上州の山々は、紅葉真っ盛り、あいにくの天気だったが、俺の天気図だと曇り時々お日様が顔を出すこともあるエリアがありそうだったから、そこに出掛けて来た。
土曜日の高速の下りはどの方面も渋滞していたから、日曜日は天気も悪く、空いているだろうとの読み通り、スイスイ関越から上信越へと走れた。
晴れ間も見えていて、紅葉が山々を明るくしてくれていた。
朝一で婆様に電話を入れたが、爺様はトイレに3度起きて、ゆるゆる手すりを伝って自分で歩いて行ってはいるが、それ以外はずっと寝ているとのこと。
93年も生きてきたのだから、もう充分に堪能しただろう。
どこか痛いとか、病が酷くなって動けなくなる前に、先に老衰が進んで行ってる。
そういう方向で介護をしている訳で、毎日のように看護や介護や在宅医療の先生に通ってもらってもおり、婆様の負担を減らすようにスケジュールを組んである。
・・・あんた中央区はサービスが凄いわよ、あれもこれも介護保険で安くできるし、いろんなモノを貰うことも田舎では考えられないくらいに多いのよ
88歳になってる婆様は、歩いて1分のスーパーに出掛けては、無人レジをやるのが面白いらしく、一日に数回は出掛けて行って遊んでいる。
毎週のように二人を車に乗せて東京都内を案内してもやっていたが、いまは婆様だけになっている。
去年、まだ動けている時分に最後のチャンスだと強引に動かして、いろんな意見はあるだろうが、俺自身は後悔しない生を全うしていると思っている。
二人は最後まで動きたくなかったし、ナニをどうすれば良いのかも、解ってなかった。
全部を俺に任せて、新しい場所での生活も、不安だらけだったが、1年が経ち、爺様が動けなくなりつつある今は、良かった!! と言ってくれている。
毎日俺が顔を出して、話相手になってやれている。
古い2DKのマンションだが、3部屋すべてが南向きで暖かく、いまだに日中は暖房すらたいしてつけずに過ごしている。
大通りに面しているから車の音が煩いとは言っていたが、じきに耳が遠いから言わなくなった。
田舎の実家は2世帯同居の無駄に広い家だったし、寒さは身に染みていたようで、婆さんの負担は減っている。
86歳まで車を運転していたが、買い物には歩いては行けず、高齢者だけでは暮らせない田舎では、限界だったろう。
感情や感傷の話では無く、現実だけを見て生きて居る者でなければ出来ないことをしてやったと思ってる。
田舎の実家の大量の荷物の片づけや、売却、色んな手続き、高齢者二人の転居先の確保とすぐに生活が出来るような準備といろんな手続き、二人の病院の選定と確保、すべてを2か月で完了した。
相場よりも高く売り、税金の申告からたいした額ではないが売った金で投資用のマンションを買ってやり、月々の賃料収入で暮らしの負担を無くしてやって、あとは俺の会社で面倒を見れるような体制作りも終わってる。
自営で、借金・負債の無い経営状況でなければ、なかなか出来るものでもないだろう。
10年以上前に、実家の公庫の残債があると爺様に言われて、すべてを完済してやった時から、俺自身は覚悟をして自営の仕事でも稼ぎを上げて来ていたし、コロナ下でも去年・一昨年とバブルを作って来ていた。
ゼニカネが無いだけで、後悔する生を送るつもりはない。
これから世界大恐慌が来ようとも、そういう大きな生き方価値観は、完全に出来上がっている。
その為の日々を、何十年も積み重ねて来ている。
俺は、こう生きて居るという話だが、今年は古い女房が春先に癌ステージ4を申告されてからの半年に及ぶ快癒までの激しい動きもあって、爺様とおなじで、そろそろ俺も疲れ果てて来ているが、山には向かっている。
キツイ山歩ではなくって、ゆるりゆるりの山歩だったから、紅葉真っ盛りを堪能したでよ。
古い山の神社も二つ、急な階段で登り降りして、足腰の柔軟体操もこなして来た。
お馴染みの、出来立て揚げたての味噌コンニャクと舞茸天ぷらを喰らい、胃袋も喜んでおったがな。
あとは高速の渋滞を避けて、オープンしたばかりの花園のアウトレットを横目にして、五つ星温泉へと向かった。
疲れたが、最後は極上の湯で大汗をかいて、ノロノロと戻って来た。
岩場の多い山を、小雨の時分で切り上げて下山して、正解だった。
今朝の爺様は早起きして着替えして、洗面所の椅子に座って・・・なんかおかしい・・・と、30分くらい座り込んで自分の顔を眺めているらしい。
寝てばかりいるから、夢と現実の境界が、解らなくなってしまってる。
ある意味で、メディアばかりに振り回されて画面ばかり見て生きて居る現代人と、おんなじさ。
大笑いしながら、おかしいらしい顔を見て来るわさ。