩でもしないのか?

 俺は自分の子供らには、腹違いも含めてみな・・・みみっち~幸せよりも、地獄で閻魔と睨めっこだ! そう言い放って育てて来た。

 俺自身、そういう生き方を続けて、他人の何倍もの波乱の生を生きて来た。

 親や爺婆は切れない縁、ならば考えても仕方ない、ひとっ飛びして超えてやって、あとで迎えに来てやるさ。

 現に親の借金・負債まで、俺は完済してやってる。

 幼稚園の七夕の短冊に・・・ぼくは大きくなったら地獄に行って、パパと一緒に閻魔と戦うんだ!・・・と書いた息子もいるくらいで、そういう愉しい教育ばかりしてきてる。

 先生も校長も警察官も、総理大臣や天皇だって、いろいろだ。

 ロクでもない大人は多いから、あんまり信用するな。

 大事なのはお前がどう生きるかだ。

 世の中社会なんて、人類が誕生して以降、たいして進歩なんてしてはいない。

 そこでどう愉しく、後悔なく生きて行くのか? それをガキの頃から考える癖をつけさせる。

 優しくはないし、贅沢もさせないし、とっとと独りで自立しなければ、放り出すぞ、そんな感じだ。

 そう言い放っている以上、俺はもっと激しく今を生きて居る。

 面白いことに、子供らはみな男女ともどもスポーツではキャプテンになり、都大会に出て暴れて、生徒会長になってたり、すぐに次の生を生き始めてる。

 夜の蝶になって資本主義社会を逆手にとってるのやら、旧帝国大学の大学院まで行こうとしてるのやら、俺の生が多彩なぶん、みなオモシロイ生を生きて居る。

 片親の子が多くなり始めた20年くらい前から、なるべく父親の代わりになってやれるようにと一緒に遊んでやったりしても来てるが、だいたい母親だけだと間抜けなカラス、そこでカラスを飛び越えて、後で笑って迎えに来てやれるような、そんな生き方を教えてはやってきた。

 親や爺婆や社会のせいにして、一度しかない生の時間を無駄にすることほど無意味なことはない。

 これから高齢化社会はどんどん痴呆化して進んで行く。

 いまの子供らや若い人たちには、それを教えてやるのも、俺の仕事だと想っている。

 

 当社はいつの時代でも、世の中社会の流れには影響を受けない周旋屋でやってきてる。

 良い時代・バブルの時代はプラスアルファ―が凄くなって、ひとりで何十億もの売り上げを上げて来てる。

 その分、扶養家族がいつも増えて行ってるようなことで、俺の手元にはいつもたいしてゼニカネは無い。

 新しい社員を育てるよりも、新しい我が子を育てる、会社を大きくするよりも、血の繋がりを増やし、身内と呼べる人々を増やして行く、これが俺の生き方だ。

 俺に蓄えはいらず、ゼニカネでは動かず、みなに散財することがオスの務めだと想ってる。

 腹違いの子供らと一緒に遊ぶのは感無量な想いになる。

 オモシロイ、俺の育てた子供らはみな可愛く、オモシロイ。

 その友達連中でも、片親や親と死別した子らも一緒に遊んでやってる連中はみなオモシロイ。

 俺が後悔しない生を激しく生きて来たのと同じくらいに、オモシロイ。

 母たちの愛情とはまったく違う獣のオスの想いが俺にはあるから、これは誰にも解らないだろうと想ってる。

 俺の年代では離婚すら罪悪、そんな時代だった。

 若い頃は四面楚歌、酷い男、犯罪者のような扱いを受けることも多かったが、それを貫き通すことで今の信用がある訳で、独りになっても自分を曲げなかったことが、すべてだったとも言える。

 子育てでも、俺は後悔しないようにと、山や海で一緒に遊べるだけ遊んで来てる。

 仕事も休んで、学校も休ませて、いつも一緒に遊び呆けて大笑いしておった。

 その友達らも巻き込んで、たくさん思い出を作ってやってきた。

 もの凄い思い出の量になるだろう。

 それいがいに、なんか生きてる意味でもあんのか?

 俺はガキの頃からその本質を手に掴んで、これだけは離さずに生きて来た。

 ご褒美は、この無茶苦茶に大量になってる人間関係だろう。

 そうして還暦を迎えて、独りで山の頂からいつも日本の景色を笑って見渡してる。

 これ以上の幸せは、ないだろうな。


後悔のない生を生き続けるとは?

2018-08-28 10:49:28 | 身体障害者




 半世紀まえ、俺がガキの頃、こういう風にルールを守って良い子にしてたら、模範解答のような解答をいつもしていたら、優秀な大学に入れるよ! という社会に鼻くそほじりながら、阿呆臭い! そう想っていた。
 こういう風な生き方をすれば、お金儲けも出来るし、組織の中でこういう風にすれば、良い生活も出来るよ! という社会を見れば、なんて退屈でつまらない生き方なんだろうかと、せせら笑っておった。
 そんな連中がゼニカネを手にしたところで五十歩百歩、買ったり持ったりするものの値段が高くなるだけのことで、なんら日常の生活は下らない猿真似コピーのまんまだ、惨めなことよ、そう想って居った。
 師がいて、先生がいて、先輩がいて、常に見ていて欲しい、理解して欲しい大人社会には、愛想が尽きて居った。
 だからもう、山や海で遊び呆けておった。
 夕暮れ時、赤く染まる山々を見て、赤く染まる海を見て、なんでもっと遊びたいのに夜になるんだ・・・だった。
 そんな調子で懲りることなく我が道を歩いて来たら、銀座の街の片隅の1階で、周旋屋を30年近く続けることになってるが、じきに山小屋でもやるか、灯台守にでもなるか・・・今でもそんな自由な日々を送って居る。

 子供もあちこちに作り、みな俺の手で育て、それぞれがそれぞれにいつも目いっぱい、生きて居る。
 男は永遠の旅人で、女は豊かな源泉を持つ旅籠。
 子が出来れば親族の数は増え、付き合いも増え、気に掛ける人たちも増え、それがまた生きることだと想えば、厄介でもなんでもない、愉しみのひとつになってくる。
 旅の途中に息絶えることを成仏と言い、それまではずっと故郷の大地を歩き、故郷の海で泳ぎ、出会う人々にいつも関わり合って、日々とてつもなく忙しく過ごす。
 人が眠って居る間も、心臓は動き続けている。
 休息や癒しなど、死んでからのことだと、ずっと信じて生きて居る。
 こういう生き方でも、障害を障害と思わず、生き切ることだけを目処に笑っておれば、それで充分なんだよ。
 いつも充分に生きた、後悔などサラサラない、そういう心地良い想いだけが腹のうちにはある。

 ところで、この時期の登山では、オストメイトの腹のパウチがいかに舶来で優れたものであっても、ドレッシング・テープで補強しておいた方が無難だろう。
 岩場登りも含めた激しく身体を動かす登山では、想像以上の体温の上昇と大汗が全身から吹き出す夏山は、途中で補強なんて余裕はなく、最初からキチンと準備して登り始めなければ、メンドクサイことが起きる。
 俺の場合は、その上から凸型ヘルニアベルトのワザと小さめの奴で腹筋を締め上げてる。
 太る前に使ってたやつだが、その方が幅が細くて暑さが軽減する。
 パウチを押さえるのと、腹筋の負担を軽減できる。
 オストメイトは腹筋を鍛えてはいけないとは初歩的なアドバイスだが、俺には無理な相談だった。
 その為にいろんなことを自分独自に考えて試して来た結果だ。
 ガス抜きは時々、ザックを背負って立ったまんまサッと済ませるが、その強烈な臭いは周囲の獣たちを卒倒させるに十分な、オナラ10回分以上のモノ。
 人間よりも獣たちに会うことの方が多い俺の登山では、これで大型野生動物には効果テキメンだ。
 野生の大型動物の体臭は、離れておっても風下に居ればその強烈な臭いで解るが、山を登ってる時の俺のガス抜きのそれは、そんな臭いをはるかに超えている。
 ・・・どうだ、とっとと退散したほうがエエんとちゃうか!! やる気なら、あとで謝ることは許さんぞ!!
 俺は後悔のない生を生きて居る。
 後悔ばかりしてるような奴らとは、無意味な戦いはしない、街でも、山や海でも、そんな感じだ。