オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

後悔しない生き方は、まずは自営

2022-12-07 10:52:41 | 新型肺炎コロナ・ワクチン

 

 中国は習政権が確固たるものとなっても、長老たちが米英と組んで邪魔をするような態度に出ていたが、江沢民が逝去したことで、すべてはスムーズに進むようになった。

 ゼロ・コロナ対策は緩和されるが、残念ながらアメリカへの輸出貿易縮小はそのまんま、中国国内と親しい国へと全ては流れて行く。

 

 爺様が寝たきりになって、食べたり薬を飲んだりも出来なくなって、飲み物だけを少しづつ、こうなってくると時間の問題だろうが、関係なしに看護師とヘルパーさんの訪問を一日2回に増やし、週一回の訪問入浴も頼んだが、もう、いつ逝ってもおかしくない状況ではある。

 明日は午前中に訪問入浴をやってもらうが、機嫌が悪けりゃ~止めにする。

 今朝もヘルパーさんや婆さんに不機嫌な態度だったようだが、身体をキレイにしてもらって寝ていたが、朝から遠方の仕事に出掛けて来た帰りに顔を出して、髭を剃ってやろうか? と問えば、素直に頷いていた。

 婆さんがクタクタになるから、その負担をなるべく軽減してやるだけだ。

 あっという間に衰えがやってきてる。

 オムツの交換は身内の者では嫌な感じで、ヘルパーや看護師の方が手際が良くて上手だから、頼むことにした。

 笑うこともなくなって、入れ歯をとって口を開けて寝ている顔はミイラのようでもあるが、食い物を摂らなくなったせいで一気に痩せてしまった。

 老衰を目の当たりに見ているようだ。

 やれることは最期まで出来ることをやってやる、それを医者やケアマネージャーさんにも伝えてある。

 施設や病院ではなく、家で終わりを迎えることを、爺様とは約束してある。

 去年にこのコロナ下でも田舎の家を売っ払って、銀座から徒歩圏の近くに引っ越しさせておいたおかげで、こうやって最期まで面倒を見てやれてる。

 良かっただろう。

 後悔しない生を、俺は今でも現在進行形で生きて居る。

 明日は、春にいきなり癌ステージ4を言われた古女房の、元気になって最初の再検査に付き添って来る。

 毎日まいにちあちこちから、色んな連絡をもらっていて、皆さんそれなりにガタガタになっているが、俺はいたって元気いっぱい、日ごろの鍛え方が違うんだろう。

 

 さて、資産や財産はモノであれば維持費や補修費がかかり、徴税対象になり、経年劣化によってじきに負債になる。

 俺はそういうモノには興味が無く、儲かり過ぎた時には銀座の駐車場の目立つところに高級外車や派手な車を5台くらい並べてディーラーみたいな感じで遊んでいたこともあるが、値崩れする前にすべて売ってしまっていた。

 通貨や紙幣もおなじことで、蓄えていたって何の意味も無い。

 人類が紀元前から価値を見ていたモノしか、興味が無い。

 そうしてこの身体ひとつあれば、どこでも楽しく生きて行ける、そんだけのことさ。

 この歳ですでにモノには興味が失せてしまってる。

 酒にも興味はなく、食にも興味はなく、衣服や住居にしたって、興味が失せている。

 ナニも無い身軽が良い。

 ただ、老いた身内の人間や面倒を見る他人の数はどんどん増えて行っているから、自営の商売を続けているだけ。

 借金や負債にも縁が無く、貸し借りにしたってナニも無い。

 見栄もなく、虚勢も張らず、プライドたって別に無い。

 まわりを見回しても、別に人間には興味が行かず、地球や宇宙だけが残った楽しみ、そんな感じ。

 

 社会がどんな状況になろうとも、群れに混ざり誤魔化すことはせず、自分として毅然と生きる、これを64年続けていると、多くのお利口な人たちがやってくるようになり、楽しい毎日になっている。

 それぞれが毅然として、笑っている。

 互いにそれを認め合い、違う部分も頷き合える、これが出来て初めて社会は豊かになるが、多くの大人社会はみな洗脳と煽動の奴隷として、死ぬまで隠れて卑怯な歪んだ笑いで生きて行く。

 

 コンピューターが高度な技術を披露するようになっても、それを操っている人類が劣化の一図であれば、それもなんの意味も無いわけで、その最たるものが投資や運用と踊っていた金融経済の斜陽だろう。

 単細胞、単純な人間ばかりになってしまえば、必ずや諍いや争いや喧嘩は酷くなり、社会は崩壊へと進み、振り出しに戻るがごとくに退屈な歴史を繰り返すだけだ。

 人類の、愚かな一面と、それ以上にはなれない哀れな獣。

 

 世の中の猿の群れが相変わらずに騒いでいる感染症という、目に見えない謎の世界はあるが、それが存在すると仮定しても、身を守る為に自然なものではない人工のワクチンをあらかじめ体内に投与することは余計なお世話で、健康な人体に人工の怪しい物質をワザワザ注射器で入れてしまうなんて、愚の骨頂だろう。

 こういった予防医学は、過去200年くらい前から世界中で盛んに研究され、ワクチン開発も進めて来た。

 それと歩調を合わせるように、癌や難病・奇病というものが、たくさん病名を付けられて登場している。

 まず、流行する、そういった煽動をメディアを使って大々的に広報し、恐怖を煽る。

 人々は思考の停止したパニックになり、そこで脳味噌の色付けは終わってしまってる。

 流行する? 感染症という医学的な言葉には、謎は多い。

 感染するのではなく、各自の体内の免疫や抗体が弱くなるからこそ、もともと地球上にあったウイルスに過度に反応してしまうのではないのか?

 ウイルスが新しいのではなく、人体に人工の怪しいモノを入れることで、免疫や抗体が弱り、異常を来たし、いろんな反応が重症化という形で現れているだけだろう、俺はそう想っている。

 本来、地球上に生きる生き物は、生まれ持っている免疫や抗体を使って生き、地球上のウイルスや病原菌と闘いながらそれを強くして行き、健康を手にするものだ。

 生涯を海や山での遊びで生きて居る俺なんか、誰よりも強い免疫や抗体を得ていると自負している。

 だからワクチンなど、一度もうったことがない。

 逆にワクチンをうったとしても、それすらやっつけてしまう免疫や抗体を、すでに身につけているだろう。

 そういう日常など送らずに、神経質に籠ってしまっている日常生活で、人工の予防医学を信じて色んなワクチンや薬剤を体内に投与してもらって生きて居る猿ばかりの現代社会では、人体が単純な機械でもあるかのような扱いで、流行れば事前にワクチンで対応するという、あまりにも猿な思考だけで集団接種会場は大混乱、お笑いだろう。

 お受験・お勉強ばかりで数値の評価だけで生きて居る単細胞エリート諸君には悪いが、人間の世界とは、そんな数値で解剖できるような軟な世界ではない。

 それが解るころには、驚くほど多くの被害者が、世界中でのたうち回っている、生き地獄にも見えることだろう。

 俺から見れば、なんということもない、自然淘汰という奴さ。

 人口が増えすぎて、人間が植物になってしまえば、ひとつの悪弊で根絶やしにされる、これは必定。

 

 組織や、グループや、チェーン店や、コネやお友達ゴッコで自営をやってるようじゃ~、金魚の糞だ。

 その時点で、もはや話すことなどナニも無い。

 厳しく生きる大人がいなくなってる現代だからこそ、冷酷に、厳しく生きて見せるオスも必要なんだよ。