ガキの頃から岩山にへばりついて登り、露天の水晶掘りに嵩じて遊んでいたり、土器掘りに嵩じていたり、海で泳いで釣りをする日々の遊びと並行して、山も魅力的な遊び場だった。
フカの泳いでいる海で遊んでいたのとおなじで、山でもマムシを捕まえたり、獣たちと競争をしていた。
いまでも山用の車には砂金とり用のパンくらいは積んである。
周旋屋の独自バブルで儲けた金で、精錬された99,99の金(ゴールド)を買った方が早いのは当然だが、それはそれで狩猟民族の血が濃い爺ィには、面白いことではある。
日本の田舎町ばかりを小学校だけでも6回は転校して来てるから、この国の自然のことはよ~く解っている。
勉強などは興味もなかったし、好きな古今東西の哲学書や宗教の本は、同世代のガキよりも遥かに難しい本を読み漁っていた。
働くようになっても毎週毎週、日本中を遊び場にして、半世紀以上が過ぎている。
自分で運転した距離は、月への往復2回と、3回目の帰路に入っている。
とにかく大人社会をハナから信用しておらず、すべて自分で動いて確認する作業を続けて来た。
人間社会で強く生きるとは? 金や力という柔なモノではなく、それだけがガキの頃からの自分への問い掛けだった。
二桁の台数の車やバイクを消費して、この身体が擦り切れ果てるまで自分らしく生きるという目標も、終わりが近いだろう。
まず同じような男はいない、そういう生を生きたかった。
価値観もぶっ飛んでいたが、すべてを思春期の激しい時に一度全破壊してから、自分と言う生を作って来た。
後悔は、無い。
まだまだ新しい自分を脱皮しながら作っている。
死ぬまで終わらない。
その弊害になる借金や貸し借りはいっさい無い。
そういう生を生きるには、自営の周旋屋が一番に都合が良い、そんだけのことだ。
集団で食い扶持を作れば、その組織の掟に自分を阻害される。
一番は、自由な時間が持てなくなる。
いまの日本の社会で、こういう生き方を貫いて来ると、それはそれは色んな邪魔や圧力は色々とかかってくる。
戦後まもなくの昭和の時代は、古い習慣、腐りきった価値観、骸骨のような社会、孤立無援の四面楚歌をたくさん愉しませてもらったもんだ。
それを跳ね飛ばして、半世紀以上も続けている訳だから、だいたいのことは先に読めるから、事前に自己防衛のために、置き罠をあちこちに放置しておくことは、当たり前のことだろう。
不動産バブル崩壊して、銀座で自営を始めた当初も、反社会勢力とのいろんな刃傷沙汰や、数多の陰湿なものも含めて、素敵で楽しいアクシデントに遭ったもんだが、それに比べると令和の今は卑小陰湿度だけが増している。
コソコソやる連中は、自分の足元が見えてないから、よ~く引っ掛かっては、逆襲されている。
常に合法的に、息の根を止めてやれるような楽しい罠になっている。
そんな自営も30年続けてると、この頃は怪しい奴らが、近づいてこなくなった。
たまに幼児みたいな感情・感傷ボケしたのが飛び込んでは来るが、可哀相だから放置してやってる。
ただし、即座に反撃して息の根を止めるだけのモノは用意しておく。
だらだら長引く行動は、俺の性に合わない。
やるなら一発で終わりにしようぜ。
大人社会では、謝罪やお詫びはいっさい受け入れない。
やったことへの、その本人の重い責任だけだ。
人間社会での戦争や争いは、すべて歪んだ欲望の狂気が元になっている。
そこに日常の感覚などある訳がない。
良いとか悪いとかで判断するものでもなく、殺るか殺られるか、だけ。
そういう異常な世界で生きて居る者らを相手にして、日本と言う島国の民は翻弄されてきた。
これからも、そうやって生きて行くしかない。
大自然の猛威や脅威にも常に襲われて、それでもこの猿の島国には人がたくさん生きて居る。
ある意味で、凄いことだろう。
愛すべきことは、そのことだけ。
金(ゴールド)が、またぞろ上に向かっている。
中国の春節の影響だとは言うが、ドルの一強の終わりが土壌にはある。
すでに2000ドル超えの足固めを始めている。
一気に行くことはないから、短期は売り時を見ている。
掴みどころのないチャランポラン、俺のことでもあるが、それでガンガン社会で生きて居ると、真理にもなるのさ。
解るかな? わかんね~だろうな~。