真っ暗な夜中に、獣はゴソゴソと準備して、ゆっくり出発した。
仕事やあちこちの介護も忙しく走り回っているから、睡眠は3時間も取れなかった。
高速では強風が吹き続いていたが、陽が出れば落ちつくだろうから寝不足の安全運転、パンとおにぎりを食らいながら富士山が見えるかは雲の厚さしだいだろうと考えていた。
下界は晴れだと気象庁は予報を出していたが、俺の描いてる高所予報だと昼までは下界は雲の下、ということは2500mを超える山ならば360度の雲海が拡がる絶景だと読んで向かった。
悪路の山道も1000mを超えてくると想定どおり、小雨と酷い霧、雲の中に突入して視界の効かない中をヘッドライトとフォグ全灯、フォーン鳴らして窓は全開で耳を澄ましながらゆっくりと走った。
気を付けるのは大型の獣で、20キロチョイ走る先の見えない九十九折の先で、オハヨウこっつん衝突でもしようものなら面倒が増えるだけ。
1500mくらいで雲海から抜け出したが、見上げると朝日に赤く染まった空が目指す山々の稜線を鮮やかに照らしていた。
登り始めは気温7度、最後の山頂に着く頃は快晴の空で暑くなり、下がっても5度くらいと読んで準備して登り始めた。
最初から急登の連続で、濡れた落ち葉で滑る足元、スローに樹間から雲海を眺めながら呼吸を整えては休み休みだった。
剥がれかかったまんまの足の親指の爪はそのまんまテープで固定して、先週の山で原因不明で痛めたまんまの両足の土踏まず、持病になってる腰痛、潰れかかってる右目、ぜんぶ加齢のせいだからと笑いながら登ったさ。
登るスピードが随分と遅くなって、休憩が増えたおかげで逆に歩く距離は伸びた感じ、体力・精力はまだまだあると実感する。
この頃の登山者はみなナニかに追われてるように早足になってるが、俺は周旋屋稼業とおなじで寄り道・野暮用ばかりで楽しみが多くなってる。
絶景だったな。
山の中腹は紅葉が始まっており、朝露にキラキラ輝いておった。
空気も美味かったし、二つ目の山頂で食べた激辛いモノが胃袋まで温かくしてくれて、下山路でも汗をかいておった。
金を出しても買えない幸せ、この為に生きて居ると言っても良い満足感があった。
戯れに登り道と下り道を違う道にしたのは、森の紅葉の具合と雪が降った時の道を確認する意味もあった。
まだまだ日差しが強くて片目は見え辛くて大変だったが、誰もいない山頂で昼飯を喰って元気になった。
老いて来ると身体のアチコチがガタガタになって、いちいち痛いだの不自由だのと言うこともなく、そんな自分を笑ってやる。
こんなチンケな人間の世界で、よく生きてきたぜ、と想う。
ガキの時分に登っていた山の頂で想っていたことと、老いて想うことの違いや深さや拡がりは言葉では表せないくらいにぜんぜん違ってくる。
山は老いてからこそ愉しくなってくると言っても良い。
どんなに大変でキツクとも、ずっと笑っているような愉しさだ。
身体には余裕はなくなってるが、気持ちは余裕たっぷりの笑いになってる。
借金・負債まみれで、貸し借りの狭間で生きていて、自意識過剰な見栄張り虚飾に生きていて、仕事や時間とゼニカネに追われる身では、本当の山の愉しみは味わえないだろう。
体力はあっても、筋肉はあっても、中身はスカスカ、オスの話にはならんがな。
帰路はよく寄る旨いデカ盛り大衆中華で腹いっぱい、夕方には戻って来て、野暮用を済ませてとっとと寝た。
自分自身が、自分の生まれた舞台を生きる主役であって、なにも他人や社会にすべて合わせて良い格好して、作り笑顔で無理して生きることなんか意味の無いことだ。
あらゆる世界や現象は、自分の意識の内にしかない訳で、その自分が終われば無になるだけのこと。
世の中での集団生活では最低限の協調はするが、あとは常に自分が自然に笑って生きておれる場所作りに日常を送って行く。
これが社会人としてやるべきこと。
つまり食い扶持作りと、自分に嘘をつかない社会でのスタンス作り。
女や子供に対してもおなじだし、人間社会でのすべてを自分主役の舞台に仕上げて行く。
遠慮もしないし、甘ったれた感傷や感情もなく、洗脳された思考や道徳観も、ない。
それで、エエんやで。
ネットや携帯を使った特殊詐欺事件の大元を辿れば、AIロボットが現場の人集めや指図や管理をやっていたと言うオチが待っていたり、現代社会の呆れ返る単細胞化は、そこまで人間の劣化を進めている。
周旋屋稼業で身に着けてる俺の持ってる知識や経験をプログラムに組み込めば、そんなモノだって簡単さ。
AIロボットを逮捕する時代になるんだろうが、大笑いだろう。
ナニかをしたくて金が必要ならば、まずコツコツ貯めてからすれば良い。
先付の借金・クレジットで見栄を張る、欲求を満たす、これは洗脳奴隷の日常だ。
テレビでもお馴染みの法律事務所のコマーシャル、過払い金を取り戻す話だって、そもそも高利でも借りた貴方の弱さが悪いのであって、そこで運よく取り戻せたとしてもまた次の借金に溺れてしまうのが反省のない猿の性。
自分の病気を理解せず、他人や社会のせいにする、その応援をする法律事務所ってのは糞みたいな仕事だろう。
戦後昭和の激しい時代から、自ら身体を張って美人局の上を行く色気と美貌と肢体を駆使し、有名人や著名人や関わるチンケな金持ち資産家らから、合法的に金銭を巻き上げていたオバサンたちも元気に身近にイロイロといるが、今では悠々と白人旦那と暮らしていたりする。
俺みたいなオヤジは若い時分の夜の部では、そんな美人局やプロの女を仕事を忘れて本気にさせることをワザ磨きだと楽しんで生きていたから、演説やスピーチとは違う囁きや愉快な喋りや会話を毎晩磨き上げていたようなもんだった。
その為には独自の価値観と誰とも違う生き様を貫いて、常に古今東西のあらゆる知識や情報も常に身に着ける努力は惜しまなかった。
いまでも原書を読み解いたり、片目が見えなくなっていても毎晩ナニかを読んでいる。
当時から利口に生きて男性心理を自在に操っていたオバサン連中もそんな知識と経験豊富なのばかりだから、今でも仲良くやっている。
みな昔から俺のアドバイスを聞いて、金(ゴールド)や銀(シルバー)を買って来ているから、今ではウハウハだろう。
可愛く愉快なオバサンたちだ。
そういう百戦錬磨なオバサンたちが令和の時代にその気になれば、幾らでも簡単に合法的に金儲けは出来る。
そのくらいに今の大人の男のレベルが落ちている。
薄気味悪いマザコンまがいのオヤジはウヨウヨいるし、陰湿な弱いもの虐めばかりに生きている猿ばかりだろう。
銀座の街で生き抜いて来た凄腕のオバサンたちにとっては、金儲けは簡単に出来る。
俺のまわりには昔からこういう愉快な女たちが集まって来るから不思議だ。
みな本音で正直に話ができるオヤジを欲しがっているようでもあった。
俺自身もそんな地頭の良い人間通のオバサンたちには手は出さないから、それを知っているからこそ口説きたくなるというツワモノもいるが、俺の相手じゃ~ない。
いつも今を教えてやって、これからの世界の話もするし、手練手管に磨きがかかるような話ばかりしてやっているし、人間社会のことならなんでも解る人間通同士の同じ匂いに安心するらしい。
誰にも話せない会話ばかりになるのも、俺の前でツワモノ女が独り涙するのも、俺の生き様を知っているからこその信用であって、それは決して裏切らない。
30年以上も、皆さんちゃんと泣かせてあげてるよ。