人気のYouTuberだとか、新聞の論説委員だとか、一面のコラム担当だとか、テレビのメインキャスターだとか、世論創作詐欺にも等しい下らないニセモノ賢者や卑しい良識人を気取った露出狂の馬鹿どもが色んなメディアを介してせっせと金儲けに励んでいるが、どの程度の間抜けな消費者に影響を与えているのかだけを見ておれば、社会の動きは丸見えになる。
社会全体が傾いて行ってる時は、距離を置いて冷ややかに傍観している。
メディアなど使わず関わらずに商売を続けて居る俺なんざ、色付けメディアを介しての情報には深入りせず、人から人へが基本になっている。
友人や知り合いや身内の話が主になって、又聞きや覗き見が話題の中心にあるような猿社会では、友達も知り合いも仲良しも誰もいません!! と笑っている奴のほうが、ずっと信用できる人間だということになる。
筋肉増強剤のプロテインや、栄養サプリが及ぼす人体への悪影響については、まだ治験の最中だから、喜んで摂りいれている安易な健康オタクらは金を払って治験に参加しているただのド阿呆ということだ。
老いた身体で部分的な若作り整形美容とおなじで、不自然な老いが社会のアチコチでこれから問題になってくるだろう。
楽してナニかを手にしようという、甘ったれた考えが悲劇を産むのさ。
そんな愚かな島国でも、俺は要介護から要支援までいろんな高齢者たちとの関わり合いを続けて居るが、それぞれに受けられる公的なサービスや支援金にも差異があり、それを有効に使ってやり楽しく過ごせる日常を作ってやってる。
あちこちで子供を育てあげてきてるから、あちこちの高齢者の世話も馴れたもんで、大笑いしながらやってるから、高齢者たちも笑いが絶えない。
成長しない高齢者の介護は、現状維持で御の字だ。
いつかはみな死んで行く訳だから、楽しく笑って終わりに向かえばエエだけだ。
会話する中身は昔話を多くして、記憶の糸をたぐり寄せてやることが多い。
独り暮らしをしている高齢者たちは、時間が空いて久しぶりになると、三途の川の渡しを徘徊し石を積み始めているから、その首根っこを掴んで現世に連れ戻す作業からになる。
出来る限りのことをしてやってるが、俺には身体は一つしかない。
酒も飲まずギャンブルに昂じることもなく、常に誰かのことで動いている。
本業の、周旋屋稼業をやりながら、の話だ。
メディアで騒々しく吹聴している苦労話や努力話や感動悲話なんて、俺から見れば保育園のお遊戯だ。
それを見ていちいち感動している連中のオツムや感情は、コンビニの棚に並んでいる商品とおなじで、ありきたりの洗脳ロボットのそれだろう。
ガンガン前に前にと生きて行かなければ、アッと言う間に無為に終わってしまうぜよ。
一年半前に爺様が亡くなって、独り暮らしにも慣れた89歳の婆様も毎日のように顔を出して世話をしているが、この頃は一緒に歩いていてもフラフラしてるのを見て、本人は病気もないし自覚はないものの、早めに介護認定を頼んでおいた訳だ。
だいたい高齢者は嫌がるのが常だが、俺がアチコチの高齢者の面倒を見ているのに同行させたりしていたおかげで、すんなり笑って受け入れている。
やっと要支援がおりたので、昨日は爺様が世話になった医師会のケア・サービスと併設されている区のお年寄り相談センターの担当に来てもらって、緊急通報システムの導入と、リハビリ運動をさせる施設の紹介を頼んでおいた。
前々から情報を知っていて、どこぞの高齢者を行かせてみたいなと興味をそそられていた施設の紹介をピンポイントで受け、驚くやら婆さんの幸運を喜ぶやら、さっそく送迎付きで行かせることに即答した。
見学会ですぐに参加させてもらって、本人が15人くらいの皆と賑やかに仲良く体操を始めてる後で、内容は解っていたからとっとと契約してやった。
俺の銀座の店からも歩いて5分くらいの場所だから、良い子に出来なきゃお仕置きに飛んで来ると笑って伝え、ついでに他の高齢者の独り暮らしをしているエリアの店舗も聞いておいた。
要支援やら要介護についての知識や経験も豊富にあるから、話は早い。
人と関わり合うには、その知識や経験をたくさん積んでおくことが深いお付き合いになる大前提だ。
人から人へと繋がる関わり合いほど濃いいものは無い。
互いの信用と信用で介護される高齢者へのサービスや気配りの質は変わって来るから、なんでも笑って独断で即答できる日常を送ってなければ駄目さ。
ちょっと考えるとか、誰かに相談するとか、迷ってすぐに物事を決められない大人は信用されない。
大事なことだ。
有名だからとか、肩書があるからとか、金を持っているからだけでは、なんの役にも立たないのは言うまでもない。
身近な者の死をたくさん経験してくると、それは誰にも訪れる一つの現実でしかなくなり、早いか遅いかの違いしかなく、自分がまだ笑って生きているならば、黙って先に逝った者の想いを背負って高い山に登り、天に放り投げてやる、何十年も俺が続けている習慣ではある。
生きて残った者どうしで無意味なお祭り騒ぎはしないし、感傷に浸ることもしないのは、それが現代人の単なる卑怯な自己弁護でしかなくなっているからだ。
金儲けに死者を利用するなんざ、猿でもやらない卑怯な手練手管。
すぐに行動を起こして、黙ってひたすら息を切らして、キツイキツイ森を抜け、人もいない高い山の頂を目指し、そこから天に還してやればおのずと腹の底から爽やかな笑いが込み上げてくる。
喧しい能書きや、調子のいい屁理屈や醜い言い訳や、卑しい後悔などはナニも無く、薄汚い感情や感傷はいっさい無く、ただただ黙って下界を見下して、高い空を見上げて両手を拡げ笑っている。
人間も地球に生きる獣である以上、自然の摂理には従順で在るべき。
人造の、人工の、余計な要らぬお世話で死期が早まらないようにと、生きるだけ。
現代社会では、自然に生きることこそが一番に、難しくなっているさ。
先日にメディアの金融経済報道で大きく調整が入った短期の金(ゴールド)は、いつものように深夜の高いとこで逃げて調整後の安いとこで買い直してホールドしてあるが、またまた円安も追い風になって最高値に近づいて来た。
日本は為替を操作するインチキな国だと米政府関係者がほざいたと言う報道もあったが、円安を容認しろと言われてるようなもんだろう。
米植民地ならではの恥ずかしい報道だが、日銀・財務省はどう対応するのか?
メディア報道の意味と、ニュースで流れる言語に敏感に反応し過ぎるAIロボットの悪癖は、俺の小遣いを増やしてくれるだけで、数十年高く険しい山の頂に埋めてある長期の現物は未だに売ったことはない。
NISAなんかより手軽に簡単に労力もなく、小遣いが増えているが、メディア洗脳猿が大多数だからこそ俺は悠々と笑っているのさ。
プロや専門家も含めた間抜けなメディア幼稚園児な、皆さんのおかげでもある。
世界の動きを全て読みきっていればこそ、そんな社会を舐め切った動きに終始しておっても、小遣い稼ぎは簡単にできる訳だ。
金融・経済の自称プロですら安いマニュアルに沿って動く猿しかいないと知っておれば、それすら餌にして調理してみせる。
みな、昭和・平成・令和と、楽ばかりして生きて来たんだと解るがな。
これからはそんなに上手くはいかないぜ。
AIが支配する社会ならば、支配されてる猿の群れなど見ずとも、AIの動きを見ておれば簡単に生きておれる。
俺自身は、AIごときには理解・判断できない生を66年生きている。
大笑いだろうな。