異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

甲子園開会式で起きたハプニングは日本社会の縮図?…プラカード嬢の女子生徒が突然倒れた、近くの生徒は助けに動かず。2017.8.13

2017-08-13 22:24:23 | 教育 学校 家庭 いじめ

 8日の甲子園の開会式で、思わぬアクシデントがあった。滝川西の先導役としてプラカード嬢を務めていた女子生徒が突然倒れた。
大会本部は、熱中症のような症状だったが、現在は回復したと発表した。倒れた生徒は大丈夫だったようです。良かった・・・!

シェアチューブhttp://sharetube.jp/article/7033/より転載

甲子園開会式で起きたハプニングは日本社会の縮図?

Author:whitework_jpwhitework_jp  Release Date:2017年08月13日
 
熱中症で倒れた生徒と、無反応にロボット立ちする高校生球児たち。みんな努力して甲子園に来たのだろうが、それと引き換えに人間としての基本的感情を失なってしまったのかな。
 
8月11日、上記のような内容でtwitter/facebookにて投稿したところ、非常に多くの方から賛否両論のコメントをいただいています。 私自身、行き過ぎた表現をしたとは感じていますが、それゆえに皆さんから、高校野球の構造、日本社会の核心にも及ぶ重要な指摘が数多くありました。その問題提起のためにも、こちらで紹介していきます。
甲子園の開会式でプラカード係の女子が貧血で倒れていくのを横目に誰も動いてない……
甲子園の開会式の話、物凄く嫌な感じだな…色んな意味で。特に動画を見ると酷いと思うのが、倒れた生徒の救護の仕方、というかあれは救護ではないよね?その場からの「排除」にしか見えない。何故歩かせる?しかも列の間を通って目立たぬよう、かなりのスピードで。
甲子園開会式、先導役の生徒倒れた映像始めてみたけど、マジで異常。目の前で倒れた人がいるのに選手が誰も動かない。その上、倒れた生徒の脇を抱えて歩かせてる、担架も用意しないとか有り得ないわ。もうね、これだけで甲子園というものに興味なくしましたわ。どこも応援する気になれないです
高校生の頃の自分やったら1000%動けてないと思う。こんな観衆がいっぱいおる前で目立ちたくないもん。やけん仕方ないと思う。逆にここで助けに行く高校生がおればそれはすごいことやと思う
感情がないというより、正常性バイアスと多数派同調バイアスの両方が作用し動けないでしょうね。何があっても動かないように厳しく指導されていたそうですから、もし動いて出場停止処分なんてことになったら自分のせいになるという恐怖もあったかも。そういう教育。
練習中や試合であれば、似たような事故(熱中症でもデッドボールでもフェンス激突でも)があれば、自チーム・相手チームの区別なく全員が駆け寄ったであろうと想像がつく。助けるものと放置するものの区別が厳しく線引きされていると思う。彼らのみならず、日本人の中で。
自分の学校名のプラカード持ってる女子学生が自分の目の前で倒れたら、旗手が旗を後ろの子に渡して支えるなり介護するっていうのが普通の人間の反応ではと思うのですが?高校野球連のマニュアルがどうの、それの通りやるやらないっていうレベルではなく。マニュアルがないと行動できないというのではなく、そういう人間的な行為を尊ぶ教育が学校でも家庭でも欠けているように思います。
最初に写真を見た時、声も出なかった。「慄然」という表現がぴったりの間隔を覚えた。日本の教育が行っていることの結果がこれなのだと考えると、もう子どもは学校に通わせるべきではないとさえ思う。朝礼・式典・運動会での整列や行進やお辞儀の仕方などへの異常な執着。また少しでも内申点を上げ少しでも偏差値の高い学校に入ることがよいことという根拠のない思い込み。定期試験や受験が終わればすべて忘れてしまうような教科書の丸暗記と自分で考え自分の意見を持つことを放棄させるような教え方。部活などのスポーツでは、非科学的な根性主義練習に黙って耐え抜くことが良いこと。勝利至上主義。こういったことを、小学校入学前から延々と学校教育の中で行ってきた結果が、目の前で倒れた人を助けに動く気持ちさえ起きないロボットを作る。ロボットにされる子どもたちも、ロボット教育をさせられている教師や親たちも、ほとんど誰も幸せではない。勝者さえも不幸だ。ごく一部のこれをどう考えるかが重要!私は今の教育は回答(しかも正解)を出すことだけに特化しているような気がします。
人生での回答は一つではありません。しかも、正解の人が偉く、不正解の人が非難されるものでもありません。
教育は自分でどうやって問題を解決するかの能力を育むモノだと思います。
この状況(女子生徒が倒れた)で誰も自ら考え、動かなかったのだとしたら日本の未来が心配です。
高校球児は自分に課せられた義務を果たすこと、この場合直立不動で立つことを、美徳として教え込まれます。つまり、この生徒たちは教師たちが教えた通りにやっているだけです。 
 

大人(高野連)側の教育に問題があるという指摘

そこまで徹底した洗脳が行われ生徒たちのこころにダメージが負わされているのだと思います。私も狂った高校野球部に入ってましたが練習中には、たとえ仲間が倒れても助けません。助けろと指示が出ない限り誰も動きません。指示以外の行動は背信行為のように扱われ制裁を受けていたからです。 
ここにいたほとんどの人が、儀式の進行中における自分の態度と倒れた生徒の救護を天秤に掛け、動いていいのか良くないのか判断できず、躊躇してしまったと思います。こういうとき責任ある大人が儀式の進行を一時止めてでも救護を優先すべきだったと思います。そうすれば、今後同じような場面に遭遇したとき、高校球児たちも躊躇なく動けるようになると思います。ところが、儀式は止められることなく進行したんではないですか。それが、球児たちにどういう教育になったのか、疑問が残ります。
・この写真の選手たちの前方に、高い台に乗って訓示を述べられている偉い大人がいることを忘れないでください。彼には一部始終が見えているのです。
 とみ @meow164 2017年08月11日 23:57:45 
甲子園の開会式でプラカードの女子が倒れたのは高野連会長が「高校野球は仲間同士で支え合う家族のスポーツです」と言ってるまさにそのときなんだよな。で、観客がどよめいてんのに誰も助けにいかないの。高野連会長は淡々とスピーチしてんだよ。完全に狂気だわ。 
ただ、今の日本では、甲子園の開会式で熱中症で倒れた女子のほうが、助けなかった男子たちよりも肩身の狭い思いをするのだろうな。私ならあのときなぜ女子を助けられなかったんだと激しく後悔するし、実際そういう過去があるから、今はできるだけ助けるようにしてる。
この場面こそ、大人たちが生徒に対して教育的指導を行うチャンスなのにどうしたのかな?
そもそも、こんな炎天下に子供を並ばせるような開会式をやってることを、なーんにも考えずに見ていられる大人がオカシイのよ。自分たちがオカシイのを棚に上げて、「今の若者は」とか「高校生たるものなんたらかんたら」「人としてどーたらこーたら」とエッラソーにのたまう神経が醜悪。 
・子供たちに問題があるとは思いません。あくまでこうした開会式を演出する側の問題です。高野連や一般の体育大会の運営主体は常に一糸乱れず組織立って式が進行することを最優先することが問題なのです。会を運営する側が主体的に式を演出することは想像力、エネルギーや勇気が必要です。前例に従い、形式的に実施する方が無難で評価される社会なのです。
問題は高野連。団体行動や規律ばかりを重んじ、選手から自由を奪っている。この炎天下に根性主義で野球をやらせ、前日200球以上投げた投手を連投させる残酷さ、学校に不祥事があると出場させないなど、もうスポーツの域を超えている。女性はベンチに入れないというのもおかしい。こんな精神主義が子供達のためになるのでしょうか。倒れた子が責任を感じたりしませんようにと願っています。高校野球はまるでプチ軍隊。
そもそも、この35℃に達する中で、野球をすること自体が間違い。県民の連帯意識よりも子供たちの健康の方が大事。
いつもこの時期は言っているが、もう少し涼しい時期に変更するか、直射日光の当たらないナイターかドーム球場での開催に変更すべき。
これも不満ではあるが、高校野球は地方予選からテレビ中継あるのに対して、他のスポーツだと、全国大会の決勝でも中継ない事も多い。どのスポーツでも子供たちは真面目に取り組んでいるので、この辺の不公平感もなんとかして欲しい。 

昔から「見て見ぬふり」はよくあること

甲子園の開会式でまた熱中症で倒れた子がいることを今知った。地方予選も含め何人の学生が熱中症で倒れたのだろか。それでも何もなかったかのようにいつも通り高校野球を消費する光景が広がってて地獄しかない。
中学生の頃、学校行事の宿泊研修で似たような状況に遭遇したことがあるが、自分も含めて同級生は誰一人として、倒れた同級生を助けようとはしなかった。そして、同級生を助けなかった事を咎める教師もいなかった。あの宿泊研修の目的が、「命を大切にする」で、なかったのだけは間違いないだろう。
誰が医務室に運ぶかぐらいは決まってるのでしょうか?
昔からです。朝礼で倒れる子がいても保健室には連れてくが、朝礼やめないし。
休日のスポーツイベントなど保健室も空いてないし、周りの大人は何もせず、手当も保護者に連絡する訳でもなく怪我した生徒を放置とかありました。
・10数年前の神奈川県大会の開会式でした。同じようにプラカードを持った女子高生が数人バタバタと倒れたのですが、挨拶をしていた松沢成文神奈川県知事は全く関知せず長い挨拶を続けていました。球児たちは皆心配そうにしていました。 この写真の場面でも、球児よりもお構いなしに式を進行する大会関係者の方を問題にすべきと思います。
小学校の先生が、ある少年サッカーで、誰かが倒れたら、サッカーでは、ボールを外へ蹴り出して、試合を中断するそうです。しかし、この試合では、ひとりの少年が倒れていても、試合を続行しているのを見て、この先生は、試合を止めて、みんなに注意したそうです。甲子園では、このルールがなかったのですね。野球を中止して、家に帰って、反省しなさい。なにが、全員野球か、先生に聞いてください。

社会生活でも、「見て見ぬふり」は日常茶飯事

全く。高校球児だけではなく、日本人を象徴するものだと思います。困っている人、今まさに貧困から命を落とそうとしている人、道に倒れている人、大多数の日本人はこれを無視して平気です。命も軽視するこんな道徳の民族は世界をみてもレア。因みに沖縄人は違って心がありました。
これは高校生だけに限ったことではない。十数年前、帰途の折、人だかりがしていた。見れば交差点前に初老の男性が倒れその後方に車。運転手らしき女性がパニック状態。大の大人たちはただそれをただ見ている。私は驚いてはねられた男性の意識を確認し、歩道に移した。これが今の日本なのだ。
地下鉄サリン事件を思い出しました。ちょうど通勤ラッシュの時間帯だったので、乗客たちは、毒ガスを吸って倒れた人を見なかったかのように、いつも通りに職場に急ぐ人が多かったそうです。その光景は見ていて異様だった、と聞きます。20年前からすでにそういう傾向はあったのですね。
 

高野連はこの事態に適切に対応したという声も

倒れた女生徒の後ろにいたのは選手宣誓を控えた生徒でした。誤解がないように新聞に載ってたコメントを掲載します。何も感じなかったわけではないのです。出典:FB憲法九条の会公開グループ | Facebook

 

そんな事ない。結構みんな注目してる。どうしたらいいか分からないだけだよね。
駆け寄る等の意見を見かけますが、実際のところ数秒後には複数の介護の方が駆け付け、本人も倒れた直後意識を取り戻し身を起こし座った状態で搬送されています。ほとんどの選手、式典進行係は何が起こったのか分かっていません。本人が一番悔しかったはず。滞りなく進行することが本人にも一番の救い。
集団心理というものありますよね 誰も動かないと自分もどう動いていいか分からず 様子を見てしまうような助けるべき という気持ちが欠落してるのとは違うと思います正しい対処を知らないと どう助ければいいか分からず 動くに動けないことってあるんじゃないでしょうか
 
出典:FB憲法九条の会公開グループ | Facebook  
多分ですが、選手は女子高生が倒れた時は何らかのアクションは起こしたと思います。その後、救護の係員が到着して列に戻るよう促されたのでしょう。私は何度かそのような場面を見ています。問題にすべきなのは、事態を無視して話を続ける偉いオジサンです。その行為は「女子高生のことは放っておいて良いから私の話を聞きなさい」と言っているのと同じことですから。 
倒れた原因が何なのかも分からないのに手出せないんじゃないかと。
逆にこの状況で誰かが大声あげたらそれこそ連鎖的にパニックおきて誰か怪我するし
下手したら将棋倒しで死ぬ奴もいる
  
高野連はこのようなアクシデントは想定しており、代わりのプラカード嬢も用意していますし、救護係も待機しています。球児達の前方では偉い人が何事も無かったように祝辞や訓示を続け、担当の役員(女性が望ましいのは当然ですが)が駆けつけて救護に当たっている状況で、話を聞かされている球児達は何をすれば良いのでしょうか。皆さん、何が問題なのか、方向性が違いませんか。出典:FB憲法九条の会公開グループ | Facebook
 
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。 皆さんはどう感じましたか?

 

 


安倍政権をジワジワ追い詰めた、前川喜平氏の「人間力」 by 新恭 〔MAG2.NEWS 2017.8.11 〕

2017-08-13 18:34:08 | 紹介

http://www.mag2.com/p/news/260190より転載

安倍政権をジワジワ追い詰めた、前川喜平氏の「人間力」

kihe.maedacchi

 

捨て身の覚悟で「加計学園問題」の告発を行った前川喜平前文科省事務次官。安倍政権は当時、すぐにメディアなどを使って前川氏への個人攻撃を始めました。しかし、メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんは、前川氏の発言にはウソ偽りが感じられず、あの「告発」以降、国民の心が急速に安倍政権から離れ始めたのは起こるべくして起こったことだと持論を展開しています。

安倍政権の支持率を急落させた前川喜平氏の人間力


「ここだけの内緒の話ですが、2015年9月18日の夜、国会正門前に私はいたんです。シールズの連中がね、ラップのリズムで集団的自衛権はいらない、とコールしている。私も一個人としてみんなに混じって声を出してました

前の文科省事務次官、前川喜平氏が先日、福島市内で開かれたイベント「前川さん大いにかたる─加計・憲法・夜間中学などなど」で話した内容だ。

公衆の面前で「内緒の話」もあるまいが、そう言うからには今回が初披露なのだろう。

集団的自衛権を認めるという憲法解釈は成り立たないし、立憲主義に反する。あってはならない解釈にもとづいて法律をつくったあの安保法制は憲法違反です。あの夜、一回きりでしたが、今日行かなきゃもうない、と。バレていないと思いますよ。バレていたら事務次官になっていなかったはず」

当時の前川氏は文部科学審議官である。翌年6月には事務次官にのぼりつめた。官房長、初等中等教育局長をへて順調に出世の階段をのぼっていた。その人が、安倍政権の新しい安保法案に反対し、参院本会議で可決されるのを阻止すべく声をふりしぼっていた国会前の集団の中に身を置いていたというのだ。

たしかに、幹部官僚の人事権を握る官邸がそれを知れば、即座に左遷させられたことだろう。

退職後とはいえ、元事務次官が時の政権に「行政を歪められた」と物申した衝撃と注目度の高さは、想像をはるかに超える。福島で開かれたこのイベントに、はるばる四国から参加した女性もいたほどである。

思い切った言動もさることながら、その人格がどのようにしてつくられたかに関心を持つ人も多いようだ。質問者のなかに「前川さんに興味があります」とはっきり言う婦人もいた。

とにかく前川氏の言うことは論旨明快ウソ偽りが感じられない。だから、安倍首相をはじめ官邸や内閣府の面々が対照的に、胡散臭く見えてしまう。実際、安倍首相の人気急落には、前川氏の出現も大いに影響しているのではないか。

 


こと教育論に限っても、前川氏は安倍首相のアンチテーゼといえる存在だ。教育再生を謳い、「人づくり革命」と意味不明の新スローガンを繰り出した安倍首相は国のために命を懸ける人づくりを教育の眼目とする。

それに対し、前川氏は人それぞれの個性の違いを重視する。「いじめ」についても、道徳教育が足りないと安倍首相は考えるが、前川氏は違う。

この日のイベントで、参加者の一人が前川氏にこう質問した。

「前川さんは、いじめがひどいのであれば学校に行かなくていいと仰っていましたが、そう思ったきっかけは」

前川氏は自身の不登校体験を語りはじめた。親の仕事の都合で奈良から東京に転居した小学校三年生の時、東京の言葉や担任の先生になじめず、学校に行く直前になると吐き気や頭痛がして欠席した。

当時、奈良の学校にはプールがなく、泳げなかった。プールのある東京の学校の水泳の授業が怖かった。四年生になって、別の学校に転校し、担任の先生が優しかったこともあって、ようやく溶け込めたという。そういう児童期の体験が、前川氏の教育観をつくりあげたのかもしれない。

学校の規則や人間を規格にはめようとする教育には抵抗感をもっていました…そういう人間が文科省で事務次官をやってはいけないのかもしれませんが…」

子供を規格に押し込めない教育。その実例として、前川氏が紹介したのは、大阪市立大空小学校だ。同小学校元校長、木村泰子氏によると「スーツケースではなく、風呂敷のような学校」なのだそうである。

前川氏は言う。「スーツケースのような一つの型に入れようとすると息苦しくなって逃げたくなる。大空小学校はどんな問題を抱えている子でもすべて受け入れて個別に対応する。どんな形の子供でもそれぞれの個性を生かしながらやわらかく一つに包みこんで共同体をつくっていく。そのとき、守るべきルールはたったひとつ。自分がされて嫌なことは他人にしない。それだけは守りなさい、と」

おそらく前川氏は、政府、文科省が進めている現実の教育とのギャップに悩みながらも、大空小学校のような教育が実際に行なわれていることに救いを見出していたのであろう。事務次官になっても役人は前例踏襲であるし、組織の論理から逃れることは難しい。そこに、安倍官邸のような締めつけが加わると、それこそ息苦しい。

「学校という仕組みからマインドが離れられないんです。親がなくとも、学校がなくとも、子供が学校以外の場所で学ぶのはいくらでも可能です」

学校に行かなければ不良だとでもいうような風潮を前川氏は戒める。加計問題での勇気ある発言と併せ、日本の官僚もまんざら捨てたものではないと思わせてくれる。

こういう視点を持つ人なら、現役の官僚だったころでも、国の最高権力者が古い道徳や国家意識を押しつけるかのような姿を見たとき、どう感じるかは自明のことだ。

 


安倍首相の明治憲法に回帰するような憲法観
はもとより、「人づくり革命」とか「一億総活躍」とかいったスローガンであらわされる単眼的な人間観には大いなる疑問を抱いていたことだろう。

しかもその権力者が、ほとんど国としては必要としない獣医学部を特例的に新設することを決め、その事業を親友の経営する加計学園に担わせるための認可を、文科省に求めてきたのである。

加計学園が安倍首相はもとより自民党の有力議員の選挙を応援してきたことも知られている。学問や教育が、政治によって歪められる心配もあるのだ。

加計理事長と政治家。これはもう、絶望的に癒着した関係に見える。

松沢成文参院議員が数回にわたり国会で質疑を繰り広げたのが、加計学園グループの学校法人英数学館の敷地内に「自民党岡山県自治振興支部」という自民党の政党支部が存在することだ。

支部長は加計孝太郎氏。会計責任者、埋見宣明氏は岡山理科大同窓会の副会長。

事務担当者、小林正博氏は加計学園グループ・並木学院高校の校長。支部の支出の全てが政治活動費、組織活動費であり、何らかの政治活動が行われていたことは明らかである。

つまり、加計学園の英数学館に事務所を置いて政治活動をやっている。そのスタッフは学園の関係者ばかりということだ。

松沢氏は「教育基本法十四条の二に違反するのではないか」と7月10日の閉会中審査でただしたが、当時の松野文科大臣は例のごとく明確な答弁を避けた。そこで松沢氏は、参考人として出席していた前川喜平氏に「事務方のトップの経験者としてどういう見解をお持ちですか」と質問した。

前川氏は「一般論としては」と断ったうえで、「学校の関係者、校長以下の教職員がそういった学校の立場で政治活動をするということは教育基本法に違反するおそれがあると考えております」と語った。

09年の安倍氏の衆院選挙で、加計学園グループは、傘下の岡山理科大学、千葉科学大学、倉敷芸術科学大学などに所属する事務職員を選挙運動の応援に動員した。

これに教職員組合が反発。「職場の上下関係において上位にあるものが行えば、強要の意図がなくとも下位のものは非常に断りにくい状況に追い込まれる。これは思想信条の自由に対する重大な侵害である」と、加計理事長あてにパワー
ハラスメントの調査を求める要求書を突きつけている。

学校法人が、事務職員を半ば強制的に特定の国会議員候補者の選挙運動にかかわらせるというのは、公職選挙法にもふれる問題ではないか。しかも国から多額の私学助成金を受けているのである。学校ビジネスを拡大するのに政治家を利用し、国からカネを引き出すという加計理事長の経営術は、教育のあり方を考え続けてきた前川氏と、根本精神からして相容れない。


前川氏のような教育観は、教育ビジネスの観点からすると旧態依然とした岩盤であるらしく、6月26日、国家戦略特区諮問会議の有識者議員らが記者会見したさい、竹中平蔵氏は前川氏を激しい口調で批判した。

「改革に反対する人たちが牙をむいてきた。前次官が記者会見で話した内容には、違和感がある。行政が歪められたというが、違うでしょうと。あなたたちが52年間も設置の申請さえ、させないということで、行政を歪め国際的に大きく遅れをとってしまった。だから国家戦略特区という枠組みで歪みをただしたのだ」

竹中氏の発言は、多くの国民が抱いている疑念について触れていない。客観的にことの経緯を見ていくと、全てが“加計ありき”で進められ、加計学園も認可されることを前提に早くから準備を始めている。異例な展開と特別扱いの背景に、安倍首相と加計理事長の親密な関係への官僚の忖度があったのではないか。そのような疑念は無視し、抵抗勢力による岩盤規制こそが元凶だと話をすり替える

ならば竹中氏に問いたい。諮問会議において、今治市の提案が、いわゆる「石破四条件に合致しているかどうか、すなわち既存の大学にはできない研究、教育内容を実現する確信が持てるまでの議論がなされたのか。

岩盤規制の改革はいいが、無条件に何でも認めるわけにはいかない。ゆえに獣医学部設置の条件を定め閣議決定したのが「石破四条件」である。これを無視していいわけがない。前川氏はその点について記者会見で疑問を呈したのだ。竹中氏はそれに答えていない。

官邸、内閣府、諮問会議は、加計学園の名前を伏せ「愛媛県と今治市」の提案として獣医学部新設を審議してきた。しかし8月6日の朝日新聞は、2015年6月に愛媛県、今治市から特区ワーキンググループがヒアリングしたさい、議事要旨に記載のない加計学園の幹部が実際には同席していたと報じている。

国民にはすでにバレている“加計ありきの計画をいつまでも隠そうとしウソの上塗りばかりしているから、政権中枢の信用は低下の一途をたどっているのだ。

このような政権が、いくら「人づくり」を叫ぼうとも、空虚に響くのはあたりまえだ。まして「○○改革」が陳腐になったから「○○革命」と言う。奇妙な言葉遣いで人をごまかそうとする政権には、前川氏でなくとも、あきれ果てる。

image by: WikimediaCommons

 

『国家権力&メディア一刀両断』

著者/新 恭(あらた きょう)記事一覧メルマガ

記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。

 

 


加計「出席」隠す政府 議事要旨不記載 国会で認めず 〔東京新聞 2017.8.13〕

2017-08-13 16:53:07 | 加計疑惑

東京新聞 TOKYO Webhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201708/CK2017081302000121.htmlより転載

加計「出席」隠す政府 議事要旨不記載 国会で認めず

写真


 国家戦略特区の獣医学部新設を巡り、二年前のワーキンググループ(WG)の議事要旨で、安倍晋三首相の友人が理事長の学校法人「加計(かけ)学園」側の出席や発言が伏せられていた問題について、政府はこれまでの国会審議で、学園側と協議していたのではと問われても、不誠実な答弁で認めてこなかった。首相が「すべてオープンだ」と主張しているのとは裏腹に、事実を隠そうとする姿が目立つ。 (金杉貴雄)

 政府が公表している議事要旨などでは、加計学園が直接議論に参加した記録は今年一月の事業者公募より前にはなく、分からなかった。実際は愛媛県今治市が最初に提案した二〇一五年六月のWGに学園関係者三人が出席し具体的な説明をしていたのに伏せられていたことが、政府関係者の記録や証言に基づく本紙報道などで判明した。

 これまでの国会審議では、一月以前から学園が事業者として説明していたのではないか、と野党議員が質問。政府は「加計学園ありき」の批判を否定するため、学園側の出席や発言について答弁を避け続けた。

 五月の参院委員会では自由党の森裕子氏が、議事要旨にない学園側とのやりとりがあったはずだとして「議事要旨から削除したのか」と追及。内閣府の藤原豊審議官(当時)は直接答えない一方で、議事要旨は議事録とほぼ同じだと強調し、「すべて公開」を印象づける答弁をした。

 実際は二年前のWGに学園関係者も出席し委員のさまざまな質問に直接答えていた。藤原氏は当時司会役だった。「すべて公開」どころか学園側の出席を議事要旨で伏せ、そのことを国会審議で説明しなかった。

 六月の参院委では、共産党の田村智子氏が教員の確保で学園と協議があったのではないかと質問。内閣府の佐々木基・地方創生推進事務局長(当時)は、学園ではなく「WGで今治市から聞いている」と答えた。

 実際は同じWGで「教員確保の見通しは」と委員が質問したのに、学園関係者が確保できると説明していた。議事要旨では、質問ごと伏せられていた。市の提出資料にも「必要な教員を確保」との記述があるため、国会答弁は虚偽とは断定できないが、委員の質問に答えたのは学園側だったことには触れなかった。

 
 
 

 

 

 

 


★〔東京新聞名物、 佐藤正明 さんの政治まんが〕 ~”8/10 稲田さんの日報”

2017-08-13 00:46:28 | シェアー

東京新聞政治部認証済みアカウント @tokyoseijibu 13 時間13 時間前