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8/9長崎原爆の日 「あなたはどこの国の総理ですか」 〔毎日新聞 2017.8.9〕

2017-08-09 22:56:36 | 核爆弾 広島長崎

http://mainichi.jp/articles/20170810/k00/00m/040/142000cより転載

「あなたはどこの国の総理ですか」

 
安倍晋三首相(左)に要望書を手渡す被爆者5団体の代表者=長崎市内のホテルで2017年8月9日午後0時23分、矢頭智剛撮影
 

被爆者団体、安倍首相に 禁止条約に批准しない方針で

 長崎への原爆投下から72年の「原爆の日」を迎えた9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。平和祈念式典後に長崎市内で安倍晋三首相と面談した被爆者団体代表は、核兵器禁止条約に日本政府が批准しない方針を示していることに強く憤った。

 

 「あなたはどこの国の総理ですか」。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」

 面談は式典後に首相らが被爆者団体から援護策などの要望を聞く場として設けられている。通常は冒頭で静かに要望書を手渡すが、川野さんは「子や孫に悲惨な体験をさせてはならないというナガサキの72年間の訴えが裏切られたという思いがあった」と異例の行動に出た理由を話す。川野さんは安倍首相に「今こそ日本が世界の先頭に立つべきだ」とも訴えたが、明確な返答はなかった。

 式典に参列した被爆者も、あいさつで条約に言及しない首相への失望を口にした。8歳の時に爆心地から約2・8キロで被爆した嶺川洸(たけし)さん(80)は「核兵器禁止条約が採択され、今が一番大事な時だ。わざわざ東京から来てあいさつするのに、なぜ被爆者に寄り添った言葉を語らないのか」と語った。【樋口岳大、加藤小夜】

 

 

 


長崎被爆者代表挨拶「これからも被ばくの実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力を尽くすことを、亡くなられた御霊の前に誓います。」深掘好敏 2017.8.9

2017-08-09 18:52:43 | 核爆弾 広島長崎

画像に含まれている可能性があるもの:空、屋外


被爆の実相、写真で伝える 被爆者代表の深堀さん
 

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG09H15_Z00C17A8CC0000/   2017/8/9 11:19  日本経済新聞 電子版

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画像に含まれている可能性があるもの:1人、スーツ、屋外、テキスト

「原爆が投下された1945年8月9日。私は16歳。爆心地から3.6キロ地点に学徒動員されていました。
11時2分、白い閃光と爆発音を感じて、慌てて机の下に潜り込みました。夕方帰宅命令が出て 山の中腹まで来たとき、逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから」と制止され、
翌朝、電車の線路に沿って、歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、
見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。

ようやくたどり着いた山王神社近くの親戚のうちは、倒壊していました。
その中で、家の梁を右腕に抱きかかえるようなすがたで18歳の姉は、息絶えていました。あのとき私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて、最後に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。

その後、大学病院へ向い、さらに丘を越えると、
眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれるとともに、怒りを覚え
「ああ、世界が終わる」と思いました。
この平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。」

「8月12日、母と弟と3人で、材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気が迫り、目がくらみそうでした。
母は、少し離れた場所で、地面を見つめたまま ただ、祈り続けていました。」

   中略

「私は、核は、人類と共存できない、と確信しております。
2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し、国内の原発は一斉に停止され、核の脅威におびえました。しかし、リスクの巨大さにあえいでいるさなか、こともあろうに次々と原発が再稼働されています。

    (カメラ、安倍総理大臣をとらえる)

画像に含まれている可能性があるもの:3人、テキスト

地震多発国の我が国にあって、いかなる厳しい規制基準も、地震の前には無力です。
原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか?」

戦後、平和憲法を国是として復興した我が国が、アジアの国々をはじめ、世界各国から集めた尊敬と信頼は、決して失ってはなりません。
また、唯一の戦争被爆国として、果たすべき責務も忘れてはなりません。

私は1979年、生き残った有志6人で、原爆写真の収集をはじめ、これまでに様々な人たちが撮影した4000枚を超える写真を収集検証してまいりました。
原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被ばくの実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力を尽くすことを、亡くなられた御霊の前に誓います。

   平成29年8月9日 被爆者代表 深掘好敏」

 

 

 

 


平成29年 長崎平和宣言―長崎市平和・原爆―

2017-08-09 16:12:58 | 核爆弾 広島長崎

‪長崎原爆投下の日。‬

7月に国連で採択された核兵器禁止条約に参加しなかった政府の姿勢を厳しく非難した

長崎市は9日、72回目の原爆の日を迎えました。平和宣言で田上市長は、ことし国連で採択された核兵器禁止条約に日本政府も参加するよう強く求めました。 …
news.tbs.co.jp
 
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長崎市平和・原爆

http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

平成29年 長崎平和宣言

 

長 崎 平 和 宣 言

 「ノーモア ヒバクシャ」

  この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 

 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日

長崎市長  田上 富久

 

長崎平和宣言に賛同される方は、「賛同」ボタンをクリックしてください。 賛同

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ご賛同ありがとうございます。

長崎市は今後とも、核兵器廃絶及び世界恒久平和実現に寄与するため、長崎平和宣言を世界中に発信していきます。

 

 

 

 


【特大ブーメラン】「当たらない」でおなじみの菅官房長官、ついに自分の過去発言がクリティカルヒット 〔buzzap.jp 2017.8.8〕

2017-08-09 02:45:41 | 紹介

http://buzzap.jp/news/20170808-kake-suga-boomerang/より転載

【特大ブーメラン】「当たらない」でおなじみの菅官房長官、ついに自分の過去発言がクリティカルヒット

あの菅官房長官に「当てた」のはなんと過去の自分でした。詳細は以下から。

菅官房長官は8月8日の記者会見で、2015年6月に行われた獣医学部新設を巡る国家戦略特区ワーキンググループ(WG)のヒアリングに愛媛県と今治市の担当者らと共に加計学園の幹部3人が参加していた上に、その同席の事実と発言が議事要旨に記載されていなかったことに対し、前日に引き続いて記者団の質問に答えました。

官房長官の記者会見でおなじみとなった東京新聞の望月記者が鋭く質問を投げかけますが、菅官房長官は「昨日八田座長らが説明したとおりだ」と繰り返し、議事要旨からの削除は「ルールに基づいて行った」と返答しました。ここで朝日新聞の記者が以下のように質問をして、問題のやりとりが行われます。


記者「歴代の保守の政治家は歴史的検証に耐えられるようにということで、公文書の管理にはかなり力を入れてこられたと思う。ある政治家は『政府があらゆる記録を国民に残すのは当然で、議事録はそのもっとも基本的な資料で、その作成を怠ったことは国民への背信行為だ』と仰られているんですが、その発言を本に記されていた方がどなたかご存じですか?」
菅官房長官「知りません」
記者「それ、(菅)官房長官の著作に書かれているんですが、2012年に書かれた著作に表明されていた見解と、今政府で起きていることを照らし合わせて忸怩たる思いとか、やはりきちんと残すべきだというお気持ちにはならないんですか?」

この後、官房長官は八田座長が説明したとおりだと繰り返し、必要な情報は公開されていて問題ないという認識を改めて示して記者会見は終わりました。

加計学園の獣医学部新設に関して「すべてを公開している」訳ではなかったことが指摘されている文脈で、それでも必要な情報は公開していると繰り返す辺りは極めて菅官房長官らしい態度ですが、5年前の自分の放った言葉が特大のブーメランとなって自らに深々と突き刺さった形になりました。

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慰安婦言及 採択学校に大量の抗議はがき~灘中以外にも 〔毎日新聞 2017.8.8〕

2017-08-09 02:27:54 | 教育 学校 家庭 いじめ

https://mainichi.jp/articles/20170809/k00/00m/040/031000cより転載

慰安婦言及 灘中など採択学校に大量の抗議はがき

 
灘中に届いた大量の抗議はがき。大部分は同じ文章が印刷され、政治家を名乗るものもあった=神戸市東灘区の灘中学校で2017年8月7日、中村かさね撮影(画像の一部を加工しています)
 

 慰安婦問題に言及する歴史教科書を採択した全国の国立、私立中学校のうち判明しただけで11校に昨年、内容が「反日極左」だとして採択中止を求める抗議のはがきが大量に送られていた。
 
「執拗(しつよう)な電話もあり脅迫のようで怖かった」と語る教諭もいる。教育現場を萎縮させかねない抗議の経緯を追った。【中村かさね、大村健一、金秀蓮】

 

 慰安婦問題を取り上げたのは、出版社「学び舎」(東京都)発行の検定教科書「ともに学ぶ人間の歴史」。この教科書について、産経新聞は昨年3月19日朝刊で「中学校の歴史教科書のうち唯一、慰安婦に関する記述を採用」「最難関校を含む30以上の国立と私立中が採択」と報じ、神戸市の私立灘中学校などの名前を挙げた。

 学び舎の教科書は、慰安婦の管理や慰安所の設置などに旧日本軍が関与し、強制的だったと政府が公式に認め謝罪した1993年のいわゆる「河野談話」を紹介。「日本政府は強制連行を直接示すような資料は発見されていないとの見解を表明している」という一文を添えている。

 これを昨年4月に使い始めた灘中の和田孫博校長が毎日新聞の取材に、抗議を受けた経緯を語った。和田校長は昨年秋、抗議のてんまつや感想をネット上で公表。これを受けて毎日放送(大阪市)が先月30日に問題を報じ、ネット上でも話題になっている。

 和田校長によると職員の話し合いで採択を決めて間もない2015年12月、自民党の兵庫県議から「なぜ採択したのか」と聞かれた。「OB」や「親」を名乗る匿名の抗議はがきが舞い込み始めたのは16年3月ごろ。大部分は、中国での旧日本軍進駐を人々が歓迎する場面とみられる写真を載せた絵はがきに抗議文をあしらった同一のスタイルだった。

 さらに、差出人の住所や氏名を明記し抗議文をワープロ印刷したはがきが大量に届き始めた。やはり大部分が同一の文面で、組織的な抗議活動をうかがわせた。地方議員や自治体の首長を名乗るはがきもあり、抗議は半年間で200通を超えた。和田校長は取材に「検定を通った教科書なのに政治家を名乗ってはがきを送ってきたり、採択した学校の名前を挙げて問題視する新聞報道があったりして政治的圧力を感じた」と振り返る。

    ×      ×

 学び舎によると、教科書は全国で名門や難関とされる国立や私立の中学校を中心に38校が採用。毎日新聞が調べたところ、灘中以外に10校が匿名を条件に抗議を受けたことを認めた。担当教諭たちは「教育の独立性が脅かされる」「大変な時代だ」と語った。

 10校とも灘中と同じく昨年春からはがきなどで抗議が殺到。「繰り返されたら面倒を避けようと、次の教科書採択に影響が出る学校もあるのでは」と懸念する声もあった。ただ「きちんと検定を通った教科書だ」として今年度変更した学校はなかった。

 学び舎の教科書を編集した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」の担当者は、取材に「関心を持って考え、学びを深められるよう、子どもの目を意識しながら何年も研究を重ねて作った」と説明。歴史的資料にあえて解説を付けず「子ども自身の疑問を尊重し、どんな答えを出すか本人に委ねた」と狙いを語った。


抗議はがきの主な内容

 学び舎の歴史教科書は中学生用に唯一、慰安婦問題(事実と異なる)を記した「反日極左」の教科書だとの情報が入りました。将来の日本を担う若者を養成する有名エリート校がなぜ採択したのでしょうか。反日教育をする目的はなんなのでしょうか。今からでも遅くはありません。採用を即刻中止することを望みます。

 

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神戸灘中学校:歴史教科書の採択をめぐり批判のはがきが寄せられた~「なぜ採択した」問い合わせ人物判明 〔神戸新聞 2017.8.4〕